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Ep.5-5《現実からの刺客》

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その日、アーニャは久方ぶりにフロンティアの地に降り立った。
アリーナがある中心部はいつものように賑わっていて、アーニャはそこから逃げるように小走りで狭い小道に入り込んでいく。
フードを深く被り、人通りの少ない道を通って目的の場所を目指す。
極力知り合いとの接触を避けたかった。
しばらく歩くとアリーナがある中心部のやや外れ、小綺麗な洋服屋が立ち並ぶエリアにたどり着く。
その一角にある、おしゃれな雰囲気のカフェに彼女はいた。
アーニャがそちらに近づくと、テラス席に座っていた彼女は金色のショートボブの髪を揺らしてこちらに振り向く。

「あっ、来た来た! あんなちゃ……おっと危ない、アーニャちゃーんこっち!」

一度は死闘を繰り広げ、現実にまで侵食してきた彼女、リリアがこちらに向けて手を振っていた。
その日の彼女の衣装は、フリルのついた黒いミニドレスに黒いブーツ。
どこかアーニャの衣装と似通っているのは狙ったものだろうか。
それにしても、現実世界と仮想世界のアバターではやはり見てくれに違いがあるものの、目つきや仕草、彼女が醸し出す雰囲気は現実世界に現れたリリアと一致する。
その不思議な感覚に、アーニャはまだ慣れずにいた。

丸テーブルの席に一人で座っていた彼女がトントンとテーブルを叩く。
それを見てアーニャは対面の席に座った。

「まずは来てくれてありがと。この間は急に押しかけちゃってごめんね」

そこまで申し訳なく思っていなさそうな声色でリリアが謝罪する。

「それと、私が貸したパンツは返さなくていいからね」

「……うるさいなぁ」

リリアと現実世界で接触した日。
図書館の中でリリアに責められ失禁してしまった杏奈は、そのまま図書館のトイレに連れて行かれて、濡れたショーツをリリアが持っていた替えのショーツと交換してもらった。

(そもそもなんで替えのショーツなんか常備してるの……しかも布が少ないやつ……)

思い出しただけで顔が熱くなっていく。
アーニャはぶんぶんと頭をふって、意識を切り替える。

「い、いいから早く、あなたが言っていた呪いを克服する方法を教えて」

「はいはい、こっちのアーニャちゃんは強気でせっかちで可愛いね」

アーニャが急かすとリリアは懐から何かを取り出し、それをテーブルの中心にぽんと置く。
それは袋に包装された、黄色い色をしたグミだった。

「これは……一時強化系の消費アイテム?」

それはフロンティアマッチでも使われることの多い、体力回復や一時的に能力を向上させる効果を持つアイテムの形状によく似ていた。
世界観に合わせて飲み薬型や注射器型などもあるが、持ち運びやすく飲み込んだ瞬間効果が発揮するグミ型が今のフロンティアでは主流だった。

「正解。このグミはね感覚遮断効果があるんだ」

「感覚遮断…………つまり、これで呪いの効果を……」

「そういうこと。呪いの効果を完全に消すことはできないけど、このグミには本人が感じるはずの痛みや快楽の感覚を十分の一程度まで遮断する効果があるんだって。つまりこのグミを食べて数分の間、アーニャちゃんは服が擦れて気持ちよくなっちゃうこともないってこと」

「そんなこと……いや、でも、レギュレーションの問題が……」

アリーナでのマッチにおいて、事前に能力強化アイテムを使ったまま戦闘に参加することはできない。
そもそも使おうとしても、フロンティアのシステムによって強制的に強化効果が解除されてしまう。

「と、思うじゃん? でもね、これはまだ表の世界にはないベータの世界の代物なんだ。アーニャちゃんの呪いと一緒でベータの効果はそもそも表のレギュレーションでは認識されない。だからこのグミの効果は公式大会でも適用されるはず」

「なるほど……」

「だけど気をつけてね。効果は公式大会に持ち越しできるけど、このグミそのものはアイテム扱いだから公式戦には持ち込めない。それとグミの効果は一個につき3分。効果は重ねがけ可能で最大30分まで」

「アイテムは持ち込めないけど、感覚遮断の効果自体は持ち込める。つまり、そのグミの効果を使って試合に出る場合、必ず30分以内で試合を終わらせなければならない」

「そういうこと。アーニャちゃんが出てる試合のルールだと試合が長引けば30分以上の戦いになることもあるわけだけど……大丈夫そ?」

もしも試合の途中で感覚遮断の効果が切れたら、その瞬間アーニャは呪いに塗れた体での戦闘を余儀なくされる。

「それ、いくら?」

「え……」

「そのグミ、いくらで譲ってくれるの?」

リリアは疑り深いアーニャのことだからもっと警戒してくることを想定していた。
食い気味に興味を持ってくるアーニャに、少したじろぐ。

「ふふっ、アーニャちゃんは本当にあの場所が好きなんだなぁ…………よし、じゃあ初回は特別価格! このグミ10個セットを無料で譲ってあげよう!」

アーニャの瞳が、疑念と期待の色に染まる。

「初回、は……?」

「そう、初回だけはサービス。次回以降はそうだなぁ……私の言うこと聞いてくれたら、その度にグミ譲ってあげる。どうかな?」

アーニャは目をつむったまま考え込み、しばらくすると意を決したのかゆっくりと目を見開く。

「次回以降の契約更新があるかどうかは分からないけど…………とりあえず、そのグミ10個セット。買った」

「ふふっ、毎度~」

商談成立。
何かしらリリアが良からぬことを考えていることを理解した上で、アーニャはその怪しげなグミを受け取った。
アーニャの憧れる人と、仲間がいるあの舞台でもう一度戦いたい。
その気持ちをこれ以上押し殺すことはできなかった。


 ***


「アーニャちゃん、一人そっち行った!」

「分かった、私が止める」

フロンティアマッチ、チーム制フラッグ争奪戦。
フロンティア内で人気のあるルールの一つで、複数人対複数人で互いに的陣地内にあるフラッグを奪い合う。
自陣にある5つのフラッグを全て奪われた瞬間試合終了。
実力差があると一瞬で試合が終了してしまうルールだが、両チームの実力が拮抗すると試合は想定以上に長引くこともある。

廃墟と化した市街地をモデルにしたステージの中でプレイヤー達が駆け巡る。
そのプレイヤーの中の一人であるアーニャの視界に、ビルの屋上を移動していく人影が映った。
迷彩服を着た男、つまり敵だ。
大型の武器を持っている様子はないため、遠距離からの攻撃を警戒する必要はなさそうだ。
そうと分ればアーニャは現実とは比べ物にならない脚力で、立ち並ぶビルの屋上を跳躍し敵を追いかける。
男はアーニャ陣営のフラッグがある方向へと、真っ直ぐに進んでいた。

(分かりやすい……)

だがアーニャは知っている。
大胆な行動が取れるのは、自信の現れ。
アーニャの前方に見える貯水タンク、その向こうから何者かの気配を感じた。

(待ち伏せか……)

おそらくはアーニャが貯水タンクの横を通り過ぎようとしたときに、二人で同時に襲いかかるという手はずだろう。
そしてアーニャのその予測は当たる。
貯水タンクの向こうから銃身が見えたその瞬間、アーニャはハンドガンを構え、発砲する。
カンと甲高い音が鳴り、銃弾は敵が持つアサルトライフルに命中。
鉄の塊が屋上から地面に落ちていく。

「うそっ!?」

貯水タンクの向こうから聞こえる女性の声。
まさか銃身を狙われるとは思わなかったのだろう。
そして女が武器を失い狼狽している一瞬の間に、アーニャは女の目前に迫る。

「失礼」

「あがっ!?」

貯水タンクの影に潜んでいた迷彩服を着た女性の顎に、持っていたハンドガンで殴打の一撃を与える。
残念ながらさっきの一発で残弾数はゼロだった。
できれば女が持っていたアサルトライフルを回収したかったが、屋上から落下してしまったのは痛い。
それにまだ、敵は残っている。

「くそッ、気づかれたか! 作戦変更だッ!」

前方を走っていた男が、一気にアーニャに接近しナイフを振り下ろす。

「ぐぅ……っ!」

ガンッと響く金属音。
どうやら男の武器はナイフ一本のみ。
そのナイフの一振りをアーニャはハンドガンで受け止めた後、男の手首を捻り上げる。

「ぐっ、くそっ!」

取っ組み合いの状態のまま男はナイフを落とし、アーニャはそれを蹴り飛ばす。
柵のない屋上から、ナイフが地面へと転がり落ちていく。
結果的に互いに武器を失った状態となってしまったが、アーニャに焦りはない。

(大丈夫、これでいい)

今のアーニャの役割は自陣の防衛。
敵を倒すために攻めた行動を取るよりも、一秒でも的確に敵を足止めする選択をすべきだ。
何より今ここでアーニャ一人で二人の足止めができているのは大きい。
その間に、他のギルドメンバーが敵陣のフラッグを奪おうと動き回ってくれているはずだ。

「くっ、よくも……っ!」

男との取っ組み合いの最中、背後からやってきた女にアーニャの体が羽交い締めにされる。

「――くッ!」

「ナイス! 武器がないなら拳でボコボコにしてやるよ!」

体を押さえられ、防御手段を失ったアーニャの腹部にドスン、と強い衝撃が走る。

「がはッ!」

強い衝撃で一瞬、呼吸ができなくなる。
続けて顔に一撃。

「ぐッ!」

視界がぐらんぐらんと揺れる。
続けて胸、横っ腹、脇、と続けざまに男はアーニャの体に拳をめり込ませる。
幾度も体に強い衝撃が走り、アーニャの体がぐらぐらと揺れる。

(大丈夫、この程度なら……)

だが不思議と苦痛の感覚は薄かった。
感覚遮断の効果によるものか、あるいはベータアリーナの無規制な感覚フィードバックに慣れすぎたせいなのか、思ったよりも痛みを感じなかった。

「くっ、こいついつになったら死ぬんだよ!」

男の表情に焦りが見える。

(この世界では武器を介さない打撃攻撃はダメージ判定がかなり低く設定されてある。まさかレオに教わった知識がここで生きるなんてね)

皮肉にも、レオが娯楽として悪用しているシステムをアーニャは今戦いの中で実用していた。

「抵抗の意志がない……時間稼ぎのつもり? だったらこうよ!」

アーニャを羽交い締めにしていた女性が体勢を変え、今度はアーニャの首を締め始める。

「ンッ、ぐぅ……ッ!?」

「どうやら効いてるみたいだな、ほら、酸素全部吐き出せよ!」

続いて男がアーニャの胸に掌底を繰り出す。
肺を押し潰すかのような重い一撃。

「かッ……あはッ!?」

(これは……まずい、かも……)

またしても初めてレオと戦闘したときのことを思い出す。
窒息による苦痛のフィードバックは、他の痛みと違って規制されていないというシステムの穴。
アーニャはまるで溺れているかのように足をバタバタ動かし、空気を求めて必死にもがく。

(意識、飛ぶ……)

そう思った直後、ステージ全体にアナウンスが鳴り響く。

「試合終了~~! チームトリックオアトリップが5つのフラッグを奪取しました~~!」

荒廃とした世界に響く、世界観に似合わない明るいアナウンス。
自分たちの敗北を悟った二人は同時に舌打ちをする。
そのまま二人は同時に腕輪端末を操作し、しばらくするとその体は光の粒子になって消えた。

「けほッ、んッ、はぁ……あぁ……っ」

アーニャだけがそこに残され、咳き込みながらその場に崩れ落ちる。
乱れた呼吸を落ち着かせた後、アーニャも腕輪端末からロビーへの帰還コマンドを選択した。

暗転する視界。
数秒後、ロビーへの転送が終わるとギルドの皆が待ち迎えていた。

「アーニャちゃーん! 大丈夫? あいつら酷いよね女の子の体を素手であんな……っ、私が文句言っておくから!」

ルリは補欠のため、ロビーのディスプレイからずっと試合の状況を観戦していたのだろう。
アーニャが最後に相対したあの二人組のプレイが心底気に食わないようだった。

「大丈夫だよ、そもそもこれってナイフで刺し合ったり銃で打ち合ったりする暴力的なゲームなんだから。これくらいなんともないよ」

「そ、そう? アーニャちゃんがそう言うならいいんだけど……」

アーニャはなんともないように振る舞うが、ルリはどこか心配そうにアーニャを見つめていた。
しばらくの間、ろくに説明もせずに連絡を取らない状況が続いたためだろう。
心配されても無理はない。

「ナイスプレイ、アーニャ。このあと祝勝会と称して打ち上げする予定だけど、アーニャも来る?」

後ろから近づいてきたエイミーがアーニャの肩をポンと叩く。

「はい! ……あっ」

エイミーに褒められて意気揚々に返事をしたアーニャだったが、そこであることを思い出し、ハッとする。

(あれ、今……時間……)

勝利の余韻で忘れていた。
自分の中にある制限時間のことを。
腕輪端末を見て時間を確認すると、またたく間にアーニャの顔色が悪くなっていく。

「す、すいません! ちょっと先に行っててください!」

「え、ああ、何か用事だったら……」

「すぐ戻ります!!」

深く頭を下げながらそう告げ、アーニャはエイミー達に背を向けてどこかへと駆け出した。
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