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「どうした? 具合でも悪いのか」
「え、あ……」
後ろから抱きしめている隼人が気遣わしげに顔をのぞき込んでくる。
麻由はさすがに今、自分がポーカーフェイスを貫ける自信がなくてそっと顔をそらした。
麻由は約束通り、終業後に隼人のマンションに来ていた。
明かりを落とした部屋の中で、ホームシアターのスクリーンには昔のモノクロ映画が映し出されている。
昼間は二人きりで会えるのがあんなに楽しみだったのに、今はどうしても上の空になってしまう。
頭の中には無理矢理渡された三〇〇万円と手紙の文字がちらついた。
「疲れている時に来いだなんて無理させたな」
「ち、違うの。本当に。私だってすごく会いたかったから」
「嬉しいこといってくれる」
隼人が優しく唇を重ね、大きな手は腰をなでる。それだけで体はなにかを期待するようにふるりと震えた。
「あ……」
隼人と過ごす甘い時間に集中したいのに、目の端に自分のバッグが映って、一気に現実に引き戻されてしまった。
そのバッグの中にはどうしていいかわからなかった三〇〇万円がそのまま入っている。手切れ金をもらったなんて隼人に言えるわけがないけれど、受け取った以上、隼人と会い続けることに引け目がないわけじゃない。
(隼人さん、ご実家と仲が悪そうだから余計に相談できない……)
隼人の父親に会ったときにそれはいやでも勘づいた。自分のことでさらに仲が悪くなるのはいやだ。
「もうベッドに行く?」
隼人に言われてはっと我に返った。こんな集中できないまま隼人と愛し合いたくはなかった。
「あ、温かいお茶とかもらってもいい?」
「淹れようか?」
立ち上がりかける隼人を制して台所へ向かう。
「私がやるから――あっ」
動揺で足がバッグに当たった。倒れたバッグからは中のものがぶちまけられる。財布にメイクポーチ、携帯に――札束。おまけに手紙が入った封筒もだ。
慌てて拾い上げようとするが、一足先に隼人が手紙を拾い上げる。
「ち、違うの」
なにが違うのか自分でもよくわからないまま、言い訳めいた言葉だけが出てきた。
手紙を読んでいた隼人の顔がどんどん険しくなっていく。
「どこで会った?」
「ひ、昼間にデパートにいらして……」
手切れ金を渡されたのがばれてしまった以上、今後どうするかを二人で考えたかった。
まさか隼人もあっさり別れようというなんて思えないし、別れない以上は関係を認めてもらわなくてはいけない。
そのためになにができるのかを二人で考えたいのだ。
「一度その……治美さんとしっかり話すべきだと思う。私たち三人で」
隼人はにこりと笑みを浮かべる。
わかってくれたんだ、と安堵した瞬間、手紙が真っ二つに引き裂かれた。
「なっ」
「忘れろ」
隼人は笑みを浮かべてはいるものの、目の奥は氷のように冷たい光をたたえている。
その様子に麻由は唖然とした。
「ど、どうしたの急に」
「今日、会ったことは忘れていい。麻由はなにも気にするな」
「そんな……だってこんな大金まで渡されてそのまま無視なんてできないよ」
「金はもらっておけばいい」
「でも……」
渋る麻由に隼人が射るような視線を向けてくる。
「麻由は俺と別れたいのか?」
「まさか、そんなことあるわけない」
「俺もだよ。だったらなにも気にしなくていいじゃないか」
「だって、――んっ」
反論は唇によって塞がれた。荒々しく重ねられたキスには、これ以上喋らせないという明確な意図が感じとれる。
顔は笑っているのに、目は笑っていない。口調は優しいのに、態度には苛立ちがにじんでいる。本音と建て前がちぐはぐになったような、こんな隼人ははじめて見る。
(でも、私の話をちゃんと聞いて欲しい。だって大事なことだから)
隼人が唇を塞いだままなので、麻由は観念して体の力を抜いた。
今はきっとなにをいっても聞く耳を持ってくれそうになかった。
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