泣き虫ポチ シリーズ番外編置き場

六つ花えいこ

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名もない高校生のおはなし

前編

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 ―――あ、あの人だ。

 単語帳から顔を上げた瞬間に目に入ったその女性に、僕は一瞬時間を忘れた。



[ 名もない高校生のおはなし 前 ]



 進学校に通う自分の周りには、やはり真面目な子が多い。
 女の子も例外ではなく、“膝丈のスカート”なんて基準が曖昧なもの以外は、基本的に生徒手帳に書かれている校則に則って生活していた。
 しかし、そんな品行方正な優等生集団の中にも、隠れて化粧をしてきたり髪を染めたりする子なんかも、ほんの一握りだが存在した。そんな子達は、真面目が故にお洒落を知らないその他の生徒達に、多少の尊崇の念を抱いてもらえたりする。
 けれど、どれほど頑張ったとしても、骨の髄まで洒落っ気に馴染めるような年頃ではない。
 一生懸命に背伸びして大人の仲間入りしようとしている未成年とは、明らかに何処か違う清廉された大人の女性の可愛さと言うものを、僕は通学時間の電車の中で、知った。


 “彼女”を初めて目にしたのは、冷えすぎるほど冷房のよく利いた寒い車両の中だった。

 お洒落なんて無縁な僕でもわかるほど垢抜けたファッションをしているのに、けだるげな表情が“彼女”の印象をひどく悪くさせていて、綺麗なのに勿体無い人だな、と思ったのが始まりだった。
 特別可愛い顔をしているわけではなかったけれど、自分の見せ方が上手いのか、とにかく人目を引く人だと思った。

 それからなんとなく気になりだして、毎朝観察するようになった。

 “彼女”はやはり最初に感じた印象通りお洒落に長けているようで、毎日印象の違う服で電車に乗っていた。どの服も職場に赴くには適しているが、事務的になりすぎない格好で、“彼女”のセンスの良さが窺われた。
 いつも違う服を着ているように感じていたが、上手い具合に同じ服を着回していたのだと気付いたのは観察を初めて1ヶ月ほどたった頃だった。お洒落レベル度素人の自分には全くわからなかった為、会社とはそんなに服が必要なのだろうかと将来を心配したほどだった。

 月曜日の朝が一番機嫌が悪くて、偶に腰を摩っている時もあった。仕事の疲れが取れなかったのかな、などといらない心配もした。
 都会ではないにしろ田舎でもない車両内は人のせいで案外狭く、“彼女”は踏ん張れずによろめいては隣に立っている人にぶつかっていた。
 大慌てで謝罪するどん臭いその人が、僕はだんだん気になっていってたんだと思う。だからだろう。何となく観察し続けて1年後の秋ごろに、“彼女”が見つめる視線の先にいる人物に気づいてしまった。

 “彼女”の視線の先にいる人は、男の僕から見ても本当に恰好いい人で。

 顔が整っているとか、着ている服がお洒落とか。そういうことじゃない格好良さがあった。
 例えば背を曲げずにしっかりと立つ立ち姿だとか、毎朝きっちりとアイロンをかけられているYシャツを着込んでいる物堅さだとか。

 窓の外を漠然と見ている表情はしかめっ面が多かったがそれも魅力の一つに思えた。僕は“彼女”と同じように、“彼”のことも毎日見るようになってしまった。

 通学時間の電車なんて、基本的に面子はあまり変わらない。毎日同じ顔触れが同じ車両に乗り込み、えっちらおっちらと進む電車の中で睡魔に負けずに必死に目を見開いている。そんな中で、少しばかり気になる“彼女”のとっても気になる“彼”を、僕も毎日気にしていた。

 雨の日も風の日も、“彼女”は熱心に“彼”を見つめ続けた。

 それほど熱心に見つめていたら穴が開いてしまうんじゃないだろうかとハラハラするような熱視線も、“彼”は涼しい顔で受け流す。偶に他の乗客が、“彼女”が“彼”を見やすいように立ち位置などを配慮してあげることから、“彼女”の恋心を車両中の人間が知っていたんじゃないかと思う。

 代わり映えのない退屈な毎日の通学時間。
 その時間に、映画の様に一途な恋に出会えば、誰だって面白がって観察したいし、成就すればいいのにな。なんて思ったりもするだろう。僕はその面子を勝手に“彼女の恋を見守り隊”と名付けていた。

 僕は自分の微かな気持ちにそっぽを向いて、“彼女”の恋を複雑な心境で見守っていた。



 そんな車両中の人間が“彼女”を見守っていた、とある日。

 “彼女”はついに行動に出た。


 その日、“彼女”はまるで戦に向かう武士のような顔をして電車に乗り込んできた。
 便秘かな。なんて年上の女性に思うのは失礼だとはわかっていても、その鬼気迫る表情からそんなことを連想させられた。

 そんな“彼女”が“彼”を見つめる視線は、いつにもまして熱かった。火炎放射の様だった。同じく“彼女”を一緒に観察していたオジサンと目が合い、ついお互いに首を捻って意思疎通してしまうほどに、その日の“彼女”には凄まじい気迫があった。

 そして“彼女”は動いた。
 “彼”が大きなコンパスでホームに着地するのを追っていったのだ。
 この駅は、まだ“彼女”の下りる駅ではなかったはずだ。“彼女”は自分と同じ駅でいつも降りていたのだから。

 だとすれば、これは一体どういうことだってばよ!と、僕はオジサンを見た。オジサンも驚いた顔で“彼”と“彼女”を見た後に僕を振り返った。僕たちは静かに頷いて、再び視線を“彼”らに戻した。

 “彼女”は小走りで“彼”の背に追いつくと、何かを叫んだ、んだと思う。残念ながら声までは車両の中に届いては来なかった。
 “彼”がゆっくりと振り返る。“彼女”は少し不安げな顔をして、それでも憧れの“彼”の目の前に立っている為か紅潮した頬を抑えられずに、溢れだす笑顔で“彼”に何かを告げた。
 次の瞬間、“彼”はまるで何も聞いていなかったかのように、くるりと背を向けると再び大股で去っていった。

 え?と思ったのは、僕だけではないらしい。

 呆然と立ちすくむ“彼女”からして、たぶん僕たちの予想は外れてはいないだろう。
 真っ赤な顔で、あの熱い視線で、きっと“彼”に愛を伝えたのだ。しかし、それにしては、あまりにも“彼”の対応が早かった気がする。普通はもっと照れたり驚いたり、何なら連絡先を聞いたりするものじゃないだろうか。
 “彼女”はおよそ1年半の観察結果からくる身内欲を差し引いても可愛らしい女性だと思う。なのに“彼”が振り向いた時間は、正味5秒程度だった。

 “彼女”は再び電車に乗り込むことすらできずに、“彼”のいなくなった場所を茫然と見つめている。その内、アナウンスが鳴り響き電車のドアが閉まると、“彼女”を乗せないまま電車は走り出した。

 窓に張り付いて“彼女”を見る。何人か同じように窓に張り付いていた為、“彼女の恋を見守り隊”にこれほど多くの隊員が所属していることが立証された。“彼女”は本人すら知らぬ内に、車両内にファンを増やしていたようだった。

 僕は再びオジサンを振り返った。吊革に捕まって立っていたはずのオジサンは、いつの間にか僕の頭の上に手をついて身を乗り出し、“彼女”たちの成り行きを見守っていた。これは、あれだよねぇ。と曖昧な笑顔でお互いにアイコンタクトをすると、まるで何事もなかったかのようにそっと離れた。

 そうして、“彼女”の恋は敗れ、車両の中はいつもの様通りの平凡な姿を取り戻した。

 ただ一人、“彼女”の姿を消して。




 “彼女”はその後4日ほど車両に姿を現さなかった。
 次の日は仕事を休んでしまう程ショックだったのかと心配したが、4日もとなるとその線は考えにくい。あいにくながら間に挟まれた土日の確認を取ることができなかったが、月曜に会った時にオジサンが微かに首を振っていたので、土日も姿を見せなかったのだろう。ところでおじさんはいつ休んでいるのか若干不安になった。

 きっと、気まずいんだろうな―――と。
 告白なんてしたことはないけれど、察することはできた。違う時間、もしくは違う車両に乗っているだろう“彼女”を思い出すと、これからの色褪せた日々を想像してため息を零した。

 毎朝の楽しみが一つ、無くなってしまった。

 “彼女”を見るのは楽しかった。
 もしかしたら、その熱い視線をこちらに向けて僕を認識してほしくて、僕も同じように見つめていたのかもしれない。
 けれど、高校生の僕がどう見ても社会人の“彼女”に声をかけるなんて、到底無理な相談だった。東大に合格しろと言われた方が現実的な話のような気がする。それぐらい、僕にとっては、気持ちを伝える事すら現実不可能な話だった。

 そんな風に焦がれた“彼女”を、もう見ることができなくなってしまった。

 僕は、お門違いだとは分かっていても、なんとなく“彼”に対して悪印象を持つようになった。
 わかっている。1年間見つめ続けていたのは“彼女”だけで、“彼”はちっとも“彼女”に気づいていなかったことなんて。つまり“彼”にとって“彼女”は初対面の人間で、そんな見ず知らずの人間に告白されて断わったとしてもしょうがないと…―――わかってはいるのに、どうしても胸のもやもやが晴れなかった。“彼女”を振ったというのに、“彼”はその後も涼しい顔をして電車に乗ってきていたのが、また腹立たしさに拍車をかけた。

 そんなもやもやと燻った気持ちを抱えながら、先の見えない退屈な毎朝が続く予感に、僕は深い溜息を吐いた。


 そして、僕らは“彼女”の底知れないポテンシャルを見せつけられることになる。




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