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第101話 何事の無かったかのように

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 窓から光が射し込んでくる。
 でもその光はいつもより弱く、聞こえてくる音からも今日が雨である事が分かる。

「ふぁ……ねむ」

 結局、あの後王都に帰って来た俺達に、これといって何かが起きた訳では無かった。
 そしてそのまま平和な時は流れ、日付は5月8日月曜日。
 学院に登校しなければいけない。

「おはよう、カレン」
「おはようございますお兄様」

 リビングに向かうと、いつものようにカレンが朝食を作って待っていた。

「今日は雨みたいだね」
「天気が悪いと、少し気分も落ち込みますね」
「確かに。あんな事もあったしね」

 先週の宮殿での話だ。
 魔族と戦ってきた俺やグルミニアならともかく、カレンにとっては刺激が強かっただろう。

「……そうですね。でもあの時のお兄様はいつも以上にかっこよかったですよ」
「そうかな? はは」

 俺はカレンに褒められ、気恥ずかしい気持ちを感じる。
 だけど、

「オリヴィア、大丈夫かな……?」
「……分かりませんね。でも、今は信じるしか無さそうですね」
「……うん」

 暫くして、俺達は食事を終えた。
 そして雨の中傘を差し、一週間ぶりに学院へと向かい始めた。

「……おっと、ここ水たまり出来てる」
「あら、本当ですね」
「靴下濡れたら最悪だなー」
「『氷床アイスフロア』」

 カレンは杖を軽く振る。
 すると道が凍り付き、水たまりが消えていく。

「すごい、けど……ここまでしなくてもいいんじゃ……」
「たまにはこういうのも良くないですか?」

 確かに暗い雨空の下。
 輝く氷の通学路はとても綺麗だ。
 それに何よりも、この景色を見て優雅に微笑んでいるカレンがとても美しい。

「……確かに、そうだね。よし、行こうか」

 俺は気分を切り替える為にも、努めて明るく、氷の道へと足を踏み出した。
 でも――

「……うわっ!」

 情けなくこけてしまった。

 ◇◇◇

「おはようオリヴィア」
「おはようアベル」

 教室に入れば、すでにオリヴィアは登校していた。

 オリヴィアの様子は普段と変わらない。
 あんな事があった後だから、学校に来なかったり、眼に見えて落ち込んだりしてそうなものだけど……。
 まぁ追及するのはやめておこうか……。

 俺は自分の席につき、教科書を机に入れながらオリヴィアに何でもない話を振った。

「中間テストって再来週くらいだっけ?」
「そうね……ってその本どうしたの?」
「ん?」

 オリヴィアが指差す床を見てみると、そこには一冊の本があった。

 本のタイトルは『聖杖の勇者、研究』。
 もちろん俺はこの本を知っている。
 なぜならこの本を買ったのは俺だし、暇な時間に読むために鞄に入れておいた。
 しかしこの本が床に落ちているという事は"俺が鞄から落とした"という事だ。

「え!? あぁ、これは俺の本だよっ」

 別に見られて困るものでは無い。
 でも恥ずかしいから、俺はその本を胸に抱えて隠した。

「聖杖の勇者、好きなの?」
「んんー!? ま、その、少し気になる程度かな??」

 ……少し気になるとかじゃなく、聖杖の勇者とは俺の事だ。
 後世でどんな風に思われてるか、気になるに決まっている。

「あの人って確か魔族狩りの英雄よね」
「ま、まぁ魔族を滅ぼしたって言われてるしね」

 ……俺はそんな事してないけどな。

「……その本なんていう本なの?」

 興味が出たのかな?
 この本、アマネの存在とか聖杖の勇者の生い立ちとか、結構的を突いていて、恥ずかしいからあんまり教えたくないけど……。
 でも、ここで言わないのも不自然だし……

「『聖杖の勇者、研究』って本だよ」
「覚えとくね」
「……はは」

 ◇◇◇

 キーン、コーンと鐘が鳴り、それに伴い先生が教室から出ていく。
 これで今日の授業は終わりだ。

 ふぅ……疲れたな。
 久し振りの授業はやっぱり大変だ。
 自然と身体が背伸びをしてしまう。

「んんー……」
「じゃあねアベル」

 伸びをする俺に、隣の席のオリヴィアが別れの挨拶をする。

「あぁ。また明日、オリヴィア」
「うん。アベル、その……」
「何?」
「えっとね……」

 オリヴィアは何かを悩み、俺に何かを伝えようとするが、

「オリヴィアーはやくー」
「先いっちゃうよー」

 オリヴィアの友達がオリヴィアを呼ぶ。

「友達呼んでるよ」
「うん。……じゃあね」
「あぁ」

 オリヴィアが最後に、何を伝えようとしたのかわからない。
 そのまま行っちゃたし、それ程重要な事では無いのだろうか?
 ……ま、とりあえず俺も帰るか。

 俺は鞄の中に教科書と筆記用具を入れ、学院の校門へと向かった。

 ◇◇◇

「アベル君、久しぶりねぇ~」

 軽く身体を動かすだけなのに、豊満な胸が揺れる。
 ただの世間話なのに、その喋り方さえ妙に艶めかしい。

 妖艶さを漂わせながら俺に語りかけるのは、金のウェーブがかった髪に、
 肌面積の多い服を着た女性。
 サラスティーナさんだ。

「確かに一週間来てなかったですからね」
「でも、一年顔を見せない事に比べたら短いかしら?」
「もう、茶化さないでくださいよ」
「ごめんごめん~。アベル君が可愛くて、つい」

 サラスティーナさんは楽しそうに笑いながら、両手を胸の前で合わせた。
 俺はそれに対し、出来るだけいつも通りの表情を作る。
 こんな綺麗な人に可愛いと言われて嬉しくない訳じゃないが、絶対サラスティーナさんの方が可愛いし、ここで恥ずかしがったらまた何か言われるだろう。

「にしても、宮殿は楽しかった?」
「……楽しかったですね。色々ありましたけど……」
「何かあったのぉ?」
「向こうの事件に巻きこまれて、少し大変だったんですよ」
「宮殿が襲撃された、って話?」
「え!? どうしてそれを!?」
「昨日来たお客さんが言ってたのよ。魔族のせいだ、とも言ってたわね、ふふ」
「ん!?」

 サラスティーナさんは魔族のせい、という言葉に面白さを感じているのだろうけど……実は本当ですよ!?

 実際魔族はまだ生き残っているし、俺達を襲撃したのも魔族だ。
 サラスティーナさんには分かっていないと思うけど……。

「魔族なんているわけないのにねぇ~、ふふ」
「そ、そうですね……」

 ハーフですけど、魔族が横にいますよ。

「そういえばぁ、昔の知り合いに"私は魔族だ″って言っていた人がいたわねぇ~」
「誰ですかその人?」
「この前探してたお守りをくれた人よぉ~。その子、アベル君に似た可愛い子よぉ~」

 サラスティーナさんに頭をわしわしされた。

「それは女の人じゃないんですか? 俺は男ですよ」
「可愛いに性別はないんじゃないのぉ?」
「ま、まぁ確かに……」
「サラちゃ~ん! なら俺も可愛いじゃないのー?」

 常連のお客さんが酔っぱらいながら声を上げた。
 俺達の話を聞いてたんだな。
 ……すごい、恥ずかしいな。

「あなたはぁ~微妙かもね」
「ハハハ、厳しいな! じゃあビールと豚の甘辛、追加だ!」

 酒飲みの人ってたまに謎の理論を展開するけど、これもどういう理論なんだ?
 まぁ……十中八九酒が飲みたいだけだろうな。

「は~い。アベル君は料理の方お願いねぇ~」
「あっ、わかりました!」

 俺は厨房へと向かった。
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