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しおりを挟む言葉を失っていると、鳥居をくぐる楽しげな家族連れの声がして、隼人が離れる。
「恋人が欲しいなら素直になったほうがいい。そしたらすぐにそんなお守りなんかいらなくなる」
「し、知りませんっ」
ぷいとそっぽを向いてみせるが、心の中はさっきまでの気持ちが嘘のように晴れやかだった。
(隼人さん、まだ私に愛想つかしたわけじゃなかったんだ)
安堵とうれしさがじわじわとこみ上げてきて、ゆるみそうになる口元を慌てて引き結んだ。
神社から出ると、遮る木々がないのと人の熱気とで肌寒さは少しだけ収まったが、相変わらず空模様は悪い。
せっかくなら晴れていれば良かったのにと思いながら、ねずみ色の空の下を並んで歩く。
「ここで食事していこう」
隼人に連れられてきたのはリゾートホテルのレストランだった。
宿泊客でなくても利用することができるらしい。
「地元の食材を使った料理が評判なんだ」
レストランに入ると、隼人はロビーの見える席に座る。
ガラスの仕切りからなんとなくロビーを見て、麻由は驚いた。
「えっ、ここの館内着って」
「やっぱりすぐ気づいたな」
宿泊客たちが来ているのは鮎川コットンのパジャマだった。
ロビーにはパジャマを積んだ棚があり、宿泊客はそこで好きな柄の館内着を選べるようになっている。
若い女性客は新ラインの「フェアリー」のものを着ている人が多い。
(フェアリーの中でもピンクを着てる人が多いみたい。あ、これ商品入荷の参考にならないかな)
レストランのメニューよりもそちらのほうについつい目が行ってしまう。
「あ、そっか。売り場に入浴剤のコーナーを作るのもアリかも。なんで今まで思いつかなかったんだろう」
ぶつぶつ言う麻由に、向かいの隼人が小さく笑った。
「ご、ごめんなさい。食事に来たのに」
「いや、役立ったようでよかった。本当なら麻由の疲れを癒やすようなところに連れて行きたかったんだが、きっと君は今そんな気分でもないだろう」
「はい……あの、すごく嬉しいです」
隼人の言ったことももちろん合っていたが、なにより自分のことをそこまで考えてくれていたことが嬉しい。
「だから、疲れを癒やすデートは催事が終わってからだな」
「……どんなところに行くんですか?」
デート、という言葉を否定もしなかったし、行かないとも言わなかった。
拒否の言葉が出てくると思ったのか、隼人は意外そうな顔をしたあと、ふっと顔をほころばせた。
「君が望むところどこへでも」
「……わかりません。デート、したことないから」
一緒に行きたいところはたくさんある気がするのに、デートらしいところがわからなくて、気の利いたことが言えない。
そんな麻由の落ち込んだ気持ちまで包み込むように、隼人の手が麻由の手に重ねられた。
「モルディブのビーチでも、フィンランドのオーロラを見に行くのでも。なんだっていい。君が好きなところへ行こう」
海外には行ったことがない。きっとどれも素敵な場所なのだろうが、麻由にはあまり想像がつかなかった。
それよりも自分のお気に入りの場所へ隼人と行けたなら。それはどんなに楽しいだろうことだろう。
「私の家の近くの公園、春は桜が咲き乱れるんです。そこでも?」
「麻由の手作り弁当が食べられるんだろうな」
隼人にしてみれば庶民くさい場所だろうが、それを受け入れてくれたということに、麻由の中に温かなものが広がっていくのを感じた。思わず顔を見合わせて笑い合う。
そのとき、外が一瞬カッと白く光った。
見れば一面ガラス張りの窓には激しく雨粒がたたきつけられている。
外はいつの間にか土砂降りの雨に変わっていた。
麻由も隼人もその様子にしばし呆然としていた。
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