恋と堕天とロマンティック

桜楽

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2章

悪魔とケッコン。

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「あーあ、ヒドイ眼にあったぜ」

 そういって、今魔界で話題のラス・アル・ムタラート氏は、天使らしからぬ乱暴な所作でソファにどっかと腰を下ろした。
 その髪は、よく晴れた空に浸けて染めあげたような空の色。
 眼の色はそれよりも深い。
 鮮やかな眼を惹く髪は、腰を越すほどの長さまで伸ばされている。
 身に纏うのはまるで宗教画から抜けだしてきたかのような白い服。天使特有の、布を無造作に巻きつけただけのようなその格好は、清楚であると同時にひどく無防備であり、見るものによっては不埒な想像を誘ってやまないだろう。今のようにだらしなくソファに寝そべると、ひらひらした布のような服の隙間から瑞々しい太腿がむき出しになる。
 ラスは一見するとボーイッシュな雰囲気を醸し出す美少女だが、気取らないしぐさや言動から中世的な魅力を醸しており、また大人になる一歩前の絶世の美少年のようにも見える。そもそも、性別など天使にとっては些末なことだ。
 そもそも天使や悪魔はヒトと違い、性交による繁殖を必要としない。そのうえ天使には性欲そのものが欠如しているので、性別の区別が曖昧ともいえる。

 ラスが魔界から帰ってきたのは天界にある自分の執務室。他者からは火天使長府と呼ばれる場所だ。
 栄えある火天使長殿の仕事場は全体的に白で統一されているが、そこここに服や武器などが散乱しており、どことなく雑然とした印象を与える。雑然、というよりは大雑把、といった方がしっくりするかもしれない。そしてそれはそのまま部屋の持ち主の気質を反映しているといって、まず間違いない。

「だらしないッスよ、火天使長」
 そういってひょい、と顔を覗かせたのは金髪の女天使だった。
 陽光を反射して輝く明るい金の髪。それは満月のような冷たくも美しい色彩。そして月が空に現れだす頃の夜空によく似た、群青の眸。
『いかにも天使』といった金髪碧眼の容姿を持つ天使だが、『いかにも天使』といったひらひらした格好のラスとは異なり、かっちりとした濃紺の軍服を着こなしている。どちらかといえば魔界の軍人に近い服装だ。それがすらりとした肢体を包み、まるでモデルのように完璧なスタイルを魅力的に演出している。男勝りな女性体の天使だ。
「うっさい。これくらい赦せよ、イザル。俺大変だったんだからな!」
 イザルと呼ばれた天使は、手に持っていた書類をガラスのテーブルにおろしながらため息を吐く。
 イザルは正式な天界軍に所属しているわけではなく、ラスが個人的に雇っている傭兵集団の連隊長である。本来、火天使長であるラスには正規軍から副官がつくのだが、あれこれ付き纏われるのを嫌ったラスはそれを択んでいない。代わりに、本来戦闘時以外は正規軍とは関わらない筈のイザルが、副官のような仕事をやっているのだ。地位や身分は違えど、生来のやんちゃな性格が幸いしてか、気が合うらしい。
「大変って・・・・また勝手に下層に下りて、気紛れで魔族に喧嘩ふっかけて、うっかり問題起こしてきたとかでしょ?」
「下層に視察しに行って、売られた喧嘩を買って、ちょこっと手合わせしてきただけだ!」
 事実を正確に指摘されて、ラスは大声をあげて弁解した。それでは飽き足らず、まるで子供のように頬を膨らませている。ちなみにラスは、見た目は十代の少年少女と相違ないが、これでも二千年の時を生きている身である。
「そーゆうの駄目なんスよ、ホントは。軍法会議モノじゃないすか」
「お前が黙ってればバレねーよ」
「俺が黙ってても、バレてますよ。風天使長とか、そのヤリ手の副官サンとか」
「あああ・・・それは怖い。特にヤリ手の副官が・・・」
 風天使長の副官は品行方正を絵に描いたような天使で、規則や法律に滅法厳しい。ラスが魔界の領地に赴いて問題を起こしてきたなどとバレたら、お説教ではすまないだろう。
 思わず身震いしたラスは、ソファから身体を起こして、膝を抱え込んだ。

「・・・・それにしても、アイツ・・・・」
「吃驚スよね、火天使長が喧嘩で負けるなんて」
「負けてない! 紙一重で負けてないっ!」
 紙一重どころかダンボール十枚分くらいの余裕を持って負けていたような気もするのだが、そこは敢えて触れないでおく。
「いくら魔界では天使の力は制限されるといっても、四大天使きってのバリバリ武闘派の火天使長を相手にスゴイッスね。そいつ」
「野郎・・・・何処のどいつだ・・・・」
 ラスにもう少し集中力と観察眼が備わっていれば、彼が着ているのが魔界軍でも高官のみが着用を赦される軍服である事や、更にその階級章が魔界で三人しか身に付けることを赦されていない元帥のものであることに気付けたであろう。
 だが、天界軍を率いるこの大天使サマのお粗末な頭は、まったくそれらの事実に気付いていない。
 膝を抱えていると、脳裏に蘇ってくるのは先刻の光景。
 自分の技があんな風にかわされたのも、背後を取られたのも初めての経験だった。それだけなく、あんなことまで――――――
「っ・・・・・・」
 そこまで思い出して、頬が燃えるように熱くなる。
 あの男――――――あの無礼な男は。

 ラスに惚れた、といったのだ。
 天使としてでも、火天使長としてでもなく、ラス自身が欲しいと。
 ――――――なんという無礼な――――――しかし、何処か心地いい言葉。
 博愛主義を基本とする天使は、恋の何たるかすら知らない者も多い。ラスもそんな初心な天使のひとりであった。
 しかしそんなふわふわとした感情を上塗りして、思い出されてくる屈辱感。
「・・・・振り解けなかった・・・・」
 背後から抱きしめられたとき、ラスは全力で振り払おうとしていた。にも関わらず、万力で掴まれたかの如くびくとも動かなかったのだ。これではまるであの男の方が強いみたいだ。
「・・・・そんなのありえねー」
 ラスは再び、子供のように頬を膨らませる。天使長としての威厳も何もあったものではない。
「ひょっとして、名の有る軍人じゃないですか? 火天使長、逢ったことないんですか」
 その質問に対して、ラスは声を張ってきっぱりと答えた。
「ない!」
「へえ・・・そースか。そんなすげえ軍人だったら、戦場とかで会ってそうですけどね」



 一方、魔界府。
「・・・しかし、本当に会った事なかったんですか? 相手、四天使長ですよ?」
 引き続き火天使長のプロフィールの詳細を調べながら、呆れたようにカウスが呟く。
 魔界と天界は恒常的な対立関係にあるが、絶え間なく戦ばかりをしているわけではない。幾度となくぬるま湯のような平和協定が結ばれており、それに基づいて年に一度は天界・魔界の上層部は会合を開いている。天魔会議と呼ばれるその会合には、天界からは地水火風の四大元素それぞれ司る四大天使、魔界からは闇氷毒の属性を司るといわれる三大悪魔と、光の属性を持つ魔界の皇子が参加することになっている。
 ディオが統括軍部長という職に就いている三大悪魔の一人であり、彼が恋した相手が四大天使の冠を戴く火天使長であることを考えると、当然そこで彼らは巡りあっていてしかるべきのはずだ。
 しかし。

「会っていないな・・・・何故だ」
 ディスプレイに映るいとしの君を懸命に眺めながら、不思議そうにディオが呟く。それに対して、フェルカドが苦笑気味に言う。
「それはディオ君のせいじゃないよ。ラス君は毎回会議サボっとったもん。多分、火天使長に就いてから一回もでてへんわ」
「・・・随分とフリーダムなカンジなんですねえ、天魔会議って」
 大事な会議っぽい名前なのに、とカウスが呆れる。
「四大天使に命令できる者なんて、この世にもあの世にもカミサマしかおらんで? またカミサマはかわいい子に甘いからなあ」
「・・・・顔で四大天使、択んでるわけじゃないですよね?」
「疑わしいわあ」
 確かに現在の四大天使は、タイプは違えど全員美形揃いだった気がする。
「・・・それにしたって、相手は火天使長ですよ。戦場で遭っていてもおかしくないと思うんですけどね」
 火天使長は武官だ。それも天界軍の頂点に君臨する最高指揮官である。
 そしてディオは魔界軍を束ねる統括軍部長。
 天界軍のトップと魔界軍のトップ同士、戦場の何処かでドラマチックにまみえていても少しもおかしくないのだが――――――現実は。

 感動的なまでにすれ違い続けていたらしい。
「・・・あの子が天使長の座に就いておよそ500年間、よくもまあすれ違いにすれ違いまくったもんやなあ・・・ある意味凄いわ」
「何てことだ、つまりは俺は500年前からラスに会うチャンスをフイにしていたというわけですか。500年無駄に息をしていた」
「強烈な運の悪さですねえ」
 感心したように呟いたカウスの声が聞こえているのかいないのか、ハッとしたような顔になると、
「いや違うな、俺は生まれてから今日に至るまで、ラスに逢える筈の時間を逢わずに過ごしてしまったのだから、2000年間無駄に生きていた。どうしよう、すごく人生もったいない。ちょっと泣きそうだ」
「雑兵A同士じゃ出会う機会ないやろ・・・ていうかもう名前呼び捨て!? 勝手に!? 本人の了承も得ず!?」
「統括軍部長、あんまり最初からなれなれしいと嫌われますよー」
 暢気な会話が続いているが、現実はそこまで緩い状況ではない。敢えて本題に入らないようにしているだけだ。
 だがそうもいっていられない。

 それを理解した上でフェルカドが――――――重々しく言葉を次いだ。
「ていうか、コレまずいんやないの?」
「うーん、まずいかもですねえ」
「何がですか? というかこの画像プリントアウトしてくれませんか」
「うん、後にしてねディオ君」
 本人はまったく自覚していないようだが、相当まずい状況に相違ない。
 四大天使の一人と、三大悪魔の一人。
 ――――――いわばロミオとジュリエット状態だ。
「あ、でも別にあっちは統括軍部長のこと好きじゃないんですよね? じゃあフェルカド様と一緒じゃないですか。なら問題ないんじゃないですか?」
「ボクと一緒ってどういうことなん!?」
「ようするに単なる片思いですよね? だったら放っておいても問題ないんじゃないですか。そう会う機会もないでしょうし。一方的に嫌がる相手のケツおっかけてるだけでしょ?」
「うん、カウスくん! ボク国務庁官! 三大悪魔の一人!」
「一応存じておりますが」
「一応!?」
「とりあえずラスが欲しいので、連れて来ていいですか」



 一瞬の沈黙。
 空気も話の流れも無視して、当たり前のようにサラリと放たれたあまりに恐ろしい台詞。
 その問いを二人そろって――――――恐る恐る聞き返す。
「―――――――――統括軍部長、それは?」
「・・・・え? ごめんディオ君、もう一回いって?」
「だから、ラスを魔界につれてこようと思います」


 再びの沈黙。
「・・・・・・・勝手にそんなことしたら、駄目えええええええ!」
 フェルカドの絶叫にディオはきょとん、とした顔だ。
「何でですか。好きなんです。ほしいんです」
 ハッキリとした主張と、意志の強いまなざし。
「でも駄目えええええええ! それ戦争になるから! ハルマゲドン起きちゃうから!」
「戦争とか、国とか、恋の前ではくだらないって言ってたのフェルカド様ですよね?」
「そうはいうたけど! それ冗談だから! 兎に角ダメええええええええ!」
「・・・恋愛経験ゼロって恐ろしいですねえ」
 感服したようにカウスが呟く。
 だがそんな理由で見過ごせるものでは到底ない。魔界の統括軍部長が、火天使長を魔界に攫ったりしたら、間違いなく戦争である。
「どうしましょう?」
 この場でただ一人軍人ではない情報屋は、そんな深刻な事態を前にして、特にうろたえるわけでもなく、興味深そうな含み笑いをしながら問いかけてくる。
「笑い事じゃないって、まったく・・・・」
 フェルカドは心底疲れたようなため息を吐くと、
「仕方ないから、サディルはんに相談しよ」
 ――――――他人に判断を押し付ける事にした。




 ――――――そして待つこと数時間。
「ようやっと来たわ! 遅いでサディルはん」
「・・・一体何事だ。騒々しい」
「騒々しいて・・・重役出勤で執務室にきといてそれはないんやない?」
 苦笑交じりのフェルカドの台詞など何処吹く風。時計の針がそろそろおやつの時間に届こうかという時間に悠然と現れた男は、辺りを見回すとこう呟いた。
「・・・・お茶の準備がないな。誰か紅茶を」
「自分で淹れんかい!」
「すまんが淹れた事がない。お茶は淹れるものではなく飲むものだ」
 絹のようなしっとりとした黒髪を肩まで伸ばして、さりげなく皮のリボンで纏めてある。軍服の着こなしもすっきりとして何処か洗練されている。端正を絵に描いたような顔立ちは、世の女性を虜にしてやまない。
 更に彼女たちを惹き付けるのは、彼が魔界きっての大貴族であるフォーマルハウト家の嫡男であるという点だろう。その総資産は魔界の国家予算にも匹敵すると噂されるほどで、政治・軍事への影響力も無視できるものではない。
 サディル・フォーマルハウト。
 彼は軍事行政上の責任者である軍務庁官の職にあり、ディオやフェルカドと同じ三大悪魔の一人でもある。
 元来彼は働かなくても一生遊んで暮らせる身分なのだが、その身を敢えて危険に晒して国家人民の為に身を粉にして働いている――――――わけではなく、折角の人生(悪魔生?)を充実させる趣味のひとつとして軍人をやっていると、貴人であり奇人である。
 そんな遊楽貴族の命令に応じて、まだ執務室に残ってフェルカドの愚痴につきあっていたカウスが、気を利かせて紅茶を淹れてきた。
「気が聞くなアウストラリス。実はお前に淹れて欲しいと、密かに願っていた。お前が一番淹れるのが上手いからな」
「お褒めに預かり光栄の至りですよ」
「それより、大問題やで! サディルはん」
 フェルカドはディオを説得してもらうためにサディルを待っていたのだ。
 サディルは長年ディオの直接の上司だった為、フェルカドから説き伏せるよりは効果的だろうと踏んでのことだ。

 だがしかし。
 カウスの淹れたおいしい紅茶を飲みながら、フェルカドからディオのはた迷惑な初恋の話を聞いていたサディルは――――――事も無げにこういった。

「攫ってくればいいではないか」
「何いうとんの!?」
 顔色ひとつ変えずに問題発言をしてみせた軍事の最高責任者は、紅茶をスプーンでかき回しながらやはりサラリと続ける。
「仕方ないじゃないか、それしか方法がないのなら」
「いやいやいや!? そこはやっぱちゃんと正式な手順を踏んでお付き合いをなあ・・・・」
「そんなことをやっていたら千年かかっても落せんぞ。お前や私のようにな」
「う・・・・」
 どうやら身に覚えがあるらしく、いつもは姦しい国務尚書も珍しく口をつぐむ。彼もまた、天使に恋する一人である。
「まあ聞け」
 そういって、魔界でも屈指の名家の主は優雅に紅茶を啜る。
「これは、いい機会かもしれんぞ」
「いい機会って・・・戦争の?」
「バカめ。和平のだ」
 心底馬鹿にしたようなサディルのため息に、フェルカドは口を尖らせる。
「ディオ君はとにかくラスちゃんは酒場の件、きっと怒ってるで。和平なんて、結べるはずないやないの」
「何、火天使長の意思など関係ない。堂々と行って攫って来い。ついでに犯してしまえ。それで堕天させてしまえばいい口実になる」
「この人、何恐ろしいこといってんの!?」

 天使は繊細な生き物だ。
 長く魔界の気に触れたり、魔界の食べ物を多く摂取したりすれば、その純粋な身体は穢れてしまう。悪魔に陵辱されるなどもっての他だ。そして一度堕天してしまえば二度と天界には戻れない。
「ああ、でもそれは案外いいかもしれませんよ、フェルカド様」
 サディルの為に紅茶のお代わりを用意していたカウスが、愉快そうに笑う。
「既成事実を作ってしまえば、天界も交際を認めざるをえないでしょうし。堕天させてしまえばもう天界には戻せないですし」
「その通りだ、アウストラリス。お前はグリームニルより余程聡いな。首尾よく堕天させて――――――交際どころか、結婚してしまえばいい」
「いきなり結婚て・・・ちょっとがっつきすぎやない? やっぱ最初は交換日記とかから」
「バカめ。貴様は永遠に交換日記をしていろ」
「サディルはんひどい!」
「返事来ないから1ページ目で終わりますねー」
「カウス君はもっとひどい!」
「そうだな、不可能なことをいってすまなかった。――――――いいか、これは個人の結婚の話ではない。魔界の元帥と、天界の四天使長の結婚なんだぞ」
「――――――・・・あ、」
 漸く合点がいった、とばかりにフェルカドが眼を見開く。
「要するに――――――政略結婚だ」



「魔界と天界が不毛な争いを続けて既に二千年になる――――――もう人界は完全に我々の手を離れて、独立独歩の道を歩んでいるというのにな」
 本来、人界が自治を獲得した時点で魔界と天界の戦争は終わるはずだった。
 ――――――終わるべきだったのだ。
 最早戦う理由はなく。
 最早戦う意味は無い。
 しかし、双方は剣を引かず――――――未だに泥沼と化したと争いは続いている。
「もういい加減、こんな無駄な争いは止めるべきだ――――――そう思っている者は大勢いるだろう。こんなものは、惰性で続いているだけの因縁だ。我々が天使と戦う理由も、殺す理由も最早ない。だが、お互い数億年にも渡った因果関係を断ち切れずにいるのだ。そこで――――――お互いが歩み寄るための政略結婚だ。もし、ディオスクロイと火天使長が結婚すれば、魔界と天界の和平へのいいきっかけになるだろう」
 サディルの意見を聞いて、フェルカドもふむ、と唸る。
「うーん・・・無茶苦茶言うと思ってたけど、意外にいい話かもしれへんなあ・・・」

 天界の火天使長と魔界の統括軍部長の婚約。
 それは魔界と天界が和平を結ぶ絶好の口実となる。しかも現在の情勢は魔界の方が優勢だ。今、和平を結ぶならば、魔界にとって有利な条件で成立させる事が出来るだろう。
 そしてその結婚は間違いなく天界と魔界が和解し、歩み寄るための大きな一歩と成るだろう。
「残念ながらお前や私の狙っている天使では、地位が低すぎて政略結婚とは呼べないからな。火天使長とはいい獲物だ。魔界と天界の平和の為に、穢れてもらおう」
「ええよ、別にー。ボクは政略結婚じゃなくてえ、恋・愛・結・婚★ する予定やし」

「・・・・国務庁官・・・」
「グルームニル・・・・」
「フェルカド様・・・・・」


「「「叶わない夢は見ないほうが」」」


 三人分の、哀れみを込めた言葉が一斉にフェルカドへと注がれる。
「何なの!? 三人キレイに声揃えて!?」
 フェルカドの見果てぬ夢をキレイにスルーし、サディルは優雅に紅茶を啜ると、
「まあやるなら早くやってしまえ。全力で犯罪をバックアップしてやろう」
「やだなあサディル様、犯罪とか堂々と宣言しちゃ駄目ですよ。ここは建前としては魔界と天界の平和への架け橋の為にー、とかいっておかないと」
「そうか。それでは建前として、魔界と天界の平和の為に全力で犯罪をバックアップするとしよう」
「サディル様―、本音がダダモレですよー」
 サディルの言葉に、既にフェルカドの話から完全に意識を切り離し、ディスプレイに映ったままのラスの姿(後でプリントしてもらう予定)を凝視していたディオが口を開く。視線は立体映像から眼を離さないままで。

「じゃあラスを攫ってきていいですか」
「うん、いいぞ」
「いやいいぞ、って! ちょっと煙草吸ってきていいですか、うんいいよ★みたいなノリで!?」
 フェルカドの至極真っ当なツッコミをスルーし、カウスはラスの映像を消さないように別ウインドウを開くと、データバンクから天界の地図を探す。
「攫ってくるといっても、火天使長が何処にいるかある程度調べてみた方がいいんじゃないですか? 天界広いですよ」
「いや、大丈夫だ」
 そこで初めてディスプレイから目を離し、ディオは不敵に笑う。
「しるしを、つけておいたからな」
「・・・・・酒場で最初に出逢ったときにですか」
「ああ」

 要するに、最初から逃がすつもりなどなかったということだ。
 初めての恋にすっかり舞い上がって我を失っているのかと思えば――――――未だ自分のものでもない相手に目印をつけておく周到さに、心の中で感嘆する。
「あいつの居場所は何処にいても俺にはわかります。それが天界であっても同じことです」
 そういうと、腰に帯びていた長刀をしゅるりと抜いた。
「やれやれ。止めてもどーせ誘拐してくるんでしょ?」
「はい」
「いい返事しすぎや! ・・・・まあ仕方ないから協力したげるわ。まあ、天界と魔界が平和になったら、ボクも今よりいとしのあの子と会えるようになるしなあ」
「貴様の場合、逢う頻度があがったら余計嫌われるんじゃないのか。自重するがよい」
「冷たいなぁ軍務庁官さんは・・・まあええわ。どうやって天界とのゲート開こうか? 誘拐犯が正々堂々正面からいったらまずいんじゃないの?」
 絶賛冷戦中の天界と魔界の間を繋ぐゲートは、常に厳重に管理されているのだ。ましてや魔界の元帥が、何の用もなく訪れるわけにもいかないだろう。
「その心配もありません」
 ディオは淡々とした態度のまま、先ほど抜いた刀を自らの二の腕にあてると、そのまますうっと一文字に切り裂いた。その傷口から、見る間に真紅の血の珠が浮き上がり、流れを作り、滴り落ちていく。その血を銀色の刃に吸わせると、ディオは刀を使って空に円を描いた。

「正々堂々、正面からブチ破りますから」

「・・・・空間を無理矢理ブチ抜いて、ここと天界を繋げる気ですか?」
 驚いたようにカウスが眼を見開く。――――――が。
 それくらい、ディオスクロイ・ヘルテイトにとっては造作もない。普段は怒られるからあまりやらないだけだ。空間や時間に絡む魔術は、セカイを歪ませるので基本的に禁じられている。
「空間ブチ抜いてる時点で裏口入学やと思うけど・・・・」
「裏口どころか、壁壊してそこから侵入するコソドロみたいなモンですけどね」
「いやあ、コソドロていうか強盗やないの? 少しもコソッとしてないもん・・・」
 ディオの宣言にひそひそと背後で突っ込みをいれるフェルカドとカウスだったが、恋する暴走悪魔には無論そんな意見は届かない。
 教本と睨めっこをしながらでも舌を噛みそうな呪文を、空ですらすらと詠唱していく。頭は既に天界へと飛翔させた状態で、うっとりと呟いた。
「――――――今、迎えに行く」



 同時刻、天界。火天使長府。
 そんなことを露とも知らないラスとイザルは、陽だまりのように平和な時を過ごしていた。
「じゃあ俺帰りますけど、ちゃんとこの書類に目を通して、ハンコ押しといてくださいよ?」
「ええー! その前に魔界四丁目にあるっていう噂のクリスピードーナツ買ってきてー!」
「仮にも天使を魔界におつかいに出す気ですか?」
「冗談だよー。でも暇だからもう少し遊んでけよー」
「いや、仕事中スから・・・」
「今! お前を雇ってんのは俺だぞー! 心配すんな、ちゃんと遊んでる時間の分も給料払うから」
「いや、そういう問題じゃ・・・・」
「――――――!」
 ――――――そんな、暢気な会話を交わしていた最中。


 ――――――突然。
 空間が軋んだ。



「――――――何だ、今の」
 敵意、とも殺意とも違う。
 だが、招かれざる客がココへ侵入しようとしている――――――それだけははっきりと判る。
 先ほどまでだるそうに片付けをしていたイザルの纏う空気が瞬時に軍人のそれへと変わる。腰にさした刀に手をかけ、視線は油断なく出入り口の扉へと注がれている。
 火天使長府の最奥にある執務室には扉がひとつしかない。本当は机の下に緊急用の脱出路があるのだが、それはこの部屋の主であるラスと、その護衛であるイザルしか知らないはずだ。だがデスクの横の壁は一面ガラス戸になっており、その気になればそこを破って部屋に侵入することも可能だろう。
 それらに隈なく眼を配らせ、呼吸を整える。いつ何処から、何が起きても対処できるように――――――自分の今の主である火天使長を護れるように。
 しかし、侵入者は予想もしない場所から現れた。
 突然――――――空間が歪んだ。
 そこだけが圧縮された蜃気楼のようにゆらりと蠢き、その向こう側には冥い摩天楼が浮かんでいる。そこには天界ではない世界が垣間見えていた。
「――――――・・・・魔界?」
 その空間から流れてくる風に、天界とは異なる空気を感じて、思わずその空間を覗きこもうとしたイザルを、珍しく緊迫した声でラスが引き戻した。
「離れろイザルっ! 空間転移魔法だ!」
「空間転移・・・!? ここは天界の結界の中スよ?」
 イザルが驚いたのも無理はない。天界には悪魔を拒む結界が張られている。中でもここは大天使が多く住まう、天界の中心部だ。そんなところに侵入できる悪魔など―――――

「・・・流石に天宮の中はガードが固いな」
 耳朶を打つ耳慣れない声に、イザルの混乱する思考は一瞬にして凍りつく。
 その歪んだ空間から――――――人の形が現れた。
 そのヒトガタから、声はする。やがて度の合わないレンズ越しのようにぼやけて見えていたヒトガタは、鮮明な輪郭を取り戻し――――――その姿を露わにした。
 漆黒の闇から浮き出したような鴉色の軍服。それは闇より出でた、魔を生きる世界を統べる象徴。その軍服よりなお艶やかな流れる黒髪と、翠玉を嵌め込んだような深く鮮やかな緑の眸。完璧すぎる人形のような美しい顔の――――――男。
「――――――お前は」
 驚いたようなラスの声。
 その幻想的な光景に、思わず状況も忘れて見入ってしまっていたイザルは、主の声に漸く我に返る。
「火天使長――――――知り合いですか」
 コクリ、と仕草だけでイエスの意を示すと、男から視線は外さぬままで呟いた。
「こいつがさっき言ってた――――――魔界でやりあった奴だ」
「――――――!」

 四天使長であるラスが敵わなかったという悪魔。
 強固な天界の結界を破り、天使長府に侵入するという時点でその力量は底知れない――――――しかも。
 先ほど迂闊にもラスが見逃していた、最悪の事実にイザルは気づいていた。
 男の軍服に下げられた階級章――――――双頭の鷲に五つの星は、元帥のみに着用を許されたものだ。そして現在、魔界に元帥の位を持つ者は三人しかいない。

 この男は、魔界の三大悪魔の一人だ。

 ――――――どうりで、火天使長が苦戦するわけだ・・・!
 歯噛みしながらも、即座に剣を鞘から抜き放つ。
 三大悪魔の一人がこんな強引な手段をとってまでラスを追ってくるとは、ラスは魔界で何か重大な問題を起こしてきたのかもしれない。そんな不安が脳裏を掠めたが――――――それをイザルは己の思考から削ぎ落とした。
 だとしても、自分の使命は主を護ることだけだ。
 そんな殺伐とした空気をものともせずに、黒服の男は辺りを見回すと、つとラスに眼を止めた。すると、嬉しそうに笑って――――――ととっ、とラスの元に寄って来た。

「見つけた。俺の妻」
「誰が妻だああ!?」

 思わず大声で叫んだラスを、庇うように立っていたイザルが眼を丸くして主を振り返る。
「火天使長っ、アンタ魔界で不純異性交遊を!?」
「違う! コイツなんて逢った事もねえよ!」
「それは嘘でしょうっ!? だってアンタ魔界でこの人と一線交えたって・・・あああああ、一線交えるってそういうことスか!?」
「違えーよ! 何お前のその天使にあるまじき発想!?」
「そうだ、まだ一線超えてない。指しか」
 悪魔の挟んだ余計な口に、イザルはキョトンとして首を傾げる。
「・・・指ってなんですか?」
「いや、俺もよくわかんねえんだけど、こいつが」
 穢れを知らない純粋な天使の知識に対して加えられようとしていた、ラスのしなくていい説明は、唐突に打ち切られた。緊張感のない会話の中を無言で歩み寄ってきた黒服の男――――――ディオが、ラスの意識を奪ったからだ。
 ディオは音もなくラスに近づくと、彫師が丹精込めて創り上げた大理石の彫刻のような指先で、ラスの首筋をそっと押さえた――――――たったそれだけの所作で。
 天界を統べる四天王の一人である、火天使長の意識は簡単に奪われてしまった。

「貴様っ・・・何を」
 咄嗟に駆け出そうとしたイザルに、ディオは氷のような視線を送る。
「動くな。主の首をへし折られたいか」
「、ッ・・・・・」
 無防備に曝されたラスの首筋を、ディオの手のひらが押さえている。イザルが下手に逆らえば、意識のない主の首は赤子のようにへし折られてしまうだろう。

(――――――いくらなんでも、火天使長がこんなあっさり・・・)
 相手がいくら強いとはいっても、ここは天界。天界の結界内では悪魔の力は大幅に制限される。天使に有利なフィールドのはずだ。しかも火天使長は現天界最強といっても過言ではない、バリバリの武闘派天使なのだ。それが、こんな風にいとも簡単に捕まってしまうなどということは――――――ありえないのだ。
 信じられない面持ちで、囚われの主を見つめていたイザルは――――――ふと、それに気付いた。
「・・・・! それは・・・」
 曝け出されたラスの白い首筋。
 そこに五芒星を模った痣が浮き出ている。
「ほう、これに気付くとは優秀だな。さすがラスの護衛だ」
 にやりと笑って、いとおしそうにその痣を指でなぞると、
「初めて逢った時に印をつけておいた」
 魔界で、一戦交えたときの事だ。
 首尾よくラスの背後をとったディオは、ラスの首筋に口付けた。それは単なる情欲に任せた行為ではなく――――――ラスの首に鈴をつけるためのものだったのだ。

 キスを装って付けた、小さなトラップ。
 ラスの居場所を的確に把握していたのも、意識を簡単に奪うことが出来たのも、その印故だ。悪魔の呪いの一種で、付けた対象の行動を監視し、一時的に操る事もできる。
「よくも・・・っ、」
 迂闊だった。
 ラスが帰ってきた時に直ぐ見つけて処置をすれば、呪いを解くことが出来たかも知れない。だが、腰まで伸ばされたラスの長い髪が視覚的に、巧妙にかけられたプロテクトが精神的にそれを阻んでいた。
 苦い後悔を噛み締めながら――――――刀を片手に、じり、とディオに迫る。
「・・・火天使長を、離して貰おうか」
「断る。これは俺の妻だ」
 涼しい顔でサラリと宣言すると、イザルを無視してラスの華奢な身体を肩に抱えあげた。
「・・・四天使長を、悪魔如きが娶れるとでも思っているのか」
「思っている。だからここに来た」
 まるで映画を見に来た、とでもいうような気軽な口調で応じると――――――自ら拓いた空間の歪みへと歩み寄る。時空間魔術など使えないイザルには、そこに入られてしまえば彼らを追う術がない。いや、イザルに限らず、天界と魔界を直接繋ぐ空間魔法など、四天使長クラスでも自在に使える者はごく僅かだ。
 だが――――――ラスの首筋にかけられたままの悪魔の手が気になって動けない。
 あの悪魔は、ラスを手放すくらいならばあの細首を躊躇なく手折るだろう――――――そんな気がしてならなかった。
 ラスを抱えた悪魔は、自らの不安に足を絡めとられて動けないイザルの前を悠々と通り過ぎ、恐らく魔界へと通じているであろう空間へと足を踏み入れ――――――そこで、思い出したように歩みを止めた。
「ああ、そうだ」
 くるり、と振り向くとイザルに向かってこう告げた。
「安心しろ。結婚式にはちゃんとお前も招待してやる」
 そういい残すと、悪魔は彼の主を抱えて消えた。










 ――――――眼が覚めると、そこは見たこともない場所だった。
 高い天井。殺風景な薄暗い部屋の中。カーテンは閉まっているが、この暗さから察するに、今はもう夕方を通り越して夜といったところだろうか。
 だが、自らの横たわるベッドにも、それが置かれたこの部屋にも、まるで見覚えがない。
「・・・ここは?」
「俺の家だ」
 思いがけず返事があった。
 その冴えた声が鼓膜を震わせ、ラスの意識を強制的に覚醒させる。
「てめェっ・・・・」
 反射的に飛び起きようとしたが、首筋に激痛を覚えてその場に蹲ってしまう。
「まだ俺のつけた印が残っているな。無理はしない方がいいぞ」
 ディオがラスに付けた『印』は、ある種の呪いのようなものだ。元々は狩りで見つけた獲物を逃がさないようにマーキングするための呪術。本来の目的は印をつけた相手を追いかけるためのGPS機能だが、獲物の動きを封じる役割もある。
 そのせいで、ラスの動きが制限されているのだ。
「・・・・・・・」
 ラスはじろり、と目の前の悪魔を睨みすえたが、睨まれた本人は涼しい顔でラスの横に腰を下ろした。睨まれている事にすら気付いていないようだ、
「お前に逃げられるわけにはいかないからな。少し、力を封じさせてもらった」
 そこで、ラスは改めて気付く。この首筋の痕が消えない限り、自分は大掛かりな魔法を使う事が出来ないのだと。無論空間転移などできるはずもない。それどころか、翼を広げる事すら可能か危うい。

 ――――――ふざけるな。
 そう、ラスは怒鳴りつけようとしたが――――――それは叶わなかった。
 言葉を発しようとした刹那、その口を塞がれてしまったからだ。ディオのくちびるによって。
「・・・・・っ」
 思いもかけない展開に眼を白黒させていたが、我に返ったラスは慌ててディオの身体を引き剥がした。
「っ、何しやがるっ! てめっ」
「口付けのつもりだが」
 あっさりと告げられた言葉に、ラスは耳まで真っ赤になった。
「くっ・・・・くち・・・だと・・・・」
 繰り返しになるが、恋愛ごとに疎い天使であるラスは、異性若しくは同性と交際をした経験がない。性的な意図を持って相手の身体に触れた事も、触れられた事もない。

 ――――――つまり。
 闘ったときにされたのが、二千年生きてきて初めてのキスだった。
 そしてこれが二回目のキス、だ。
 だが、人間や悪魔が性的な目的でそういった行動をとることは、知識として知っている。そのため、自分が唇を奪われたという事実はラスを動揺させた。
「なっ、なっ、なっ・・・・何してくれてんだよてめェ! 何でこんなこと」
「お前のことが好きだからだ。だから、した」
「なっ・・・」
 またしてもあっさりと帰ってきた答えに、再びラスは眼を白黒させる。
 ――――――こいつ、何言ってるんだ!? 
 今、俺の事スキとか何とか言わなかったか・・・?
 今まで考慮したこともなかった感情に、酷く心が揺さぶられるのを感じる。
「口付けというのは、好いた相手にするものだろう。これからする行為も、また然りだ」
「これから・・・?」

 気付けばラスは――――――ベッドに押し倒されていた。
 ――――――何だこの体勢は!?
 話の展開に、頭の回転がついていけない。
 ここに至って尚、ラスは自分の状況がわかっていなかった。
 わかっていたら、何をさしおいても逃げるべきだったのが――――――そもそも逃げようとしても身体の自由がきかないとあっては、結果は同じだったかもしれない。
「ああ・・・これから、お前と契りを結ぼうと思う。お前を、魔界から帰さぬように」

 そういうとするり、と。
 ラスの着物の袂に指を差し入れる。
 天使特有のカーテンをまとっただけのような、ひらひらとした服が徒となった。これでは手を差し入れ放題だ。それに気付いたディオがつと顔を顰める。
「なんという無防備な服だ。手を突っ込んでくれといわんばかりではないか」
「そんなこと、ひとっこともいってねえよ!」
 だが事実無防備にも程がある薄布の奥へと、ディオは指を滑らせる。滑らかな動きで、太腿を弄り、更に奥へと――――――

「・・・・えっ、」
 今まで感じたことのない感覚に、びくりと全身が跳ねる。
「な、何す・・・」
「先ほどもいっただろう、お前と契りを結ぶ――――――そして」



「お前を俺の妻にする」


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