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プロローグ
しおりを挟む白を基調とした、整然と区画分けされた店内は女性客で溢れている。
様々なブランドの化粧品の匂いが混じり合って甘ったるい香りが充満している。いかにもデパートの匂いだと、隼人は顔をしかめた。
目当てのものを買えたのか、客たちの表情は晴れやかだ。だが、隼人はやはりここが嫌いだと改めて実感してしまう。
清潔感と高級感を兼ね備えた店の間を足早に進んでいく。どの店員も張り付いたような笑顔を浮かべていた。
(こんなところで働きたくもないが、現場を経験しておかないと上にはいけないからな)
高級コスメブランドの並ぶ一階から二階、三階へとエスカレーターで上がっていく。甘ったるい匂いは大分和らいだが、今度は若い女性のはしゃぐ声が耳につく。
(そうか。東京店の三階は改装したばかりだったか)
それがそもそも自分の案だったと気づいて苦笑した。
客の入りはいい。それはデータで知っていたが、実際に見てみるとずいぶんかしましいものだなと思う。
フロアのどこにいても、上を見上げれば高い天井から吊り下げられた、立方体の大きなモビールが見えた。
ここ、福丸屋東京店の象徴として創業時から飾られているものだ。
現在は海外の有名デザイナーとのコラボだとかで、赤青黄色とカラフルに塗り込められている。毒々しい色の箱が頭上でゆっくりと回転しているのを隼人は見るともなしに眺めた。
頭に響く黄色い声とぐるぐるまわる極彩色。隼人の生活と無縁だったものが一気に押し寄せてくる。ここが春から自分の拠点になるのだと思うと、気が遠くなってぐらりと目の前が揺れた。
「……っ」
軽い貧血だろうか。視界がかすみそうになって、慌てて近くのベンチに座る。
手で頭を支えながら、暗澹たる気持ちになった。
昔からここが大嫌いだった。きらびやかな世界の裏に、他人を踏みにじってもなんとも思わないような人間がいることを自分は知っている。
こんな美しさなどすべてまやかしだと思ってしまう。
「お客様、いかがいたしました?」
鈴を転がすような美しい声が自分に向けられているものだと気づいて顔をあげた。
目の前にいるのは福丸屋の制服を着た女性だった。自分よりもおそらく三つか四つ若い。
「ああ、いや……」
大丈夫だ、と告げて立ち上がろうとするが、うまく体に力が入らなかった。
自分で思っていたよりもひどい貧血だったようだと、嫌気が差してくる。
「失礼いたします」
女性が隼人の額に手を伸ばす。ハンカチで汗を拭われると、香水ではない甘い香りがふわりと漂った。
そうされているうちに隼人の体調もやっと良くなってくる。
改めて女性を見ると、それが美貌の持ち主であることがわかった。
やや釣り目がちの大きな瞳と抜けるように白い肌が印象的だ。体調の悪い客を前にして気を張り詰めているのか薄い唇は引き結ばれている。その表情と、きっちり一つにまとめられた暗い栗色の髪が相まって、氷のように硬質で冷淡な印象を受けた。
「裏で休んでいかれますか? それともお車をお呼びいたしましょうか」
「いいんだ。大分よくなった」
内線用のPHSに手をかける女性を制した。
硬い印象だが、冷静な対応は悪くない。親しみは与えないかもしれないが、そのかわり客に安心感を与えることができる。高級な商品を扱うデパートという店柄、こういう店員がいることは大切だ。
さぞ仕事のできる人物なのだろうと隼人は当たりをつける。
「このデパートは幸せだな。君みたいな従業員がいて」
上で働く自分という人間は、この場所を嫌っているというのに。つい皮肉を込めてしまったことに言ってから気づいた。
「ありがとうございます」
女性は隼人の思惑に気づかず、口元を柔らかくゆるめた。
硬質だった印象が一変して、笑った顔は柔和で愛らしい。隼人は不覚にもドキリとしてしまった。
「君はこのデパートが好きなんだな」
「……憧れの場所だったんです。ずっと前から」
「君なら……もし大嫌いな場所で働くことになったとしたらどうする」
こんなところで油を売っている場合ではないのに、ついそんなことを聞いてしまった。この女性にどうしても聞いてみたいと思ってしまったのだ。
「好きになれるところを探すと思います」
「気が長いんだな」
「そうかもしれません。一応粘り強いところが長所って、履歴書にも書いたので」
採用試験のことでも思い出したのか、女性は少し照れくさそうに目を細めた。
「なら、同僚が君の好きなこの場所を嫌っていたらどうする? 君は楽しく仕事をしているというのに、そいつは周りの士気を下げるようなつまらなそうな顔で働いていたら」
女性は少し考えたあと口を開く。
「そうですね……転職を勧めるかもしれません」
やっぱりな、とどこかがっかりする自分に驚いた。
自分はこの女性にどんな言葉をかけてほしかったというのか。
「でも……」
「でも?」
「もしその人が、今は嫌いでももう少し頑張ってみようと思っているなら、協力します」
「それがどんなにいけ好かない奴でもか?」
「はい。一緒に働く仲間なので」
優等生の回答だな、と思う。同時に気持ちが少しだけ軽くなっている自分に気づいた。
「好きなもの、ね」
隼人が立ち上がると、女性も慌ててそれにならった。
「お客様、具合はもうよろしいのですか?」
隼人はもう一度、女性の顔をしっかりと確認した。もうさっきまでの笑顔は消えて、デパートの従業員らしい生真面目な表情に戻っている。
胸元のネームプレートには『塚原』とあった。
「もう良くなった。ありがとう」
下りのエスカレーターへ向かいながら、まずはあの子の下の名前を調べるところから始めようかと考える。
正式な人事異動の四月まではまだ幾分時間があるのだ。
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