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恥をかかせないで
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わたしは彼の話を最後まで黙って聞いていました。
どうせ結論は変わらないと思ったので。
「お話はおしまいですか?」
「ああ、終わりだ」
「そう。じゃあ婚約はキャンセルということで承知いたしました」
婚約破棄。
話がしたいというのでシティホテルの部屋をとってみれば、彼の口から出た内容はこれでした。
馬鹿みたい。
いつもどおりの甘い逢瀬を期待し、せっせと身支度していたときの自分が哀れに思えて仕方ありません。
「泣いたりしないのか?」
彼がわたしを見て言いました。
小さな応接セットみたいなところに座っているので、涙が光ればすぐにわかる距離で向かい合っています。
「はあ? ……いえ、ごめんなさい。わたしがここでさめざめと涙を流すような女だと思ったんですか? そんな女だったらあなたは婚約破棄なんてしなかったでしょう?」
「そうかもしれない」
「かもしれないですって?」
わたしは彼を睨みつけ、続けます。
「あなたの話を総合すると、わたしにはあなたが必要とは思えなくなったということですよね? 何でもひとりで決めて進んでゆく強さがあるから、あなたなんて要らないと」
「まあ、そうなる」
「わたしがあなたと付き合ったことについてはどうお考えなのですか? これもわたしが決めたことのひとつなのではなくって?」
彼は、わたしから目を逸らしました。
答えるまえに畳みかけます。
「わたしは、わたしにはあなたが必要だと判断したから付き合ったのです。泣いたり喚いたりする人間では残念ながらありません。そこはご期待に添えず申し訳なく思いますけど、わたしはあなたを必要としています」
「わからないんだ。ぼくの何が?」
「……包容力です」
便利な言葉を使いました。
まあ、このかたにはこれがベストな返答でしょう。
やはり、こちらを見てくれました。
「包容力……」
噛み締めるようにつぶやいています。
押したら引くのがテクニック。
わたしは立ち上がり、クローゼットのコートを手に取りながら彼に言います。
「まあ婚約はキャンセルなのですから、今さら言ってもしょうがないですね。ではあとは、責任をとっていただければそれで結構ですので」
「責任って、婚約破棄の……?」
「それはそうでしょう。結納だって済ませているのだから、わたしの両親にお詫びの挨拶は絶対にしていただきます。あとはそう、お互いの交友関係にもフォローが必要です」
彼は座ったまま、ぽかんとわたしを見ています。
「お友だちのことですよ? わたしもあなたも浮気だとかそういった不誠実なことはしていないのですから、あらぬ噂が立たないよう、きちんと説明して回らないといけません」
「そ、そこまで……」
「当然です。婚約って、子どもの口約束ではないのですからね? お互いに恥をかかないために、しっかり後始末をつけましょう。段取りはまた後ほどメールで送りますから。では」
出口へと向かうわたしを、彼が慌てて追いかけてきます。
「待ってくれ! その……きみから必要とされている自信が持てなかったぼくの問題だった」
「……どういうことです?」
「だから、その……婚約破棄は、やっぱりやめたい……」
思ったとおりです。
彼はきっと婚約破棄を逃げ道だと考えていたのでしょう。
だったら、婚約破棄しないほうが楽だと思わせればいいのです。
破棄することを面倒だと感じれば、今度は破棄しないほうに逃げてくるのは火を見るより明らかでした。
ほんと、扱いやすい。
包容力と言ったのは嘘ではありません。
こんなわたしを包み込んでくれるのは、彼しかいないと思っています。
包み込んだその中身に、振り回されているとしても。
じゃじゃ馬ならしという言葉があります。
暴れる馬を乗りこなしているつもりかもしれませんが、実際のところは、勝手に走る馬にしがみついているだけなのかもしれません。
乗っているほうは勘違いをしていて、わかっているのは、馬自身だけなのかも。
「ごめん。ぼくが間違っていた」
彼がわたしの背中から抱きつき、囁いてきます。
「……いいの。わたしこそ不安にさせてごめんなさいね」
わたしは、言いながらコートを再び脱ぎました。
いつもどおりの甘い逢瀬ではありませんが、たまにはこういうのもいいでしょう。
婚約はしたままですし、シティホテルの部屋をとったのも無駄にはなりませんでした。
ほら――
やっぱり結論は変わらなかったでしょう?
どうせ結論は変わらないと思ったので。
「お話はおしまいですか?」
「ああ、終わりだ」
「そう。じゃあ婚約はキャンセルということで承知いたしました」
婚約破棄。
話がしたいというのでシティホテルの部屋をとってみれば、彼の口から出た内容はこれでした。
馬鹿みたい。
いつもどおりの甘い逢瀬を期待し、せっせと身支度していたときの自分が哀れに思えて仕方ありません。
「泣いたりしないのか?」
彼がわたしを見て言いました。
小さな応接セットみたいなところに座っているので、涙が光ればすぐにわかる距離で向かい合っています。
「はあ? ……いえ、ごめんなさい。わたしがここでさめざめと涙を流すような女だと思ったんですか? そんな女だったらあなたは婚約破棄なんてしなかったでしょう?」
「そうかもしれない」
「かもしれないですって?」
わたしは彼を睨みつけ、続けます。
「あなたの話を総合すると、わたしにはあなたが必要とは思えなくなったということですよね? 何でもひとりで決めて進んでゆく強さがあるから、あなたなんて要らないと」
「まあ、そうなる」
「わたしがあなたと付き合ったことについてはどうお考えなのですか? これもわたしが決めたことのひとつなのではなくって?」
彼は、わたしから目を逸らしました。
答えるまえに畳みかけます。
「わたしは、わたしにはあなたが必要だと判断したから付き合ったのです。泣いたり喚いたりする人間では残念ながらありません。そこはご期待に添えず申し訳なく思いますけど、わたしはあなたを必要としています」
「わからないんだ。ぼくの何が?」
「……包容力です」
便利な言葉を使いました。
まあ、このかたにはこれがベストな返答でしょう。
やはり、こちらを見てくれました。
「包容力……」
噛み締めるようにつぶやいています。
押したら引くのがテクニック。
わたしは立ち上がり、クローゼットのコートを手に取りながら彼に言います。
「まあ婚約はキャンセルなのですから、今さら言ってもしょうがないですね。ではあとは、責任をとっていただければそれで結構ですので」
「責任って、婚約破棄の……?」
「それはそうでしょう。結納だって済ませているのだから、わたしの両親にお詫びの挨拶は絶対にしていただきます。あとはそう、お互いの交友関係にもフォローが必要です」
彼は座ったまま、ぽかんとわたしを見ています。
「お友だちのことですよ? わたしもあなたも浮気だとかそういった不誠実なことはしていないのですから、あらぬ噂が立たないよう、きちんと説明して回らないといけません」
「そ、そこまで……」
「当然です。婚約って、子どもの口約束ではないのですからね? お互いに恥をかかないために、しっかり後始末をつけましょう。段取りはまた後ほどメールで送りますから。では」
出口へと向かうわたしを、彼が慌てて追いかけてきます。
「待ってくれ! その……きみから必要とされている自信が持てなかったぼくの問題だった」
「……どういうことです?」
「だから、その……婚約破棄は、やっぱりやめたい……」
思ったとおりです。
彼はきっと婚約破棄を逃げ道だと考えていたのでしょう。
だったら、婚約破棄しないほうが楽だと思わせればいいのです。
破棄することを面倒だと感じれば、今度は破棄しないほうに逃げてくるのは火を見るより明らかでした。
ほんと、扱いやすい。
包容力と言ったのは嘘ではありません。
こんなわたしを包み込んでくれるのは、彼しかいないと思っています。
包み込んだその中身に、振り回されているとしても。
じゃじゃ馬ならしという言葉があります。
暴れる馬を乗りこなしているつもりかもしれませんが、実際のところは、勝手に走る馬にしがみついているだけなのかもしれません。
乗っているほうは勘違いをしていて、わかっているのは、馬自身だけなのかも。
「ごめん。ぼくが間違っていた」
彼がわたしの背中から抱きつき、囁いてきます。
「……いいの。わたしこそ不安にさせてごめんなさいね」
わたしは、言いながらコートを再び脱ぎました。
いつもどおりの甘い逢瀬ではありませんが、たまにはこういうのもいいでしょう。
婚約はしたままですし、シティホテルの部屋をとったのも無駄にはなりませんでした。
ほら――
やっぱり結論は変わらなかったでしょう?
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