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しおりを挟む「先輩、すみませんっ。あのお客さん、最近よく来るんですけど、言いがかりつけてなかなか帰ってくれなくて」
「え、あ……」
恐怖で乾いた喉が、上手に言葉を紡いでくれない。
麻由をさりげなくかばうように隼人がエリナの前に出てくれる。
「それは大変だったろう。今度からは男性社員を呼ぶといい。ちょっと売り場を頼めるかな」
ねぎらいの言葉にエリナは嬉しそうに「任せてください」と胸をたたく。
「塚原さんはこっち」
隼人に軽く背を押されて、麻由はバックヤードへと入った。
「大丈夫か」
「は、い……」
客の目のないところにきて、体が感情に追いついてきたようにカタカタと震えだした。
(怖かった。殴られるかと……)
「売り場の彼女にも言ったが、今度から男性を呼ぶといい。まあ、後ろで見ていたフロア長の彼は頼りにならなそうだが」
「す、すみませんでした……。うまく対応できなくて……」
「責めてるんじゃない。ああいった手合いは若い女性というだけでなめてかかってくるというものだ」
まだ震えの収まらない体は隼人に優しく抱き留められる。
「震えてるな。かわいそうに。もっと早く行ってやれれば良かったんだが」
「隼人さ……」
「よく頑張った、麻由」
たたえるように頭をポンポンと軽くなでられる。その手つきが優しくて、触れたところの体温が温かくて、うわずっていた呼吸がだんだんと整ってくるのがわかった。
(隼人さん、私を落ち着けるためにこうしてくれてるんだ)
密着しているのに、いやらしさのない手つきで触れてくれている。
他の人が見たら誤解をしてしまうかもしれないと思ったが、麻由はまだこの暖かさに甘えていたいと思った。
*
スクリーンにスライド資料を投影するため、会議室の明かりは落とされていたが、それでも目の前に座る人たちの視線の動きは気配でわかった。
画面が切り替わるたびにスライドを、話し始めるたびに麻由を。男性社員たちの真剣なまなざしが移動しているのが感じられる。
「では次にこちらの表をごらんください」
視線に気圧されないように、小さく深呼吸をすると、麻由は用意していた次のスライドに画面を切り替えた。
行われているのは企画営業部定例の企画会議だ。
目の前のテーブルには円を描くように企画営業部の社員たちがずらりと座っている。資料も原稿もちゃんと作った。それでも緊張はするけれど、持ち前のポーカーフェイスを生かして、なるべく冷静を装う。
(大丈夫。今までだって落ち着いてるねって何度も言われてきたし、それに隼人さんに手伝ってもらった資料はすごくよくできてるから)
「説明は以上になります」
用意していたものをすべて出し切った。
へまはしていない。自分でもよくやったと思う。
男性社員たちも「いいんじゃないですか」「面白そうだ」と隣同士で話している。
なかなかの感触だ。麻由は気付かれないように息をついた。
そのとき一人の社員が手を上げた。山野だ。
「まあ内容はわかりましたけど、これで前年比の売り上げを上回れる保障はあるんですか」
麻由は全身から汗が噴き出すのを感じていた。販売部の麻由にとって、売り上げについては専門外だ。自身の担当する売り場ならまだしも、関わったことのない前年の催事についてはなんともいえない。
時間稼ぎに手元の資料をめくってみるが、いい返答は思いつかなかった。
「ええと、ですね……」
麻由が言いよどんでいる間にも、さっきまでの雰囲気はどこへやら、「やはり前年超え確実でないと」「売り場に対しての商品が少なすぎますなあ」と批判的な意見が増えてくる。
「その質問はナンセンスだと思いますが」
口を開いた隼人の言葉によって、ざわめきが一気に収まった。
「どんな企画なら確実に売り上げを増やせるか、なんて営業部の人間にだって答えられないんじゃないですか?」
「そりゃあ、まあ……」
「新しいことをやるのにそのくらいのリスクはつきものですよ。責任者は塚原さんですが、俺も徹頭徹尾サポートするつもりです」
「まあ、そういうことならいいんじゃないか。空閑くんの一押し企画なんだろう。君が来てから催事の売り上げはずっと上向いているんだ。今度も任せてみよう」
部長の一言で麻由の案は決定となり、会議はお開きとなった。
企画営業部の面々が出て行って隼人と二人きりになった会議室で麻由はほっと胸をなで下ろす。
「ありがとうございました。最後、私じゃ答えられませんでした」
「いいさ。よく頑張った。いいプレゼンだったよ」
「こ、来ないでください!」
穏やかな笑みを浮かべながら近づいてくる隼人に、麻由は腕を前に出して拒否を示す。
「なんだ、ずいぶん意地悪なことを言うな」
「ち、ちがっ。今その……汗かいてて」
表情こそ冷静を装っていたが、体の生理現象までコントロールすることはできなかった。緊張からくる汗で、背中はしっとりと濡れている。匂いも気になるところだ。
隼人はそんな麻由の制止も聞かずにどんどんと近づいてくる。
「待って……」
後ずさりは壁に阻まれ、距離を保つために突き出していた腕は簡単にどけられてしまった。
「来るなと言われると近づきたくなる」
「い、意地悪はどっちですか」
首元に顔を寄せられて麻由は身をよじった。
「ほ、本当にやめてくださ……。汗くさいから……」
「甘い匂いがする」
首筋にかかった吐息の熱さにぞくりとしていると、隼人はあっさりと麻由から離れた。
「もうからかうのはやめておく。歯止めがきかなくなりそうだ」
「っ……」
またからかわれた。恥ずかしさと悔しさで赤く染まった顔を、ぷいとそむける。
「怒らせたか?」
「知りませんっ」
麻由の子供っぽいリアクションがおかしかったのか、隼人は喉の奥でくくっと笑った。
「やめておけば良かったかな。今日は食事に誘おうと思っていたんだが、今誘っても下心にしか見えないか」
「そ、そうですよ」
「どうか許して一緒に来てくれないか? 食事に誘おうとしていたのは本当だ。君のプレゼンがうまくいったご褒美に、と決めていた」
「え……」
隼人の言葉に気持ちが高揚していく。慣れない資料作りに手を焼いていたことをねぎらってくれるのは素直に嬉しかった。
隼人にはアドバイスをもらって少なからず助けてもらった。近くで見てくれていた隼人だからこそ、認めてもらえたようで嬉しい。
それに、近くでアドバイスしてくれていた隼人に感謝を伝える場がほしいと麻由も思っていたところだ。
「どうだろう?」
「い、行きます」
「良かった」
安心したように顔をほころばせる隼人は少しだけ幼く見えた。
(は、隼人さんをかわいいと思うなんてどうかしてる)
そのとき隼人の携帯電話が着信を告げる。
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