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薄墨の章 多賀国府5
~大鳥居山~ 2
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出羽国府での二月の祈年祭を終えるとその足で、繁成は峠を越えて多賀国府を目指した。
繁成は出羽国府を出ると東行し、玉野駅(大室駅、現在の尾花沢)から雪深い峠道を越えた。
陸奥国側に下りると、色麻柵に入りひといきついた。
色麻郡(しかまこおり)は、「続日本紀」の天平九年(七三七年)の記述に「色麻柵」とあることから判るように、奈良時代のはじめにはすでに軍事、交通の要衝として重要な役割を果たしてきた。
さらには、これに先立つ時期に播磨国の飾磨(現在の兵庫県姫路市)から移民してきた人々がいたという。
播磨といえば物部氏であるが、ここではおいておく。
栖屋の駅を素通りして入府すると、昨夜未明より降り始めた雪は、国府の周りも薄っすらと白くしていた。
「国守様、秋田城介繁成様のおこしです。」
取り次ぎの者が登任に告げるのより早く、足音を鳴らして繁成が室に入ってきた。
「もう参ったのか?」
登任が、呆れ顔でことばを投げかけた。
「祈年祭を終えれば参りますと、言い置いたではないですか。」
繁成が叔父の目の前に、どかりと座しながら応えた。
「それにしてもこの雪の中、よくも峠を越えられたものだ。」
登任は、まだ肩に雪を載せている甥の顔を見ながら言った。
それからこの月(二月)の間中、繁成は国府に滞在し、登任が公務で手がはなせない時以外は、二人で余人を交えずに話し込んでいた。
「随分と熱心に話し込んでいるようだが、都におる時にはこれほど仲が良いとはお見受けできなかったと思うが・・・。」
経清が、久しぶりに室を訪れた永衡に向かって言った。
「大方、朝賀の折の愚痴やら不満やらをお互いに並べ立てておるのであろう。」
永衡は両手を火鉢であぶりながら、気の無い返事をした。
「にしては、時折文官やら武官やらが出入りしておるぞ。」
経清は、柄にもなくやや急いたようにいった。
「確かに、親戚どうしの愚痴り合いにしては、妙ではあるな。」
興味の無さそうに、あぶった指を眺めながら、永衡がいう。
「わしは、此度ばかりは大事になるやも知れぬと、案じているのだ。」
経清は、ひとり真剣な面持ちで、吐き出すように云うのであった。
弥生三月、国府でも曲水宴が催された。
上巳の日、つまり三日の雛祭の日である。
曲水とは水の辺りの意で、庭を流れる溝の水に流された酒を入のた杯が、自分の前を流れすぎぬうちに歌を詠むのである。
また、この日を「上巳の節供(節句)」ともいい、雛人形・調度・草餅などを供えて祭った。
そのいわれは、周の幽王が曲水の宴を催した時、廟(先祖を祭る場)に草餅をそなえたところ、天下が治まったという故事からとも、辰の月ゆえ、辰と巳が重なるのを忌んで、最初の巳の日(上巳)に禊祓を行ったのち、人がたを川に流したのが起源であるともいう。
繁成は宴が終わるまで滞在し、雄勝城へと帰っていった。
繁成が立ち去って暫くして、国府に出入りするものがにわかに多くなった。
三月とはいえ、まだまだ朝晩は寒さが厳しいため、今日も早朝から訪れた永衡が、火鉢に手をかざしている。
「噂によると廻文が廻っているらしいぞ。」
経清はあぐらをかき、腕を組み、永衡の顔を見て言った。
廻文とは、国守や国守に命令を受けた追捕使が、国内の武士を動員するため彼らの名簿を回覧し、動員に応じる場合は自分の名前の直下に「奉」と記し、応じない場合は「不参」と記した。
武士とはこの場合、郡司や郷司、保司らであり、国守より様々な権限が委任されていた。
つまり、彼らが率いる兵が集まり、それが要請した国守の軍となるのである。
「陸奥国では、まだそのようなやり方をしておるのか?」
火鉢の中の紅い炭を見ていた永衡は、顔を上げると目を見開いて言った。
長元元年(一〇ニ八年)の平忠常の乱以来、国守よりも在地領主化した地方の豪族の力の方が、強力になっている現状に対応するため、朝廷は追討使をそれらの豪族に対抗しうる力を持っている、武門の家の者に任じ、当たらせる様になっていた。
つまり、この追討使が率いる軍が国守側(朝廷側)の軍となるのである。
「時代遅れのやり方を使っているということは、わけがあるということだろう。」
経清は、目を閉じながら言った。
「御上からの勅ではない、ということか・・・。」
永衡が、口をへの字にした。
「そのうち我らにも廻って来よう・・・。」
目を開けた経清が、低い声で言った。
「どうする?」
そう言って永衡は、大きな目玉を光らせた。
「相手は当然、安倍であろうな・・・。」
経清は、再び目を閉じた。
閉じたまぶたの裏に、有加の顔が浮かんだ。
「わしは、あの秋田城介は好かん。」
経清が目を開けると、永衡が自分と同じように腕を組んでいた。
「とはいえ、元をたどれば同じ平氏、同門であろう。」
経清が、目元をわずかにゆるませて言った。
「お主とて、母方はわしよりあいつの家に近いではないか。」
永衡は、むきになって言い返した。
「確かにそうだが、向こうは嫡流。こちらは出羽の庶流だ。」
経清は表情を変えなかった。
「なんにせよ、わしら海道の者は、名門づらしている、あいつら越後の者が好きではない。むしろ、安倍の者の方が忠頼殿以来の付き合いで情がわくのだ。」
いつにない真面目なまなざしで、永衡は言った。
「わしとて本当に国守様が挙兵なさるというのであれば、明らかな私戦。同意はしかねる。」
経清は、火鉢の中の炭に視線を落とした。
「では、不参か?」
永衡が短く尋ねる。
「いや、できるだけ答えを引き伸ばした上で、一旦は応じることにしよう。」
少しの間があった後、落とした視線はそのままに経清が答えた。
「なにか、考えがあるのだな?」
永衡が探るように、下から経清の顔を覗き込んだ。
「・・・。」
経清は永衡の目を見返すと、その目を閉じ、口を引き結んだ。
繁成は出羽国府を出ると東行し、玉野駅(大室駅、現在の尾花沢)から雪深い峠道を越えた。
陸奥国側に下りると、色麻柵に入りひといきついた。
色麻郡(しかまこおり)は、「続日本紀」の天平九年(七三七年)の記述に「色麻柵」とあることから判るように、奈良時代のはじめにはすでに軍事、交通の要衝として重要な役割を果たしてきた。
さらには、これに先立つ時期に播磨国の飾磨(現在の兵庫県姫路市)から移民してきた人々がいたという。
播磨といえば物部氏であるが、ここではおいておく。
栖屋の駅を素通りして入府すると、昨夜未明より降り始めた雪は、国府の周りも薄っすらと白くしていた。
「国守様、秋田城介繁成様のおこしです。」
取り次ぎの者が登任に告げるのより早く、足音を鳴らして繁成が室に入ってきた。
「もう参ったのか?」
登任が、呆れ顔でことばを投げかけた。
「祈年祭を終えれば参りますと、言い置いたではないですか。」
繁成が叔父の目の前に、どかりと座しながら応えた。
「それにしてもこの雪の中、よくも峠を越えられたものだ。」
登任は、まだ肩に雪を載せている甥の顔を見ながら言った。
それからこの月(二月)の間中、繁成は国府に滞在し、登任が公務で手がはなせない時以外は、二人で余人を交えずに話し込んでいた。
「随分と熱心に話し込んでいるようだが、都におる時にはこれほど仲が良いとはお見受けできなかったと思うが・・・。」
経清が、久しぶりに室を訪れた永衡に向かって言った。
「大方、朝賀の折の愚痴やら不満やらをお互いに並べ立てておるのであろう。」
永衡は両手を火鉢であぶりながら、気の無い返事をした。
「にしては、時折文官やら武官やらが出入りしておるぞ。」
経清は、柄にもなくやや急いたようにいった。
「確かに、親戚どうしの愚痴り合いにしては、妙ではあるな。」
興味の無さそうに、あぶった指を眺めながら、永衡がいう。
「わしは、此度ばかりは大事になるやも知れぬと、案じているのだ。」
経清は、ひとり真剣な面持ちで、吐き出すように云うのであった。
弥生三月、国府でも曲水宴が催された。
上巳の日、つまり三日の雛祭の日である。
曲水とは水の辺りの意で、庭を流れる溝の水に流された酒を入のた杯が、自分の前を流れすぎぬうちに歌を詠むのである。
また、この日を「上巳の節供(節句)」ともいい、雛人形・調度・草餅などを供えて祭った。
そのいわれは、周の幽王が曲水の宴を催した時、廟(先祖を祭る場)に草餅をそなえたところ、天下が治まったという故事からとも、辰の月ゆえ、辰と巳が重なるのを忌んで、最初の巳の日(上巳)に禊祓を行ったのち、人がたを川に流したのが起源であるともいう。
繁成は宴が終わるまで滞在し、雄勝城へと帰っていった。
繁成が立ち去って暫くして、国府に出入りするものがにわかに多くなった。
三月とはいえ、まだまだ朝晩は寒さが厳しいため、今日も早朝から訪れた永衡が、火鉢に手をかざしている。
「噂によると廻文が廻っているらしいぞ。」
経清はあぐらをかき、腕を組み、永衡の顔を見て言った。
廻文とは、国守や国守に命令を受けた追捕使が、国内の武士を動員するため彼らの名簿を回覧し、動員に応じる場合は自分の名前の直下に「奉」と記し、応じない場合は「不参」と記した。
武士とはこの場合、郡司や郷司、保司らであり、国守より様々な権限が委任されていた。
つまり、彼らが率いる兵が集まり、それが要請した国守の軍となるのである。
「陸奥国では、まだそのようなやり方をしておるのか?」
火鉢の中の紅い炭を見ていた永衡は、顔を上げると目を見開いて言った。
長元元年(一〇ニ八年)の平忠常の乱以来、国守よりも在地領主化した地方の豪族の力の方が、強力になっている現状に対応するため、朝廷は追討使をそれらの豪族に対抗しうる力を持っている、武門の家の者に任じ、当たらせる様になっていた。
つまり、この追討使が率いる軍が国守側(朝廷側)の軍となるのである。
「時代遅れのやり方を使っているということは、わけがあるということだろう。」
経清は、目を閉じながら言った。
「御上からの勅ではない、ということか・・・。」
永衡が、口をへの字にした。
「そのうち我らにも廻って来よう・・・。」
目を開けた経清が、低い声で言った。
「どうする?」
そう言って永衡は、大きな目玉を光らせた。
「相手は当然、安倍であろうな・・・。」
経清は、再び目を閉じた。
閉じたまぶたの裏に、有加の顔が浮かんだ。
「わしは、あの秋田城介は好かん。」
経清が目を開けると、永衡が自分と同じように腕を組んでいた。
「とはいえ、元をたどれば同じ平氏、同門であろう。」
経清が、目元をわずかにゆるませて言った。
「お主とて、母方はわしよりあいつの家に近いではないか。」
永衡は、むきになって言い返した。
「確かにそうだが、向こうは嫡流。こちらは出羽の庶流だ。」
経清は表情を変えなかった。
「なんにせよ、わしら海道の者は、名門づらしている、あいつら越後の者が好きではない。むしろ、安倍の者の方が忠頼殿以来の付き合いで情がわくのだ。」
いつにない真面目なまなざしで、永衡は言った。
「わしとて本当に国守様が挙兵なさるというのであれば、明らかな私戦。同意はしかねる。」
経清は、火鉢の中の炭に視線を落とした。
「では、不参か?」
永衡が短く尋ねる。
「いや、できるだけ答えを引き伸ばした上で、一旦は応じることにしよう。」
少しの間があった後、落とした視線はそのままに経清が答えた。
「なにか、考えがあるのだな?」
永衡が探るように、下から経清の顔を覗き込んだ。
「・・・。」
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