15 / 213
時と色が死んだ世界
私達、小説に出てきた架空の筈だった登場人物に出会ってしまいました。
しおりを挟むりこちゃんは、青い花びらを小さな指先で大事そうにつまんでいた。海のように深い群青色にわずかに白い線が細かく入っていて、その花びらはまるで星の降る夜を閉じ込めたみたいだった。
りこちゃの目が蓮くんの右ポケットに向けられた。青いハンカチの端っこがポケットから少しだけはみ出ている。りこちゃんはそのハンカチに持っていた花びらを重ねた。りこちゃんは、一生懸命背伸びしてやっと蓮くんの腰に手が届くくらいだった。りこちゃんの姿に、私が青いハンカチを渡してあげたあの少年の姿を重ねる。
もし、あの子が蓮くんが言うように幼少期の蓮くんなら、現実だと思い込んでいた世界に別の世界が混ざっていたことになる。
どうしてあの少年は、私を訪れたのだろう。
もしあの少年が今、この灰色の世界にいるなら、どうしてあの時だけは灰色の世界から出ることが出来たのだろう。
今までに色々なことに出会ってきた。
現実っていうのはあくまで複数ある世界のうちの一つにしかすぎなくて、でもその世界は全く違うものというわけではなく少しずつリンクしている。
小説の成瀬蓮と蓮くんと、蓮くんの幼少期。青い旗、青いハンカチ、青い花びら。マンションの小さな影、圭吾と名乗った少女、幼少期の蓮くんにりこちゃん。
今は灰色の世界にいる人も、きっと最初は私たちと同じ世界にいた人。池に映った私の姿は、小説の少女「圭吾」に似ていた。圭吾は、小説では親から放置されていた。親から完全に忘れ去られていた。あの子も、もしかしたら灰色の世界のどこかにいるのかもしれない。
この時は誰も気づいていなかった。
小説の中で、かつて第一王女の護竜士だと言われた宮司龍臣と、ドラゴンの化身みたいな日下部透。まだ、彼ら二人に出会えていないということに。
りこちゃんが青い花びらをハンカチの上に重ねた瞬間――。
ぱちん
空気が弾けたような音がした。蓮くんと私が顔を見合わせる間もなく、辺りの空気がほんの一瞬、震えた。
目を上げると、灰色だった空に、糸のように細い金色の亀裂が入っていた。まるで誰かが巨大なガラスに針で傷をつけたような、そんな不思議な光景。その亀裂は、音もなくゆっくりと広がっていく。
「何これ……裂けてる?」
蓮くんがりこちゃんの肩をとっさに抱き寄せていた。
金色の線が空を走り、まるで古いページが破れるように、空の一部がめくれ上がる。そこから、まるでページの裏に隠れていたかのように、別の景色が顔を覗かせた。
それは、草原だった。青い空と白い雲、風に揺れる長い草、そして遠くに見える――城。
私たちがいた灰色の世界の上に、まるで“本の次の章”のように別の世界が重なった。それは、どこかで見たことのある光景。
そう、小説の中に出てきた第一王女が住んでいた王国の風景だった。
「まさか……この世界って、物語の向こう側とつながってる……?」
呆然と見上げる私の隣で、蓮くんが静かに呟いた。
「宮司龍臣……」
その名を、まるで懐かしい人の名前みたいに、蓮くんは口にした。私はぎょっとして蓮くんの顔を見た。
「知ってるの? 小説の中の人物じゃなかったの?」
「違う。いや……違わなかったはずだったんだけど。でも、今なら分かる。昔、夢の中で何度も同じ人物に会った。青い竜を心に宿した人間。……それが、宮司龍臣だったんだ。」
「夢で?」
「夢だけど、目が覚めると腕に傷が残ってたり、朝から息が白くなるくらい寒かったり。あれは、ただの夢じゃなかった。」
蓮くんの語る“夢”は、この世界の別の扉の予感だった。
空に走った亀裂は、今やポッカリと穴を開け、草原の世界と私たちの灰色の世界を、静かにつなげていた。そして、その穴の中から一人の人影がゆっくりとこちらへ歩いてくる。
長いマントに身を包み、腕に金属のガントレットのようなものを嵌めた男。その背後には、青い光を帯びた竜のような影がぴったりと寄り添っていた。
「宮司……龍臣……?」
私がそう呟いた時、男は蓮くんをまっすぐに見据え、ひとことだけ口を開いた。
「記憶を返しに来た。君が失くした“夜”の記憶を。」
蓮くんが失くした「夜の記憶」。
男の言葉が私の胸に引っかかった。私の知らない姿の蓮くんがいて、蓮くんでさえそれを忘れてしまっている。でもそれ以上に気になるのは、蓮くんが小説とあまりに多くの共通点を持っているということ。蓮くんの口から発せられる言葉一つ一つが、小説の成瀬蓮のもののように聞こえる。蓮くんはもしかしたら、記憶を失ってしまっているだけで、本当は小説の中の人間だったりするのかな。
でも。
小説の成瀬蓮は大学生の設定で、今私の隣にいる蓮くんは私と同い年の高校2年生。年齢差は小さいけれど、成瀬蓮と蓮くんは違う人。
…いや、今ここに高校生の蓮くんがいて、灰色の世界に幼少期の蓮くんがいるかもしれないってことは、違う年齢の蓮くんが同時に存在することもあるの?
「夢の中で何度も何度も出会ったんだ。青い龍を背負った人間。それが宮司龍臣だった。」
蓮くんの言葉が急に私の頭の中で鳴り響き始めた。頭が割れそう。大きなスピーカーの真隣に立たされているような感じがする。もう一度空を見上げる。男と青い龍は、依然としてこの灰色の世界に入ることもなく、空の上から私たちをただ静かに見つめていた。わずかに蓮くんが短く息を吸ったのが分かった。
あの人達、日下部透と宮司龍臣だ。
でも、一つ矛盾していた。青いものはいつも子供と一緒にあった。でも、宮司龍臣は成瀬蓮と同じく大学生。大学生はもう、子どもと言えるような年齢ではない。
日下部透と思われる男の後ろに青い輝きを放つ竜。
「あなた…子供なの?」
蓮くんの夢の中では、宮司龍臣は背中に青い龍を背負った姿でいた。でも、小説の成瀬蓮といた宮司龍臣は初めは人間だったはず。違う世界で、同じような人たちが、わずかに異なる運命の船にただ流されている。この先、どこへ、どんな風に流されていくのかは分からない。でも、舵があれば船の行き先を変えることは出来る。灰色の世界。この世界にはそれをする人が必要なんだ。
耳の中をパラりとページを捲るような音がした。新しい紙の匂いがしたような気がした。
私は頭の中で、複数の記憶や存在が交錯するのを感じていた。誰かが私の耳元でページをめくるような音を立てて、そっと何かを囁こうとしているような気配。それは“過去”とも“未来”とも、“誰かの想像”ともつかない、不確かな声。
「ねえ……聞こえる?」
その声は、私自身の声にも、幼い誰かの声にも聞こえた。でも振り向いても、そこには誰もいなかった。
「この世界に必要なのは、舵を持つ人。」
もう一度、ページをめくる音。
私は空に浮かぶ男たち――宮司龍臣と日下部透――を見上げた。青い龍は、まるで彼の一部のように彼の背から光を帯びて揺れていた。まるで呼吸をしているみたいに、静かに、しかし確かに生きていた。
蓮くんが、そっと私の手を取った。
「なあ、佳奈美。もしかしたら、俺……小説の中の蓮が“別の形”でこの世界に現れてるのかもしれない。」
「……別の形?」
「小説の蓮が大学生で、俺が高校生で、池の中の子がもっと幼かったとしたら。全部、同じ魂の別の形……断片なのかも。」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に浮かんできたのは、あの時私が手渡した“青いハンカチ”だった。
もしかしてあれは、記憶の断片を繋ぐための鍵だったのかもしれない。
その時だった。空に浮かぶ宮司龍臣が、初めて地上に視線を落とした。鋭い眼差しで私たちを見下ろし、そして、はっきりとこう言った。
「――選ばれた者には、世界を紡ぐ力がある。君たちは、まだ気づいていないだけだ。」
そして、日下部透が静かに歩み出た。青い龍がその背を押すようにして前に進む。
彼は右手を胸元に当て、ゆっくりとした動作で頭を下げた。まるで王に仕える騎士のような、誓いの動作。
「小説の結末を迎える前に、世界はひとつに繋がろうとしている。君たちの選択が、物語の“最後の章”を決める。」
「あの!」
蓮くんの低いけど透き通った声が灰色の世界を貫いた。日下部透と青い龍…宮司龍臣がいた草原の草がさわさわと風に揺られた。
「俺、あなたたちのいる世界を小説で読みました。第一王女は…いかがお過ごしなんですか。圭吾は、どこにいるんですか。俺…。」
何かを言いかけて蓮くんは口をつぐんで下を向いた。下唇をギュッと噛んで、唇が白くなっている。青いハンカチとは反対のポケットに左手を突っ込むと、薄くて四角いキーホルダーのようなものをそっと取り出した。目を細めると、小さい写真ケースがキーホルダー状になっている物だった。そこには、小学校か中学時代の友達と思われる無邪気な男の子たちと蓮くんの姿があった。それを横目でちらっと見て、もう一度意を決したように顔をぐっとあげて、日下部透の目を見た。
「小説の中の俺はまた、友達に…宮司に会えるんですか。」
言い終えた頃には蓮くんの目は、青い龍の光に照らされて、鈍い色のサファイヤみたいだった。
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる