116 / 133
tapestries. 愛しい雛の育て方⑤
しおりを挟む
セレス様は不思議な方だ。会うたびに受ける印象が変わる。
「ああ、それはからかわれたのでございます。」
大サロンの片隅からデリオットさんの声が聞こえ、私は歩調を緩めてホールを歩く。「え?」という不思議そうな声が聞こえたからだ。声の主がセレス様だと分かり、この家の最上位の使用人と一体どんな会話をするのかと、ついつい興味をそそられてしまった。
私はきょろりと周りを見渡し、他に人がいないかすばやく確認する。これが社交会でならいざ知らず、身内の屋敷でする行為としては一メイドとしてとてもみっともない行為だからだ。
「ヘンリクスとは古い神話に出てくる神のお一柱で、武と癒しの力を持っているとされています。その姿は巨大なハイイロオオカミで、牙は大きく尖り、爪は刃のように鋭く、咆哮は立つ者を地にひれ伏せると言われています。容赦なく敵を圧倒し、懐に守るべきものを癒すその灰色の神にメルキドア卿は例えられたのですよ。」
「じゃあ、ヘンリクスの牙は折れ爪は削られたっていうのは…」
「セレス様を愛弟子と思っておいでです。」
「……。」
「ふふ。」
「あはっ…」
「うふくくく。」
楽し気に笑い合う声。
「どうしてローワン先生があんなにも渋いお顔をしていたのか分かりましたっ。」笑いを含んだ声でそう言い、ひとしきり二人は声をひそめてくすくすと笑う。
私は、もうこれ以上驚くのは無意味だとぐるりと目を回す。
カントリーハウスにデリオットさんがいた時代から、あの厳格なアッパー・サーヴァントが声をあげて笑うなど見たことも聞いたことも無い。メルキドア卿に庇護されているという話よりも、ずっとずっと身につまされて確信させられた。
始めはおどおどとしたぱっとしない少年だと思っていた。次にあった婚礼の儀では、両家に囲まれ終始にこにこと幸せそうに笑っていらした。ルーメン本家の方々とも卒無く話し、緊張の色は濃くとも伯爵貴族に対する怯えは見受けられなかった。
もちろんタウンハウスのアッパーサーヴァント達からよくよく仕込まれてきたのだろう。儀式だけでなく、目上の貴族に対する礼儀もきちんと身に付けていらっしゃった。…まぁ、途中から溝を埋めたいと望んだエレノア様が台無しにしてしまったけれども。
今シーズンでは少年の幼さは消え、最後に見た時よりも背が伸びたせいか少し大人びた雰囲気があった。
フォルティス様との親密さは増し、あの頃の初々しさは全く見受けられない。こちらが恥ずかしくなるほど、いつでもどこでも仲睦ましい。
屋敷にも随分と慣れたのだろうことはわかる。
けれどだからこそ不思議なのだ。
なぜデリオットさんやミセス・ヘザーは、あそこまでセレス様に自由を許しているのだろう。
家督を継ぐわけではないとはいえ、使用人との距離が随分と近すぎる。
貴族と使用人との間には越えられない溝があり、それは決して越えてはならない。上に立つものという意識を持たせ、私達の下支えを受け、貴族界という場で戦えるだけの力を身に着けていただく。
幼い彼らにその心得を教えないのは、戦う場が社交界ではないからなのだろうか。
もしそうでも、今回ばかりはそうはいかない。
社交シーズンは、貴族としての是非を問われる。
フォルティス様は騎士職ゆえに今までその荷を背負ってはこなかったが、今期は婚儀後初の社交界だ。四男とはいえ貴族の子息が王都に居れば、披露目の場を用意しないのは余計な憶測を生む。歴史あるルーメン伯爵家の直系に連なるならばなおさらだ。
披露目の場には、私的な交友と公的な繋がりと政治的な思惑が一堂に会することになる。
そんな場に、この自由な少年が貴族として立てるようには到底思えない。
ルーメン家に泥を塗るような行為は、絶対に避けねばならない。
「ああ、それはからかわれたのでございます。」
大サロンの片隅からデリオットさんの声が聞こえ、私は歩調を緩めてホールを歩く。「え?」という不思議そうな声が聞こえたからだ。声の主がセレス様だと分かり、この家の最上位の使用人と一体どんな会話をするのかと、ついつい興味をそそられてしまった。
私はきょろりと周りを見渡し、他に人がいないかすばやく確認する。これが社交会でならいざ知らず、身内の屋敷でする行為としては一メイドとしてとてもみっともない行為だからだ。
「ヘンリクスとは古い神話に出てくる神のお一柱で、武と癒しの力を持っているとされています。その姿は巨大なハイイロオオカミで、牙は大きく尖り、爪は刃のように鋭く、咆哮は立つ者を地にひれ伏せると言われています。容赦なく敵を圧倒し、懐に守るべきものを癒すその灰色の神にメルキドア卿は例えられたのですよ。」
「じゃあ、ヘンリクスの牙は折れ爪は削られたっていうのは…」
「セレス様を愛弟子と思っておいでです。」
「……。」
「ふふ。」
「あはっ…」
「うふくくく。」
楽し気に笑い合う声。
「どうしてローワン先生があんなにも渋いお顔をしていたのか分かりましたっ。」笑いを含んだ声でそう言い、ひとしきり二人は声をひそめてくすくすと笑う。
私は、もうこれ以上驚くのは無意味だとぐるりと目を回す。
カントリーハウスにデリオットさんがいた時代から、あの厳格なアッパー・サーヴァントが声をあげて笑うなど見たことも聞いたことも無い。メルキドア卿に庇護されているという話よりも、ずっとずっと身につまされて確信させられた。
始めはおどおどとしたぱっとしない少年だと思っていた。次にあった婚礼の儀では、両家に囲まれ終始にこにこと幸せそうに笑っていらした。ルーメン本家の方々とも卒無く話し、緊張の色は濃くとも伯爵貴族に対する怯えは見受けられなかった。
もちろんタウンハウスのアッパーサーヴァント達からよくよく仕込まれてきたのだろう。儀式だけでなく、目上の貴族に対する礼儀もきちんと身に付けていらっしゃった。…まぁ、途中から溝を埋めたいと望んだエレノア様が台無しにしてしまったけれども。
今シーズンでは少年の幼さは消え、最後に見た時よりも背が伸びたせいか少し大人びた雰囲気があった。
フォルティス様との親密さは増し、あの頃の初々しさは全く見受けられない。こちらが恥ずかしくなるほど、いつでもどこでも仲睦ましい。
屋敷にも随分と慣れたのだろうことはわかる。
けれどだからこそ不思議なのだ。
なぜデリオットさんやミセス・ヘザーは、あそこまでセレス様に自由を許しているのだろう。
家督を継ぐわけではないとはいえ、使用人との距離が随分と近すぎる。
貴族と使用人との間には越えられない溝があり、それは決して越えてはならない。上に立つものという意識を持たせ、私達の下支えを受け、貴族界という場で戦えるだけの力を身に着けていただく。
幼い彼らにその心得を教えないのは、戦う場が社交界ではないからなのだろうか。
もしそうでも、今回ばかりはそうはいかない。
社交シーズンは、貴族としての是非を問われる。
フォルティス様は騎士職ゆえに今までその荷を背負ってはこなかったが、今期は婚儀後初の社交界だ。四男とはいえ貴族の子息が王都に居れば、披露目の場を用意しないのは余計な憶測を生む。歴史あるルーメン伯爵家の直系に連なるならばなおさらだ。
披露目の場には、私的な交友と公的な繋がりと政治的な思惑が一堂に会することになる。
そんな場に、この自由な少年が貴族として立てるようには到底思えない。
ルーメン家に泥を塗るような行為は、絶対に避けねばならない。
0
あなたにおすすめの小説
身代わりの出来損ない令息ですが冷酷無比な次期公爵閣下に「離さない」と極上の愛で溶かされています~今更戻ってこいと言われてももう遅いです〜
たら昆布
BL
冷酷無比な死神公爵 × 虐げられた身代わり令息
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
生まれ変わりは嫌われ者
青ムギ
BL
無数の矢が俺の体に突き刺さる。
「ケイラ…っ!!」
王子(グレン)の悲痛な声に胸が痛む。口から大量の血が噴きその場に倒れ込む。意識が朦朧とする中、王子に最後の別れを告げる。
「グレン……。愛してる。」
「あぁ。俺も愛してるケイラ。」
壊れ物を大切に包み込むような動作のキス。
━━━━━━━━━━━━━━━
あの時のグレン王子はとても優しく、名前を持たなかった俺にかっこいい名前をつけてくれた。いっぱい話しをしてくれた。一緒に寝たりもした。
なのにー、
運命というのは時に残酷なものだ。
俺は王子を……グレンを愛しているのに、貴方は俺を嫌い他の人を見ている。
一途に慕い続けてきたこの気持ちは諦めきれない。
★表紙のイラストは、Picrew様の[見上げる男子]ぐんま様からお借りしました。ありがとうございます!
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる