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Episode1/Raison detre
第四章/Deni d'existence
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(.11)
「じゃあ、こっちの模様は何に見えるかな?」
グリーンメンタルクリニック内部にある静かな部屋の中、瑠奈は心理検査なるものを受けていた。
「えっと……花?」
「ほかの何かには見える?」
「……赤色の、血?」
「ほかには?」
「……特にないけど」
もう何回この問答を繰り返しているのだろうか。瑠奈は、一時間ほどまえから、左右対象になっている模様のような染みを見せられて、似たような問いに答えていた。
「それじゃ次は、どうしてそう見えたのか、最初の染みから質問するから答えていってね」
ーーこんな無意味な問答をしてる暇なんてないんじゃないかな?
瑠奈は先ほどから、永遠と似たり寄ったりな質問をされている。その間にも、沙鳥や朱音は見つかってはいない。
早く探さなくてはならないのではないか?
瑠奈はそう焦る。
(.10)
舞香は落ち着かない様子で、いつもは皆が集まる201号室で右往左往していた。
「沙鳥と朱音が帰ってこない……。今日で二日目、流石におかしいわ」
室内には、舞香、翠月、澄、瑠奈の四名のみしかいない。
「もしもパクられたとしたらーこっちには連絡来ないんじゃなーい? ついにしくじったかー」
翠月は特に気にしない様子で意見した。
「それなら、朱音まで居なくなる必要なんてないわ。沙鳥と朱音は、二人とも別の場所で動いてるはずなんだから」
舞香は苛立ち混じりにそう答える。
そうしたなか、瑠奈は先日朱音に言われた言葉を思い返していた。
ーーこの物語の主役は君ではなくて、舞香と沙鳥……?
「どうにせよ、わしはわしの仕事があるのでな、ここで立ち往生しとる意味はないわい」
澄はそう述べると、さっさと部屋から出ていってしまう。
翠月も迷いながらそれに続く。
「居場所を見つけるしかないわ……捕まっているのであれば、もう手遅れだけど。ここの拠点まで唄われたら敵わない」
ーー舞香? 沙鳥が居なくなったというのに、そこを心配してるの?
瑠奈は疑問に感じた。沙鳥はああも舞香を慕っているのに、舞香はというと、沙鳥が余計なことを喋らないかしか念頭にない。
「仕方ない。つい先日頼ったばかりだけど、偉才さんに協力を申し出るしかないわね。瑠奈? 貴女は今日、病院でしょ? ひとまずそっちに行っといてかまわないわ」
そう言われた瑠奈は、気になりつつもグリーンメンタルクリニックへとやってきていた。
そうして病院に着いてから、もう既に二時間は謎の問題を出されている。
これがいったい何になるのかわからないまま、瑠奈は女の先生と二人きりで問答を繰り返していた。
(.12)
あれから愛のある我が家へと戻って来れたのは、さらに二時間経過した頃ーー。
「112と241番ひとつ」
「はい、どうぞ」
煙草を一箱受け止ると、金銭を渡しながらコンビニのカウンター内へと入る。
室内で吸うと周りに煙たがられる。そう考えた瑠奈は、玄関の外で煙草を吸う。
すると、201号室から出てくる、舞香に似た風貌の女性がひとり。
女性は瑠奈とすれ違うが挨拶などはなく、そのまま外へと繋がるドアへと歩いて立ち去った。
ーー舞香の知り合い……いや、お姉さん、って表現が正しい見た目かな?
瑠奈はなんとなくそう考えながら煙草を吸い終え、201号室の扉を開けて中へと入る。
「え……?」
視界に映るのは、ソファーの上で縮こまりながら、カタカタと震えている舞香の姿。
顔色も青白く、体調が酷く悪そうだ。
「ま、舞香?」
「私は……私はそんなつもりじゃ……」
壊れた玩具のように『違う違う』とばかり繰り返す舞香自身が、普段とまるで違う様相を呈している。
「違う……違う違う、私がやりたかったことは、私の目指す夢は……こんな、こんなものじゃなかったのにっ……! 違うの、違う、違う違う違う違う!」
「舞香っ、ねぇ舞香? いったい何があったの? ねぇ舞香聞こえないの!?」
瑠奈は舞香の肩を強く揺さぶる。
そこまでして、ようやく舞香は瑠奈に顔を向けた。
「わ、私は、舞香じゃない……舞香であって……舞香じゃない。じゃあ、私は何なの……? いまの私は、いったい……?」
「舞香は舞香だって! いったいなにがあったのさ?」
「私の異能力は、自分さえ停止した世界の中で状況を把握できるーーそんな意味不明の能力じゃないの。沙鳥は、私の沙鳥は、単なる仲間なんかじゃなくて、もっと大切なひとだったの。私の目的は、薬物に溺れることじゃないの。私は……私は私は私は……!」
狂ったように呟きつづける舞香は、目では瑠奈を捉えていても、返す言葉は瑠奈に向けてのものではない。
「舞香! いったい何があったのかちゃんと答えてってば!」
脇役である瑠奈は、その内面を知ることはない。
「私はッーー!」
テーブルを叩き、涙を流す舞香。
それを見ても、瑠奈にはなにがあったのか検討もつかない。
それはそうだ。
この問題の中心に居るのは、あくまでも舞香と沙鳥だけなのだーー。
(.12)
瑠奈が病院へと向かい外に出てから数刻、いきなり室内へと舞香に似ている女性が入ってきた。
「探す必要なんてないわ、舞香。沙鳥ちゃんだっけ? あの子の身柄はこっちで確保したのだから」
いきなり何を言い出すのか。舞香は目の前に現れた女性に対して問いかけようとする。
「あなた、誰ーーあ、ああ、あれ? っ!?」
しかし、その問いは中断された。
舞香は急にうめき声を上げると、その女性が誰だか思い出してしまう。
「ダメよ、舞香。こんな悪事に手を染めるような人間に、貴女を育てた思い出はないのだけれど」
「風香(ふうか)……姉さん? ぁぁ……あっ!?」
狼狽する舞香を無視して、風香はつづける。
「すべての犯罪から手を引きなさい。そうすれば、他のお友達に関しては、不問にしてあげるわ。ねぇ、舞香? 頭の良い貴女になら理解できるでしょう?」
舞香は頭を抱えて唸る。
ーーどうして、どうして今まで忘れていたの!?
風香という自身の姉について、舞香は閉ざされていたはずの記憶が復活してしまった。
酷い記憶を。
悲惨な過去を。
姉の支配から逃れられない無力な自分が、何の為にこれらの罪を犯してまで暮らしてきたのかを。
それは、忘却しておきたい事実だった。
『あんたなんて友達じゃない! 信じていたから、信じていたから話したのに!』
豪雨の中、裏切った友の叫びが耳に突き刺さる。
ーー姉に言われるがまま、私は友を裏切り警察に売ってしまった。
ーー仲の良い友人、親友でもあった葵あおいを、姉のせいで失った。
『私の言うことはいつも正しい。だから、あなたはそれに従えばいいのよ? わかる?』
そう囁く姉に逆らえず、舞香は友の悪事を警察に伝えた。
そんな“姉の言葉教育”という暴力から逃れるため、私は、たったひとりの親友を裏切ったのだ。
数年前に事故で死んだという話だけは、伝え聞いて耳にしているため、現在いまの舞香には謝罪する手段はなく、過去ではそもそも友人は刑務所の中だった。
後悔した。
懺悔だってした。
産まれてきてから十余年、永久につづく暴力とまで呼べるだろう教育に曝されつづけた舞香は、姉に言われるがままに大切な友を裏切ったのだ。
(.??)
『私の言うこと以外しちゃいけないって言わなかったかしら?』
風香は言いながら舞香の首を締めたあと、部屋の床に叩きつけるように倒す。
……。
…………。
………………。
『いつから私に逆らえる立場になったの? あなたは妹であり未成年であるって言い聞かせたはずでしょう?』
風香は、舞香の手の親指の爪を強く捲ろういう真似をする。
『いっーー!?』
『あら?』
思っていたより力が入ってしまい、爪が弾き飛んだ。
……。
…………。
………………。
『犯罪者の友達なんて存在しないのよ。友と呼んじゃいけない。さあ、今ならまだ持ってるのでしょう。はやく通報しなさい。しなさい? ーーし、な、さ、い?』
……。
…………。
………………。
(.-7)
とある日、自宅で咽び泣く舞香に突如として異能力が芽生えた。
それを機に、舞香は家出を決意。
幼い頃から姉の操り人形と化していた舞香は、風香から逃れるために、姉の住む家から飛び出したのだ。
『お嬢ちゃん、俺らと良いことしない?』
下卑た口調でナンパをしてくる男二名に対して、舞香はどうなってもいいと感じつつも、鍛えていた足技で二人共倒すことができた。
そのせいで、舞香は数人の暴力団に追われる事になってしまう。
六人のチンピラに囲まれた舞香は、友人を裏切った日に体得した異能力を活用して、六人全員を無傷でほふる。
犯罪者である友人が頭を過り、風香の善に対して唯一の抵抗として、自ら犯罪者となると決意する。
その倒したうちのチンピラ一名に対して、伝言を残すことにした。
『犯罪行為でもかまわない。だから、金を稼げる仕事を教えてほしいと、あなたたちのリーダーに伝えなさい』と。
舞香の目的は、風香という姉の束縛恐怖から逃れること。
ならば風香の善に対して徹底的に反抗するために、悪になろうと考えたのだった。
『薬の売人っつー仕事なら、捕まりさえしなけりゃ楽に金銭を稼ぐには合ってる商売だ。ただし、捕まりゃそれで御仕舞いだ。やりたいってんなら薬の用意くらいはしてやるさ。どうすんだ、嬢ちゃん?』
阿瀬に問われた舞香は、これも風香に対する抵抗だと信じて話に乗った。
『舞香ちゃん、売人してんのにやったことないのかい?』
大海に言われ、元の親友が捕まる原因となった薬物にも手を染めた。
葵の気持ちを少しでもわかるため、風香に諭されたことに逆らうため、ただそれだけの理由で戻れぬ道を突き進む。
どこまで行っても、風香、風香、風香……そんな心中から逃れるために、薬物に溺れた。
そんな自分を救ってくれたのは、自らがたまたま遭遇した沙鳥であった。
沙鳥と自分を重ねてしまった舞香は、なにがあったのかまでは知らないが、死に直面していた沙鳥をどうしても救いたいと強く願う。
後に沙鳥に聞かされたのは、己よりも凄惨な過去。
あんな目に遭ったのに、それでも尚、自分を慰めてくれた沙鳥。
次第に心を通わせていき、頭の中から風香という存在が薄れゆく。
朱音という少女とも出会い、舞香はその異能力を用いて覚醒剤密造を異世界で行くことにして。
阿瀬や大海の力を借りて、総白会に上納金を納める代わりに、名前を借りて仕事の範囲を増やしつつ、ついに舞香は『愛のある我が家』という組織も設立した。
翠月や澄とも関係がはじまり、いつしか裏社会での知名度が一気に広まり、風香に対する当て付けは薄れ、仲間たちと共に暮らすことで風香の妹という名の操り人形から、舞香という名の存在を取り戻し始める。
『この、代わり映えのしない一日が、わたしにとって大切なものなんです。むしろ、これから先、ずっと舞香さんのご飯を作らせていただけたらな、と思っています』
そんなある日、沙鳥は顔を赤らめつつ、大胆な言葉を口にした。
『な、なんだかプロポーズみたいに聞こえるんだけど、それって、友達としてってこと? それとも……どう捉えたはうがいいのしら?』
舞香はその言葉を聞いて、自分が求められている存在なのだと嬉しい気持ちでいっぱいだった。狼狽えながら言葉を返す。
『……舞香さんの、お好きなほうで』
答えは決まっている。
長い月日のなかで一番共に居てくれて、自身の不安を溶かしてくれた、愛しい存在、沙鳥ーー。
『それなら、答えは決まっているわ。沙鳥は、私の存在を認めてくれた。そんな子に対して、私は嘘をつきたくない』
舞香は沙鳥を抱き締める。
『これからも、ずっと一緒に居てほしい。沙鳥、貴女は私にとっても、唯一無二なんだから』
ーーそんな矢先の出来事。
(.-3)
『久しぶりに会ったわね、舞香。あなたが何をしているのか、だいたい把握しているつもりよ。よくもまあ、存在する価値のない人間に変わり果てたものね?』
偶然か必然か、街を歩いていた舞香の前に、風香が現れてしまう。
『私の言うことが聞けないの? あなたは良い子なのだから、わかるわよね? 今までやってきた行いを恥じるなら、すぐにやっていることを放棄して、我が家に帰ってきなさい』そうでなければ、風香はつづける。『あなたという存在は、悪でしかない。存在価値の無い人間でしかない。そのままでいいの?』
そうして、舞香は風香を思い出す。
その現実から逃れたくて、舞香は異能力ーー空間を歪めて繋ぎつづけ、自宅へと必死に逃げる。
目の前から消えても在る大敵。
完全なる善に対し、無力な自分から逃れたい。
異能力を酷使し身も心もズタズタに傷ついたまま、覚醒剤を普段よりも多めに打ち込み、打ち込み、また打ち込み、さらに打つ。
風香を忘れるためだけに打って乱用を繰り返す、その薬物を。
そうして、風香を忘れることには成功した舞香だったが、大切な沙鳥ひととの思い出や馴れ初めも、関係も、自身の異能力が持つ本来の力までも忘れてしまう。
ーーおそらく、これだ……。
沙鳥のPTSDの原因と思われる記憶も、舞香は想起したーー。
(.-2)
とある真夏の大学病院。
そこの入院患者用の六人部屋には、壮年の女性と、まだ幼い女の子、その子と楽しそうに話をしている看護師、そして、成人式を一年前に迎えたというのに、未だに制服を普段着にしている女ーー舞香の計四人がいる。
そんな病室の扉が勢いよく開かれると、そこには息を切らしながら多量に汗を流している少女ーー沙鳥の姿。
沙鳥はそのまま中へと入る。
「ほら! わたしが忠告したとおりになったじゃないですか。最近の舞香さん、おかしい日が増えてきていましたし、もう打たないほうがいいんじゃないですか? ーーって言ったじゃないですかっ! もう、本当に心配したんですからね……」
舞香の顔色を窺い見ながら、沙鳥は心配そうに目を目で見つめた。
「舞香さん、おねがいしますから、もうこれ以上自分を傷つけないでください。わたしにはもう、あなたしかいないんですよ……?」
沙鳥は舞香を見て、安堵の表情を浮かべながらも懇願する。
舞香は沙鳥の言葉を、困惑した表情を浮かべて見つめ返す。
「ほら、内出血までしてるじゃないですか! これで『私、突くの一回も失敗した事ないんだ』なんて言わせませんからねっ。これに懲りたらもう二度とーー」
「あの、ごめんなさい……あなた……だれ?」
沙鳥がすべて言い終えるまえに、舞香は混乱しながらも遮った。
「……え?」
「私、どうやら記憶が一部欠落しちゃったみたいで……追い打ちし過ぎて運ばれてきたってのは覚えているんだけど、覚えていない事も結構あって」
「え、え? うそですよね? そんな冗談にわたしは引っ掛かりませ……んから……ね……あ、あれ、あれ?」
沙鳥は舞香を凝視すると、次第に声を小さくしていく。
「で、あなたは何処どこの何方どなたさん?」
「あ、あれ? ほ、本当に、本当に言って……る? え、な、なんで? あ? ……え? あぇ、あぁぁぇ……ぁぇぇ?」
舞香を見つめる沙鳥は、ついに口から発する言語を日本語から単なる音へと変わる。
聞き取れない謎の濁った音を口から漏らす。
「あ、あの、もう帰っていいわよ? 私みたいなバカが友達じゃ、あなたも大変だったでしょ?」
「え? う、ええ? う、う……うそ? うそって言ってください舞香さん?」
沙鳥は自身の胸を抑え、冷や汗を大量に流し出していく。なぜか走馬灯のように、舞香と仕事を共にすると決めた日や、衣食住も一緒にすると決めた日、あの日やこの日も、今まで共に過ごしてきた日すべてが沙鳥の脳裏に流れてしまう。
「ど。どしたの本当に? って、だからいいよ、私の事なんて放っておいーー」
「言わないで! 言わないでください嫌だ聞きたくない聞きたくない! 聞きたくないです聞きたくないですっ ! こんな、こんなの……どうし、どうしてっ!? ……わたし、あ、あなたのために生きるって……なにもなかったわたしに出来た……唯一の……生き甲斐……生き続ける意味……なの……なのに、な、なのにどうしてなのっ!?」
沙鳥は地面に屈むと、頭を力強く掻きむしり叫声を上げた。
と、騒ぎを耳にした看護師が沙鳥へからだを向ける。
「ど、どうかしたの君、体調悪いのかな?」
沙鳥は返事せずに立ち上がると、鞄からナイフを取り出す。
過去に舞香から『いざってときに持っておけば、助かる場面があるかもしれない』と言われて渡されてから、結局一度も使っていなかったナイフ。
それを手に握るや否や、上を向いて大きく口を開く。
「どうしでですかっ!? どうしてそうやってわたしをいたぶるんですか!? 答えてくださいっ! 答えてくださいっ答えろよっ! 答えろって言ってんだっ! 聞こえないフリしてんじゃねぇよォおおおおオオオオッッッ!!」
沙鳥は絶叫しながら天井を仰ぎ見て錯乱する。
「殺す、殺す、ぜったい許さない。殺してやる。殺す、殺す殺す殺してやるっ! わたしを虐め抜いたこと、必ず後悔させてやる! 首洗って待ってろ!?」
誰が見ても異常だとわかるくらい、顔を歪ませて発狂する沙鳥。
舞香を含め、皆唖然としながら様子を窺うしかできない。
沙鳥は泣きながら左腕を前に向けると、ナイフを持つ右手を天高く振り上げる。
「待ってろ!! いますぐ殺しに行ってやるからぁああああああッ!!!!」
それを自分の手首に向けて振り下ろす。
しかし、それは看護師の妨害によって寸でのところで止められる。手首から確かに血は流れているが、動脈には届いていない。
「ちょっと、誰か! 誰か手伝って!」
看護師が叫ぶと、病室前を偶然通りかかった医師がそれに気がつき慌てて駆け込んできた。
「君、何があったんだ!! この子は!?」
「わかりません! この子いきなりナイフ持ち出して、自殺しようとしたんです!」
二人がかりで押さえつけられるが、沙鳥はそれでも諦めず、自殺行為をしようと踏ん張る。
「離せ! 離せっ離してっ離してよ! 離してくださいっ離してくれないとわたしを苦しめるやつに復讐にいけないだろぉおぉおおおおっ!?」
「君、落ち着いて! パニック障害かPTSDか躁鬱かわからないけど、とにかく一端、ベッドに固定しよう。自殺念慮が強く現れてる。精神科の先生を呼んできてくれ」
沙鳥は、医師たちの会話を無視して嘆き続けてわめき散らす。
「どうしてわたしにばっか絶望押し付けてくるんだよっ! こんな目に遇うんだったら最初から希望なんて要らなかったっ! わたしの四年間すべてお釈迦にしやがってっ! ぜったいおまえだけは許さないっ! 離せよアイツ殺さなきゃ復讐しなきゃ納得いかないんだってばぁあああ!」
沙鳥は医師と看護師に引き摺られるように、別の病棟へと連れていかれる。その最中も、沙鳥は慟哭する。
「あのひとだけは、あのひとだけはダメだったのにっ! わたしからあのひとを奪ったら、わたしから舞香さんを奪ったら、もう生きる理由なんてなくなっちゃうのにっ! 離せっ! 離してよっ! わたしの大切なもん奪ったヤツに復讐しに行くだけだから離してくれよっ! おまえらどいつもこいつも、『死なれたら面倒くさいし大変だ』って考えてるだけなのに邪魔すんなよふざけてんじゃねぇよぉおぉおおぉおおおっ!!」
身動きが取れないように数人の看護師と医師に押さえつけられたまま、沙鳥は号泣しながら怒鳴り続ける。
沙鳥は、覚醒剤を乱用した本人ではなく、天井の遥か向こう側、天に立っている存在に怒りをぶつけたのだ。
無理もない。
酷な人生を送ってきた沙鳥にとって、これもすべて、その存在からの嫌がらせだと思っているのだ……。
(.13)
残ったのは、ただただ薬物への渇望のみ。覚醒剤をやれるのであれば、べつに更なる悪どい商売に手を出してもかまわない。そう思いはじめてしまった。
犠牲者の居ない商売を主にしていた舞香は、自身を薬物に溺れさせながら、犠牲者の出る商売までにも手を出してしまう。
ーー沙鳥が、どうして私の注射を嫌い、発狂してまで拒絶していたのか。それを『いつもの事』だと、『あの子が勝手にしていること』だと、身勝手に決めつけていた。そうまでしたのに離れないでくれた沙鳥あの子に対して、私はなんてふざけたことをほざいていたのだろうか。
沙鳥にとって、舞香が唯一無二の存在であると共に、舞香にとっても、沙鳥は唯一無二の存在になりつつあった。
苦楽を共にしてきた、再びできた友であり、親友であり、心友でありーー恋仲であった、沙鳥という存在ひと。
それを、どうしていまの今まで忘れ去っていたのだろうか。舞香はそう考えながら、悲哀しつつも自分を叱り倒す。
『なにがあっても、私は貴女とずっと一緒に居ます』
ーーそう述べた沙鳥に対して、私は何と言っただろうか?
『勝手にすれば? 私にいちいち意見したりしなければ、仲間のままでいさせてあげるわ』
ーーッ! なんて……酷い……ッ!
ーーどうして?
ーーどうして、どうして、どうして!?
ーー記憶を失っていた私と、記憶のあった頃の私、そして、その両方が重なった今の私は、いったい誰だと言うの?
ーーもう、沙鳥は風香の手に渡った。異能力者保護団体という名の異能力者を監禁する組織に捕まってしまった沙鳥を助ける手筈なんて、私にはもうない。
ーーでも、諦めることもできない。
ーー風香姉さんのことを考えるだけで身体が震える。
ーーあのひとに対していくら力で勝てていても、いくら言葉を重ねたとしても……私はきっと、会った瞬間、正常な意識は保てない。
「舞香! いい加減なにか言って!」
瑠奈は舞香の肩を掴み激しく揺さぶる。
「……瑠奈」
「舞香ってばーーって、いきなり戻った!? な、なに?」
「沙鳥を救うために、貴女は命を張れる?」
「え? ……それはどういう意味?」
舞香にとっては大切な存在であっても、瑠奈にとっての沙鳥は、数日の付き合いの友達程度でしかない。
「私はこれから、ここを捨てる覚悟で沙鳥を助けにいくわ」
一人の力では敵いっこない。
相手は異能力者の専門家たちが集まる施設だと舞香も理解している。
端から自分だけで助け出せるなどと思い違いはしていない。
「リベリオンズの力、澄や貴女の力を借りて、私の使える伝を何もかも犠牲にすれば、きっと、きっとあの子を助け出せるから」
「ちょ、ちょっとちょっと、いきなりどうしたのさ?」
舞香は教えてもらっておいた偉才の番号を、携帯電話に早速打ち込む。
「必ず助け出す。私の命が亡くなろうとも、沙鳥さえ助かればかまわない。これは、忘れていた私がする、せめてもの贖罪」
(.14)
異能力者保護団体施設近辺、夜の10時ーー。
そこには舞香をはじめとするーー瑠奈と澄、マリアの計四名が集まっていた。
「本当に手伝ってくれるの、マリアさん?」
舞香はマリアに対してそう問いかける。
偉才には、沙鳥の詳細な居場所を特定するために手伝ってもらっていたが、偉才に荒事は頼めない。
同じ理由で翠月には留守番をしてもらっているため、実際に潜入するのは舞香自身含め三人になることを想定していた。
しかし、リベリオンズのリーダー自らが、手を貸そうかと声をかけてくれたのだ。
「ええ、私たちにとっても異能力者という同胞を助ける事は、利益不利益以上に意味があることだからね」
ーーさあ、あとは、あの子をしっかり助け出すだけね。
マリアは自身の周囲に七色に輝く球体を出現させる。
「それって、話に聞いていた爆弾みたいな?」
「そう。これでこの辺りの壁を破壊すれば、あとは真っ直ぐ行くだけで沙鳥の部屋に辿り着けるよ」
瑠奈の問いに返しながら、マリアは赤色に輝く球体を手刀で叩き割った。
その瞬間、そこには赤く輝く剣が握られていた。
「はじめるよ!」
マリアは施設の外壁へと投擲する。
壁に当たると同時に激しい爆発音が鳴り渡り、それと共に壁は砕けて弾け飛んだ。
砂埃が覚めると共に姿が見えた外壁は、ひとが五人以上軽々と通れそうな穴がぽっかり空く。
「さあ、舞香。あなたの仲間を救出しなさい」
「言われなくてもーー」
ーーわかっている。
ーー待っていてね沙鳥。私がつくり出した無為な悪夢から、ぜったいに引き摺り出して助けてだすから。今までの私の不始末について謝るまで、貴女とお別れするなんてことできるわけがないッ。
ーーこれ以上、あなたを苦しめる絶望なんて必要ない!
「じゃあ、こっちの模様は何に見えるかな?」
グリーンメンタルクリニック内部にある静かな部屋の中、瑠奈は心理検査なるものを受けていた。
「えっと……花?」
「ほかの何かには見える?」
「……赤色の、血?」
「ほかには?」
「……特にないけど」
もう何回この問答を繰り返しているのだろうか。瑠奈は、一時間ほどまえから、左右対象になっている模様のような染みを見せられて、似たような問いに答えていた。
「それじゃ次は、どうしてそう見えたのか、最初の染みから質問するから答えていってね」
ーーこんな無意味な問答をしてる暇なんてないんじゃないかな?
瑠奈は先ほどから、永遠と似たり寄ったりな質問をされている。その間にも、沙鳥や朱音は見つかってはいない。
早く探さなくてはならないのではないか?
瑠奈はそう焦る。
(.10)
舞香は落ち着かない様子で、いつもは皆が集まる201号室で右往左往していた。
「沙鳥と朱音が帰ってこない……。今日で二日目、流石におかしいわ」
室内には、舞香、翠月、澄、瑠奈の四名のみしかいない。
「もしもパクられたとしたらーこっちには連絡来ないんじゃなーい? ついにしくじったかー」
翠月は特に気にしない様子で意見した。
「それなら、朱音まで居なくなる必要なんてないわ。沙鳥と朱音は、二人とも別の場所で動いてるはずなんだから」
舞香は苛立ち混じりにそう答える。
そうしたなか、瑠奈は先日朱音に言われた言葉を思い返していた。
ーーこの物語の主役は君ではなくて、舞香と沙鳥……?
「どうにせよ、わしはわしの仕事があるのでな、ここで立ち往生しとる意味はないわい」
澄はそう述べると、さっさと部屋から出ていってしまう。
翠月も迷いながらそれに続く。
「居場所を見つけるしかないわ……捕まっているのであれば、もう手遅れだけど。ここの拠点まで唄われたら敵わない」
ーー舞香? 沙鳥が居なくなったというのに、そこを心配してるの?
瑠奈は疑問に感じた。沙鳥はああも舞香を慕っているのに、舞香はというと、沙鳥が余計なことを喋らないかしか念頭にない。
「仕方ない。つい先日頼ったばかりだけど、偉才さんに協力を申し出るしかないわね。瑠奈? 貴女は今日、病院でしょ? ひとまずそっちに行っといてかまわないわ」
そう言われた瑠奈は、気になりつつもグリーンメンタルクリニックへとやってきていた。
そうして病院に着いてから、もう既に二時間は謎の問題を出されている。
これがいったい何になるのかわからないまま、瑠奈は女の先生と二人きりで問答を繰り返していた。
(.12)
あれから愛のある我が家へと戻って来れたのは、さらに二時間経過した頃ーー。
「112と241番ひとつ」
「はい、どうぞ」
煙草を一箱受け止ると、金銭を渡しながらコンビニのカウンター内へと入る。
室内で吸うと周りに煙たがられる。そう考えた瑠奈は、玄関の外で煙草を吸う。
すると、201号室から出てくる、舞香に似た風貌の女性がひとり。
女性は瑠奈とすれ違うが挨拶などはなく、そのまま外へと繋がるドアへと歩いて立ち去った。
ーー舞香の知り合い……いや、お姉さん、って表現が正しい見た目かな?
瑠奈はなんとなくそう考えながら煙草を吸い終え、201号室の扉を開けて中へと入る。
「え……?」
視界に映るのは、ソファーの上で縮こまりながら、カタカタと震えている舞香の姿。
顔色も青白く、体調が酷く悪そうだ。
「ま、舞香?」
「私は……私はそんなつもりじゃ……」
壊れた玩具のように『違う違う』とばかり繰り返す舞香自身が、普段とまるで違う様相を呈している。
「違う……違う違う、私がやりたかったことは、私の目指す夢は……こんな、こんなものじゃなかったのにっ……! 違うの、違う、違う違う違う違う!」
「舞香っ、ねぇ舞香? いったい何があったの? ねぇ舞香聞こえないの!?」
瑠奈は舞香の肩を強く揺さぶる。
そこまでして、ようやく舞香は瑠奈に顔を向けた。
「わ、私は、舞香じゃない……舞香であって……舞香じゃない。じゃあ、私は何なの……? いまの私は、いったい……?」
「舞香は舞香だって! いったいなにがあったのさ?」
「私の異能力は、自分さえ停止した世界の中で状況を把握できるーーそんな意味不明の能力じゃないの。沙鳥は、私の沙鳥は、単なる仲間なんかじゃなくて、もっと大切なひとだったの。私の目的は、薬物に溺れることじゃないの。私は……私は私は私は……!」
狂ったように呟きつづける舞香は、目では瑠奈を捉えていても、返す言葉は瑠奈に向けてのものではない。
「舞香! いったい何があったのかちゃんと答えてってば!」
脇役である瑠奈は、その内面を知ることはない。
「私はッーー!」
テーブルを叩き、涙を流す舞香。
それを見ても、瑠奈にはなにがあったのか検討もつかない。
それはそうだ。
この問題の中心に居るのは、あくまでも舞香と沙鳥だけなのだーー。
(.12)
瑠奈が病院へと向かい外に出てから数刻、いきなり室内へと舞香に似ている女性が入ってきた。
「探す必要なんてないわ、舞香。沙鳥ちゃんだっけ? あの子の身柄はこっちで確保したのだから」
いきなり何を言い出すのか。舞香は目の前に現れた女性に対して問いかけようとする。
「あなた、誰ーーあ、ああ、あれ? っ!?」
しかし、その問いは中断された。
舞香は急にうめき声を上げると、その女性が誰だか思い出してしまう。
「ダメよ、舞香。こんな悪事に手を染めるような人間に、貴女を育てた思い出はないのだけれど」
「風香(ふうか)……姉さん? ぁぁ……あっ!?」
狼狽する舞香を無視して、風香はつづける。
「すべての犯罪から手を引きなさい。そうすれば、他のお友達に関しては、不問にしてあげるわ。ねぇ、舞香? 頭の良い貴女になら理解できるでしょう?」
舞香は頭を抱えて唸る。
ーーどうして、どうして今まで忘れていたの!?
風香という自身の姉について、舞香は閉ざされていたはずの記憶が復活してしまった。
酷い記憶を。
悲惨な過去を。
姉の支配から逃れられない無力な自分が、何の為にこれらの罪を犯してまで暮らしてきたのかを。
それは、忘却しておきたい事実だった。
『あんたなんて友達じゃない! 信じていたから、信じていたから話したのに!』
豪雨の中、裏切った友の叫びが耳に突き刺さる。
ーー姉に言われるがまま、私は友を裏切り警察に売ってしまった。
ーー仲の良い友人、親友でもあった葵あおいを、姉のせいで失った。
『私の言うことはいつも正しい。だから、あなたはそれに従えばいいのよ? わかる?』
そう囁く姉に逆らえず、舞香は友の悪事を警察に伝えた。
そんな“姉の言葉教育”という暴力から逃れるため、私は、たったひとりの親友を裏切ったのだ。
数年前に事故で死んだという話だけは、伝え聞いて耳にしているため、現在いまの舞香には謝罪する手段はなく、過去ではそもそも友人は刑務所の中だった。
後悔した。
懺悔だってした。
産まれてきてから十余年、永久につづく暴力とまで呼べるだろう教育に曝されつづけた舞香は、姉に言われるがままに大切な友を裏切ったのだ。
(.??)
『私の言うこと以外しちゃいけないって言わなかったかしら?』
風香は言いながら舞香の首を締めたあと、部屋の床に叩きつけるように倒す。
……。
…………。
………………。
『いつから私に逆らえる立場になったの? あなたは妹であり未成年であるって言い聞かせたはずでしょう?』
風香は、舞香の手の親指の爪を強く捲ろういう真似をする。
『いっーー!?』
『あら?』
思っていたより力が入ってしまい、爪が弾き飛んだ。
……。
…………。
………………。
『犯罪者の友達なんて存在しないのよ。友と呼んじゃいけない。さあ、今ならまだ持ってるのでしょう。はやく通報しなさい。しなさい? ーーし、な、さ、い?』
……。
…………。
………………。
(.-7)
とある日、自宅で咽び泣く舞香に突如として異能力が芽生えた。
それを機に、舞香は家出を決意。
幼い頃から姉の操り人形と化していた舞香は、風香から逃れるために、姉の住む家から飛び出したのだ。
『お嬢ちゃん、俺らと良いことしない?』
下卑た口調でナンパをしてくる男二名に対して、舞香はどうなってもいいと感じつつも、鍛えていた足技で二人共倒すことができた。
そのせいで、舞香は数人の暴力団に追われる事になってしまう。
六人のチンピラに囲まれた舞香は、友人を裏切った日に体得した異能力を活用して、六人全員を無傷でほふる。
犯罪者である友人が頭を過り、風香の善に対して唯一の抵抗として、自ら犯罪者となると決意する。
その倒したうちのチンピラ一名に対して、伝言を残すことにした。
『犯罪行為でもかまわない。だから、金を稼げる仕事を教えてほしいと、あなたたちのリーダーに伝えなさい』と。
舞香の目的は、風香という姉の束縛恐怖から逃れること。
ならば風香の善に対して徹底的に反抗するために、悪になろうと考えたのだった。
『薬の売人っつー仕事なら、捕まりさえしなけりゃ楽に金銭を稼ぐには合ってる商売だ。ただし、捕まりゃそれで御仕舞いだ。やりたいってんなら薬の用意くらいはしてやるさ。どうすんだ、嬢ちゃん?』
阿瀬に問われた舞香は、これも風香に対する抵抗だと信じて話に乗った。
『舞香ちゃん、売人してんのにやったことないのかい?』
大海に言われ、元の親友が捕まる原因となった薬物にも手を染めた。
葵の気持ちを少しでもわかるため、風香に諭されたことに逆らうため、ただそれだけの理由で戻れぬ道を突き進む。
どこまで行っても、風香、風香、風香……そんな心中から逃れるために、薬物に溺れた。
そんな自分を救ってくれたのは、自らがたまたま遭遇した沙鳥であった。
沙鳥と自分を重ねてしまった舞香は、なにがあったのかまでは知らないが、死に直面していた沙鳥をどうしても救いたいと強く願う。
後に沙鳥に聞かされたのは、己よりも凄惨な過去。
あんな目に遭ったのに、それでも尚、自分を慰めてくれた沙鳥。
次第に心を通わせていき、頭の中から風香という存在が薄れゆく。
朱音という少女とも出会い、舞香はその異能力を用いて覚醒剤密造を異世界で行くことにして。
阿瀬や大海の力を借りて、総白会に上納金を納める代わりに、名前を借りて仕事の範囲を増やしつつ、ついに舞香は『愛のある我が家』という組織も設立した。
翠月や澄とも関係がはじまり、いつしか裏社会での知名度が一気に広まり、風香に対する当て付けは薄れ、仲間たちと共に暮らすことで風香の妹という名の操り人形から、舞香という名の存在を取り戻し始める。
『この、代わり映えのしない一日が、わたしにとって大切なものなんです。むしろ、これから先、ずっと舞香さんのご飯を作らせていただけたらな、と思っています』
そんなある日、沙鳥は顔を赤らめつつ、大胆な言葉を口にした。
『な、なんだかプロポーズみたいに聞こえるんだけど、それって、友達としてってこと? それとも……どう捉えたはうがいいのしら?』
舞香はその言葉を聞いて、自分が求められている存在なのだと嬉しい気持ちでいっぱいだった。狼狽えながら言葉を返す。
『……舞香さんの、お好きなほうで』
答えは決まっている。
長い月日のなかで一番共に居てくれて、自身の不安を溶かしてくれた、愛しい存在、沙鳥ーー。
『それなら、答えは決まっているわ。沙鳥は、私の存在を認めてくれた。そんな子に対して、私は嘘をつきたくない』
舞香は沙鳥を抱き締める。
『これからも、ずっと一緒に居てほしい。沙鳥、貴女は私にとっても、唯一無二なんだから』
ーーそんな矢先の出来事。
(.-3)
『久しぶりに会ったわね、舞香。あなたが何をしているのか、だいたい把握しているつもりよ。よくもまあ、存在する価値のない人間に変わり果てたものね?』
偶然か必然か、街を歩いていた舞香の前に、風香が現れてしまう。
『私の言うことが聞けないの? あなたは良い子なのだから、わかるわよね? 今までやってきた行いを恥じるなら、すぐにやっていることを放棄して、我が家に帰ってきなさい』そうでなければ、風香はつづける。『あなたという存在は、悪でしかない。存在価値の無い人間でしかない。そのままでいいの?』
そうして、舞香は風香を思い出す。
その現実から逃れたくて、舞香は異能力ーー空間を歪めて繋ぎつづけ、自宅へと必死に逃げる。
目の前から消えても在る大敵。
完全なる善に対し、無力な自分から逃れたい。
異能力を酷使し身も心もズタズタに傷ついたまま、覚醒剤を普段よりも多めに打ち込み、打ち込み、また打ち込み、さらに打つ。
風香を忘れるためだけに打って乱用を繰り返す、その薬物を。
そうして、風香を忘れることには成功した舞香だったが、大切な沙鳥ひととの思い出や馴れ初めも、関係も、自身の異能力が持つ本来の力までも忘れてしまう。
ーーおそらく、これだ……。
沙鳥のPTSDの原因と思われる記憶も、舞香は想起したーー。
(.-2)
とある真夏の大学病院。
そこの入院患者用の六人部屋には、壮年の女性と、まだ幼い女の子、その子と楽しそうに話をしている看護師、そして、成人式を一年前に迎えたというのに、未だに制服を普段着にしている女ーー舞香の計四人がいる。
そんな病室の扉が勢いよく開かれると、そこには息を切らしながら多量に汗を流している少女ーー沙鳥の姿。
沙鳥はそのまま中へと入る。
「ほら! わたしが忠告したとおりになったじゃないですか。最近の舞香さん、おかしい日が増えてきていましたし、もう打たないほうがいいんじゃないですか? ーーって言ったじゃないですかっ! もう、本当に心配したんですからね……」
舞香の顔色を窺い見ながら、沙鳥は心配そうに目を目で見つめた。
「舞香さん、おねがいしますから、もうこれ以上自分を傷つけないでください。わたしにはもう、あなたしかいないんですよ……?」
沙鳥は舞香を見て、安堵の表情を浮かべながらも懇願する。
舞香は沙鳥の言葉を、困惑した表情を浮かべて見つめ返す。
「ほら、内出血までしてるじゃないですか! これで『私、突くの一回も失敗した事ないんだ』なんて言わせませんからねっ。これに懲りたらもう二度とーー」
「あの、ごめんなさい……あなた……だれ?」
沙鳥がすべて言い終えるまえに、舞香は混乱しながらも遮った。
「……え?」
「私、どうやら記憶が一部欠落しちゃったみたいで……追い打ちし過ぎて運ばれてきたってのは覚えているんだけど、覚えていない事も結構あって」
「え、え? うそですよね? そんな冗談にわたしは引っ掛かりませ……んから……ね……あ、あれ、あれ?」
沙鳥は舞香を凝視すると、次第に声を小さくしていく。
「で、あなたは何処どこの何方どなたさん?」
「あ、あれ? ほ、本当に、本当に言って……る? え、な、なんで? あ? ……え? あぇ、あぁぁぇ……ぁぇぇ?」
舞香を見つめる沙鳥は、ついに口から発する言語を日本語から単なる音へと変わる。
聞き取れない謎の濁った音を口から漏らす。
「あ、あの、もう帰っていいわよ? 私みたいなバカが友達じゃ、あなたも大変だったでしょ?」
「え? う、ええ? う、う……うそ? うそって言ってください舞香さん?」
沙鳥は自身の胸を抑え、冷や汗を大量に流し出していく。なぜか走馬灯のように、舞香と仕事を共にすると決めた日や、衣食住も一緒にすると決めた日、あの日やこの日も、今まで共に過ごしてきた日すべてが沙鳥の脳裏に流れてしまう。
「ど。どしたの本当に? って、だからいいよ、私の事なんて放っておいーー」
「言わないで! 言わないでください嫌だ聞きたくない聞きたくない! 聞きたくないです聞きたくないですっ ! こんな、こんなの……どうし、どうしてっ!? ……わたし、あ、あなたのために生きるって……なにもなかったわたしに出来た……唯一の……生き甲斐……生き続ける意味……なの……なのに、な、なのにどうしてなのっ!?」
沙鳥は地面に屈むと、頭を力強く掻きむしり叫声を上げた。
と、騒ぎを耳にした看護師が沙鳥へからだを向ける。
「ど、どうかしたの君、体調悪いのかな?」
沙鳥は返事せずに立ち上がると、鞄からナイフを取り出す。
過去に舞香から『いざってときに持っておけば、助かる場面があるかもしれない』と言われて渡されてから、結局一度も使っていなかったナイフ。
それを手に握るや否や、上を向いて大きく口を開く。
「どうしでですかっ!? どうしてそうやってわたしをいたぶるんですか!? 答えてくださいっ! 答えてくださいっ答えろよっ! 答えろって言ってんだっ! 聞こえないフリしてんじゃねぇよォおおおおオオオオッッッ!!」
沙鳥は絶叫しながら天井を仰ぎ見て錯乱する。
「殺す、殺す、ぜったい許さない。殺してやる。殺す、殺す殺す殺してやるっ! わたしを虐め抜いたこと、必ず後悔させてやる! 首洗って待ってろ!?」
誰が見ても異常だとわかるくらい、顔を歪ませて発狂する沙鳥。
舞香を含め、皆唖然としながら様子を窺うしかできない。
沙鳥は泣きながら左腕を前に向けると、ナイフを持つ右手を天高く振り上げる。
「待ってろ!! いますぐ殺しに行ってやるからぁああああああッ!!!!」
それを自分の手首に向けて振り下ろす。
しかし、それは看護師の妨害によって寸でのところで止められる。手首から確かに血は流れているが、動脈には届いていない。
「ちょっと、誰か! 誰か手伝って!」
看護師が叫ぶと、病室前を偶然通りかかった医師がそれに気がつき慌てて駆け込んできた。
「君、何があったんだ!! この子は!?」
「わかりません! この子いきなりナイフ持ち出して、自殺しようとしたんです!」
二人がかりで押さえつけられるが、沙鳥はそれでも諦めず、自殺行為をしようと踏ん張る。
「離せ! 離せっ離してっ離してよ! 離してくださいっ離してくれないとわたしを苦しめるやつに復讐にいけないだろぉおぉおおおおっ!?」
「君、落ち着いて! パニック障害かPTSDか躁鬱かわからないけど、とにかく一端、ベッドに固定しよう。自殺念慮が強く現れてる。精神科の先生を呼んできてくれ」
沙鳥は、医師たちの会話を無視して嘆き続けてわめき散らす。
「どうしてわたしにばっか絶望押し付けてくるんだよっ! こんな目に遇うんだったら最初から希望なんて要らなかったっ! わたしの四年間すべてお釈迦にしやがってっ! ぜったいおまえだけは許さないっ! 離せよアイツ殺さなきゃ復讐しなきゃ納得いかないんだってばぁあああ!」
沙鳥は医師と看護師に引き摺られるように、別の病棟へと連れていかれる。その最中も、沙鳥は慟哭する。
「あのひとだけは、あのひとだけはダメだったのにっ! わたしからあのひとを奪ったら、わたしから舞香さんを奪ったら、もう生きる理由なんてなくなっちゃうのにっ! 離せっ! 離してよっ! わたしの大切なもん奪ったヤツに復讐しに行くだけだから離してくれよっ! おまえらどいつもこいつも、『死なれたら面倒くさいし大変だ』って考えてるだけなのに邪魔すんなよふざけてんじゃねぇよぉおぉおおぉおおおっ!!」
身動きが取れないように数人の看護師と医師に押さえつけられたまま、沙鳥は号泣しながら怒鳴り続ける。
沙鳥は、覚醒剤を乱用した本人ではなく、天井の遥か向こう側、天に立っている存在に怒りをぶつけたのだ。
無理もない。
酷な人生を送ってきた沙鳥にとって、これもすべて、その存在からの嫌がらせだと思っているのだ……。
(.13)
残ったのは、ただただ薬物への渇望のみ。覚醒剤をやれるのであれば、べつに更なる悪どい商売に手を出してもかまわない。そう思いはじめてしまった。
犠牲者の居ない商売を主にしていた舞香は、自身を薬物に溺れさせながら、犠牲者の出る商売までにも手を出してしまう。
ーー沙鳥が、どうして私の注射を嫌い、発狂してまで拒絶していたのか。それを『いつもの事』だと、『あの子が勝手にしていること』だと、身勝手に決めつけていた。そうまでしたのに離れないでくれた沙鳥あの子に対して、私はなんてふざけたことをほざいていたのだろうか。
沙鳥にとって、舞香が唯一無二の存在であると共に、舞香にとっても、沙鳥は唯一無二の存在になりつつあった。
苦楽を共にしてきた、再びできた友であり、親友であり、心友でありーー恋仲であった、沙鳥という存在ひと。
それを、どうしていまの今まで忘れ去っていたのだろうか。舞香はそう考えながら、悲哀しつつも自分を叱り倒す。
『なにがあっても、私は貴女とずっと一緒に居ます』
ーーそう述べた沙鳥に対して、私は何と言っただろうか?
『勝手にすれば? 私にいちいち意見したりしなければ、仲間のままでいさせてあげるわ』
ーーッ! なんて……酷い……ッ!
ーーどうして?
ーーどうして、どうして、どうして!?
ーー記憶を失っていた私と、記憶のあった頃の私、そして、その両方が重なった今の私は、いったい誰だと言うの?
ーーもう、沙鳥は風香の手に渡った。異能力者保護団体という名の異能力者を監禁する組織に捕まってしまった沙鳥を助ける手筈なんて、私にはもうない。
ーーでも、諦めることもできない。
ーー風香姉さんのことを考えるだけで身体が震える。
ーーあのひとに対していくら力で勝てていても、いくら言葉を重ねたとしても……私はきっと、会った瞬間、正常な意識は保てない。
「舞香! いい加減なにか言って!」
瑠奈は舞香の肩を掴み激しく揺さぶる。
「……瑠奈」
「舞香ってばーーって、いきなり戻った!? な、なに?」
「沙鳥を救うために、貴女は命を張れる?」
「え? ……それはどういう意味?」
舞香にとっては大切な存在であっても、瑠奈にとっての沙鳥は、数日の付き合いの友達程度でしかない。
「私はこれから、ここを捨てる覚悟で沙鳥を助けにいくわ」
一人の力では敵いっこない。
相手は異能力者の専門家たちが集まる施設だと舞香も理解している。
端から自分だけで助け出せるなどと思い違いはしていない。
「リベリオンズの力、澄や貴女の力を借りて、私の使える伝を何もかも犠牲にすれば、きっと、きっとあの子を助け出せるから」
「ちょ、ちょっとちょっと、いきなりどうしたのさ?」
舞香は教えてもらっておいた偉才の番号を、携帯電話に早速打ち込む。
「必ず助け出す。私の命が亡くなろうとも、沙鳥さえ助かればかまわない。これは、忘れていた私がする、せめてもの贖罪」
(.14)
異能力者保護団体施設近辺、夜の10時ーー。
そこには舞香をはじめとするーー瑠奈と澄、マリアの計四名が集まっていた。
「本当に手伝ってくれるの、マリアさん?」
舞香はマリアに対してそう問いかける。
偉才には、沙鳥の詳細な居場所を特定するために手伝ってもらっていたが、偉才に荒事は頼めない。
同じ理由で翠月には留守番をしてもらっているため、実際に潜入するのは舞香自身含め三人になることを想定していた。
しかし、リベリオンズのリーダー自らが、手を貸そうかと声をかけてくれたのだ。
「ええ、私たちにとっても異能力者という同胞を助ける事は、利益不利益以上に意味があることだからね」
ーーさあ、あとは、あの子をしっかり助け出すだけね。
マリアは自身の周囲に七色に輝く球体を出現させる。
「それって、話に聞いていた爆弾みたいな?」
「そう。これでこの辺りの壁を破壊すれば、あとは真っ直ぐ行くだけで沙鳥の部屋に辿り着けるよ」
瑠奈の問いに返しながら、マリアは赤色に輝く球体を手刀で叩き割った。
その瞬間、そこには赤く輝く剣が握られていた。
「はじめるよ!」
マリアは施設の外壁へと投擲する。
壁に当たると同時に激しい爆発音が鳴り渡り、それと共に壁は砕けて弾け飛んだ。
砂埃が覚めると共に姿が見えた外壁は、ひとが五人以上軽々と通れそうな穴がぽっかり空く。
「さあ、舞香。あなたの仲間を救出しなさい」
「言われなくてもーー」
ーーわかっている。
ーー待っていてね沙鳥。私がつくり出した無為な悪夢から、ぜったいに引き摺り出して助けてだすから。今までの私の不始末について謝るまで、貴女とお別れするなんてことできるわけがないッ。
ーーこれ以上、あなたを苦しめる絶望なんて必要ない!
0
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