腹黒御曹司との交際前交渉からはじまるエトセトラ

真波トウカ

文字の大きさ
36 / 48

4

しおりを挟む
 

 翌日、麻由は蒼白な顔色で出勤した。バッグをかけた右肩が異様に重く感じる。そこに入っているまがまがしい札束が気持ちを沈めていた。
 隼人は気にするなといっていたが、そんなわけにもいかない。
 やっと素直になって隼人と気持ちを通じ合わせることができたというのに、その家族には反対されている。そう考えるだけでさらに体が重くなるようだった。
(それに、気にするなっていってもこんな大金、気にしないわけには……)
 そうですか、と三〇〇万円をもらって知らんぷりできるような度胸は麻由にはない。一体どうやってこのお金を返したらいいのだろうか。
 緩慢な動きで制服に着替えると、首から提げたPHSが鳴った。
「塚原です」
『ああ、塚原さん。今度の催事について、今から緊急会議だって。会議室に集合』
「わかりました。すぐ行きます」
 かけてきたのは企画営業部の山野だった。
 緊急会議とはなんだろう。麻由は首をひねりながら会議室へ向かう。
 定例の報告会は最近やったばかりだし、計画通りうまくいっているはずだ。それがなぜ責任者の麻由を通さないで会議が開かれることが決まっているのだろう。
 胸の中にいやな予感を抱えながら会議室へ入った。
 集まっているのはおなじみの企画営業部の面々、そして営業部長。それから東京店の店長。
 普段なら現場に出てこないであろう人物たちを見つけて、麻由は背中にいやな汗が伝わるのを感じた。
 席に着く人の中には隼人の姿もある。隼人と一瞬目が合うが、硬い表情を崩さず、それはすぐにそらされてしまった。
 部屋の中はなんだか物々しい雰囲気に包まれている。
 全員が席に着くと、店長が前に出て、こめかみに流れる汗を拭きながら話し始める。
「えー、君たちに集まってもらったのは、今回の催事について親会社のほうから忠告があったためです」
 一気にざわめきが広がった。本部を通り越してなぜ親会社のほうが干渉してくるのか誰もが不思議がっている。
「率直に言いますと、催事の責任者を変えるようにと」
 その一言で麻由の目の前が真っ暗になる。そして、治美の顔が浮かんだ。
 このタイミングだ。治美が関わっているとしか思えなかった。
「このままでは催事の開催を容認できないとのお達しがあり……」
 恰幅のいい店長は止まらない汗を何度もハンカチで拭っている。
 親会社から直接物言いがあるなんて、よほどのことだ。店長自身、戸惑いを隠しきれないようだった。
「それは空閑グループのトップから直々に話があったんですか」
 ざわめきの中で口を開いたのは隼人だった。
「いや、僕も親会社からとしか……」
「本当に? 例えば社長夫人が口を出してきたということは?」
 店長は意図を図りかねて首をひねっている。
(隼人さんも治美さんが関係あるって思ってるんだ……)
 だとしたらきっとひどく反発するのだろう。昨日の態度を見てもそれは明らかだった。
(ってことは、私を責任者からおろすっていうのはもちろん反対するってことだよね)
 治美がどう思うかを考えると恐ろしかったが、どこか安堵している自分もいた。
 責任者の仕事を、この土壇場になっておろされたくない。最後までやり遂げたいという気持ちが強かった。
 だったら、どんなに反対されてもその気持ちを大事にしたい。きっと隼人なら一緒に戦ってくれる。いつも隼人だけは麻由の味方だったのだから。
 隼人は立ち上がると店長の横に並んだ。
 会議室の全員の視線が隼人に注がれている。誰もこのイレギュラーな事態に対応する能力は持ち合わせていないのだ。決断を下せるのは社長一族である隼人だけだと、すがるような目を向けていた。
「塚原さんを責任者から下ろします」
 いたって冷静な口調で隼人が言う。麻由は一瞬なにを言っているのかわからなかった。
 隼人が親会社――おそらく治美からの案を通したのだ。
 会議室にはほっとしてゆるんだような空気が漂う。
 隼人が、自分を切り捨てた。その事実をだんだんと頭が受け入れて、血の気が引いていった。
「あのー、でも催事まであと数日ですよ? 今更責任者交代って……」
 山野が遠慮がちに発言するが、隼人は顔色一つ変えない。
「かわりに私が責任者になります。企画の内容はすべて見てきた。内容が変更になっても対応はできますよ」
 さらりと言ってのけられ、頭を殴られたような気分だった。
 麻由の企画をいいといってくれたのは隼人だった。採用を決めてくれたのも、責任者を任せるよう取り計らってくれたのも。
 企画の内容を変えてしまっては意味がないと、自分と同じくらい理解してくれていると思っていたのに。あっさりと内容を変えるという発言が出たことに、ショックを隠しきれない。
「じゃ、じゃあまあ、空閑くんが引き継ぐなら問題ないでしょう」
 店長の安堵した声で会議は終わった。
 部屋から次々に人が出て行くなか、麻由はその場から立ち上がることができなかった。
「大丈夫か?」
 隼人にひょいと顔をのぞき込まれて思わずきっとにらみつける。
「どういうこと!? 私は責任者をおろされるなんて納得できない」
「親会社からいわれてるんだ。そうしないと催事自体が開けなくなる」
「で、でもっ、昨日は気にするなっていってくれた。そんなの関係ないって」
「麻由」
 隼人がにこりと笑う。またあの笑顔だった。口だけはきれいに孤を描いているのに、目の奥は冷ややかな。
「これが最善なんだ。俺は君を守るよ。だからわざわざ矢面に出て君が傷つくことない」
「そういう話をしてるんじゃ……」
「すまない、もう行かないと。大丈夫だ、君のキャリアにも傷がつかないようにするから」
 隼人はそれだけ言うとさっさと部屋を出て行った。
 そんな話がしたいんじゃなかった。麻由は一人部屋に取り残される。
 昨日から隼人がとても遠くに感じる。
 自分の言葉が上滑りしてちっとも届いていないような、そんな気分になる。
(このままじゃなんの解決にもならないのに。隼人さんにこのくらいのことわからないはずないでしょう?)
 治美に反発するのは怖い。もしこれ以上機嫌を損ねることがあったらと思うとぞっとしてしまう。
 けれど向き合わないと解決することができない。そのことをなぜわかってくれないのだろう。
 麻由の大切なものを取り上げて、麻由のためだという。
 それが意味するところがさっぱり理解出来ない。
 もともと考えの読めない人だと思っていた。そのせいで随分翻弄された。けれど、今の彼は余裕たっぷりの隼人とも、麻由の知らないことまですべてお見通しの隼人とも違っていた。
 人気のなくなった会議室で、麻由は一人途方に暮れてうなだれた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

溺愛のフリから2年後は。

橘しづき
恋愛
 岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。    そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。    でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す

花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。 専務は御曹司の元上司。 その専務が社内政争に巻き込まれ退任。 菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。 居場所がなくなった彼女は退職を希望したが 支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。 ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に 海外にいたはずの御曹司が現れて?!

処理中です...