腹黒御曹司との交際前交渉からはじまるエトセトラ

真波トウカ

文字の大きさ
44 / 48

3

しおりを挟む

 福丸屋にたどり着くと真っ先にバックヤードへ駆けていって、商品を探し出す。それをひっつかむと、社員用のエレベーターで八階を目指した。催事の会場はそこにある。
 エレベーターの扉がゆっくりと開く時間ももどかしく、縫うようにして抜け出す。
 催事の準備が進む会場には従業員の姿がたくさんあった。商品は完璧に陳列されているのに、ポスターの類いはないのがどこかさみしく、ちぐはぐな感じがする。
 従業員たちは手持ち無沙汰な様子で、所在なさげに立ちすくんでいるものも多い。困惑したように目配せし合っているものもいる。
 本来なら準備期間中で一番忙しい日であるのにも関わらず、活気に欠ける現場の雰囲気はどこか異様だった。
「あのっ、少し聞いてもらえませんかっ」
 勢い込んできた麻由の必死な声は、ゆるんだ空気の中によく響いた。
 全員の視線を一身に受けて、麻由は一瞬たじろぐ。
 後ろの方に治美の姿を見つけた。冷ややかな視線と一瞬目が合う。
(ひるんじゃだめだ。これで納得させないと)
 麻由は負けそうになる気持ちを必死に奮い立たせる。
「君、どうして……」
 驚きに呆然とした様子の隼人がつぶやいているのも見えた。
 その問いに答えるのは後だ。麻由は一つ深呼吸をすると話しはじめた。
「今回の催事、コンセプトを少し変更したほうがいいと思うんです。若者向けということで企画しましたが、幅広い年代のかたにも楽しめるように」
「今さら!? どうしろっての」
 山野の悲痛な叫びをきっかけにざわめきが広がり始める。
「き、聞いてください! 確かに今から大幅な変更は難しいと思います。でも――」
 麻由は持っていた商品を掲げる。それは薄いビニールに包まれた衣類だ。
「これを一緒に陳列することで、目玉商品は多くの世代のかたに見てもらえます」
 麻由が持ってきたのは鮎川コットンのパジャマだった。在庫の管理ミスで大量に残っていたものだ。
「えっ、どこから持ってきたんですかそれ」
「裏の倉庫です」
「販売に対応できるだけの数は?」
「十分にあります」
 興味を惹いたようで麻由の元に企画営業部の面々が寄ってくる。
「いいんじゃないですか? 同一ブランドの別ラインなら並べてあっても統一感出るし」
「親子で買っていくってこともありそうですよね」
 どこか冷めていた売り場の空気が熱を帯びていく気配を感じた。
 治美を見ると、カチリと視線が合う。なにか言われるだろうかと緊張していると、治美はそのままきびすを返して去って行った。


 
 外はすっかり日が暮れている。通用口には黒いセダンが一台止まっており、治美が近づくと専属の運転手が恭しくドアを開けた。
「待ってください!」
 治美を追ってきた麻由は叫ぶ。コンクリートがむき出しの寒々しい通用口に声がこだました。
 治美は車に乗り込む寸前で足をとめると、ゆっくりと振り向いた。
「なんです。催事のことならもう口をはさむつもりはありません」
「は、隼人さんのことです」
 その名を出した瞬間に、空気はピンと張り詰めたものに変わる。
「私、やっぱり隼人さんと別れません」
 麻由のきっぱりとした言葉に、治美は顔をしかめる。
「聞き分けの悪いかただわ」
「なんて言われてもかまいません。……最初は身を引こうと思いました。それが隼人さんのためになるなら、つらいけど喜んでそうします。でも……」
 声が震える。麻由は鼓動を押さえるように一つ大きく呼吸をした。
 そんな考えは間違っていると言われるのは怖い。でも、これが自分の考えだから、伝えなくてはいけない。
「隼人さんが私を必要としてくれるから、だから私も隼人さんをそばで支えたい、です」
「必要としている?」
「うぬぼれかもしれないけど、でも……隼人さんは私と離れたくないって言ってくれたんです。だったら私はその言葉を信じたい」
「支えるなんて簡単に言うわ」
「はい、だから……そのためなら、仕事を辞めたっていいと思っています」
「あら、仕事は腰掛けのつもりかしら」
「断じて違います。福丸屋で働くことは私の小さいときからの夢だったんです。でも、隼人さんを支えることに専念すべきなら、私は喜んでそうします」
 麻由の言葉に嘘はなかった。
 仕事は大好きだ。やりがいだってある。でもそれ以上に隼人のことが大切だった。
 隼人のそばにいたい。隼人がそれをのぞむならなおさら。
 支えがいるというなら自分が全身全霊で支える。そのくらいの覚悟は持っているつもりだ。
 麻由と治美はしばらく無言で対峙する。先に静寂を破ったのは治美のため息だった。
「私はどこで間違ったのかしらね」
「え?」
「本当に好きなら身を引くことも、大事なものを捨てることもできるのね。私は……」
 治美の声が震えている。
「私にはどちらもできなかった」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

溺愛のフリから2年後は。

橘しづき
恋愛
 岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。    そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。    でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す

花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。 専務は御曹司の元上司。 その専務が社内政争に巻き込まれ退任。 菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。 居場所がなくなった彼女は退職を希望したが 支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。 ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に 海外にいたはずの御曹司が現れて?!

処理中です...