Raison d'être

砂風

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Episode1/Raison detre

第五章/ハッピーエンド以外不要

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(.15)
 舞香が瞬きすると、風景すべてが灰色に染まり自らと一緒に周囲も動作を停止した。
 無論、これは舞香のみが知覚できる刹那の世界。
 ーー私の異能力は、ここで長考できるなんて下らないものじゃない!
 記憶が甦り思い出した、自身の真の異能力。
 自身の動きさえ停止した灰色の世界で、舞香は目前の通路の空間と自身の肉体を指定する。
 すると、そこが歪んだように消えたかと思うと、舞香は目前の通路に現れた。
 周りからは瞬間移動にしか見えないだろうが、これは、指定した空間Aと空間Bを置換するという概念干渉系の異能力である。
 ただし、空間を歪めれば歪めるほど、全身のちからは抜けていき精神は枯渇していく。
 物質を巻き込むと磨耗が酷く、人体を巻き込んだ日には、一度で倒れてしまう恐れがある。
 そういった弱点から、舞香はなるべく最小限に抑えるように心がけている。
「そこから前に直進した端にある部屋よ! 貴女たちが仲間を救うまで、私はここで増援が行かないように塞いでおくから!」
「ひとりで大丈夫?」
 マリアの声が聞こえ思わず振り返り、舞香は一応声をかけた。
「平気よ。反異能力者保護団体リベリオンズのリーダーの力、甘く見ないことね」
 なんだなんだと人が集まってきている。
 その人間を一人たりとも通さないとばかりに、マリアはたった一人、破壊した穴と出口へ繋がる通路両方を見据えながら宣言した。
 周囲に一つ減った鮮やかに輝く六つの球体を出現させるなり、黄色く輝いている球体を手刀で叩き割る。
 先ほどと同じように、その手には黄金に輝くレイピアが握られていた。
 それ以上は視力の問題で、舞香にはどうなっているのか把握できない。
「安心しろ。障害となる人の子らは、わしと瑠奈がどうにでもするからのう。舞香はただ、ひたすらに進めばいいんじゃからな?」
「ありがとう、澄」
 吸血鬼である澄の素早さや、風の精霊を操る瑠奈の速度に追い付くには、舞香は異能力を使わないと間に合わない。
 とはいえ、澄や瑠奈の目的は、どちらかというなら舞香の護衛。結局、遅れても舞香の足の速さに合わせていた。
「どうせ死ぬなら、意味のある死のほうがマシなのかな……いいよ、わかった。何だかよくわかんないけど、舞香の沙鳥への熱意には感動した。わたしも可能な限り全力出して頑張ってあげるね」
 瑠奈はそう言ったあとに、なにかぼそぼそと続けて呟いた。
 瞬間、瑠奈の真横にシルフが現れた。
 その数秒後、目の前にある通路の横路から従業員らしき男が現れた。偶然きょうの遅番だったらしい。
 一部の定められた団員にのみ携帯が許可されている拳銃を構え、舞香に向ける。 
「止まれ! 今すぐ止まれ! 止まらなければ発砲する!」
 ガタガタ震える四肢を晒す職員だが、次の瞬間、その手にあった拳銃は無惨に大破した。
 砕け散った拳銃に唖然としている職員の横を皆通り抜けていく。
 舞香は驚いて、拳銃にぶつかった物ーー限りなく不可視に近い空気弾ーーが飛んできた方を確認する。
 舞香の右隣やや後方という発射元にいるのは、手のひらを前に伸ばしている瑠奈だった。
 しかし……。
「あなた……瑠奈?」
 瑠奈の姿はいつの間にか変化を遂げていた。
 背丈は少し伸び、ああも無かった胸も少し膨らみ、肩まであるかないかの長さだった髪はロングヘアーになるほど伸びきっている。
 なにより、黄緑色に発光している粒子のような輝きが、瑠奈のからだを纏うように舞っているのだ。
『もちろん、瑠奈だよ。でも、わたしは瑠奈であると同時に、シルフでもあるの。二人が両立した存在。今のわたしには刃物はもちろん銃弾だって届かない。急いでね、舞香。この状態でいられる時間は少ない』
 口調までやや変わっている瑠奈に、舞香は驚きを隠せない。
 だが、目立ったからなのか、さっきの職員の応援連絡のせいか、後ろにあるさっきの曲がり角などから、合計10人ほどの職員らしき人々が集まってきた。
「瑠奈、分担作業じゃ。ここから先は、他から来れる道はない。つまり後ろからしか増援は来ないじゃろう。お主はここに残って、あの雑兵どもの相手を任せようかの」
『まあ、乗り掛かった船だし、気分はのらないけど』瑠奈だけ振り返ると、その場で立ち止まる。『これからもしばらくお世話になるかもしれないし、やれるだけはやる』
 慌てて駆け寄ってくる職員に向かって、瑠奈は手を突き出す。
 すると、凶風が通路を流れるように巻き起こり、職員たちは皆仰向けになりながら吹き飛んだ。
 ーーあと少し、あの部屋だ! あの扉の向こうには、忘れてしまっていたものがあるんだ!
 舞香が思うと同時に、舞香たちの走っている通路の真横にちょうどある部屋が、勢いよく開く。
 それと共に、澄は状況を理解し両手を真横に向ける。
「ちょっと、なにっ、澄ッ!?」
 バキンッと硬い音が鳴るのと共に、澄は背中側に飛ばされる。そこに位置していた舞香を巻き込みながら壁にぶつかり、舞香は地面に倒れてしまった。
 澄は倒れるまでには至らず、直ぐに体勢を整え、扉の中からの襲撃者に視線を向けて構えを取る。
 なかなか状況が理解できない舞香だったが、扉の向こうにいる人物と格好から、大まかに現状を把握できた。
 どうやら、横にあった扉が開かれ、そこから澄に抜刀して斬撃を放ってきたらしい。
 澄は吸血鬼の能力なのかなんなのか、なにかを使い刀を防いだが、ややよろけてしまう。
 そこにいるのは、刀を鞘から抜き放った姿から構えに移る刀子であった。
「舞香、早く立つのじゃ」
 間合いが狭い利点を活かし、澄は前に出て刀子の持つ刀の刀身を素手で握る。そのまま握力をかけたかと思うと、それを粉砕した。
「おいおい、やっぱりアイツが言ってたとおり怪物なんだな、おまえ」
 刀子は折れた刀を捨てると、どこから取り出したのか、手早くナイフに武器を変えた。
 舞香は慌てながら立ち上がる。
「すまぬ舞香。目的地は目の前なれど、どうやらわしは、ここで立ち往生せねばならぬらしいぞ。なあ、お主?」
「わかっているんじゃないか、吸血鬼。今回の私の仕事は、おまえの相手をして足止めすることだ。静夜も暗殺って仕事で来ちゃいるけど安心しろ。アイツの対象者はおまえらの中にはいなーーっち」
 刀子が言い終わるのを待たず、澄は刀子に飛びかかる。
 それを間一髪で避けた刀子は、間合いを開けるため廊下の通路がある向きで対面できるように位置を調整した。
「舞香……だったよな? 私はおまえに用がない。助けたいヤツがいるんだろう? それなら急ぐことだ」
 そう宣う刀子の瞳は、たしかに澄しか捉えていないようだ。
「ごめんなさい、澄。私は私のやるべきことを優先させてもらうわ。死なないでね?」
 舞香はそう言い残すと、異能力を使い、扉の前まで瞬間移動した。
 それを気にせず、刀子は澄と向き合いながら、呆れるような苦笑いするかのような表情をして、愚痴を溢す。
「いやはや、どうしてアイツはこんな依頼をしたんだ。私には理解できない。アイツの依頼のせいで、今日は静夜と対立関係になってしまったじゃないか。普通ならあり得ないぞ、対立する集団の両方にちょっかいかけるなんて」
「わしにはなにを言っているのかサッパリわからぬが……挑むなら全力を出し切れよ、刀子とやら。今宵のわしは、あまり手加減せぬ予定じゃ」
「へえ、それは怖いな。まあ、せいぜい殺られないように役目を果たすさ」
 澄は異様なほどに指を鳴らすと、手のひらや爪が鋭く変形していく。
 刀子はナイフを逆手に構え、両足均等に力を入れつつも弛緩した状態で、澄の出方を窺う。
 やがて、二人は衝突する。


(.16)
 施錠された部屋の扉の前に置換し移動してきた舞香は、再び異能力を発動させた。
 開けるためには鍵が必要だが、舞香にとって鍵は不要だ。
 ーー真後ろをA、ドアをBに指定、発動、歪め、そして置換しろ!
 すると、扉が目の前から消失すると同時に、背後の通路に扉が現れた。指定箇所を少し見誤り、やや上空に現れてしまったせいで、地面に落下し鈍い音と共に埃が舞い上がる。
 だが、舞香はそのミスの存在を認識できないほど、視線の先にある光景に夢中だった。
「はぁはぁ……沙鳥!」
「…………え?」
 なにが起こったのか理解できず、沙鳥は音や声のした方に、なにかから目を移して舞香を見た。
「う……そ……?」
 舞香が助けにくるなんてことは、現状あり得ない。
 そう思い込んでいた沙鳥は、すぐには信じることができない。
 この光景は、夢なんじゃないだろうかと疑ってしまう。
「助けに来たわ、沙鳥。詳しい事はあとで説明するから、いまは着いてきて」
「ま、舞香さん……ど、どうして……え、え……夢……ですか?」
 沙鳥は、現実だと信じて裏切られるのは嫌だと思いつつ、この希望が夢ではなく紛れもない現実だと信じたかった。
 いや、もう夢でもいいから、一時でも幸せでありたい。
 そう願った沙鳥の頬に、自然と涙がつたい落ちていく。
「ごめんね、沙鳥。私みたいな、バカで間抜けで最低な奴を、最後まで見捨てないでくれて」
「ま……いか……さん……!」
 抑えきれず、涙を次から次にまぶたから溢れさせる沙鳥。
 その手を握ろうと、身体を抱き上げ連れ出そうと、舞香は部屋の中に足を踏み入れる。
 しかし、踏み入れて部屋の全景が視界に広がると同時に、舞香の動きは止まってしまう。
「好き放題暴れて、刑務所行きの犯罪者に会いに来るーー」
 目の前に現れた、舞香の唯一越えられない壁トラウマのせいでーー青海風香が室内に居たせいで、舞香は反射的に恐怖してしまった。
「ーーどこまで存在価値のない人間に成り下がれば気が済むのかしらね?」
 どうしてここに居るのか。
 どうして、澄や瑠奈があとから入り込む応援を抑えてくれているのに、風香はここに来られたのか。
 そんなもの当然、最初から沙鳥と共に室内に居たのだ。
 扉を破壊したとき、たしかに沙鳥は、何か別のものを見ていて、そこから舞香へと視線を移していた。
 誰かがいると警戒すればまだよかったのかもしれないが、沙鳥に会えた喜びにばかり気が行ってしまっていたせいで、無警戒で部屋に立ち入ってしまった。
 舞香は肩を震わせながら、ただただ無言。
 トラウマからの恐怖が、喋ろう動こうという意志を飲み込み、身体が反応しないのだ。
 異能力という超能力的なパワーでも、バラエティー豊富な足技という身体的な力でも、おそらく舞香は風香を圧倒できるだろう。
 しかし、虐待や洗脳などによる善性への教育指導という、幼い舞香に刻まれたトラウマは、いつになっても越えられぬ恐怖でしかない。
 この風香という存在が、勝負を捨てて逃げに徹してきた、舞香にとって唯一勝つ気力すら湧かない相手なのだ。
「貴女たちに生きている価値なんてある? 何もないわ。平然と罪を犯す世界の膿よ。ねぇ舞香、いい加減、そろそろお姉ちゃんの言うこと聞けない? ……今すぐその子を諦めて帰りなさい。今ならまだ、私の権力で誤魔化してあげてもいいわ。もう罪は犯しませんって、約束できればの話だけど」
 ねちねちと言われるがまま、舞香は反論できず、それに対し震えて怯えるだけで、なにも言うことができない。言い返せなかった。
 能力を使えば逃れられる舞香が、どうして単なるおばさんに逆らえないのだろうか。
 二人のやり取りを静観していた沙鳥は、なぜだか無性に腹が立ってきた。
 夢でも現実でも、どちらにせよ、せっかく会えた舞香との時間を邪魔してくるという行為。
 そして、自身のことを法を守り悪を断つ完全なる善人だと信じて疑わない風香に、苛立ちが募っていく。
 沙鳥は勝手に相手の思考を覗く異能力によって、風香が舞香にしてきた行為を断片的ながらも知っていた。
 それを慮るに、言葉の暴力や、教育という名の洗脳行為、行動の制限などの風香がしてきた躾に関しては、沙鳥だって知っていた。
「それでは……風香さん?」
 ついに沙鳥は口を挟むことに決めて、立ち上がった。
「ん? なにかしら?」
「ピーチクパーチク囀ずる陰湿な暴言、体罰染みた行いで矯正していく教育という名の暴力および虐待、洗脳まがいの命令の数々なんかを行ってきた風香さんって、それはそれは立派な犯罪者なんでしょうね、素晴らしい」
「……な、なんですって? 撤回しなさい?」
 風香はイライラし始めキツい口調で言う。
 が、沙鳥はわざとらしいオーバーリアクションをする。
「流石はお姉さまです! 妹の舞香さんよりも、それはそれは酷い犯罪を繰り返しているんですねぇ。月とすっぽん、いえ、月と膿の差があります。あっ、ご心配なさらずに、大丈夫。貴女が膿ですから、喜んでください』
 唐突に挑発してきた沙鳥に対して、困惑と怒りを抱きながらも、風香は反論する。
「なに言ってるの、この子? 貴女たちみたいな懲役いくような犯罪行為と、私の躾を比べないでくれる? 私のは単なる教育よ」
「教育、ですか? いえいえ、教育という名の虐待、躾という名の虐待、虐待、虐待虐待虐待……風香さんって、暴力振るうの大好きそうですね? ああ、もしかして暴行罪という法律すら知らないのであれば、申し訳ございません。貴女の知能を高く評価し過ぎた私の落ち度です』
 長い間暮らしを共にした仲なのに、こんなにも好戦的な沙鳥の姿を、舞香は一度すら見たことがなかった。
 風香に対して、明らかに敵対心を燃やしている。
「あ、あのね、私の罪は、もし法律に違反していたとしても、軽いもの……貴女たちは大罪よ!? 一回の逮捕で有期懲役にいくような犯罪よ? 貴女たちは被害に遭う側のひとたちに対して、罪の意識とかないのかしら!? なにも思わないって言うの?」
 ややヒステリックに騒ぎ立てる風香を見ながら、沙鳥はにっこりと笑顔を返す。
「被害にあったひと……ですか? たしかに、最近は少し、行き過ぎていた部分もありました……ですが、私たちの主軸としている行為は、基本的に対等な取引ばかりです。ーー自ら欲しがる相手にしか売らない。ーー両者が納得しなければ行為させない。ーー危害を加えてくる人間に反撃するだけ。ーー借りたい客が勝手に納得してお金を借りていくだけ。……あれあれ? 被害者? 被害者という人間は、いったい何処にいるんでしょうか?」
「そんな詭弁ばかり!」
 そんな風香を、沙鳥は無視して一方的につづける。
「むしろ、舞香さんという被害者を出している風香さんのほうが、よっぽど立派な加害者風情なのだと理解できていますか? そもそも舞香さんは、貴女から教育を受ける必要なんてありませんよ? 大方、なんでもできる妹に嫉妬して、年齢差だけを利用してストレス発散でもしていたんじゃないですかぁ? だいたい風香さんって、嫉妬妄想も誇大妄想も酷くて酷くて……妄想するの、本当にお好きなんですね? 知人がひとり精神科びょういんに通っていますので紹介しましょうか?」
「い、いい加減にしなさい! あなたたちは法律や懲役というものを知らないの!? 罪が重いのはそっちと決まっているでしょう! こんな口汚い子が友だちだなんて、やはり舞香の関係者だわ! この子の友人はどうしてこう知恵遅ればかりなのかしら!」
 発狂する風香を舞香は呆然と眺めていた。
 こうまで取り乱す人間だっただろうかと。 
「法律がすべてーーなんですか? なら、貴女は憲法・条約・法律・政令・省令・訓令などーーそれらに違反しなければいいと? 抜け穴を利用した非行は非行ではない、別に為さってもかまわない。そう仰られるのですね。法は社会を守るものであって、私たち個人個人を守ってくれるわけではないことを、私は身をもって体験したことがありますよ? そうまで言うならーー」
「さっきからごちゃごちゃうるさーーッ!?」
 風香は最後まで言葉を紡げなかった。
 沙鳥の両手が、風香の首を器用に掴み握った為だ。
「では、私は今ここで貴女という人間を殺しますね」
「ぁーーあッ!」
 それほど力はないはずだが、沙鳥も沙鳥で、人体の急所などを独自に学んだりしていた。
 どこをどう握れば、握力がなくても窒息させられるのかーー等々、自衛の手段は講じていた。
 その知識がこんな場所で役に立つとは思いもよらないだろうが……。
「私なら、もしも大切な人が殺されたとしたら、十年だろうと二十年だろうと、いくら犯人が刑務所で務めを果たしたとしても」握る力が増す。「大切な人を奪った人間が出所して余生を堪能していると考えるだけで、許すことなんてできません。必ず……必ず復讐します。数倍、数十倍以上の苦痛を与えつづけ、死んだほうがマシだと言いたくなるような状況においたあと殺します。勿論、死体はトイレにでも流して処分します。死んだからって、許されると思うなよ?」
「かはっ! ひゃ、ひゃへーーッ!」
 ニヤニヤとした顔をしている沙鳥だが、一瞬だけ、寒気がするほど冷たい表情を浮かべた。
 それを見た風香は、本気で殺されると顔を真っ青に染めて悲鳴をあげる。
 舞香は今まで恐怖していた相手が、自分よりも非力である沙鳥に攻められただけで、こんなにも焦るという事実を初めて知った。
 すると、恐れる心が少しだけ薄れていくのを感じられた。
「貴女が舞香さんを殺したとしたらーーなんて考えるだけで、風香さんのこと、拷問したくなります」
「ひゃっ……は、ゃっーーっ!」
「どうして慌てているのですか? 貴女は懲役さえ果たせばなんでもしていいと仰られましたよね。風香さんのこと大嫌いだから今から殺すだけですよ? 心配なさらずに安心してください。しっかり刑務所に入り刑期を真っ当します。そうしたら風香さん、死んでもかまわないみたいですからね。さて」
「んーッ! ッ!」
 今にも窒息しそうな現状と死への恐怖で、風香の顔は、涙と涎でぐちゃぐちゃになっていた。
 それを見ながら沙鳥は口角を上げ満面の笑みを浮かべる。
「では、死んでください。さぁ……ふ、う、か、さ、ん?」
 ついに意識が薄まり始めた風香は許しを乞おうとする。
 しかし、それは声にならない。
 いくら苦悶を浮かべようが、沙鳥は笑顔で見つめ返すだけだ。
 やがて息ができなくなり、涙と共に恐怖を瞳に浮かべる。
 そんなやり取りを眺めていた舞香は、沙鳥に近づき肩を叩いた。
「もう大丈夫だから、離してあげて。そんなひとのために、沙鳥が捕まる必要なんてないわ」
 それを聞いて、沙鳥はようやく風香から手を離した。
 風香は崩れるように地面に倒れる。
「でも、私は覚醒剤なんてやめる事にしたわ。だから、私が私でなくならないようにーーこれから先、ずっと私のことを支えてください。お願いします」
 いきなり丁寧な口調で告白まがいな台詞を述べる舞香を見て、沙鳥は目を見開いて驚いた。
「別に、沙鳥の考え方を否定しているわけじゃないわ。自分がアレをやめる理由は、ただひとつ。ーー大切なひとを、愛するひとをーーもう二度と、忘れたくないだけよ」
 緊張や混乱で意識していなかった心の声に、沙鳥はようやく耳を傾けた。
 確かめるのが怖かった沙鳥は、しかし、もう大丈夫だと信じていた。
 そして、やはり失われていた記憶が復活していること。
 さらに、自分を大切なひとだという認識をしていること。
 それらに合わせて、本心から断薬したいことも把握できた。
 そうーー沙鳥には嘘が通じない。
 つまり、本心か嘘か判別できる。
「まいかさん……!」
 沙鳥は舞香に抱きつくと、嗚咽しながら泣きはじめる。
「舞香さん、舞香さん、舞香さんーーっ! ……おかえりなさい。ずっと……ずっと待っていたんですよ?」
 舞香はやさしく沙鳥を撫でる。
「ただいま、沙鳥。今までごめんなさい。許してくれとは言えないわね」
「ええ、許しませんよ? ですから、もう二度と、どこにも行かないでください。約束ですからね?」
 涙する沙鳥の頭を、舞香はやさしく抱く。
「約束する。私はもう沙鳥のこと、二度と離さない」
「逃げられると……けほけほっ! ……思って、いるの……?」
 感動の再会に水を差すように、風香はふらふらと立ち上がり二人を睨み付ける。
「もちろん」舞香はそれに肯定する。「私には、みんながいる。私には、この力がある。私にはーー沙鳥がいるもの」
 まだ目が赤い沙鳥の手を掴むと、舞香は風香を意に介さないように、堂々と部屋から外へ出た。


(.17)
 扉から出た通路の先では、未だ刀子と澄の拮抗した戦いが繰り広げられていた。
 だが、舞香と沙鳥の姿を視界に入れるなり、刀子は後退して両手を上げた。
「……なんのつもりじゃ?」
「依頼を達成できたから、これ以上、おまえのような化け物相手にしたくないってだけだ。私の仕事はこれで終いだからな」
 刀子はナイフを折り畳み、それをそのまま衣服にしまった。
「ふむ、久しぶりに会えた好敵手じゃから、もう少し遊びたかったんじゃがのう」
「ここから外に出るまでは送ってやる。だから許せよ」
 刀子は澄から手を引くと、先頭に立ち外に向かって走り出す。
「あれ、瑠奈はどこいったの?」
 瑠奈の戦っていた地点に誰も居らず、舞香は少しだけ心配になる。
「安心しろ。瑠奈って、あのピカピカ光る緑髪のガキだろ? アイツなら多分、外に居る」
 たまたま澄の向こう側にいた瑠奈が外に向かっていったところを見たーーと、刀子は説明した。
「もしかして圧され気味だったの?」
「いや、ぴんぴんしていると思うが……ほら、穴の外がなにやら騒がしい」
「ん、なにかしら?」
 大きく空いた外壁から外へと飛び出た。
 そこには、たしかに瑠奈とマリアの姿があった。
 だが……。
「なに、この状況……」
 舞香は呆れて口を開けてしまう。
 何十人もの警官や職員が、瑠奈たちを中心に集まり包囲していた。だが、なぜか瑠奈やマリアから最低10メートルは距離を空けている。
 その付近には、やってきたらしき数台のパトカーが停まっているのが見える。
 よく見ると、地面に倒れているひとも数人……。
「抵抗はやめなさい。諦めて両手を後ろで組んでうつ伏せになりなさい!」などと、警官たちが瑠奈とマリアに伝えている。
「ちょっとちょっと、なにがあったのよ? 建物内より大騒ぎじゃない!」
『ごめん、なんかさ、マリアが思いの外苦戦してるっていうから手伝いに来て、そんで少し派手にやり過ぎちゃったみたい』
 瑠奈はポリポリ頭を掻くと、『仕方ないか』と言い膝を曲げ、片足を地から浮かせる。
『マリアと澄、あと、そこのおばさんは仲間? とにかく三人は自力で帰れるよね? わたし舞香と沙鳥を連れて逃げるから、あとのことはよろしく!』
「おば……」
「ただでさえ瑠奈に迷惑かけたんだし、逃げるのくらいひとりでやるわ」
「ふむ、それくらいのことなら容易いが」
 三人の返事を確認すると、瑠奈は舞香と沙鳥の手を取りしっかりと握る。
「え、ちょっと瑠奈、なにするつもり?」
「瑠奈さん……?」
 瑠奈は浮かせた片足をさらにもう少し上げて地面に叩き落とす。
 その瞬間、その足と地のあいだに突風が発生し、三人は天高く舞い上がる。
 それは、跳ぶでも飛ぶでもなく、急激に上昇する、言うなれば飛翔であった。
 舞香と沙鳥は突然の出来事に悲鳴を上げて暴れるが、瑠奈は『慣れれば平気』とだけ言い、愛のある我が家へと向かい宙を飛ぶ。
『さ~て、わたしは朱音のこと、探さなくっちゃ』
 急な飛翔に風吹き荒れる中を突き進む飛行は、並のジェットコースターよりも恐ろしく、あまりの怖さに、二人はしばらく口を開けられなかった。



『ごめん、先に行ってて』
「え?」
 瑠奈は、舞香と沙鳥を愛のある我が家の二階通路に下ろす。すると再び空へと翔ぶ。
 今まで姿を消していた者が視界に入り、居場所がわかったからである。
 といっても、愛のある我が家の屋上で、空を見上げる姿が目に入っただけだが……。
 屋上を見下ろせる位置まで浮いたあと、瑠奈はそこに佇む少女の前に舞い降りる。
『同体解除』
 瑠奈がそう宣言すると、瑠奈は元の姿へと戻り、シルフが隣へと現れる。
 そのまま短い詠唱を口にすると共に、シルフの姿も消えた。
「おめでとう。そして、ありがとう」
 わざとらしい拍手をしながら、少女ーー朱音はそう言う。
「いったい何のつもりで沙鳥を連れてったの? どうして今さら現れたの? いろいろ朱音が仕掛けてるんだろうけど、目的はなに?」
「へぇ、そこまでわかってるんなら話は早いよ。ぼーーいやいいか。ボクは二人の世界を救いたかっただけさ」
「……いったい朱音は、何者なの?」
 瑠奈は朱音に問う。
 どうして沙鳥を、わざわざ異能力者保護団体に連れていき、それを救うための手筈を整えたりしたのか。
 偉才の能力で居場所を探せるんだというヒントを与えたり、影で殺し屋二人に依頼をしたり、あえて風香に舞香の隠れ家を教えたりなどをして、こんなにも大きな事を起こしたのか、瑠奈は朱音に問い詰める。
「舞香も沙鳥も、多分疑問に思ってる。答えてよ、朱音」
「細かい事はいいじゃないか。本来ならば君は、もう用済みなんだけど……力を貸してくれたお礼がしたい。君の世界を救うために、微弱ながら力を貸すよ」
 朱音は続ける。
「さぁ、これからの主役は君だ。ボクと皆に問い質して、自分だけの答えを見つけてほしい」 
 朱音はやがて、過去に示唆した言の葉の先を綴りだす。

なぜ宇宙は在るのか?
(Why is there a universe?)
なぜ世界は在るのか?
(Why is there a world?)
なぜ私は在るのか?
(Why is there a me?)



(.18)
 苦しそうに息を吐きながらも、女性は這いずるように部屋の中から出た。
 舞香の居場所を、早く誰かに聞いてもらい、捕らえてほしい。その執念で通路を歩く。
「舞香、あなたの行為、必ず後悔させてあげるからーーェ!?」
 突如、女性ーー風香は声が出せなくなる。
 先程とは比べ物にならないほど、強い力で首が絞められていることに気づく。
 手を伸ばす者は、いつの間にか風香の目の前に現れていた、ひとりの男性。
「悪いが仕事だ。どちらにしろ、ここがおまえの終点だったんだ」
「がっ! あっあっあっ!? ぅぁっ!?」
 握り締めてくるそれは、沙鳥とは比べものにならないほど、殺意のこもっていない殺意の満ちた暴力ーー。
 すぐに、ボキッといった間抜けな音が通路に木霊した。
 男が手を放すと、操り人形の紐を切ったかのように地面に崩れ落ちる。
 呆気なく、風香はその生を終えた。
「恨むなら朱音を恨んでくれ。どうやらあんたは、もう、不要らしい。あんたの価値はもうないらしい」
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