泣き虫ポチ シリーズ番外編置き場

六つ花えいこ

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番外編

それぞれの朝

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 月曜日は個人塾。火曜日は進学塾と習字。水はスイミングで、木曜日はピアノと再び個人塾。金曜日はもう一度進学塾。

 俺の放課後は友達と語らう時間すらない。担任の別れの挨拶と共に鞄を引っ掴み、速足で教室を抜ける。学校から家が離れていることが幸いして、中学から自転車通学が許されている俺はサドルに跨りそのまま今日のスケジュールへと向かう。今日は火曜日。塾と習字がある日なので、急がなければいけない。塾の後にある習字は中学生になって大人の部でやらせてもらえるようになってから、随分と時間管理が落ち着いた。

 別にこの生活が嫌だと思ったことはない。友達とは土日に遊べるし、家に帰ってからは趣味のパソコンもテレビもゲームも許されている。将来、何がしたいと決められなかった俺に親が与えてくれた選択肢は勉強だった。その他諸々は、体が弱かったり、字が汚かったり、余りの音感の無さに嘆いた母の仕業だ。反発を覚えた時もあったけれど、中学三年になり受験を考えなければいけない今ではおおむね満足している。

 個人塾を終え、膝を墨で汚すと今日の務めは終了した。
 おかえり、と弾む声で出迎えてくれる母にいつものように無愛想な顔を向けて二階の自室に上がる。母は頓着していないようで、『今日のご飯は北海道のお兄さんが送ってくれた、ウニイクラ丼よ~!』なんてはしゃいでいる。『楽しみだね』の一言さえ返さずに部屋のドアを閉めると、乱暴に学ランを脱ぎ捨ててパソコンを立ち上げた。今はまっているネットゲームのデスクトップアイコンをクリックして、パスワードを手早く入力する。ロードの時間を利用して、兄からもらったおさがりのローランドのヘッドホンをつけて学校の鞄を漁る。課題プリントはほとんどを学校にいる間に片付けている。あと、今日は理科のノートまとめだけだったかな…と乱暴にノートと教科書を取り出した時、部屋中に白い光が溢れた。

 え、と思う暇もない。白い光が俺を飲み込んでいた。
 後ろを振り返る。いつも通り、自室のドアは閉まっている。俺はそこに向かって必死に手を伸ばした。

 ―――助けて、おかあさ…



 そして目を開けた時、俺は見慣れていたはずの見慣れない景色の中にいた。



***



 首都の噴水と言えば、ゲームを始めた時から変わらない待ち合わせスポットである。
 白い建物、白いレンガ。およそ首都に相応しい白亜の城もこの噴水からは一望できる。いや、そんなものをこの場所から見たのは、今が初めてだった。

 仕事に一区切りがつき、這うようにして家に帰ってきたのは実に二日ぶりだった。仕事帰りに実家から連れて帰ってきた愛猫は、二日ぶりの我が家だというのに少しも嬉しそうにもせずにいつものクッションに身を沈めた。
 愛らしいお姫様の姿に家に帰ってきた実感が沸く。身だしなみの事を思うのならば、一番に行くべき場所は浴室だとわかっていたのに足が向かったのは三台画面が並んでいるパソコンデスクだった。メインとサブのスリープ復帰ボタンを乱暴に押しながら、シャツのボタンを外す。
 道すがら適当に選んできたビールの蓋に栓抜きを引っ掛ける。誰かに何かでもらった不気味な馬のオブジェがついた栓抜きである。そのまま力を加えるとポンッと粋な音がした。つい最近別れた恋人の置き土産の、ドイツビールだ。焦れた喉に苦い顔をして流し込む。ビールも、パソコンも、お姫様も、自分の部屋も。何もかもが久しぶりに感じた。
 
 よし、とりあえず2時まで。いや、2時半まで。そしたらシャワー浴びて、寝よう絶対そうしよう。

 そんなことを思っていたはずなのに、ビールのつまみを取りに行こうと振り返った瞬間なぜか見慣れた首都にいた。手を広げてみても、そこに見慣れないラベルの瓶も、不気味な馬も、気高いわがまま娘も、脱ぎかけのシャツもなにもない。およそ自分の手よりもずっと大きな、丈夫な鎧に囲まれた広い手がそこにはあった。

 その広い手で、小一時間頭を抱えた。唸った。飲みかけのビールを飲みたかった。そして一通り悩んで悩んで悩み抜いてようやく、待ち合わせと名高いこの街の噴水に向かったのだ。

 噴水に向かうまでに誰ともすれ違わなかった。人っ子一人、見かけない。ゲームの中では敷き詰められたタイルが見えないほどに人でごった返しているというのに、今はまるで開発中のプロモーションムービーを見ているかのように素っ気ない。白く平たいタイルの上には、自分の趣味全開で作成したキャラクターの、鎧を纏った太い足が二本立っているだけだった。
 不気味なほど静かな首都、経験したことのない異常事態。二日ぶりの帰宅だったはずなのに、家にはものの数分しか滞在できなかった。これからどうするのか、これからどうなるのか。目の前に広がるタイルは果てしない。焦燥に駆られて、くしゃりと前髪をかきあげた。



***



「何してるの」
 杖を両手で持つ。シャララン、と金属がぶつかり奏でた音が耳についた。

 一度も唱えたことのないはずの呪文の唱え方は“知っていた”。感覚として、体に刷り込まれていたのだろう。いつも通り、キーボードのショートカットを押す感覚を思い出せば瞬時に呪文が口から零れ出た。

 呪術によって縫いとめられていた人物が、ぐぎぎと体を捻ってこちらを振り返った。対人用の装備を身に纏ったプレイキャラクターが、こちらを強く睨みつけていた。

「そっちこそ」
「こっちが先に質問してんでしょ。答えなさいよ。」
 指先が痺れる。相手の抵抗を感じているのだろう。上書きするように、もう一度拘束の呪文を呟いた。

「その質問なんか意味あるわけ?」
 純粋な瞳で、狩人の男は答える。

「所詮ゲームだろ?俺に魔法しかけたあんたがお綺麗なこと言ってんじゃねえよ」
 男の言葉に返事をする気も失せた。矢を弦に当ててしならせている男は、その姿勢のまま言葉を続ける。
「楽しくないの!?わくわくしないわけ!?ゲームってこういうもんだろ!?」
「あっそ。」
 応酬するのさえ馬鹿らしくなって、拘束しているまま男を蹴り飛ばそうと体を捻って片足を上げた。その瞬間、ぼっと男の顔が赤くなる。

「ちょっ、その恰好!」
 男が抵抗をやめたせいで、杖を持つ指先の痺れが急速に消えていくのを感じた。
 露出された生足を上げたせいで、男の眼には今あられもない姿が映し出されているのだろう。自分のキャラクターに存在する、不自然なほど盛り上がった谷間を見下ろした。すると、目の前の男はさらに顔を赤らめていく。今にも沸騰しそうな様子を鼻で笑ってやれば、男はムッとしたのか目に力を取り戻した。

「とりあえず、弓。降ろしなさい。」
「は?あいつのブルジョワ装備見えてる?この程度でどうかなるわけないじゃん。折角だし効果のほど見せてもらおうよ」

「ならそれ、こっちに向けな」

 慌てた男に、思っていたよりも低い声が出る。男はこちらの勢いにたじろいだ。

「んなっ、ま、魔術師のくせになに言っちゃってんだよ!下手すりゃ死――」

「それは、あの騎士も同じだって、なんでわかんないの?」

 男は黙った。そして愕然として目を見開き、腕の力を抜いた。今この瞬間が、ゲームではないことに気づいたのだろう。地面に垂直にたらされた鏃の先が小刻みに震えていた。抵抗する意思がないことを確認して、男の手を取る。
 こちらの騒ぎに気づいていた騎士が待っている噴水に、男の腕を引っ張りながら歩いて行った。



***



 よかった。集合場所は変わっていないようだ。
 古い記憶の中にある地理を思い出しながらやってきた噴水で、俺はホッと息を吐いた。目の前にそびえたつ噴水の前には、既に4人のキャラクターが集まっていた。

 騎士、魔術師、狩人、聖者。全員が、このゲームに何らかの形で取り込まれてしまった人間だろう。

 こちらに気づいた騎士が軽く手を挙げた。その仕草に答えるように、歩み寄る足の速度を上げる。その他は聖者がチラリとこちらを見た程度。不貞腐れているように座っている狩人と、壁に背を付けて目を閉じている魔術師はこちらを見ることさえなかった。

「合流してもらって助かったよ。あと一人か…」
「全員で6人、このゲームに取り込まれているんだってさ。僕たちじゃない人間、見なかった?」
 聖者の言葉に緩く首を振る。
 そこには野良でパーティーを組んだ時のような懐かしい感覚の他に、どうしようもなく感じ取れるピリピリとした緊張感があった。

 3年ぶりにログインしたゲームでこんな目に合わなければいけない理不尽に立ち向かえるほど、今このゲームに愛がない。何故、どうして。尽きない疑問に蓋をするには今の精神状態では厳しいだろう。

「たったの6人なのか」
「そうみたいだね。最近こういう系のラノベが流行ってるのはジャンルとしては把握してたんだけど…うーん、困った。」
 聖者の男はどうやら口数が多いらしい。笑っているのに笑っていない、三日月のような目をしてこちらを見ている。

「とりあえず全員で合流しよう。話はそれからだ。」
「それで、全員集まって?帰る条件でも知ってるわけ?」
 聖騎士が取る舵が気に食わないのか、狩人が食って掛かった。その様子を、聖者と魔術師は冷めた目で見ている。
「帰る方法を、全員で探るべきだろう」
「それでのこのこ集まったところを、あんたが全員殺すんだろ!帰還方法が勝ち抜け方式かもしれないこんな時に、何呑気な事言ってんだよ!」
「落ち着け」
 突っかかる狩人に静止の声をかける。上から投げられた言葉に腹を立てた狩人が、強い強い瞳で睨みつけてくる。

「何が『落ち着け』だよ。落ち着けるわけない!帰れなきゃ、帰らなきゃ、―――俺は!!」

 ただいまさえ、言ってない―――

 震える声は、隣にいた俺にだけしか届かなかっただろう。俺は目を閉じて、大きく息を吐いた。
 もう何年も前に止めたというのに、無性に煙草が吸いたかった。



***



 話し合いの結果、とりあえず今日のメンテで実装された“上弦の塔”を登ってみようということになった。バランス的には申し分ないし、全員のレベルと装備的にもそう手こずることはないだろうという判断からだった。
 首都に集合する前にいた町からやってくる前に、モンスターに攻撃を仕掛けてみた。支援魔法はもちろん、攻撃魔法もコンマ1のずれもなく自分がキーボードを押す感覚で発動する。弱いモンスターからわざと攻撃を食らってみた時に感じた痛みで、この世界に痛みがあることが実証された。

 本当なら、何もせず首都でぼんやりと救済を待ちたい。

 だけどどれだけそれが不確かで、そして恐怖を煽ることなのか、わかっているつもりだ。何か自分にできることを、帰る方法を探っていたほうが精神的には救われるだろう。例えこれほど統率がとれていないパーティーだったとしても。

 塔を登る前にやらなければいけないことがあった。最後の一人を見つけ出すことだ。
 これ以上メンツが増えられても、同業者でない限り自分の負担は増えるだけだろう。6人パーティーの支援に不安があるわけではないが、生死が関わっているとあれば話は別だ。
 直結だったら最悪だな。対してプレイヤースキルもないくせに粋だけはよく、話はろくに聞かない上に、支援は待たない。更に倒れれば聖者のせいにする―――あぁ、考えたくない。
 だるい思考に終止符を打つように目を細めて口角を上げると、全員に支援魔法をかける。

「じゃあ連絡はパーティチャットで。転送サービスで行ける範囲を探していこう。そうだな…とりあえずの目安は、今日の日没まで。見つからなかった場合は、また考えよう。」

 聖騎士の合図で、全員が飛んだ。仏頂面の暗殺者が最後まで転送サービス前で固まっているので不思議に思い声をかけた。

「どうしたの?」
「…今どういう狩場が主流かわかるか?」
「あぁ。君、復帰者?また古い装備で固めてるなとは思ってたんだ」
「足手まといになるか?」
「まさか。当時の値段を知ってるわけじゃないから比較はできないけど、今は装備性能上がってるし、プレミアもついてるから。中々お目にかかれなくなってるくらいには優秀だよ」

 暗殺者は振り向いて、『そうか』とほっと息を吐いた。
 このゲーム世界で初めて、人と対面していることを把握した。

「…よかったらついてくる?場所、わかんないんじゃどうしようもないでしょ」
「悪いな」
「かまわないよ。敵に襲われたら僕困るしね。」
 ほら非力な聖者だし、とおどける僕に暗殺者は笑い返してこなかった。

 人を信じるのが難しかった。歩み寄られたと思ったから歩み寄ったら、拒絶される。こんな世界で、誰を信じて歩けばいい。わからなくって、悔しかった。けれどそんなの絶対に見せられない。笑顔の仮面を貼り付けた。

「それじゃあ行こうか。」
「あぁ」

 僕がこの世界で本当に笑えるまで、あと数時間。








special thanks ☆ nachi
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