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静かなる暴走
自分の心を殺すな
しおりを挟む「免疫っすか?」
免疫って…一度その病気にかかると、その後は罹りにくくなるっていうやつ?
エメラルドには、異変に対する免疫があるってことか?
「ああ、そうかも」
俺の隣で壁にもたれて畳に腰を降ろしていた蓮が頷いている。
「エメラルド」
「はあい!」
バットが洗面所にいるエメラルドを呼んだ。洗面所で火の玉たちとエメラルドが戯れている声がする。
「何?」
狼男姿に興奮した火の玉たちが、首輪みたいにビッシリとエメラルドの首や胸元あたりにひしめいている。圭吾は誇らしげに、エメラルドの頭の上に乗っている。
「お前ってさ、今までに記憶を奪われたり改竄されたりしたことある?」
バットのズボンが所々、蛍の色に光っている。火の玉が潜り込んで遊んでいるのだ。
「ああ…あったっけ。あ、そうだ」
エメラルドは、何かを思い出して両手をパンと叩いた。その弾みで火の玉が何個か転げ落ちたが、エメラルドがそれを拾って、自分の獣毛にくっつけた。
「宇宙人だって、初めから記憶奪取・改竄能力を持っているわけじゃないんだ」
エメラルドが畳に置かれた座布団に腰を降ろした。
「人間の子供が計算ドリルや漢字ドリルをやるのと同じように、俺達も練習するんだよ。薄々勘付いてはいると思うけど、能力を悪用する奴らもいるからね」
…俺は知っている。
エメラルドは今まで、誰かを救うためだけにその能力を使ってきたことを。
前に蓮が、サファイヤのホテルで、自分の気持ちに嘘を付いて佳奈美さんのことを好きではないと言ってしまったあの夜に、エメラルドは蓮と佳奈美さんの2人から、その晩の記憶を奪い去った。だから、蓮は佳奈美さんに本当の気持ちを伝えることが出来て、今では復縁したのだ。
でも、その能力は犯罪にも繋がる。物を盗んだり誰かを殺したとしても、その記憶を人々から奪ってしまえば、罪は無かったことになる。どれだけ優秀な警察であっても、宇宙人のその能力を前にしては無力だ。
「だから、原則その能力を使うことは禁止されてる。俺達の心臓にマイクロチップが埋め込まれてるんだけど、能力を使った場合、いつ、どこで、何故その能力を使ったのかの情報がマイクロチップを通して獣神国連最高裁判所に全部通知される。許可が下りれば大丈夫なんだけど、駄目だった場合は身体が粉砕して消滅するんだ」
…え、怖。
俺の横に立っていた蓮が唾を飲み込む音が聞こえた。
「まあ、俺も何度か能力を使ってるけど、身体が無事ってことは大丈夫さ」
エメラルドは、ハハッと軽く笑って、火の玉たちと戯れ始めた。
「あ、そうそう」
エメラルドはバットに尋ねられたことに答えていないことに気が付いて、火の玉たちと遊ぶのを止めて俺達を見上げた。
「俺が記憶を奪ってもらったのは、確か5歳の時。」
奪って…もらった?
「俺が婚外子だったのは皆も知ってるように、5歳の時に父上から、まぁ酷いことを言われたんだ。だけど、ランドルフ兄上が俺からその記憶を奪って下さったんだ」
そうか。
ランドルフも弟の心を守るために、能力を使った。だから、ランドルフの身体は粉砕せずに済んだのか。
「でも…お前はどうしてそれを知ってる?記憶を奪われたなら、覚えていないはずだろ…」
エメラルドは一裕に尋ねられると、一瞬だけ暗い顔をして俯いたが、すぐに見上げて言った。
「アドルフ兄上に、思い出せって言われた。だから、思い出した」
アドルフが、そんな辛い記憶を思い出させた?
なぜ…。
「自分の存在価値を蔑ろにされたのに、忘れてしまおうとするのは愚か者のすることだって怒られたよ」
エメラルドは、遠い過去を思い出すように部屋の窓から外を見た。窓からは星が夜空に輝いているのが見える。何となく、星の輝きがいつもより大きい気がする。
「辛い過去を乗り越えて初めて俺達は強くなれるって仰った。自分の存在価値は、誰にも否定できない。自分の存在価値は、自分だけのもの」
エメラルドの獣毛で遊んでいた火の玉たちも、何時しかエメラルドの話を静かに聞いていた。
「それを侮辱されたのに、何故怒らないと。何故忘れようとするのかと。忘、という文字は地球では亡くなった心と書くと教えてもらった」
あ…ホントだ。言われてみればそうだ。
「自分の心を殺すなと兄上は仰った。だから思い出せ、と。辛いだろうが、それもまた人生だと」
つまり、エメラルドは、ランドルフから奪われた記憶を無理やり思い出したことがある。エメラルドは、能力を打ち消した経験がある。
「免疫…そうか…!」
蓮と一裕が顔を見合わせて頷いた。
「佳奈美は地球人だ。記憶奪取・改竄能力に免疫がない。彗星も今は地球人。免疫が失われていてもおかしくはない」
サファイヤの水色の瞳がキラリと光った。
「異変の鍵は、楓にあると言っても良さそうだね」
ピンポンパンポーン…
『夕食の時間です。夕食の時間です。食堂に集まって下さい。繰り返します。食堂に…』
火の玉達は、放送を最後まで聞き終えないうちにワチャワチャと食堂に向かっていった。
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