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蛙の子は蛙
男娼との時間 2
しおりを挟むサロンへ行き浴びるほど酒を飲んだ。飲まされたのもあるが自ら飲みたい気分だった。
気がついたらそこは見覚えのある部屋。この部屋の主はどこだと辺りをキョロキョロと見渡す。
それでも酔っ払っているのだろう、その動作すら億劫だ。
「はあぁぁ」
溜息を吐いて腕を目に被せ目を瞑る。
「起きたか?」
部屋の中に入ってきたのはこの部屋の主の彼だ。
「水飲むか?」
「ああ、すまない」
体を支えられ上半身を起こし水を飲む。
「どうして俺はここにいるんだ?」
「酔いつぶれてサロンで寝ていたぞ?起こしても起きないからここに連れて来た。サロンの客が酔いつぶれて起きない時は宿屋に放り込むんだ。俺達も早くサロンを閉めて帰りたいからな。
それよりも今日は荒れてたな、何かあったのか?」
「今日は飲みたい気分だったんだ。
最近はお前に聞いてもらっていたから前より息子や娘に嫉妬はしていなかったんだが…」
「久しぶりに嫉妬でもした?」
「ああ、妻が息子を抱き上げれば微笑ましいと思う反面幼い自分の姿が思い浮かぶんだ。羨ましそうに見つめている幼い自分の姿が、寂しそうに見つめている幼い自分の姿が、恨めしそうに見つめている幼い自分の姿が。
娘を見ると幼い頃母上に言われた言葉が頭をよぎった。『貴方が女の子ならあの人は他を見なかった。貴方が女の子なら良かったのに』と俺を蔑むような目で見ていた母上を思い出す。俺も娘のように女の子で生まれていたら父上は俺を見てくれたのだろうかと。そう思ったら女の子で生まれた娘が羨ましくもあり恨めしくもある。
そう思う自分が醜く情けなくなる。どうして俺はこんな人間なんだと、今幸せなら昔の自分なんて忘れろと、何度も思った。
だが出来なかった…」
「忘れられる訳がないだろ。昔のあんたもあんただ。今幸せだからと昔のあんたが消える訳じゃない。自分の息子や娘に自分を重ねるのも、育った境遇がそんなだったら仕方がないんじゃないのか?羨ましく思ったり恨めしく思ったり、そんなの人間なんだから当たり前だろ?」
「でもそれでは駄目なんだ。男としても欠陥品なのに父親としても欠陥品であってはならない。夫としても父親としても欠陥品の俺に価値はない。
俺はどうして生きているんだろうな…」
彼は後ろからぎゅっと俺を抱きしめた。
「一度、夫とか父親とか忘れて自分の為に生きてみろよ。誰かに抱きしめてほしい時は俺が抱きしめてやる。人肌が寂しい時は俺の温もりを教えてやる。甘えたい時は俺が思いっきり甘やかせてやる。
俺にとってお前は欠陥品じゃない。繊細で傷つきやすくて、それでも必死に頑張ってる奴だ。
離縁しろって言ってる訳じゃない、一度家族と距離を取れって言ってるだけだ。このままだとお前潰れるぞ?潰れて壊れた人間を俺は何人も見てきた。俺は娼館育ちだからな」
娼館の裏に家があるとは言っていたが、娼館育ちだとは知らなかった。というより彼の詳しい話は聞いた事はない。
「俺の母親は娼婦でな、俺は生まれてからずっと娼館で育った。だから男娼もなるようにしてなった。幼い頃から見ていたのは女の裸だったからな。だから俺は父親が誰なのか知らない。母親に聞いても『この国の誰かよ』そう言われた。誰の子か相手なんて特定できないしな。
娼館の中で愛はその場限りの軽いものだ。愛してるなんて安っぽい言葉だ。言葉も金だと娼婦は言う。乱暴にされない為の自分を守る言葉だと言っていた。
もし愛を知らない事が欠陥品だと言うのなら俺も欠陥品だ。でも俺は自分が欠陥品なんて思った事はない。俺は俺だ、今の俺が俺自身だと思っている。愛を知らなくても生きていける。誰かを抱きたいなら女に声をかければいい。それに結婚に夢を見てないしな。
お前も今の自分自身を認めてやれよ」
彼の言葉に欠陥品の俺でも良いんだ、そう思った。
妻を愛している。それでも彼とのこの時間も楽しんでいる俺がいる。
「あ!今何時だ」
「もう明け方近いぞ。このままもう少し寝ていけよ」
今帰っても寝ている妻を起こすだけだ。
「そうだな、少し横になりたい」
彼は俺ごとベッドに横になった。彼に腕枕をされまるで女みたいだな、そう思ったが、別に嫌悪感は抱かなかった。久しぶりに感じる人の温もりに俺は自然と眠りについた。
次に目を覚ました時、朝日はとっくに登っていて、俺の後ろでは彼が寝息をたてている。起こさないように彼の腕を退かそうと思ったがなぜか抱き寄せられた。
首筋に当たる彼の息、そして何かが首筋に当たった。
「お、おい、起きろ」
何度も首筋に当たり、それが唇だと分かった。
「俺は女じゃない」
「うんうん、そうだね、良い子だからもう少し寝ようね…」
起きていてわざとしているのかとも思ったが、彼からは寝息が聞こえている。
誰かと間違えているのか?
首筋に当たる唇に、他の男性なら殴ってでも起こし文句の一つでも言う所だが、彼も仕事が終わり疲れていたのに酔っ払いの俺の世話をしていた。起こすのは可哀想だと思った。
それになぜだろう、何度も当たる唇が、それほど嫌ではなかった。
俺はそれほどまでに彼を許していた。彼に心を見せて弱さを見せて、自分自身をさらけ出している。
俺の内側に触れた唯一の人かもしれない。
妻とはまた別の感情。その名は俺にも分からない。
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