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「――さあ、食べてみてください!」

 オレが作ったのは、何の変哲もないように見える《親子丼》。そう、先程老婆が作ったものと同じメニューだ。
 老婆の目の前に丼を差し出すと、彼女は何か言いたげではあるが、蓮華を持って一口食べてくれた。

「あむ…………んんっ!?」

 老婆の表情が一気に引き締まり、その視線は真っ直ぐ《親子丼》へと注がれる。

「な、何だいこの《親子丼》は!?」

 老婆は止められないのか、丼を傾け米を喉へと押し流していく。

「はむはむっ、んぐ! こ、この卵と良い具合に鶏肉が混ぜ合って、ご飯が進む! それにこの玉ネギがシャキシャキとアクセントになってるし、すべてが一体感を演出しておる!」

 そしてものの数分後――。
 米粒一つ残らない丼鉢がそこにはあった。オレが用意した茶を、老婆はズズズと音を立てて美味しそうに呑む。

「……ぷはぁ~。……坊や、もしかして料理人だったのかい?」
「はい。正確にいえばサブジョブが《調理師》です。オレもまた、あなたの夫と同じで料理が大好きな人種なんですよ」
「そう、かい……。こんな美味い《親子丼》を食べたのなんて久しぶりだよ。何だか、あの人が帰って来てくれたかのようさね」

 その時、気づいたようにポアムはハッとなって、

「イックウ様、まさか……!」
「うん。オレは、やってみたいと思うんだ。ポアムはどう思う?」
「わたしは、イックウ様についていくだけです。つまりお好きなようになさってください!」

 ありがたい。彼女ならきっと分かってくれると思っていた。
 オレは真面目な表情を浮かべると、老婆に向かってある提案をしようと思う。

「おばあさん、できれば名前を聞かせてもらえませんか?」
「はあ? 何だい、急に」
「だって、これから先も名前無しじゃさすがに困りますから」
「……? な、何を言ってるんだい?」
「この店、守りましょう! オレたちに、そのお手伝いをさせてください!」

 老婆は目を見開き、しばらく時を凍らせたかのように固まってしまった。そしてそのまま、瞬きを失った状態で、彼女は、

「……な、何を言ってるんだい、あんたは?」

 まあ驚くのは当然だ。

「実はですね……オレ、将来旅館を開きたいんです」
「は? 旅館?」
「はい。でも、何から手をつけたらいいのか正直分からなくてですね。そんな時、この子がいろいろ教えてくれたんです」

 ポアムがオレに話してくれたことを老婆に伝えた。聞き終わると彼女は「なるほどね」と頷きを返す。

「つまり、あんたたちは将来旅館を作る足掛かりとして、小料理屋を開いて経験値を積みたい。そういうことかい?」
「ざっくり言えばそうです」
「それで、ここで働こうと思ったってわけか?」
「利用するようで恐縮なんですけど」
「あんたの将来のために、あたしと夫の店を踏み台にさせろと?」
「……そう、なります」
「…………」
「ちょっと、待ってください!」

 老婆が黙った時にポアムが二人を視線を引きつける。

「ど、どうしたのさ、ポアム?」
「それだけじゃないですよね、イックウ様!」
「え……」
「確かに旅館の足掛かりっていう目的もありますが、一番の理由はそうじゃないですよね?」
「…………」
「何で本当に感じたことを言わないんですか? わたしはイックウ様がとても優しい方だということは身を以て知っています! イックウ様は、この店をおばあさんから取り上げさせたくないんですよね?」
「っ!?」

 目を見張って驚きの表情になったのは老婆だ。オレはただ黙ってポアムを見つめている。

「奴隷だったわたしを解放してくれて、一緒に旅館を作ろうとも言ってくれました。とても……嬉しかった。そんな優しい人が、ただおばあさんの現状を利用したいだけなわけないですよね?」
「…………どういうことだい、坊や?」

 二人が説明を求めるように見つめてくる。これはしっかりと話さなければいけない空気だ。オレは諦めて、自分の感じたことを口にすることを決めた。

「……自分の居場所」
「は?」
「ここは、おばあさんにとって、居場所なんですよね?」
「……そうさね」
「オレは、ある場所にいた時、ずっと自分の居場所ってもんを作れてなかったんです。何をするにも自堕落的にやってて。まあ、親にも上の兄たちにも期待なんかされてなかったから、どうせオレは何をやってもダメなんだって都合の良いように言い訳ばっかしてました。問題なく暮らせてたのも、両親のお陰だってのにね」

 オレの恥ずかしい過去を、二人は黙って真剣に聞いてくれている。

「けど、ようやくオレ、自分のしたいことができて、それに向かって進んでる感じがしたんです。まだ自分の居場所ってもんはよく分からないけど、自分の居場所を大切にしてるおばあさんが羨ましいと思いました。それと同時に、それを奪うようなシステムにイラッときた。居場所がなくなったらおばあさんはどうなるんだろうって思うと、少し前の自分のことを思い出したから……」

 ゲームの世界に逃げ込み、毎日毎日非生産的なことばかりしていた。あの楽しくも苦痛な生活を。将来も何も見えず、ただ日々を淡々と過ごしていた無価値な時間を。

「おばあさんの顔がさ……そんな諦めていた頃のオレの顔とダブってしまって。だからつい、そんな顔をしてほしくねーなって思ったんです」
「坊や……」
「確かに物件探しから始めるより、ここを使えれば楽ができるかもって思ったのも本当なんです。でもそれ以上に、何だか……このまま何もせずにどっか行っちまえば、オレに優しくしてくれたばあちゃんやじいちゃんに申し訳ねーなって思って……。結局ばあちゃんたちは死んじまって、何も返せなかったから……だから……」
「イックウ様……」

 左腕に温もりを感じた。見れば、ポアムが悲しげな表情で腕を絡めていたのだ。

「イックウ様、やっぱりあなたは優しい人です。変なところで臆病だし、楽観的だけど、それでもわたしを救ってくれて、今もおばあさんのために何かをしてあげようと思える優しい人だと、わたしは思います」
「ポアム……!」
「そんな優しさにわたしは救われました。だから、自分の心を素直に表現してあげてください。わたしはどんなイックウ様でも受け止めてあげますから」
「そ、そっか……」

 二人で見つめていると――。

「おほんっ! いつまで人の店でイチャイチャしてるんだい?」
「「っ!?」」

 オレたちは互いに顔を真っ赤にして慌てて離れる。

 うっわぁ~、オレってば何ドキドキしてんだよ! ロリコンじゃねーだろ、オレェッ!

 だが彼女の言葉に胸を打たれたのも確かだ。
 ばあちゃん、女の子は強いもんだって言ってたけど……。
 オレはチラリと、顔から湯気を出しながら俯いているポアムを見る。

 つい最近まで奴隷で、最悪な生活を送ってたのに……、今笑えるだけでも多分奇跡的なのに……。オレのことを支えようとしてくれてる。ポアムは…………強いな。

 そんなポアムに自分がかなり支えられていることをようやく少し実感できた。

「……ところで、坊や」
「あ、はい!」
「そっちの嬢ちゃんが奴隷だったっていうのは本当かい?」

 鋭い目つきでポアムを射抜いてくる。

 しまった! ここは奴隷の人権が認められていないってことを忘れてた!

 これはマズイと思い、すぐに何か弁解を――と思ったが、

「そうかい、あんたもかい」
「……へ? あ、あんた……も?」
「実はね、あたしも元奴隷なんだよ」
「「ええっ!?」」
「そんなに驚くことかい? 今でこそ奴隷制度は厳しくなったけどね、六十年以上前までは、奴隷にも人権は認められていたし、解放しようとすれば主人の意向で解放もできた。あたしは夫に買ってもらって、奴隷身分から解放してもらったんだよ」
「そ、それってあれですよね! つ、つ、つまり元奴隷でもけ、け、結婚できるということですよね!」
「そ、そうだけど、いきなりどうしたんだい、この子は!」

 オレも驚きだ。急にポアムが老婆に興奮気味に詰め寄っているのだから。

「あ、す、すみません! す、少し取り乱しました……」

 恥ずかしくなったのか、小さくなっていくポアム。そんな彼女も可愛いのだが。

「だから奴隷云々の話は気にしなくてもいいよ。それよりも……坊や」
「は、はい」
「……本気なのかい?」
「え?」
「この店を守るという話さね」
「あ……」
「確かにあんたの料理の腕は見せてもらった。けどね、一度離れちまった客を再び得るには、並大抵のことじゃできないよ?」
「……だと思います。でもオレは一人じゃありません。ポアムもいます。それに、おばあさんだっています。オレ一人じゃムリでも、三人寄れば文殊の知恵ですよ!」
「坊や……」
「それにもう、諦めないようにしようって。人生を楽しもうって決めたんで!」

 オレと老婆は互いに瞬きもしないで見つめ合う。

「……ったく、昔の夫みたいな目をするんじゃないよ……」

 老婆は諦めたように溜め息をゆっくりと吐き出すと、再び厨房の方へ向かうと、書類のようなものを持ってきた。

「ここにはこの店の仕様がすべて書かれてある。よく読んどくんだよ」
「っ!? お、おばあさん!?」
「おばあさんじゃない! あたしのことは――オリク婆とでも呼びな。それと敬語もいい。けど、やるからには死にもの狂いで働いてもらうよ!」

 オレはポアムと笑顔を突き合わせると、同時に返事をした。

「「はいっ!」」


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