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しおりを挟む福丸屋にたどり着くと真っ先にバックヤードへ駆けていって、商品を探し出す。それをひっつかむと、社員用のエレベーターで八階を目指した。催事の会場はそこにある。
エレベーターの扉がゆっくりと開く時間ももどかしく、縫うようにして抜け出す。
催事の準備が進む会場には従業員の姿がたくさんあった。商品は完璧に陳列されているのに、ポスターの類いはないのがどこかさみしく、ちぐはぐな感じがする。
従業員たちは手持ち無沙汰な様子で、所在なさげに立ちすくんでいるものも多い。困惑したように目配せし合っているものもいる。
本来なら準備期間中で一番忙しい日であるのにも関わらず、活気に欠ける現場の雰囲気はどこか異様だった。
「あのっ、少し聞いてもらえませんかっ」
勢い込んできた麻由の必死な声は、ゆるんだ空気の中によく響いた。
全員の視線を一身に受けて、麻由は一瞬たじろぐ。
後ろの方に治美の姿を見つけた。冷ややかな視線と一瞬目が合う。
(ひるんじゃだめだ。これで納得させないと)
麻由は負けそうになる気持ちを必死に奮い立たせる。
「君、どうして……」
驚きに呆然とした様子の隼人がつぶやいているのも見えた。
その問いに答えるのは後だ。麻由は一つ深呼吸をすると話しはじめた。
「今回の催事、コンセプトを少し変更したほうがいいと思うんです。若者向けということで企画しましたが、幅広い年代のかたにも楽しめるように」
「今さら!? どうしろっての」
山野の悲痛な叫びをきっかけにざわめきが広がり始める。
「き、聞いてください! 確かに今から大幅な変更は難しいと思います。でも――」
麻由は持っていた商品を掲げる。それは薄いビニールに包まれた衣類だ。
「これを一緒に陳列することで、目玉商品は多くの世代のかたに見てもらえます」
麻由が持ってきたのは鮎川コットンのパジャマだった。在庫の管理ミスで大量に残っていたものだ。
「えっ、どこから持ってきたんですかそれ」
「裏の倉庫です」
「販売に対応できるだけの数は?」
「十分にあります」
興味を惹いたようで麻由の元に企画営業部の面々が寄ってくる。
「いいんじゃないですか? 同一ブランドの別ラインなら並べてあっても統一感出るし」
「親子で買っていくってこともありそうですよね」
どこか冷めていた売り場の空気が熱を帯びていく気配を感じた。
治美を見ると、カチリと視線が合う。なにか言われるだろうかと緊張していると、治美はそのままきびすを返して去って行った。
外はすっかり日が暮れている。通用口には黒いセダンが一台止まっており、治美が近づくと専属の運転手が恭しくドアを開けた。
「待ってください!」
治美を追ってきた麻由は叫ぶ。コンクリートがむき出しの寒々しい通用口に声がこだました。
治美は車に乗り込む寸前で足をとめると、ゆっくりと振り向いた。
「なんです。催事のことならもう口をはさむつもりはありません」
「は、隼人さんのことです」
その名を出した瞬間に、空気はピンと張り詰めたものに変わる。
「私、やっぱり隼人さんと別れません」
麻由のきっぱりとした言葉に、治美は顔をしかめる。
「聞き分けの悪いかただわ」
「なんて言われてもかまいません。……最初は身を引こうと思いました。それが隼人さんのためになるなら、つらいけど喜んでそうします。でも……」
声が震える。麻由は鼓動を押さえるように一つ大きく呼吸をした。
そんな考えは間違っていると言われるのは怖い。でも、これが自分の考えだから、伝えなくてはいけない。
「隼人さんが私を必要としてくれるから、だから私も隼人さんをそばで支えたい、です」
「必要としている?」
「うぬぼれかもしれないけど、でも……隼人さんは私と離れたくないって言ってくれたんです。だったら私はその言葉を信じたい」
「支えるなんて簡単に言うわ」
「はい、だから……そのためなら、仕事を辞めたっていいと思っています」
「あら、仕事は腰掛けのつもりかしら」
「断じて違います。福丸屋で働くことは私の小さいときからの夢だったんです。でも、隼人さんを支えることに専念すべきなら、私は喜んでそうします」
麻由の言葉に嘘はなかった。
仕事は大好きだ。やりがいだってある。でもそれ以上に隼人のことが大切だった。
隼人のそばにいたい。隼人がそれをのぞむならなおさら。
支えがいるというなら自分が全身全霊で支える。そのくらいの覚悟は持っているつもりだ。
麻由と治美はしばらく無言で対峙する。先に静寂を破ったのは治美のため息だった。
「私はどこで間違ったのかしらね」
「え?」
「本当に好きなら身を引くことも、大事なものを捨てることもできるのね。私は……」
治美の声が震えている。
「私にはどちらもできなかった」
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