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tapestries. 愛しい雛の育て方②
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夕食の時間が間近に迫る頃。表から聞こえる馬車の蹄の音に、誰よりも早くエレノア様が立ち上がる。飲んでいらした茶器は僅かも鳴らずにソーサーに戻され、ああ、この方は騎士である前に令嬢なのだと変に感心してしまう。
いや、今は退役なさっているので騎士ではなかった。
エレノア様のご様子に苦笑を浮かべるランドルフ様に頭を下げて、憚られる限界まで足を速めながら思い直す。懐かしい顔ぶれに、私の思考が昔に戻ってしまっている。
しっかりしなくてはと、私は自分を叱責した。
着いた先のエントランスには既にミセス・ヘザーの姿があり、「せめてホールでお待ちください。」と今にも扉を開けて出て行ってしまいそうなエレノア様を窘めている。お屋敷広しとはいえ注意が出来るのはヘザー様くらいのものだ。
押し開けられた正面玄関から覗く人影。
黒の騎士服をきちりと身につけた美丈夫と、その後ろからおずおずとした様子のグレーブロンドが見え隠れしている。
「セレス!」
嬉しそうな声音にぴょこりと顔を出すと、そのいつでも眠たげな眼はみるみると柔らかく笑み、エレノア様に向かってとととっと近づいた。
「わぁっ!」
挨拶のいとまもない程の速さでぎゅうぎゅうに抱きしめられ、その真っ赤に染めた顔のままで腕の中から這い出し、
「長旅お疲れ様です。お会いできてうれしいです。」
そう、へにゃりと笑う。
ああ。確かにこれは庇護欲を誘う。
笑顔を向けられたエレノア様も、それを一歩下がって見守るヘザー様も、フォルティス様は言うに及ばずみんな笑顔になってしまっている。
フォルティス様がお小さい時もこんなに柔らかく笑っていただろうかと、さりげなさを装ってヘザー様を見る。
私の記憶にある限りでは、いつもの厳格なお顔でフォルティス様のやんちゃの後始末をしているか、お叱りになっているか、屋敷中を探し回っている姿しか思い出せない。ある一定の記憶から先は諦念とも超然ともいえるお顔だった。いや、それはエレノア様に対してもそんなお顔だった。
場所を居間に移し、伴侶であるフォルティス様を押しやってセレス様の隣を陣取っているエレノア様がセレス様の言葉にうんうんと頷く。
魔術師塔での生活から王城での食事の話に至るまで、時に考え考え、時に笑いながら、一生懸命に話す様子を目を細めて真剣に聞いていらっしゃる。まるでムフロンの赤ん坊を愛でている時のように、その黒曜石の瞳はゆるゆるだ。
自由闊達で豪気さの塊のようなルーメン家直系の皆さま。
他家から嫁いできた大奥様やランドルフ様ですら、お若い時から老練であったと聞いている。その中にあっては、セレス様はあまりにも頼りなく、愛護すべき要素に満ちて見える。
私はそっと退室し階下の様子を見に行った。そろそろ夕食の準備が出来るだろう。
階下に下がる階段から、美味しそうな香りが漂ってくる。
覗き込んだ厨房はキッチンメイド達の戦場と化し、熱気と慌ただしさに満ちていた。
シェフ達の仕事はひと段落付き、今は配膳の準備中。カントリーハウスよりも手狭で人手も少ないが、動線の造りがよくメイド達の手際もいい。
「ロジーナさん!長旅ご苦労だったな!」
深いバリトンで名を呼ばれ、顔を向けるとヘッドシェフが片手をあげて奥からのそりとやってくる。
私よりも少し年上の大柄なその男性は、髪をつるりと剃り上げて鋭い眼光をしている。生成りのシャツになめし皮のエプロンを首から下げ、武人と言っても過言ではない程、腕の筋肉が流々としている。相変わらず、厨房にいなければ傭兵と思われても仕方がないような見た目だ。
「フェリックスさん。またお世話になります。」
深く頭を下げると、気難しいわりに人の良いヘッドシェフは「あんたも相変わらず堅苦しいな。」と苦笑を漏らした。
「ところでよ、坊ちゃんはもうお着きになっていなさるのかい?」
「フォルティス様でしたら先ほど。」
「あー…、いや。セレス様もご一緒で?」
「ええ。お二人とも。」
この人にしては珍しく、なんとも歯切れの悪い物言いだ。私は訝しく思いながら答えると、いつもは仏頂面のヘッドシェフがぱぁっと明るく破顔した。
「そうか!そりゃあいい!」
「今年は賑やかで、いいシーズンになりそうだ。」
そういって、さも嬉しそうに満足げに頷く。
私は思わず絶句して、けれどもそれを悟らせないよう頭を下げ厨房を後にしたのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今回のどうでもいい裏設定。
さて、ついに初めての社交シーズンです。セレスもフォルティスも王城勤務と学校なので直接的にかかわることはそうありませんが、貴族家出身の王城勤務者には特例の措置があります。社交シーズン中の勤務は各家の予定が優先されていいことになっているのです。セレスは学校があるのですが午後が丸々空いていたり生誕祭後にパスハの休みがあったりと今まで経験したこともないくらい予定がありません。フォルティスが急に討伐に行ってしまったりすると魔術師塔の裏でおじいちゃん達と遊んでいるか(遊んでいるのはジジイだけでセレスはちゃんと自主的に修行しています)、図書館に通うくらいしかやることが無いのです。そんな話をうんうん頷きながら聞いていたエレノアさんは、「よし。馬車をやるからセレスは一人でここに帰ってこい。」ということになり、最近はしょっちゅうタウンハウスに居るのです。セレスは王城も楽しいけれどタウンハウスも嬉しくてたまりません。皆笑顔で出迎えてくれるのでうきうきです。またタウンハウスの面々もしょっちゅうセレスが帰って来てくれるので嬉しくてそわそわしています。
用が無ければほとんどタウンハウスに帰らなかったフォルティスですが、王城にセレスが居ないので休みの日に騎士舎で過ごす意味が分からなくなりました。休みは4日に一度で、討伐に出ると休みも不規則になります。なので少しでも時間が空けばセレスと一緒にタウンハウスに帰っています。
そんな様子を眺めて(賑やかで良い事よ)とエレノアさんは思い、そんな満足げな伴侶の様子を眺めてランドルフさんもにこにこしているのです。
いや、今は退役なさっているので騎士ではなかった。
エレノア様のご様子に苦笑を浮かべるランドルフ様に頭を下げて、憚られる限界まで足を速めながら思い直す。懐かしい顔ぶれに、私の思考が昔に戻ってしまっている。
しっかりしなくてはと、私は自分を叱責した。
着いた先のエントランスには既にミセス・ヘザーの姿があり、「せめてホールでお待ちください。」と今にも扉を開けて出て行ってしまいそうなエレノア様を窘めている。お屋敷広しとはいえ注意が出来るのはヘザー様くらいのものだ。
押し開けられた正面玄関から覗く人影。
黒の騎士服をきちりと身につけた美丈夫と、その後ろからおずおずとした様子のグレーブロンドが見え隠れしている。
「セレス!」
嬉しそうな声音にぴょこりと顔を出すと、そのいつでも眠たげな眼はみるみると柔らかく笑み、エレノア様に向かってとととっと近づいた。
「わぁっ!」
挨拶のいとまもない程の速さでぎゅうぎゅうに抱きしめられ、その真っ赤に染めた顔のままで腕の中から這い出し、
「長旅お疲れ様です。お会いできてうれしいです。」
そう、へにゃりと笑う。
ああ。確かにこれは庇護欲を誘う。
笑顔を向けられたエレノア様も、それを一歩下がって見守るヘザー様も、フォルティス様は言うに及ばずみんな笑顔になってしまっている。
フォルティス様がお小さい時もこんなに柔らかく笑っていただろうかと、さりげなさを装ってヘザー様を見る。
私の記憶にある限りでは、いつもの厳格なお顔でフォルティス様のやんちゃの後始末をしているか、お叱りになっているか、屋敷中を探し回っている姿しか思い出せない。ある一定の記憶から先は諦念とも超然ともいえるお顔だった。いや、それはエレノア様に対してもそんなお顔だった。
場所を居間に移し、伴侶であるフォルティス様を押しやってセレス様の隣を陣取っているエレノア様がセレス様の言葉にうんうんと頷く。
魔術師塔での生活から王城での食事の話に至るまで、時に考え考え、時に笑いながら、一生懸命に話す様子を目を細めて真剣に聞いていらっしゃる。まるでムフロンの赤ん坊を愛でている時のように、その黒曜石の瞳はゆるゆるだ。
自由闊達で豪気さの塊のようなルーメン家直系の皆さま。
他家から嫁いできた大奥様やランドルフ様ですら、お若い時から老練であったと聞いている。その中にあっては、セレス様はあまりにも頼りなく、愛護すべき要素に満ちて見える。
私はそっと退室し階下の様子を見に行った。そろそろ夕食の準備が出来るだろう。
階下に下がる階段から、美味しそうな香りが漂ってくる。
覗き込んだ厨房はキッチンメイド達の戦場と化し、熱気と慌ただしさに満ちていた。
シェフ達の仕事はひと段落付き、今は配膳の準備中。カントリーハウスよりも手狭で人手も少ないが、動線の造りがよくメイド達の手際もいい。
「ロジーナさん!長旅ご苦労だったな!」
深いバリトンで名を呼ばれ、顔を向けるとヘッドシェフが片手をあげて奥からのそりとやってくる。
私よりも少し年上の大柄なその男性は、髪をつるりと剃り上げて鋭い眼光をしている。生成りのシャツになめし皮のエプロンを首から下げ、武人と言っても過言ではない程、腕の筋肉が流々としている。相変わらず、厨房にいなければ傭兵と思われても仕方がないような見た目だ。
「フェリックスさん。またお世話になります。」
深く頭を下げると、気難しいわりに人の良いヘッドシェフは「あんたも相変わらず堅苦しいな。」と苦笑を漏らした。
「ところでよ、坊ちゃんはもうお着きになっていなさるのかい?」
「フォルティス様でしたら先ほど。」
「あー…、いや。セレス様もご一緒で?」
「ええ。お二人とも。」
この人にしては珍しく、なんとも歯切れの悪い物言いだ。私は訝しく思いながら答えると、いつもは仏頂面のヘッドシェフがぱぁっと明るく破顔した。
「そうか!そりゃあいい!」
「今年は賑やかで、いいシーズンになりそうだ。」
そういって、さも嬉しそうに満足げに頷く。
私は思わず絶句して、けれどもそれを悟らせないよう頭を下げ厨房を後にしたのだった。
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今回のどうでもいい裏設定。
さて、ついに初めての社交シーズンです。セレスもフォルティスも王城勤務と学校なので直接的にかかわることはそうありませんが、貴族家出身の王城勤務者には特例の措置があります。社交シーズン中の勤務は各家の予定が優先されていいことになっているのです。セレスは学校があるのですが午後が丸々空いていたり生誕祭後にパスハの休みがあったりと今まで経験したこともないくらい予定がありません。フォルティスが急に討伐に行ってしまったりすると魔術師塔の裏でおじいちゃん達と遊んでいるか(遊んでいるのはジジイだけでセレスはちゃんと自主的に修行しています)、図書館に通うくらいしかやることが無いのです。そんな話をうんうん頷きながら聞いていたエレノアさんは、「よし。馬車をやるからセレスは一人でここに帰ってこい。」ということになり、最近はしょっちゅうタウンハウスに居るのです。セレスは王城も楽しいけれどタウンハウスも嬉しくてたまりません。皆笑顔で出迎えてくれるのでうきうきです。またタウンハウスの面々もしょっちゅうセレスが帰って来てくれるので嬉しくてそわそわしています。
用が無ければほとんどタウンハウスに帰らなかったフォルティスですが、王城にセレスが居ないので休みの日に騎士舎で過ごす意味が分からなくなりました。休みは4日に一度で、討伐に出ると休みも不規則になります。なので少しでも時間が空けばセレスと一緒にタウンハウスに帰っています。
そんな様子を眺めて(賑やかで良い事よ)とエレノアさんは思い、そんな満足げな伴侶の様子を眺めてランドルフさんもにこにこしているのです。
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