腹黒御曹司との交際前交渉からはじまるエトセトラ

真波トウカ

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 隼人の運転する車の助手席に乗って、窓から流れていく町の景色を見る。かたくなに外を見ているのは二人きりの車内が気まずいからだ。どんな顔で隼人に接すればいいのか、麻由にはわからなかった。
 嫌いだった人を知らずに好きになって、好きになった人をもっと嫌いになった。なのに、自分はまだ隼人の恋人なのだ。
 賑やかな表通りのネオンを目で追いながら、麻由は必死で考えを巡らせるけれど、どんなに考えても今までの自分の人生でそんな人物はいなかった。
(かたくなな態度をとるよりは、ニコニコと愛想よくしたほうがいいんだろうな)
 今後の仕事のことを考えるならそうに決まっている。伊達に接客業をやっていない。
 笑顔を作ることに苦手意識はない。けれど、それでいいのだろうか。
 自分のかたくなさはよく知っている。だから今まで恋人ができなかったことも。それを今あっさり折れてしまっていいのだろうか。寄りかかっていたプライドを取り払ってしまったら今度こそ本当に自分が自分でなくなる気がして、少し怖い。
(だったら、やっぱり付き合うことなんてできないって言うべきだったのかな)
 仕事に対してハングリーな自分。恋愛観にこだわりのある自分。その二つは両立するものだと漠然と思っていたけれど、勝ったのは前者だった。
 そうまでして仕事を選んだ自分はおかしいのだろうか。
 考え込んでいると、急に視界からネオンの明るさが消えた。車は小さな路地に入ったのだ。
(どこに連れて行かれるんだろう)
 内心ビクビクしていると、隼人は車を駐車場に止める。
「ここ」
 目の前にはこじんまりとした印象の店があった。
 白いのれんの右下に「割烹 てん」と控えめな毛筆の文字がある。
 隼人は引き戸を開けるとためらいなく中に入っていった。
 飲食店ということはわかるが、外にメニューは出ておらず、中の様子が見られるような窓もない。一人だったら入る勇気の出ない店構えだ。
 おそるおそる隼人に続いて中に入ると、暖かな空気とふわりと香る出汁の匂いに、急激にお腹が空いてきた。
「あらっ、隼人さん。今日はお連れの方がいるんですね」
 カウンターには二人組のサラリーマンが小鉢を肴にビールを飲んでいる。その向こう側で五〇代くらいの小柄な女性が笑顔を見せた。
 親しげな様子に、隼人はここの顔なじみだとわかる。
「上の座敷、あいてる?」
「ええ、ええ。どうぞあがってください」
 勝手知ったる様子で、カウンター横の階段から隼人は二階へと上がっていく。
 慌ててあとを追うと、カウンターの中の女性と目が合った。
 笑いかけてくれる顔は優しげで、親しみやすそうな感じだ。
 誰もが「お母さん」と聞いて思い浮かべるような、人に安心感を与える表情だと思った。
 二階には個室が一つあるだけだった。外観から予想されるとおりのこじんまりとした店内だが、どこもよく手入れされており、さりげなく置かれている和雑貨のセンスもいい。小さく流れるBGMは昔のヒット曲を琴でアレンジしたものだ。居心地のいい場所だと麻由は思う。
 机越しに向かい合って座布団に座った。
「和食は好きか?」
「ええ、まあ……。ここ、よく来られるんですか」
「典子さん――女将さんと昔からの知り合いだから」
 下にいた感じのいい女性は典子というらしい。噂をすれば控えめな足音と一緒に、二階へあがってきた典子が座敷に顔を覗かせる。
「なにをご用意しましょう」
「苦手なものはあるか?」
「いえ、特には……」
「じゃあ今日のおすすめで」
 隼人が注文を通すと、典子は困った顔で抱えていたメニューを麻由に差し出す。
「隼人さん、そんな……。こちらのお嬢さんだって、ええと――」
「塚原と申します。塚原麻由です」
「麻由さん。麻由さんだってお好きなものをお食べになりたいでしょう」
 麻由の返事を待たずに、隼人が口を開く。
「いや、いいんだ。どうせ遠慮するんだから。彼女、昼からなにも食べていないからあまり重くないもののほうがいいな」
「まあ大変。じゃあヒラメの煮付けとレンコンのきんぴらにしましょうかねえ」
 おいしそうな献立に聞いているだけで喉がこくりと鳴った。
「うちのおすすめは豚の角煮なんですけど、やめておいたほうがいいかしらねえ。坊ちゃんはどうなさいます?」
「食べる。あと坊ちゃんはやめてくれないか」
「あらあら、失礼しました」
 明るく笑う典子の隣で隼人はばつが悪そうな顔をしている。その姿は母親と話している子供のようで、なんだか親しみが持てた。
(坊ちゃんってことは、子供の頃からの知り合いなのかな)
「あの、典子さんってどういうご関係で……?」
「いや、だから昔の知り合いだ」
 典子が退室してから聞いてみるが、少しだけふてくされたように早口で返された。まだ地元にいた学生の頃、出先で同級生と母親が一緒にいるのを見てしまったことがある。大人びた印象のその男子は、母親の前では少し甘えん坊で、麻由にそれを知られてしまって、なんだかすねたような顔をしていた。今の隼人がそんな思春期の男子の姿に少しだけ重なって、麻由は小さく笑った。
 なにを考えているかわからない隼人だが、それでもやっぱり人の子だと思って、親近感がわいてくる。
 隼人は場の空気を変えるようにこほんと咳払いをすると続ける。
「で、君はなんで昼休みを返上して働いてたんだ。とても効率のいい働き方だとは思えないな」
「だって、そうしないと他の人に追いつけないから……」
「そんな働き方では追いつくどころか先に倒れるのがオチだ。君は部門長だろう。君が倒れれば他の従業員だって困る。自覚がないと思わないのか」
 悔しいが、隼人のいうことは正論だった。事実、企画書に気を取られて売り場に立っている時に上の空になっていたこともあった。エリナや蘭たち、他の販売員が優秀なので売り場は問題なく回ったが、それは甘えだと、麻由は唇をかみしめる。
「だけど、企画をいいものにしたくて……」
 口から出るのは泣き言ばかりで歯がゆくなる。
 だが、隼人はそれをとがめなかった。
「だったら俺を頼ればいい」
 大きな手が髪に伸ばされて、反射的に体をびくりと震わせた。
「や……っ!」
 両手で守るように体をかき抱くと、隼人は悲しげに眉を下げた。
「……さすがに傷つくんだが」
「す、すみません」
 やってしまった。隼人と恋人の関係を続ける以上、こうなることも予測していたはずなのに。

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