日高見の空舞う鷹と天翔る龍 地龍抱鷹編

西八萩 鐸磨

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沖黒の章 膽澤鎮守府5

国見山

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 舞鶴舘を後にした一行は大集団となった。
 先導を正任、国守の周りに眞任、後方を則任が率いる騎馬兵それぞれ五十騎、総勢百五十騎が囲んだ。


 律令制下における軍事組織は軍団と呼ばれ、通常軍団の所在地名を前に付けて、『名取団』などと呼称される。
 国家が人民から兵士を徴兵し組織したものであるが、その規模は二百人から千人の間程度で百人単位で組織された。
 千人の軍団(大団)は、大毅1名と少毅2名に率いられ、六百人以上の軍団(中団)は、大毅1名と少毅1名に率いられた。五百人以下の軍団(小団)になると、毅1名に率いられた。


 小団とも言うべき規模の大集団は、北股川を渡り幾段かの段丘を登り北進した。小高い丘を越え、白鳥川を渡河すると、目の前には沃野が廣がった。
 東縁を南流する日高見川へ向かって、階段状に右肩下がりで段丘平野が彼方まで続いている。
 鳥の目をもってすれば、駒嶽(焼石駒ヶ岳)に源を発する膽澤川が東流し、扇型の扇状地形を形造っているのが見て取れるはずである。


 一団は広げた扇の右端から左端へと、弧を描く様に段丘と日高見川沿いの沖積平野の境を北上した。
 やがて膽澤川が日高見川に合流する手前で、目の前に北へと真っ直ぐに延びる幅四丈を越える大路が出現した。
 南大路である。
 遥か北方を見晴かすと、彼方に国見山が望まれた。


 国見山は、坂上田村麻呂が延暦二十一年に北方鎮護のためこの地に膽澤城を築き、翌年さらに北の征討のため斯波しわ城を日高見川と雫石しずくいし川の合流地近くに造営した頃より、国家鎮護の仏教の一大拠点として興隆し、平泉よりも前に繁栄した神聖な山であった。当然安倍氏もこれを厚く信奉した。


 大路の左右には方格地割の小路が整然と整備され、小さな掘立柱建物が建ち並んでいた。


「陸奥国守藤原主殿頭登任様、御来府~」
 正任が良く通る張りのある声で宣した。


 人々は路傍に平伏し、そして幅八間奥行四間という巨大な外郭南門が前方に立ち上がるのが見える頃、路の両側には槍を持った兵が並んだ。


 膽澤城の外郭南門は、五 間一戸 の瓦葺重層構造の十二脚門 という、多賀国府のそれと遜色のない壮麗なもので ある。
 城の外郭は一辺約六町(六百七十五米)あり、高さニ間一尺ほどの築地ついじ(土塀)と幅二間、深さ一間の堀で囲まれていた。
 ここで全員が下馬し、堀を渡り門をくぐると、宏大な敷地の中に、右手に厨屋や官衙の建物が見えた。左手にも幾つかの建物が建ち並んでいる。
 後方の則任が率いる五十騎は、門外に留まり、兵士の並ぶ大路をさらに進んだ。
 幅六間奥行三間の殿門に至ると、眞任の兵が留まった。
 門をくぐり、政庁の南門を前に正任の兵は左右に分かれそこに留まると、先導する正任と共に登任らは門内の政庁へと足を踏み入れた。
 文武の官吏が左右に平伏する中、政庁正殿前へと進むと、登任と経清、永衡の三人のみが殿上へと正任にいざなわれた。




「従四位下蔵人頭陸奥守藤原登任様の御成」
 登任が入殿すると国守の来庁が高らかに告げられた。


 正殿は幅十間奥行六間四尺の堂々たるもので、登任の目の前には南面して平伏する四人の漢が並んでいた。
 正任も直ぐに左端に並び、同じように平伏した。
 中央の漢を挟んで左側には僧形の、どこか見覚えのあるような顔立ちの漢が並び、右側にはあの忘れもしない巨躯の貞任が居並んでいた。また、貞任の右隣には正任と同じくらい年若い者が平伏していた。


 真中の漢は貞任と遜色ない上背があろうかという大柄な躯で、面を伏せているため顔ははっきりとは判らない。


「此度は膽澤鎮守府への御来府、御礼申し上げ奉ります。また陸奥国府への御着任改めて心よりお慶び申し上げます。初めてお目見え致します、従五位下安太夫あんだゆう安倍頼良でございます。微才ながら俘囚の長として、将軍不在の当鎮守府におきまして、奥六郡の民心を鎮め、賦貢が滞らぬよう諸々差配させていただいております。国府御入府の折、本来であれば卑官自らご饗応すべきところ、政務多忙のため名代貞任に対応させましたこと、この場を借りてお詫び致しますとともに、願わくは、ご寛恕のほどお願い申し上げ奉ります。」
 そう言上して、五人は更に頭を低くした。


 かたちは国守たる登任に対して、郡司たる頼良がへりくだるものであったが、ここでも衣川の館での主客逆転のさまと同じ常道を外れたものであった。


 --なぜなら、頼良達が南面するのはおかしい。
 主が従へ対するのと同じで、国守の登任が南面し、頼良等は北面しなければならない。


 だがここでも、登任本人は気づかなかった。
 ここまで、あまりに自然に事が運ばれていたことも理由であるが、明らかにここでの主は頼良であり、まわりのものどももそのように振る舞っていたからであろう。


 そして--何より。

 目の前に平伏する頼良は、全身から貞任と同じか或いはそれ以上の、周囲を圧倒する気配を発していたのである。
 ただ、その気配は深山幽谷の様な佇まいであり、貞任の気配が圧し潰すようなものであるならば、頼良のそれは全てを呑み込んでしまうような、底知れぬ深さを持っていた。
 つまり、登任はこの時すでに、頼良の内にある深淵に呑み込まていたのである。


「--な、なるほど。安太夫殿、鎮守府の差配たいぎであった。ところで、厨川くりやかわ次郎(貞任)と黒沢尻くろさわじり五郎(正任)は見知っておるが?」
 登任は目の前の頼良の頭を見つめたまま、身動きできずにいたが、ややあってようやく我に返ると、一度咳払いをして頼良の左側に目を転じて言った。


「申し遅れました。これなるは入道にゅうどうし僧籍にありますが、我が実弟の良照りょうしょう。貞任の隣に控えますは、我が六男重任しげとうにございます。以後お見知りおきをお願い致します。」
 そう言われて、改めて良照を見やった登任は、僧形のその漢が阿津賀志山まで伴をしたあの照良であるとはやはり、気づかないのであった。


「蔵人頭様、草深く険しき山路、さぞやお疲れでございましょう。今宵は、ささやかながらご饗応の用意を致しております。何卒宜しくお受け頂きますようお願い申し上げ奉ります。ますは一度、へやにてお寛ぎ頂きまして、のちほどお迎えに参上いたします。」
 頼良はほんの僅か顔を上げて、その深い耀きを湛えた龍眼で登任の両眼を見つめた。


「ご、ご配慮痛み入る。ではひとまず失礼するとしようぞ。」
 登任は射すくめられたかのように首を縮め固まっていたが、なんとかどもりながらも声をしぼり出すと、ひざから下が力の入らぬため、経清らに支えられて正殿を後にした。


 正殿の前庭には、中央の敷石畳の四方を囲んで炬火が灯され、いぎょうの人影が、あかあかと照らし出されていた。

 頼良と並んで正殿の中央に南面して座した登任は、楽に合わせて舞う舞手をぼうぜんと見つめていた。

 舞手は龍頭の舞楽面を着け、金色のばちを持った両手を広げ、片脚を上げ勇壮に舞っている。

「あれは・・・。中納言様と四天王寺もうでのおりに観た、聖霊会しょうりょうえの舞楽に似ているような・・・。」
 登任はつぶやいた。

 緋色の紗地に窠紋かもんの刺繍をした袍を着て、その上に毛べりの裲襠りょうとうと呼ばれるそでの無い貫頭衣かんとういをはおり、金帯を締めたきらびやかな装束である。
蘭陵王らんりょうおう。」
 頼良が前を見たまま言った。
 登任はかたわらの漢の顔を目を見開いて凝視し、右手に持った盃を落としそうになった。
慈覚大師じかくだいし様が当地に伝えられた舞でございます。」
 頼良は登任の様子に少しも動ずること無く、一礼した。

 蘭陵王とは陵王とも呼ばれ、ひとり舞で、龍面を被る勇壮な走り舞である。

 大陸の北斉の蘭陵武王高長恭らんりょうおうぶおうこうちょうきょうの逸話にちなんだもので、眉目秀麗な名将蘭陵王が、その美貌を仮面に隠して戦に望み、見事大勝した事績を讃えて歌われたものが由来とされている。
 武人の勇壮さと、美貌のぬし蘭陵王をしのばせる優雅さを併せ持つ舞である。

 舞手が足を踏み降ろし、しこを踏む様な動作をした。

『記憶が確かであれば、いにしえの北周が洛陽を包囲した時、高長恭が援軍を率いてきたものの、城内の人々は敵のはかりごとと疑い、門を開けなかったという。そこで、高長恭はかぶとを脱いで常に着けていた仮面を取り去り、顔をさらした。そのたぐいまれな美貌で、あの有名な高長恭本人であると悟った門兵が扉を開き、無事に囲みを破って洛陽の解放を成したという。』
 登任はみいられたように、舞手の動きを目で追った。

 桴を持った右手を振りかざした。

『国府が囲まれることはよもや無いとは思うが、果たして儂には蘭陵王がおるのだろうか?』
 登任の持った酒はいが、知らずふるえていた。

 舞手は桴を高くかかげ、楽が止むと舞は終わった。

「だいぶお疲れのご様子。次は巫女舞などご披露致しますれば、お気を楽になされませ。そののちに、お開きと致しましょう。」
 頼良が柔らかなこわねで、登任を見やって言った。


 いぎょうの将軍が去ると、目の前に見目麗しい三人の巫女が現れた。

 白地の平絹ばかまの上に、朱色の地に小鳥を散らした紗のはかま着て、それが尻長になっており、両の手には銅拍子(小さいシンバル様のもの)を持っている。
 足にはきゃはんの形をした鳥足(高下駄)をつけて絲鞋しがい(絹製のくつ)をはき、背と胸に、紅や緑青で羽を描いた、紙(和紙)で出来た翼と胸当てをつけている。
 頭には金色の唐草模様の宝冠をつけて、二本の藤袴ふじばかまの枝をはさみ、髪は角髪みずらにゆっていた。

迦陵頻かりょうびんか。」
 登任が独り言ちた。

 その昔、唐より伝えられたと云われる舞で、元来は童子の四人舞である。
 極楽浄土に住むという人面鳥身で美声を持つ霊鳥(迦陵頻伽かりょうびんが)に由来し、巫女が舞う場合も多い。

 鳥が翼を広げるように、三人は同時に両手をひろげた。

「ひなにもまれなとは、このことであろうのう。」
 ようやく柔らかな表情を見せた登任が言った。
「かたじけなきことにございます。あれらは我が娘、名を有加ありか中加なが一加いちかと申します。」
 頼良はゆるりと頭を下げた。
「左様であったか、今宵は良いものを観せてもらった。」
 登任も目を細めて頷いた。

 炬火に照らされた薄明かりの中、楽に合わせて、頭上の藤袴が揺れている。

 この時、長女有加一乃末陪ありかいちのまえは十二歳、次女中加一乃末陪なかいちのまえは十一歳、末娘一加一乃末倍いちかいちのまえは十歳であった。
 あの光源氏ひかるげんじの想い人、夕顔ゆうがおの忘れがたみ玉鬘たまかずらに、嫡男夕霧ちゃくなんゆうぎりから差し出されたのが藤袴の花枝であった。

 彼女らの運命も、玉鬘に劣らず数奇すうきな道をたることになろうとは、父である頼良も、ましてや登任にも想像だにし得ないことであった。


 経清と永衡が良い具合に酔った登任を宿舎となったへやへ送り届け、ほとんど明かりのない府内を歩いていると、建物を二つほど挟んだ向こう側から、突然、女の短い悲鳴が聞こえた。
 二人は一瞬顔を見合わせると、すぐさま走り出した。


「お止めなさい。このような狼藉ろうぜき、許されると思ってのことか?」
 年若い娘が三人、一人の男と対峙していた。


 男は経清達に背を向けており人相は判らなかったが、着ている物から自分たちと一緒に登任に付いて来た在庁官人の一人であることが推察された。
「夜はまだ浅いゆえ、いま少し酒の相手をせよと、言っているだけではないか。なにをいきり立っておる。」
 背後から近づく二人には気づいていないようだった。


 年長の娘が地べたに両脚を斜めに投げ出して、両手をついてへたり込んでおり、もう少し年下の娘が、その前にまわって右手に持った短刀を掲げて庇うように立ちはだかっていた。
 そして、一番幼そうな娘はへたり込む娘の背後にしゃがみこんで、身を隠すようにしているようであった。
 正殿前の通路に灯された台燈籠だいとうろうの灯りが、短刀を掲げる娘のしろい横顔を僅かに照らし出していた。
 時折短刀に当たった灯りがきらめくのは、持ったその手がかすかに慄えているからであろう。


 男が前へ一歩踏み出そうとした時、横合いから見慣れた顔がぬっと、目の前に現れた。
「やあ、ここにおられたのですか。国守様も休まれまれましたし、呑み直しますか?」
 永衡が男の肩に手をまわして、強引に横を向かせた。
「こ、これは永衡殿、もう戻られたのですか。」
 男は明らかに狼狽した様子を隠しもせず、目を見開いて言った。
「少々手こずりましたが、なんとか寝かしつけてきました。」
 永衡は少し歯を見せて哂うと、そのまま男の背を押して自分たちの室へと歩き出した。


 一方、そのまに男に悟られずに娘達に近づいた経清は、短刀を掲げたまま呆然と立ち尽くしている娘の後ろにまわり、片膝を着くと、へたり込む年長の娘の手をとった。
「ささ、今のうちに。」
 経清はそう言って、娘が立ち上がるのを手伝った。
 すると、その後ろでしゃがみこんでいた娘もつられて立ち上がり、それを見た経清は、その娘にも微笑みを向けた。
「もう大丈夫です、まずは灯りの下へ参りましょう。貴方も、そのような物騒なものは早くお仕舞いになり、こちらへおいでなさい。」
 経清は年長の娘の手を引いて、台燈籠の処へと誘った。
 一番幼そうな娘は、年長の娘の着物の裾を掴んだまま、あとを付いて来る。
 短刀を持った娘もようやく我に返り、慌てて懐に刀を仕舞うと、三人のあとを追ってきた。
「一体どういうことですか?貴方様はどなたですか?」
 追いすがりながら、矢継ぎ早に問を投げかける。


 台燈籠の灯りの下にたどり着くと、お互いの顔が判別できるようになった。


 三人娘は先程巫女舞を舞った、頼良の娘達であった。
「貴方様は確か国守様とご一緒の・・・・。」
 経清の顔を見上げ見て、初めて気がついたのか、有加が口に手をあてて呟いた。
「藤原経清と申します。先ほどのたおやかな舞、とても素晴らしゅうございました。」
 そう言って、経清は有加に一礼した。
「都の舞に比べれば、私どもの舞なぞ、ほんにつたない舞で、恥ずかしゅうございます。」
 有加は目元に恥じらいを載せ、少しはにかんだ。
「いやいや、宮中でもあなた方の様な舞を舞える者はそうはいないでしょう。」
 経清は左手を左右に振って、ま顔で答えた。


「経清様、いつまで姉の手を握っているおつもりですか?」
 中加が二人の間を割るようにして、言った。
「あっ。」
「あ、これは失礼いたしました。」
 二人は同時に、熱いものに触れたかのように互いの手を離した。
「まったく、油断も隙もない。お姉さまもお姉さまです。殿方に触れるなど何をお考えですか。貴方様も他家の娘に対して、あまりに馴れ馴れしくは有りませぬか?」
 中加はややつり気味の目元を怒らせて、腰に手をあて、ほおをふくらませた。
「助けていただいた方に、そのような失礼なことを言うものではありません。」
 いつもは妹に勢い負けする有加が、この時は何故か反対に中加をたしなめた。
 するといっそう中加は、頬を膨らませた。
「いや、有加殿。わたしが悪いのだ、ここまで来れば用が済んだというのに、すっかり失念しており申した。」
 経清が自分を差し置いて、にらみ合いを始めた姉妹二人を交互に見て、慌てて手で制しようとした。


 一番下の一加は、そんな姉達と狼狽する経清を、嬉しそうにかたわらで見ていた。
「お姉さま方、喧嘩をすると経清さまがお困りですよ。」
 しかも一加は生意気にも、年長の者たちに諭すような物言いを、微笑わらいながらするのであった。


 有加と中加は一瞬はっとして、同時に経清の方を見やり、互いの顔を見合わせ、思わず口に手のひらをあてて吹き出した。
「ほんとうにそうですね。助けていただいた方を困らせても仕方がありませんでしたね。経清様、申し訳ございませんでした。」
 有加がたおやかに、少し膝を曲げて一礼した。
「わたくしだって、そのようなつもりは・・・。そ、それよりも先ずは助けていただいたお礼を申すのが先でございました。経清殿、危ないところ助けて頂き、誠に有難うございました。」
 中加が急に居住まいを正して、凛とした真面目な顔で礼を言い、同じように膝を曲げて一礼した。


「まったく、いつも世話が焼けるお姉さま方。」
 今度は一加が腰に手をあてて、可憐に咲った。


「ところで、お三方は何故ゆえこの様な夜更けの時分に、暗がりを歩かれていたのです?」
 経清はがてんがいかぬていで、有加を見て言った。
「内神様と外神様にお供えする物を、くりやから神前へと運び、母屋へと戻るところであったのです。巫女舞を奉じたあとには、供物くもつを納めるのが習わしなのです。」
 有加は両手を胸の前で組みこれを上下して、しとやかにゆうをした。
「そうですか。府内とはいえ、女人にょにんだけで夜更けに歩かれるのは物騒でございます。これからはお気をつけられたほうがよろしいかと存じます。」
 経清は、本心から心配であると容易に判る目をして言った。

「・・・もう一人の方はどなたですか?あの方にもお礼を申し上げなくては。」
 中加が軽く咳払いをして、話を変えた。
「あ、ああ。あの者は平永衡と申し、少々調子者ですが、機転のきく良きともでございます。」
 経清は慌てたように、話をつくろった。
「それにしても先程から申す通り、まだ亥の刻とはいえもう遅い。母屋までお送りいたしましょう。」
 更に話を継いで、せかすように言った。
「かたじけのうございます。折角のご好意、お願いすることにいたしましょう。」
 有加はそう言って素直に、経清の申し出を受けた。少し嬉しげなのが分かった。
 すると中加は、何も言わず即座に皆に背を向け、先頭をきって歩きだした。
 それを合図のように、何故か一加が有加と経清の間に入って来て、嬉しそうに二人の手を握った。
 一加は戸惑う二人をよそに、そのまま手を繋いで、三人並んで歩き出すように二人の手を引くのであった。


 歩きだした四人の影は、台燈籠の灯りを受けて、細長く石畳に伸びていた。


 翌朝、あおあおと天高く晴れ渡った空の下、宏大なまきばに健児こんでいとほぼ同じ規模の、五十騎ほどの騎馬の集団がざっと見て二十はいた。


 牛車に揺られて連れてこられた登任は、牧場の北端にしつらえられたさじきの上から頼良と共に、その壮観なさまを観ていた。


 青毛の巨大な馬にまたがり、黒漆に金糸の刺繍の施された鎧を身にまとうのは貞任である。
 鮮やかな緋色の馬具を付けた黒鹿毛くろかげの馬に跨り、朱漆に銀糸の刺繍の施された鎧を身に纏ったのは正任。
 黒漆に朱色のひも飾りをあしらった馬具と鎧で、青鹿毛の毛色の馬で疾駆する若武者は、重任と則任の二人。
 生漆塗りの馬具と鎧に黒色のひも飾りをあしらい、栃栗毛とちくりげの馬で落ち着いた手綱さばきの武者は眞任である。
 そして、雪のように真っ白な佐目毛さめげの見事な馬で、黒漆に緋色のひも飾りをあしらった馬具と鎧で、たい然とたたずんでいるのは僧形の良照であった。


 目の前の千騎を超える騎馬が、一斉に動き出した。


 土ぼこりが舞うとともに、重なる馬蹄の音が腹底に響く。


 五十騎の騎馬からなる小隊を五隊で一つにまとめ、貞任の指示の下、そのそれぞれを良照、眞任、正任、重任、則任ら五人の下知によって意のままに操るさまは、五体の生き物が行きかう様であり、それらの動きを手足のごとく貞任がしょうあくしきっていた。
 したがって五体の生き物は、全体が一つの巨大な龍となり、うごめく様子にも似ていたのだった。


 起伏に富んだ牧場を、縦横無尽に進退を繰り返す騎馬軍団に、登任はただただ言葉を失い、膝を震わせて見守るばかりであった。


「国守様、如何でございましょう。北の守り、これで十二分に果たせるものかと思われますが?」
 頼良が魂が抜けたかのような佇まいの登任に、ひづめの音にかき消されないよう、叫ぶように声をかけた。
「い、如何にも。ま、誠に心強い。」
 突然かけられた大声に、登任は肩をぶるっと震わせ、しわがれ声を絞り出した。
「陸奥の馬は西の馬とは違い、りりしく気高き馬でございます。我らはいにしえの祖先より受け継いだことわりにならい、彼らとともに生きてまいりました。我らにとり彼らはからだの一部でありおのれ自身でもあるのです。」
 前を見据え馬群を見つめたまま語る頼良の横顔には、人ならざるもののおもかげをやどしているかのようであった。


 かつて伊治公呰麻呂これはりのきみあざまろが領した此治郡これはりこおり、のちの栗原郡は、貊(高麗こま)の流民るみんが多く移り住み、呉原くれはらが語源であったという。
 また更に昔、天武天皇十四(六八五)年の浅間山の大噴火の折には、諏訪地方の辺りに住まうかつての貊の民が馬とともに移り住んだともいう。
 貊の民は騎馬民族である。
 貊や諏訪と似て冷涼な気候の陸奥の地は彼らにとって非常に住み良い土地であった。
 やがて彼らは、先住の人々と同化していった。
 以来、この陸奥の地は人々が馬とともに生き、良質な馬産地となっていったのである。




 馬上できらめくのは、兵士が持った毛抜形刀けぬきがたとうである。
 刀身の長さは五尺五寸程度であり、蕨手刀わらびてとうのえがしらの装飾だった蕨形の飾りが廃され、すかしの入った方形が特徴的であった。
 一方、安倍兄弟ら指揮者は、舞草刀もくさとうを握っていた。
 のちに舞草鍛冶もくさかじといわれる鍛冶集団が衣川の辺りに居たのだが、その鍛冶集団でずいいちの腕とうたわれ、別名、舞草太郎とも呼ばれた、雄安なる刀鍛冶が作刀したわざ物であった。
 刀身は毛抜形刀より長く、まさに日本刀の原点と言えるかたちを備えていた。
 蕨手刀は砂鉄を用いて作られた刀であり、蝦夷が代々使ってきたものである。
 今や俘囚となり陸奥六郡を支配するまでになった彼らによって、鍛え上げられたそれは舞草刀へと昇華していたのだった。


 元々陸奥の地には、製鐵せいてつに関わる民が暮らしていた。
 その技は安倍氏にも伝えられていた。
 鐵と馬を操る最強の民。
 その技と力が目の前で繰り広げられていた。



 今度は一斉に、騎射が始まった。
 兵士らが持つのは、都では余り見かけない中弓であった。
 一方で安倍兄弟らのそれは、長弓。しかも従来の丸木弓より高い威力を求めて、木を主材にした弓の外側に竹を張り合わせた最新型の、伏竹弓であった。
 中弓は長弓とは異なり、威力はそれほどでもないが、馬上での扱いは容易であった。


 馬を疾駆させながら、地べたに置かれたまとに次々と矢を突き刺していく。



 --再び鎮守府に帰着する頃には、遥か西方の駒嶽こまがたけの向こう側が茜色あかねいろに染まっていた。
 既に燈台の灯された正殿に、頼良と並んで座る登任は一日で十は老けたように見えた。
 酒盃を持つ手も力無く、目の前で繰り広げられる舞を呆然と眺めている。


宝亀ほうき五年(七七四年)に大伴駿河麻呂公おおとものするがまろのきみが、光仁帝こうにんていより按察使あぜちを拝して、蝦夷征討を命じられたのを始まりとして、弘仁こうにんニ年(八八一年)に文室綿麻呂公ふんやのわたまろのきみが、陸奥出羽按察使みちのくいではのあぜちとして徳丹城とくたんのきを築くまでの三十八年間、朝廷みかどのつわものは相当の苦難をしいられたと聞くが、今ここ(陸奥)にあるうつつは、三百年のいにしえに戻ったかのようじゃ。』


 国府や鎮守府での人々の暮らしぶりや郡衙の衣食住は、都のそれとそれほど変わらないものであったが、根本的に登任の知る大倭やまととは異なる世界がここには在った。
 その事が動かし難い事実として、登任の胸に迫ってきていた。


 龍笛りゅうてきの音階が上がった。


 突然、登任は心の臓をわしずかみにされたようなむなくるしさを覚え、立ち上がると頼良を見下ろして言葉をはきだした。

「明日、国府へと帰る。」



 国守の突然の命に、伴の者も含め府内は大変な慌ただしさとなった。
 夜通しで帰府の準備が整えられ、翌朝早く、一行は出立することとなった。

「あの・・・。」
 うまやからひき出されてきた残雪を登任のところへ連れて行くため、くつわを引いて歩き出した経清に声をかける者がいた。
 経清が振り返ると、右手の建物の陰から姿を現したのは、何かを胸の前で持っている、長い黒髪が腰より下まで伸びた清楚な娘であった。
「有加殿ではありませんか。いかが致しましたか?」
 経清が怪訝そうに尋ねると、有加は静々と近づき寄り、捧げるように両の手で何かを差し出した。
「これをお持ち下さい。」
 経清は、轡を持っていない左手でそれを受け取った。
「これは?」
 受け取った物を見て、経清は探るように有加の瞳を見つめた。
 白絹の小さな匂い袋であった。
「先日のお礼でございます。お持ちいただければ幸いでございます。」
 そう言って、有加は瞳を伏せた。
「この香りは・・・藤袴でございますね。」
 経清が鼻の前まで袋を持ってきて、再び有加の瞳を覗き込んだ。
「はい。中加にまた、はしたないとこごとを言われてしまうかもしれないとは思ったのですが、経清様にはいつまでも、膽澤ここの事を思い出して頂ければと・・・。」
 更にうつむいた有加は、消え入りそうな声で「わた・のこ・も、わす・てもら・たく・くて・・・。」
 と、何ごとかをつぶやいた。
「あ、有難うございます。大切に致します。」
 最後の方はよく聞き取れなかったが、経清は小袋を懐にしまうと、一礼して残雪の轡を曵いて立ち去った。
 有加は胸の前で右掌を左掌で包み、経清の姿が見えなくなるまで見送っていた。

「だから昨晩言いおいたではないか、このつづらも馬に載せておけと。」
 永衡が配下の家人を大声で怒鳴りつけながら、掘立柱建物の一つから大股で出てきた。

「一加、どこまで連れて行くのです?早くお見送りの列に加わらねば父様ちちさまに叱られますよ。」
 中加が妹の方を振り返りながら、早足で歩いてきた。
「五郎兄様が、永衡様はこちらにおられるとおしゃっておりましたから・・・あっ。」
 言い訳をしていた一加が、小さな手を口にあてて突然立ち止まった。
「きゃっ。」
「おっと。」
 互いによそ見をしていたため、中加と永衡の肩が出会い頭にぶつかった。
「危ない。」
 よろけて倒れそうになった中加の左手を、永衡がとっさにつかんで引き上げた。
「・・・・。」
 勢いで、抱きすくめられるようなかたちとなり、永衡のふところの内で、中加は固まった。
「おお、すまんすまん。」
 それを見た永衡が、両腕を開いて一歩退いた。
「怪我はなかったか?」
 まだ固まったままの中加の瞳を覗き込んで、永衡が尋ねた。
「な、何をするのですか。」
 一瞬遅れて、漢の顔が目の前近くにあることに気づいた中加は、両眼をつぶって思い切り両手を突き出した。
「何をするはなかろう。突然ぶつかってきて、倒れそうになるところを助けて差し上げたというのに。」
二、三歩よろめいたものの、なんとか持ちこたえた永衡は大きな目玉をさらに大きくして言った。
 言われて更に反ばくしようと目を上げて、目の前の漢を見直した中加は、その顔と声に覚えがあることに気がついた。
「もしや、な・が・ひ・ら・どの?」
 それまでの勢いは消え失せ、小さな声で尋ねた。
「如何にも平永衡であるが、そなたは・・・・。」
 次のひとことに身構えていた永衡は、いささか拍子抜けした体で言った。
「先夜は、わたくしたち三姉妹が難儀をしている時に、お助けいただきまして誠にありがとうございました。」
 いつの間にか中加の隣に進み出ていた一加が、有加を真似たかのような、しとやかな揖をした。
「そ、そうなのです。永衡殿がご出立なされる前に、ひとことお礼をいたしたく、お探ししていたのです。」
 そう言って、中加も慌てて永衡に向かって、揖をした。
 すると、まだ腰まで届いていない中加の黒髪が揺れた。
「お、おう。そうであったのですか。別に大したことではありません。それこそ、無事でなによりであった。」
 永衡は柏の葉のような大きな右手を振って、照れくさそうに左手で頭をかいた。
「それにしても、いつもあのような物騒なものをお持ちなのですかな?」
 永衡が、少しからかうように言った。
「左様でございます。いつも、中加姉様は、剣術では殿方に引けを取らなぬと言って、暇(いとま)があるとあのような物を振り回しているのです。」
 中加が反論する前に、一加が可憐な笑顔を咲かせて答えた。
「な、なにをいい加減なことを他所様に言いふらすのです。あくまで、たしなみの一つとして、基本的な技を修めようと心がけているだけです。最低限自らの身を守るのは悪いことではないでしょう?」
 中加は、あまり言い訳にならない言い訳を並べ立てるのだった。

「永衡様、そろそろ刻限でございます。」
 三人がやり取りをしている間に、荷物の運び出しが終わったのか、先程の家人が永衡に声をかけてきた。
「おう。では、急ぎ参るとしようか。」
 姉妹の様子を、微笑いながら見ていた永衡は、家人の方を見やって言った。
「お二人とも。せっかく見知りになったところというのに、これで別れじゃ。息災でおられよ。」
 そう言って永衡は、一礼すると踵を返して先を行く家人のあとを追った。
「なにとぞ、道中ご無事で。」
 一加が微笑って声をかけると、中加は何か言いたげな顔を一瞬したが、直ぐに同じように咲って言った。
「くれぐれも、お気をつけて。」
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