19 / 48
8
しおりを挟む「悪い、ちょっと出る。――はい、空閑です」
話しているうちにだんだんと隼人の顔は曇っていった。
「はい、ええ。今日、ですか……わかりました」
電話を切ると隼人は申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまない、仕事が入った」
「いえ……しょうがないです」
「埋め合わせはするから。……そんな悲しそうな顔しないでくれ」
なだめるように頭をなでられて、慌ててその手から逃げる。
「し、してません」
隼人は笑うが、今のが冗談だったのか、それとも自分が本当にそんな表情をしていたのか麻由にはわからなかった。
*
高級感溢れるデパートの外観と違って、基本的に客を迎え入れる用途ではないこの建物は無駄をそぎ落とした素っ気ないデザインだ。
隼人はよく見慣れたビルを見上げた。
中に入っても、デパートのきらびやかすぎて作り物っぽさの溢れる内装よりは事務的なこちらのほうが落ち着く。
会議のあと、電話をかけてきたのは本部の元上司だった。定例会議に隼人も出てほしいとのお達しに、久しぶりに福丸屋の本部ビルへと足を運んだのだ。
(それは別にいいんだが、なんでよりによって今日なんだ)
隼人は顔をしかめながら、会議室のある上階行きのエレベーターに乗る。
今日の会議は福丸屋の地方店からも代表が来ている。地方から来るのは大抵部長クラスの人間だ。大きな会議だが、現在は東京店勤務で、役職だってまだ下の自分がなぜ呼ばれたのかわからないまま隼人は席に着いた。
配布資料を読み上げるだけの淡々とした報告が終わり、議題はデパートの品位の話に移っていく。
「空閑グループの運営する中には若者向けのファッションビルもある。そんななかで、私たちデパートがわざわざ若者に迎合するのはどうかという話なんです」
熱弁しているのは地方店の営業部長だった。
同席していた本部部長が隼人に目配せしてくる。隼人はやっと、なぜ自分がここに呼ばれたのかを理解した。
東京店のみで展開している若者向け部門の『フルール』は、成功すれば全店で導入したいと思っていた。そのことへの反発があったのだろう。
そこで立案者の隼人を矢面に出してきたというわけだ。
実際に数字を出しているというのに、これだから古い人間は困る。隼人は内心で悪態をついた。
「東京のど真ん中に店を構えておいて、若者を無視した戦略をとるなんてあり得ないでしょう。デパートは老若男女すべての人のものであるべきだ」
「お得意先のご子息ご令嬢が使うならそうでしょう。しかし東京店は明らかに本来のデパートの客でない者をターゲットにしている」
「店が客を選ぶというんですか」
「そういうわけでは……」
隼人は冷静になろうと努めるが、だんだんと内心腹が立ってきていた。
「今後もデパートを存続させたければそんなことを言っていてはだめだ。若いうちからなじんだ店でないと年齢を重ねても足を運ぼうとは思いませんよ」
つい熱の入った物言いになってしまって、その迫力も相まってか、相手は引き下がった。
議題が別のものに移り、隼人は自分の内側にある熱いものを逃がすようにふーっと息をついた。
(なにやってんだ。柄にもなく)
らしくない、と思いつつも、同時になぜ他店の人間はそんなこともわからないのだろうと思う。
早く東京店で実績を上げて、本部に戻りたい。ゆくゆくは地方店も含めて経営権を握って自分の好きなようにしてやりたい。
湧き上がる気持ちを持て余しているうちに、めぼしい議題もないまま会議は終わった。
自分が会議に呼ばれた意味はわかったが、意義は見いだせなかった。くだらないことで呼びやがってと辟易しながら立ち上がりかけたとき、お茶を下げに来た女子社員に話しかけられた。
「あの、さっき感動しました」
「え?」
なんとなく見覚えのある顔だ。本部時代もこうして事務仕事をしていた総務部の人間だろう。
「空閑課長……あ、今は空閑MDでしたっけ。本当にデパートを愛しているんですね」
女子社員は本気で言っているらしく、思わず鼻で笑い飛ばすところだった。
(なんでそうなるんだ。逆だよ)
まだ若い社員に人を見る目を求めるのは酷かとも思うが、そんなんじゃすぐ人にだまされるぞと注意したくなってくる。
まったく馬鹿馬鹿しい話だ。自分は復讐するために仕事をしているというのに。
「伝わって嬉しいよ」
皮肉を込めて極上の営業スマイルを見せてやれば、女子社員は顔を赤らめてうつむいた。
(なにしてんだ、俺)
くだらない会議のあとは、女子社員に油を売って。
むなしさだけが心の内に広がっていく。さっき顔を合わせていたばかりだというのに、なんだか無性に麻由に会いたくなった。
麻由はポーカーフェイスだと言われている。確かに一見、凜とした美しい外見と相まって表情の薄い顔は頼もしさと同時にとっつきにくそうな印象を人に与える。
だが、自分はその下の顔を知っている。
氷のベールの下に隠されているのはとても豊かな感情だということを。
負けず嫌いで努力家で、責任感が強くて純情で。目に見えるのはほんのちょっとの変化だけれど、実はとても感情表現豊かな女性なのだと知っている。
きっとそれは自分しか知らない事実だ。そう思っただけで優越感に気持ちが高ぶった。
顔を赤らめて目をそらす。それだけのことがあんなにもかわいい女性。知ってしまったらもう目が離せない。
会いたい。声が聞きたい。気づけばそんな風に考えてしまう。
隼人は胸ポケットの携帯電話に手を伸ばしかけて、やめた。
自分から言うのは流儀じゃない。きっといつか麻由のほうからそうねだらせてみせよう。
麻由はなにを自分にねだるだろうか。会いたい、声が聞きたい。それとも――
そんなことを考えるだけで楽しくなってくるのはさすがに年甲斐がないなと隼人は苦笑した。
0
あなたにおすすめの小説
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
溺愛のフリから2年後は。
橘しづき
恋愛
岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。
そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。
でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる