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しおりを挟む麻由は姿勢を正して、口を開く。なるべく、冷静に。仕事中のようなポーカーフェイスで。
「ど、どうすればいいですか。脱げばいいですか!?」
「はあ?」
虚勢もむなしく、声は震えてうわずっている。
「いや、とか言いません。本当は実力で仕事をしたかったけど、でも……」
今の自分にはきっと無理だから。仕事をするなら引き換えに体を差し出すって、隼人が空閑MDだと知った日、決めてしまったのだから。
うつむいた瞳に自分の拳が映る。膝の上で、強がるように握りしめられたそれは、小刻みに震えていた。
黙って聞いていた隼人が、一拍遅れて笑い出した。
「はははっ、いや、そういうことか。突拍子もないな、君は」
なぜ笑われているのかわからずに、おそるおそる顔を上げると、隼人は相当ツボに入ったのか、目尻の涙を拭っていた。
「まさか自分が体で仕事を取ったって思ってるのか? 面白いことを考えるな」
「ち、違うんですか」
「麻由に企画を任せようと思ったのは、君の企画が面白かったからだよ」
「で、でも、企画書にもう出してくるなって」
「確かに企画書を読んだときは面白くなかった。でも口頭で説明してたあれは面白かった。検討の余地があると思ったよ」
あの夜、タクシーで散々くだを巻いていたことが思い出される。
(そっか、あのとき空閑MDの悪口だけじゃなくて、企画の内容についても話したんだっけ)
実現は難しいと思っていた、自分の理想の企画。それを隼人は黙って聞いてくれていた。「遊び心がないとか言ってたが、ちゃんとあるじゃないか」
自分の企画は正当に評価されていた。隼人の言葉に胸がじんと熱くなる。
「お待たせしましたねえ」
典子の言葉とともに、ふすまが開く。聞いただけでおいしそうだと思っていたメニューは、想像以上においしかった。
薄い味つけながらよく出汁のきいたどこか懐かしい味と一緒に、隼人の言葉がじわりと体にしみこんでいく。食べ終わる頃には張り詰めていた気持ちが穏やかなものになっていた。
一人で帰れます、という言葉を無視して、隼人は麻由を来たときと同じように助手席に乗せた。
車を走らせる隼人の横顔をそっと盗み見る。
自分に付箋をよこした空閑MDのことが大嫌いだったはずだ。けれど、今は同一人物である隼人に救われたような気分になっている。
すっと通った鼻筋から細い顎のラインが描く横顔は完璧な美しさだった。ほんの少しだけ上がった口角に余裕が感じられて、かっこいいと思ってしまう自分に腹が立つ。
隼人がなにを考えてるかは全然わからないというのに、優しい言葉くらいでほだされている自分がいやだった。
車は繁華街を抜けて、気付けばホテル街に入ってきていた。ピンク色のネオンがいかにもな雰囲気を醸し出していて、麻由は窓の外を見るのをやめた。
(私が隼人さんと付き合ってるってことは変わらないんだった……)
仕事を認めてくれたのと、その事実は別の話だ。
どうか周りの景色に気付かず通り過ぎてほしい。
「麻由」
祈るような気持ちでうつむいていると、隼人の手が腿の上に置かれた。
スカート越しの体温が生々しくて、麻由は体を硬直させる。
「寄っていってもいいか?」
「は、い……」
落胆したままかろうじて言葉を絞りだす。
結局、体の関係は持つのか。励まされていた自分が馬鹿みたいだと、自嘲した。
車が止まる気配にきゅっと目をつぶる。安っぽいネオンの彩るホテルはどんなところなのか、もちろん麻由は知らない。それがさらに恐怖心を煽った。
隼人が車から降りたのが音でわかったけれど、麻由はそのまま動けないでいた。
しばらくすると、隼人が運転席に戻ってくる。
「ほら」
「え?」
車から降りるよう促されないことに疑問を抱きつつ目を開けると、止まっていたのはコンビニの前の路上だった。隼人がこちらに差し出しているのは茶色い瓶の栄養剤だった。
「明日の朝、きつかったら飲むといい。これはよく効くから」
「ありがとう、ございます……?」
てっきりホテルのどれかの駐車場にいるものだと思っていた麻由は、不思議な気持ちで栄養剤を受け取る。
車はそのまま進むと、繁華街を抜けて、麻由の見慣れた景色を進んだ。
そして、一人暮らしをしているアパートの前で止まる。
「ついたぞ」
「は、い……」
「あれ、場所違ったか?」
いつまでも降りようとしない麻由に隼人は不思議そうに顔をのぞき込んでくる。
麻由ははっと我に返った。
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