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しおりを挟む頭の中が整理されていくにつれて、感情は混乱から怒りの色が強くなっていった。
指定された店に着く頃には宿敵と対決するような、燃えたぎる怒りの炎が心中に渦巻いていた。
路地裏にある小さな看板のビストロの扉を開くと、感じの良さそうな店主が迎え入れてくれた。名前を告げるとすぐに奥へと通してくれる。
「やあ」
すでに到着していた隼人は長い足を優雅に組んで座っていた。その余裕ある笑みに麻由の怒りはさらに強くなる。
「だましましたねっ!!」
静かな店内に麻由の声が響いた。椅子を引いてくれていた店主も驚いた顔をしている。
「あ、す、すみません……」
取り乱したのが急に恥ずかしくなって、麻由は小さくなって椅子に腰掛けた。隼人が喉の奥で小さく笑ったのがわかって、抗議するようにキッとにらむ。
「だますなんて最低です」
声の調子は落としたが、抗議しようと燃える心は折れていない。
「心外だな。だましてなんかいない」
余裕の物言いは、今朝は翻弄されてもいいなんて思ったけれど、今は苛立つばかりだった。
「空閑MDだって言わなかったじゃないですか」
「聞かれてないからな。答えた名前に嘘はない」
確かに「隼人」という名前は本名で、名乗られたときに名字を聞かなかった麻由にも落ち度はある。
あのとき酔っていなければ、と麻由は顔をしかめた。
「だけど……部署とかも聞いたのに……」
「企画営業部なのも本当だ」
マーチャンダイザーは隼人にのみ与えられた役職で、所属は企画営業部だ。確かに隼人は嘘を言っていない。
「まさか俺に気づいていないとは予想外だった。そうじゃなかったらあんなピンポイントで自分の話が出てくるなんて思わないだろう」
中途半端に酔っていた自分が恨めしい。もっと酔っていれば記憶を失えたかもしれないのに。くだを巻きながら隼人に話したことが次々と脳裏によみがえってくる。
本人を前にして自分はなんて悪口を言ってしまったんだろう。
「……すみませんでした。陰口なんて言って」
怒りの炎は急に鎮まって、うかつすぎる自分の言動に嫌気がさしてくる。
酔っていたとはいえ、アホだのパワハラだの、人に言うことではなかった。
麻由はおとなしく頭を下げる。
「怒ってなんかいないさ。自分に対する率直な意見を聞けるなんて貴重だ」
隼人の声には確かに怒りは感じられなかったし、表情は余裕ある笑みが浮かべられていたが、麻由にはそれが本心なのかわからない。
(でも、あんな風に言われて怒らないなんて嘘でしょ……)
終わった。なにもかも。
催事の企画は隼人が中心になって立ち上げている。その人に悪印象を与えてしまったのだ。ただでさえもう出してくるなと言われている企画書だ。二度と麻由に企画を採用してもらうチャンスはないだろう。
「本当に……すみませんでした……」
最後に一度謝ると、ふらふらと立ち上がる。
これからなにをモチベーションに仕事をしていけばいいのだろう。というか東京店にいられるかすら怪しいのではないだろうか。
暗い未来を描きながら帰ろうとする麻由の手を隼人がつかむ。
「どうして帰る? デートの約束は取り付けたはずなんだがな」
「だって……」
隼人の意図がわからず、麻由は視線を泳がせた。
まさか隼人がまだ自分とデートをしたいと思っているとでもいうのだろうか。散々自分の悪口を言った女と。
「あの、冗談ですよね?」
「冗談なわけあるか。恋人と食事することのなにがおかしい」
「恋人って……」
「俺の告白を受け入れてくれただろう」
隼人が口角を上げる。
「あ、あれ、本気で……?」
笑みを浮かべたまま隼人はなにも言わない。本気だとも、冗談だとも。
(なに考えてるの……意味わかんないよ……)
とにかく、このまま隼人と食事をするなど考えられない。未来のない自分の仕事と顔をつきあわせている気がするからだ。
店に来るまではメラメラと燃えていた怒りの炎は消え、今は戸惑いと落胆が心を占拠している。とにかくもう隼人と関わりたくなかった。
「なかったことにしてください」
つかまれていた手を振りほどき、出口へ向かおうとする麻由の背を隼人の声が追う。
「いいのか? 仕事の話も進めようと思っていたんだが」
「え?」
思わず足を止めた。
「今度の催事企画は君に任せようと思っている」
その言葉に耳を疑った。
(本気で言ってるの?)
春からずっとやりたかった仕事だ。もう絶対に自分にチャンスはないと思っていたのに。
それをやらせてくれるというのだろうか。
「座るといい」
隼人が視線で椅子を指し、麻由は操られたようにふらふらと座り直した。
「仕事って……」
「やりたかったんだろう。熱弁してたじゃないか」
「それは、その……隼人さ、空閑MDとお付き合いをすれば私に企画を任せてくれるってことですか」
「隼人でいい」
イエスともノーとも言わず、隼人は相変わらず薄い笑みを浮かべている。
心臓がバクバクとうるさい。それを麻由は服の上からぎゅっと押さえた。
(そういう、こと……)
付き合う代わりに企画をさせてくれるなら、もう乗るしかない。これが自分に与えられた、きっと最後のチャンスだ。
「君、ワインは飲めるか? ああ、アルコールは弱いんだったな」
浅く腰掛けていた椅子に座り直すと、麻由は決心して隼人をまっすぐに見つめた。
「いえ、いただきます」
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