キエフの亡霊――Phantom of Kyiv――

古井論理

文字の大きさ
8 / 15

平穏と夢想

しおりを挟む
 二七日午後二時、防空隊のローテーションは交代時刻を迎え、「キエフの亡霊」たちは睡眠を取るべく基地のベッドに潜り込んだ。深い眠りに入った彼らは、この侵攻が始まった二一日、空軍に復隊するべく家を出た日のことを夢の中で思い出していた。トカーチ少佐の妻マリヤがトカーチ少佐を見送るとき言った言葉は、トカーチ少佐の頭の中で繰り返される。
「帰ってくるときに私たちの国が残ってなかったらどうするの」
 トカーチ少佐は答えた。
「大丈夫だ。ウクライナは俺たちが、そして全ての市民が守る国だ。守れないなんてことはあり得ない」
 トカーチ少佐は満面に笑みを浮かべて、悲しさと恐怖を抑え込んだのだった。思い出した次の瞬間、トカーチ少佐の脳裡に未だに行方不明のゼレンスキー大統領のことが浮かんだ。ゼレンスキー大統領は元俳優でコメディアン。彼もまた、トカーチ少佐のように笑顔と強気な言動を演じ、その中に恐怖や悲しみを塗り込めているのだろうか。そんな考えが頭をよぎった後、夢は終わってトカーチ少佐の意識は完全に暗い無意識の中に入っていった。
 交代時刻一時間前の午後九時になって目を覚ますと、防空隊と攻撃ヘリがちょうど帰投したところだった。もはや通常のことになってきた防空隊の圧倒的勝利を物語るように、ミサイルは数発を消費しただけで機体は無傷、機関砲弾の弾倉を取り替える整備兵に、彼ら同様に疲弊したパイロットが意気揚々と撃墜戦果を語っている。攻撃ヘリ部隊も中隊の定数通り一二機が帰投し、さらに少し遅れてウクライナ空軍の一員となった戦闘攻撃隊のSu-34二機が帰投し、何やら複雑な表情で戦果を語っている。
「ロシア軍はプーチンの首を取った方が早く戦争を終えられるんじゃないか?」
「あいつらもウクライナのために戦った方が幸せだろ」
「間違いないな」
 第一戦闘攻撃機分隊一番機操縦士のアンドレイ少佐と兵装担当士官のルカ少佐はしばらく談笑していたが、トカーチ少佐を見つけたアンドレイ少佐はルカ少佐との話を
やめてトカーチ少佐に話しかけた。
「トカーチ少佐、少し良いでしょうか」
「ああ、構いませんよ」
「私はロシア軍を裏切りました。この決断が正しいと、私は信じています。ロシア軍にまだ残っている兵士たちがどう思っているかは知りませんが、ロシアでは反戦運動が広がっているといいます。ロシアを操る独裁者プーチンは、あの男はあなたたちをファシストだと言いましたが、それはウクライナのゼレンスキー大統領が言うべきことでした。ですから、ロシア軍へのプロパガンダに力を入れるべきです。ロシア軍は今、戦意を失いつつあります。それは主にウクライナ空軍と陸軍の士気が旺盛で、そのうえ強靱な戦闘態勢を維持しているからだと考えます。特に空軍では『キエフの亡霊』に対する恐怖が募りつつあります。『亡霊』が誰かは知りませんが、キエフが陥落しても降伏も瓦解もしないウクライナの強さの象徴としてほぼ全てのパイロットに恐れられていますからね。だから、『キエフの亡霊』にはこれを渡しておいてください」
 アンドレイ少佐はそう言うと、ウクライナ空軍仕様のメモ用紙を一枚トカーチ少佐に手渡した。そこには、短いメッセージが書かれていた。

――『キエフの亡霊』が真に不死鳥であることを祈る。

不死鳥フェニックス……」
 トカーチ少佐がつぶやくと、アンドレイ少佐は「決してたとえではありませんよ」と言って説明を始めた。
「『不死鳥フィーニクス』というのはロシア軍のパイロットがつけた『キエフの亡霊』の通称です。弾をかいくぐってミサイルを避け、どれだけ追い回そうとしてもいつの間にか追い回され、本人やその僚機による百発百中の射撃で的確にエンジンを貫かれてしまうという噂が流れていますから。数で勝っていても勝てない、不死身の戦鳥だと」
「ロシアの皆さんは敵のことを褒めすぎじゃないですか?」
「まあそれだけ相手が強いことである意味勝つことを諦めているんですよ」
「なるほど」
 アンドレイ少佐はルカ少佐がコーヒーを飲んでいるのを指し示し、
「寒いのでコーヒーをいただいてきます」
 と言うとトカーチ少佐に敬礼してコーヒーサーバーの前へと歩いていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~

川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる …はずだった。 まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか? 敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。 文治系藩主は頼りなし? 暴れん坊藩主がまさかの活躍? 参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。 更新は週5~6予定です。 ※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

処理中です...