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しおりを挟む「ど、どういうことでしょうか」
「元々ね、隼人さんの父――康人さんと隼人さんの本当のお母様は恋仲にあったの」
ぽつぽつと治美は語り始める。
カフェの店員をしていた隼人の母、咲恵ととその客であった康人。二人は交際を始めるが、空閑一族である康人と咲恵では結婚は認められなかった。
そこで持ち上がったのが治美との見合いだった。
「私はね、昔から康人さんが好きだったの。だから縁談の話が来て舞い上がったわ」
治美はもちろん見合いを受けるつもりで、精一杯のおめかしをして臨んだ。しかし、そこで聞かされたのは自分には心に決めた人がいるという誠実で残酷な話だった。
だが、治美は諦めなかった。
「どうせその人とは結婚できないでしょうと私は引き下がらなかった。いつかは康人さんだってだれかと結婚をしなければならない。だったら私だっていいはずだわ、って」
咲恵との仲を認める。それを条件に結婚を飲ませた。
はじめはそれでもいいと思っていた。二番目だっていいと。けれど康人が他の女と会うことがだんだんと耐えられなくなっていった。
そうしてはじめての子を妊娠したとき、泣きついた。あなたは身重の妻を置いて他の女と会うのですか、と。
治美を不憫に思った康人はそれ以来咲恵と会わなくなる。
「卑怯な手だって知っていたわ……。でも、あの人を好きだから、身を引こうなんて思えなかった」
「治美さん……」
うつろな表情の治美からは威圧的なオーラが消え、いつか喫茶店で見た疲れ果てた老婦人になっている。
「それでも影で咲恵さんと会っていたのね。私に責める資格なんてもちろんない。元々会っていいという条件での結婚でしたものね。咲恵さんには悪いことをしたと思っています。だからせめて隼人さんには優しくしようと思って……」
治美が力なく首を振った。
「隼人さんが来たとき、どんな顔をしていいかわからなかった。きっと私のことを恨んでいるだろうと。私は精一杯のことをしようとした。親の愛を早くになくしたあの子に、帰るところをあげたかった。なんでも与えると言って、一緒にご飯を食べた。全部、隼人さんへのせめてもの罪滅ぼしだったの」
治美の姿は弱々しいのに、心情を吐露する姿はどこか鬼気迫っていて、麻由は無言で話を聞く。
「与えるつもりが奪うところだったのね……」
治美の瞳が大きく揺れた。その姿に切なくなってくる。
治美は隼人を憎く思っていたわけじゃない。治美なりにずっと苦しんでいたことがいやでも伝わってくる。
ふらふらとした足取りで車に乗り込もうとする治美は今にも倒れそうで見ていられず、つい手を差し伸べる。
「あの、私が一緒に――」
「いや俺が行こう」
差し出した手より先に、大きな手が治美の体を支え、そのまま車に乗り込む。
「隼人さん」
その姿に麻由は驚く。それ以上に目を見開いているのは治美だった。
「まっすぐ家に帰るのでしょう。一緒に行きます。いろいろ話したほうがいいこともあるようだし」
「え、ええ……そうね……」
隼人の口調はいささか硬いが棘はない。自分なりに治美と向かい合うことを決めた様子だった。
それは喜ばしいことなのだが、いきなり二人きりというのも不安になってくる。
「あの、隼人さ……」
「麻由」
行き場をなくしておろおろとさまよう手を、車の中から隼人がそっと握ってくる。その手つきはとても優しい。
(いつもの隼人さんだ……)
柔らかなぬくもりに胸がじんとする。
「聞いていた。さっきの」
「え、あ……」
隼人を支えるというあの話だろうか。自分の中での一大決心だったが、まさか本人に聞かれるとは思っておらず、恥ずかしさがこみ上げてくる。
「ありがとう。……すまなかった」
握る手にわずかに力が込められた。
言葉尻は少しだけ震えている。その中にいろいろな意味が込められているのを感じた。
隼人なりに後悔していることが伝わってくる。
麻由は首を横に振った。
「今はそんなのいいんです。早く治美さんを送っていって休ませてあげてください」
隼人が「ありがとう」ともう一度小さく言うと、車は走り出す。
麻由はテールランプの光が見えなくなるまでずっとその姿を追った。
どうか二人の関係が少しでも良くなりますように。そう祈らずにはいられなかった。
幼い隼人と不器用な治美。そんな二人が出会い、すれ違い、大人になってそれはさらに深い溝となった。けれど、はじまりが憎しみでないのなら、時間がかかるだろうがその溝は埋まるはずだ。
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