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tapestries. 愛しい雛の育て方③
しおりを挟む毎年社交シーズンの度に滞在するタウンハウス。
ルーメン家に仕えるようになり、ヘザー様の下として王都に追従するようになってから、通い続けて10数年になる。その間にフォルティス様は騎士になり、私は筆頭レディース・メイドになった。王都は時々きな臭い事件がありつつも表面上はわりと平和で、ルーメン家はいつでも揺ぎ無く、その地位は盤石だった。
何も変わらなかったこの10数年。ワクワクとして王都入りを果たし、迎えるタウンハウスのいつもの面々と適度な親交を交わし、華やかな社交会を飛び回り、シーズンの終わりには自領に帰るのを心待ちにしていた。煌めく貴族の社交の場で疲弊してゆく心と、変わり映えのない静かで落ち着くタウンハウス。
それが私の知る王都での生活だ。
けれど今年は、随所で目を見張るほどの変化に満ちていた。
例えば早朝のサロン。
タウンハウスはメイドの数が少ないのでハウスメイドとキッチンメイドは持ち回りの兼任になっている。その日たまたまハウスキーピングの係になっていたメイドに声をかけようとして、サロンを覗いた私は思わず目を見張った。
そこには階上でいまだ眠っていると思い込んでいた少年がひらりひらりとカーテンを開けてゆき、メイドと一緒になって掃除をしていたからだ。
明確に言えば掃除をしているわけではない。彼の係はカーテンを開けるだけで後は適度な距離を保ち、メイド達がてきぱきと働く様子を熱心に見守っている。そして見守られているメイド達も、平然と、そして僅かに楽しげに黙々と仕事をこなしてゆく。
その自然な様子に、今日が初めての事ではないのだと直感した。
私は驚き過ぎて声もかけられず、そっとその場を後にしたのだった。
またある時は屋敷裏のキッチンガーデンで。
テラスからコンサバトリーへ抜けようとして、微かな声にサロンの扉をそっと押し開ける。テラスは裏庭よりも少し高く庭側へ大きく張り出した造りになっており、柵に近づかないと真下を見ることは出来ない。声は聞こえても姿は見えず、おそらく厨房の真横で話しているのだろう。
私はそっと耳をそばだててしまう。
「僕のピュシスは、やっぱり植物の生育にも効果があるみたいなんです。」
「ほぉ。やっぱりか。」
「え?」
「先週かけていったあとハーブの香りが良くなった。気のせいじゃなかったのかもな。」
「わあ!そんな効果が!ゲール先生にも言わなくちゃ!」
「坊の植物の先生か?」
「はい。ヘルハルト・オーウェン先生です。」
「んん?ヘルハルト?『大陸植物探訪記』のヘルハルト・オーウェンかっ!?」
「え?それはちょっと…。」
「おいおい坊っ。そりゃだめだ。せめて『有用植物と文化史』くらい読め。」
「親方…。俺だってそんなの読んだことないですよ…。」
「ああ!?なんでお前が読んでないんだ。」
「庭師に教養が必要だなんて、ここに来て初めて知ったんですよ…。」
「ったく。しょうがねぇ。俺が貸してやる。」
「僕も図書館で探してみます。」
「そうしろそうしろ。蒸留と香料の話とか面白いぞ。魔術師の役にゃたたんだろうがな。」
楽しそうに笑う声があがり、私はそっと扉を閉め、額に手をやる。
眩暈がしそうだ。
ヘッドガードナーであるクリストフ・ロイドという老人は、カントリーハウスに居た頃からメイドの間では恐怖の象徴だった。話しかけても「ああ。」とか「んん。」しか返事は返ってこず、無断で庭に入れば大声で叱責され、無口で偏屈な彼に近寄る者はそういなかった。唯一エレノア様とは親し気だったが、こんなにも話す彼を見たことが無い。それもただ会話するだけでなく、楽し気に、笑い声まで上げてだ。
セレス様は、私が知る貴族籍に入った方たちと比べても全くの異質だった。
もちろん私は男夫婦が主人の屋敷に仕えたことはなく、社交会に付き添う侍従たちの話でしか他家を知らない。侍従と言えど私達も情報戦の中にいるので、口外しないことが殆どではあっても、これほどまでに使用人との距離が近い方はそういないと思う。
厨房の片隅にちょこんと座っておやつを食べ、満面の笑みで足をバタつかせていたり、フットマンのマティアスにこっそりとブーツ磨きを教わっているのも見かけた。陶器部屋から来客用の特別な食器が出されれば、磨くメイドの手元を何時間でもじっと眺めているし、庭の芝生に魔法の雨を降らせてはびしょびしょになって戻ってくる。
ちょっと失敗したと言って申し訳なさげに玄関で立ち尽くしている彼を、ミセス・ヘザーが慌ててタオルでくるみ込み、フォルティス様が笑いながら抱えあげて浴室へと連れ去っていった。
驚いたことに、彼に関わるどの人も慈愛に満ちた表情をしているのだ。
ルーメン家の四男であるフォルティス様は、エレノア様によく似て大変整った容姿をしていらっしゃる。お顔の美しさだけでなく騎士としての地位も相まって、縁談のお声がけは引く手あまただったはずだ。いくら騎士団にしか興味がなかったとはいえ、やる気になればより取り見取りのお立場だ。
そのフォルティス様が屋敷中を驚かせるほど一人に固執し、騎士の誓いという貴族令嬢の憧れをこれでもかと詰め込んだ方法で婚儀を申し入れた方。
コルスとして教会で育ち、聞けば出自も教会なのだという。それも都市のではなく名も知らぬような小さな町のお生まれだ。貴族のしきたりも知らず、下手をすると庶民の暮らしにすらも触れたことが無いだろう。
何も知らずに貴族家に嫁ぎ、苦労したという話は私の生家でもよく聞き知った話だ。使用人がその家の格式に劣るとみなせば、侮られることは往々にしてある。
けれどこの家の使用人は誰も彼を貶めない。
言葉の端々でも。表情ですらも。
それはフォルティス様が溺愛しているからというわけではなく、エレノア様が目をかけているからというわけでもない。彼らは本心から『セレス・ルーメン』となった彼を、大事に扱っているようだった。
いったいセレス様の何が、このタウンハウスの面々を変えてしまったのだろう。
私には不思議でならなかった。
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