勇者殿の花嫁探し

ROKI

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9ターン目:蠱毒の中で咲く花

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森の奥深くの川の近くに洞穴を利用して作った祠があった。そこがアグナジアルの住みかだった。
 寝床に体を横にしてやると身を庇うように丸くなる。持っていた水筒の水を飲ませてやるとアグナジアルは深く息を吐いた。


「毒に、やられたのか」


リデルは唐突に切り出した。
見抜かれていた事にアグナジアルは苦笑する。


「そうだ…」


一瞬しか見てはいないが昨夜対峙したときの身のこなしを考えれば、衰えた状態でもあれだけ身をさばけるアグナジアルが易々と人の攻撃を食らうはずがない。彼らの身体能力は人間を遥かに凌駕している。
それに、多少の怪我や病ならば魔術や全癒の実で癒すこともできる。
なのになぜ、アグナジアルは毒を受けたのか…なぜこれほどまでに弱ったのか、リデルは疑問に思った。


「何があった…エルメの事と何か関係があるのか?」


沈黙のままわずかに時間が過ぎたが、答えをじっと待つ強い瞳にあぶられて絆されたアグナジアルは、迷って逸らした眼差しをようやくリデルに戻すと閉ざした口を重く開いた。



「島に密かに入り込んだ人間が…我らを淘汰しようと川に毒を流そうとしていた。この川の水はこの島に暮らすものにとって生きるために欠かせぬ大事な水源。毒が流れてしまえば皆が脅かされる…人間の作り出す毒はこの島には無い毒素ゆえ解毒が出来ぬ。一滴たりとも流すわけにはいかなかった。しかし掬い上げた毒を捨て置く場所もない。どこに置いても島が汚れてしまう。故にこうするしかなかった…」



アグナジアルは川に流されるはずだった大量の猛毒を自らの身に宿した。
死ににくい魔物の体の隅々を毒素が冒し、時間をかけて内側からジリジリと破壊し尽くしていった。
徐々に徐々に毒を浄化していく代償としてアグナジアルは自分の命を削ってきたのだった。
自然に還ることも出来ず朽ち果てねばならぬことすら厭わずに…。
どれ程激しい苦痛を孤独のまま耐え抜いてきたのか…アグナジアルの生き方そのものが悲壮過ぎてリデルは涙が溢れた。
これほど辛い思いをしてもなお、身命を賭して何かを守ろうとしている。

大切なものを奪おうとする欲深く醜い人間からこんな理不尽で残酷な仕打ちを受けながら、なぜアグナジアルもエルメディウスも人間を生かすのか…。
人間にはこの崇高な存在の価値がなぜ分からないのか…リデルはまた深く失望する。



「貴方を救いたい」



体調が優れないのか一気に窶れたように見えるアグナジアルの頬に触れる。



「手遅れだろう…私はもう我が身を回復するための魔力すら枯れている。全癒の実の効能を以ってしてやっと生き長らえてる状態なのだ…。」



体内で破壊され失ってしまったものは戻らないとしても、せめて未だ残っている毒の苦しみからは解放してやりたい…。
リデルは横たわると一層脆弱に見えてしまうアグナジアルを見つめながらに思った。
自分ならば人の手によって作られた毒素を解毒することが出来るやも知れない。これまで人の世で生きてきた自分ならば。

疲れ果てていつの間にか眠ってしまったアグナジアルに暖を取らせるために火を炊きながら、一人きりにしてしまったエルメディウスの事にリデルは思いを馳せた。
今頃あの寝ぐらでどうしているのか…自分が居なくてもちゃんと食事は摂っているのか…。
楽しさを悟られぬように意地を張り、無理に笑みを噛み殺すエルメディウスの表情を思い出しては胸が痛んだ。



次の日、早朝からリデルは森の中の植物を探索していた。解毒薬の材料を探し歩いていたのだ。手持ちのものだけでは量が全く足りていない。幸い島の自然はとても豊かで、ありとあらゆるものが繁っている。人間の住む環境に生えている物に近いものを揃えることが出来た。

昼近くにアグナジアルの住みかに戻ると相当具合が悪化したのか、アグナジアルは起き上がれぬままずっと伏していた。

持ってきていた全癒の実をすりつぶしてアグナジアルに与えると少し顔色を取り戻す。
アグナジアルが寝床から見守る中、リデルは常備している薬学の本を手に解毒薬の効果の増強と量産に挑む。
大量に体内に蓄積した毒素を中和し、排出させるためには生半可な薬や処置では効果を望めない。

その日から寝る間も惜しんで試行錯誤を重ねた。
アグナジアルの血を採り、体内の毒素の種類を調べ上げ、作っている薬との反応を見る実験を繰り返す。薬の調合を始めてから三日もかかってようやく効果の望めそうな解毒薬が完成した。

たった数日でも悉く憔悴するアグナジアルの体に遂に解毒薬を投与する。

ここからが治療の本番であり、アグナジアルにとって別な苦しみの始まりとなる。
毒が中和し排出されるまでかなりの量の薬を飲まねばならない。体の中で毒素と薬が混ざり、化学反応を起こす間に体には副作用も起きる。


それからの三日三晩は嵐のようだった。
高熱と激しい吐き気と全身の痛みに苦しむアグナジアルをリデルは付きっきりで支え続けた。
薬の効果をさらに上げるために体を満遍なく暖め、痛む場所をまぎらわすために全身を擦った。
一番過酷だったのは拒絶反応による薬の吐き戻しだった。
どれ程吐き出してしまってもとにかく薬を体に入れなければならない。
嗚咽の苦しさに呻くアグナジアルに無理矢理にでも煎じて液状にした薬を流し込む。 
何度も何度もそれを繰り返すことが苦しむアグナジアルを更に苛め抜いているように感じられてリデルはとても辛かった。
当のアグナジアルは一度も弱音も文句も吐かず、リデルがするままに従いじっとこらえていた。
薬を投与してから三日目の夜、アグナジアルはこれまでにない高熱に苛まれていた。
焼け石のように体が熱いというのに、アグナジアルは悪寒を感じひどく震えていた。


「勇者殿…頼む……此処に」


治療のため共に過ごした六日、初めてアグナジアルはリデルを呼んだ。
素直に側に寄るリデルの手を弱々しく取ると縋るように抱き込む。


「…寒い……」


か細くそう呟きながらアグナジアルはリデルに甘えを見せたのだった。
果てしなく長い間、誰にも頼れず誰にも見せることの出来なかった弱った自分を、過去の出会いより再会した時からずっとリデルには曝し続けていた。
毒素が体から消えるのと同じくして、アグナジアルの中からずっと張り巡らせてきた意地や虚勢も薄れていく。
副作用に苦しめられながらも、ずっと体の中に巣くっていた汚らわしいものが中和されていくのをアグナジアル自身が感じ取っていた。
急激に浄化され蝕まれる苦痛から解放されていくことに安堵し、気が緩んでいく。

熱に浮かされながらも震えるアグナジアルの様子にリデルは気が気ではなかった。
この事態が症状が好転しているのか悪化しているのか判断がつかない。
朦朧としているアグナジアルをただただ救いたくてずっと必死だった。





朝が来る。
七日目の朝だ。
リデルは目が覚めるや否や腕の中を確認する。
震えの止まらないアグナジアルを暖めるため、すっぽりと体を覆うように胸に抱いたまま一晩眠ったのだった。

アグナジアルは既に目を覚ましていて、呆けたような視線がハタリと合う。

高熱は引いたようで心地良い体温の混ざりに、アグナジアルはとても穏やかに和んでいた。
離れる気もなくリデルの腕の中に収まったまま、しおらしくしている様子にリデルはエルメディウスの姿を思い起こす。



「人と触れあうのは、とても心地の良いものだな…あの子がどうやって心を取り戻したのかがよく分かった…」



声を掠れさせながらアグナジアルはしみじみと呟く。伸ばした手でするりとリデルの頬を撫でると、自らの爪を気にしながらぎこちなくも大事そうに両手で頬を引き寄せてアグナジアルはリデルに口付けをする。


静かで優しい口付けを互いに交わし合った。
なぜなのかは分からないがリデルは自然とそれを受け入れていた。
触れた唇が離れる瞬間にアグナジアルは柔らかく微笑む。同じ顔のはずなのにエルメディウスとは違ってとても大人びて見えた。
リデルは何とも言えない胸の疼きを覚えた。


「あの子の元へ、戻るのだろう?」


その問いにリデルは直ぐには答えられず惑う。
まだまだアグナジアルの体が心配だということが一番の理由であるはずだが、こうも献身的で健気な気質のアグナジアルの達観した振る舞いはひどく寂寥感を漂わせていてどうにも放っておけない気になってしまう。
しかし何も言わずに一人置いてきてしまった無垢な魔王の事も気掛かりでならなかった。




「きっと勇者殿を待っている」



返事をしないリデルを宥めるようにアグナジアルは子供にするように彼の頭を撫で下ろす。
リデルはぐらぐらと揺らぎ激しく迷っていた。
同じ顔を持つ二人の魔王の間で蓋をしたいはずの慕情が今度は向かい所に迷いながら頭を擡げ始めていた。


続く
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