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「今度の催事でこのパジャマが販売されるので、良かったら見に来てくださいね」
 ゆっくりと歩きつつフライヤーを配っていく。時間をかけすぎてエリナを待たせているかと思ったが、落ち合うはずの場所に来てもその姿はなかった。
 もしかしたら客に囲まれて足止めされているのかもしれない。麻由は手伝いに行こうと、そのまま足を進めた。
 ぐるりとほとんど一周歩いてもエリナの姿はなく、不審に思っていると、最初の地点とほど近い場所でエリナと着物姿の小柄な女性が話しているのが見えた。
 女性は六〇代くらいの品のいい老婦人だ。エリナのパジャマをつかんでいるところを見ると、商品に興味を持ってくれたのだろうか。
 だが、近づくにつれてそんな好意的な雰囲気ではないことがわかってきた。
「一体どういうつもりなのかと聞いているんです。伝統ある福丸屋でこんな格好して練り歩くなんて」
「で、ですから、これは次の企画の目玉商品のパジャマなんです~。別に私服で着てるわけじゃ……」
「なんて下品な……責任者を呼びなさい」
「あのっ」
 ずっとこうして詰め寄られていたのかエリナはもう泣き出しそうだった。
 麻由は見かねて間に入る。
「責任者の塚原です。こちらは後日開催いたします、催事のプロモーションとなっています」
「それはパジャマで由緒正しい福丸屋の店頭に立つことの理由にはなっていません」
 ぴしゃりとはねつけるように言われて一瞬言葉に詰まった。
「で、伝統の中には確かにこのような販売方式はなかったかもしれません。ですが、若者向けの商品をアピールする方法として採用したものであり、決して伝統を汚すようなものではないと……」
「若者向け、ね」
 老婦人は話にならないとでもいうように深いため息をついた。
 そして麻由の胸にある名札をじっと見つめる。
「さっき塚原さんとおっしゃったわね」
「え、ええ」
 じいっと挑むようににらまれて、麻由は困惑する。もしやどこかで会ったことでもあるのだろうかと考えていると、バックヤードに通じる扉から営業部長が飛び出してくるのが見えた。
「空閑様!」
 よほど焦ってきたのか部長は額から汗を流している。それをハンカチで拭きながら老婦人に対して頭を下げた。
「お見えになっていたんですね。いやあご挨拶が遅れまして……よろしければ店内の案内など」
「結構です」
 もみ手で笑顔を浮かべる営業部長に、女性はとりつく島もない。
(今、空閑って言った? 隼人さんとなにか関係あるの?)
 考えていると再び婦人が麻由をにらみつける。
「塚原さん、隼人がいつもお世話になっているようですね」
「え、いえ、こちらこそ……」
「なにもおっしゃらずにこちらを受け取ってください」
 老婦人は風呂敷包みを押しつけて半ば無理矢理受け取らせると去って行った。
 姿勢よく歩く後ろ姿を麻由はぼんやりしながら眺める。
 一体あの人は誰で、なにをしに来たのかよくわからなかった。
 手の中にある包みは長方形をしている。
(羊羹とかかな? 職場の皆さんで食べてくださいっていう)
「怖かった~。なんなんですかね、あの人」
 解放されて気のゆるんだエリナの言葉には部長が答えた。
「知らないのか。あの方は空閑グループ現社長の奥方様だ」
「へ?」
「系列グループのトップの奥さん! 君、失礼なことしなかったろうね」
 つまり、今の老婦人は隼人の母親だ。
 麻由は冷や汗をかく。
 自分が隼人と付き合っていることはきっと知られているはずだ。一度、隼人の父親には挨拶をしたことがあるのだから。
 そのときもきちんとした挨拶はできなかったが、今日だってまともに自己紹介すらしていない。知っていたらきちんとお付き合いしているということを告げたのに。
(催事のことも、隼人さんのお母さんによく思われてないのはちょっと悲しいな)
 いろいろな客がいるのは麻由ももちろん承知しているから、催事が気にくわない人がいることはしょうがない。けれど隼人の母には、頑張りを認めて欲しい気持ちがあった。
 それも催事が終われば変わるかもしれない。評判も良く売り上げも良ければきっとこの試みが間違っていなかったと気付いてもらえるはずだ。
 今はただ催事を成功させるのみ、と麻由は気持ちを引き締める。
 握りしめていた風呂敷包みをなんの気なしに開けると白い封筒が見えた。
 その下にあったものに心臓が止まりかけて、慌てて風呂敷を包み直した。
「どうしたんですか?」
「ご、ごめんちょっと五番行ってくる」
 お手洗いを意味する業界用語を告げると、足がもつれそうになりながら裏へと引っ込んだ。
 従業員用のトイレの個室で、改めて風呂敷を開けてみる。
「み、見間違いじゃなかった……」
 入っていたのは札束だった。それも三つ。合計三〇〇万円が自分の手にある。
 混乱し震える指で上に乗っていた封筒を開けた。中には手紙が入っていた。
 読み進めて麻由の血の気が引いていった。
『はじめまして、隼人の母の治美です。
 隼人は空閑の一族です。
 お付き合いする方はよくお選びするように本人にも伝えておきます。
 今後、隼人とのお付き合いはご遠慮ください。ご理解を。』
 字は毛筆で、流れるような達筆だった。
「これ、つまり、手切れ金……」
 事態の重さに気づいて、指先の感覚がなくなっていく。
 麻由は呆然とその場に立ち尽くした。

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