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第2章 1
しおりを挟む真っ暗になったオフィスの一画にだけ蛍光灯の明かりが灯っている。
ずらりとパソコンの並ぶ人気のない部屋で、麻由は画面とにらめっこしていた。
画面の中のワープロソフトはまだ白紙のままだ。
終業時刻からしばらく経って、本来この部屋を使っている企画営業部の面々も帰ったなか、パソコンを借りに来た麻由だけがまだ残っている。
麻由は山積みにした資料のファイルを一冊取って、パラパラとめくってみる。
(どうしよう。どれもすごく面白いし、クオリティが高い……)
歴代の企画書が入ったファイルだ。
自分が作ってきたものが急に稚拙なものに思えて、気持ちばかりが焦っていく。
「でも、やらないと……」
実力で仕事をもらえたわけじゃないんだから。そう考えて胸がチクリと痛んだ。
やりたいと思っていた仕事のチャンスが巡ってきた。それは自分の企画が良かったからではないけれど。
きっかけはどうあれ、仕事をもらえたのは事実だ。実際に企画が動き出してしまえばそんなことは関係ない。自分だけが関わる仕事ではないのだ。
他の社員にも面白いと思ってほしいし、お客さんにも喜んでほしい。
日中は接客で店頭に出ているので、こうして終業後にパソコンを借りて企画書を作っていたのだった。
きゅう、とさみしげにお腹が鳴った。業務中、唯一自由にできる休憩時間もパソコンにかじりつきだった。昼食を抜いたのが今になって効いてきたようで、目の前がかすむ。
仕事に集中していると気づかなかったが、集中力が途切れて一度意識しはじめると空腹感はどんどん大きくなって、目の前の作業に集中できない。
「やらなきゃ、だめなのに……」
考えれば考えるほど、頭の中はもやがかかったようにかすんで、アイディアの一つも思い浮かばなかった。
積んである資料はもちろん社外秘なので、家に持ち帰って閲覧することもできないのだ。
なんとか会社にいるうちに進めないと、と麻由は焦る。
(今度は「出してこないで」なんて言われたくない……!)
何時間ものあいだ白紙だった画面に、黄色い付箋のイメージが被さって指先が震えた。
面白いものを、と考えるほど手が動かなくなるのはどうしてだろう。
一体どうやったら認めてもらえる企画ができるのかわからなかった。
「なんだ、まだ残ってたのか」
頭を抱えてうなだれていると人の声がして慌てて顔を上げた。
近づいてきた人影は、蛍光灯の明かりの下で驚いた顔の隼人だとわかった。
麻由は警戒して体を硬くすると、ほんの少しだけ、床を蹴って隼人から距離を取る。椅子のキャスターがきゅる、と頼りなげな音を立てた。
「お、お疲れ様です」
隼人は気にするそぶりもなくさらに近づくと、真っ白なパソコン画面をのぞき込む。
「企画書か? なんでまた」
隣に積んである資料と画面を見比べて、不思議そうな声を出した。
そんなものは作らなくていい、と言いたいのだろうか。それはあまりに無責任だと、麻由は少なからず憤りを感じた。
隼人と付き合うことで得た権利だが、だからといって適当にやるわけがない。むしろ、純粋に勝ち取った評価ではない分頑張らなければいけないのだ。
「私、手を抜くつもりありませんから」
威勢良く啖呵を切ると、お腹の方もさっきより威勢良くきゅうきゅうと鳴った。
これではあまりに格好がつかない。麻由は赤くなって、お腹を押さえた。
笑われることを覚悟したが、隼人はむしろ険しい顔をしている。
「もしかして、食事をとってないのか?」
「だって……」
「夜だけか? まさか昼も?」
自己管理がなっていない自覚はある。答えたくなくてうつむくと、肯定の意をくみ取って隼人は大きくため息をついた。
「ただでさえこんなに細いのに」
遠慮なく手首をつかまれて、ぎくりとする。だが麻由の警戒と裏腹に、隼人の触れる手つきにいやらしさはなく、どうやら本当に心配してくれているらしいことが感じ取れた。
「もう切り上げろ。そんな状態で粘っていてもアイディアなんか出ないぞ」
「で、でも」
食い下がる麻由にお構いなしに、隼人はさっさと画面を操作して、パソコンの電源を切った。
「ひどい……まだ保存してなかったのに」
「保存するようなデータなかっただろ」
その正論がぐさりと心に突き刺さる。
「ついてこい」
「ど、どこに?」
隼人は答えることなくさっさとオフィスを出て行った。
正直、仕事が終わったならもう帰りたい。でももちろん逆らうことはできない。
自分が今仕事という人質を取られていることをしみじみ実感する。
麻由は仕立てのいいスーツに身を包んだ後ろ姿をにらむと、観念してそのあとを追った。
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