WORLDS

植田伊織

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第一章

『WORLDS』

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 女の買い物には時間がかかる――レーゼの買い物は、そんな偏見を吹き飛ばすかの如く迅速に終わった。

 あらかじめ購入する本が決まっていたのだろう、書架にずらりと並ぶ色とりどりの背表紙を一通り眺めた後、スラリと迷いなく目当ての一冊を引き抜いた。確認のためかパラパラとページをめくり、何かに納得した後、ポンと音を立てて本を閉じる。そのまま代金を支払いに、店員の元へ歩いて行った。
 買い物を終えるのかと思いきや、少女は店内の目立つところにディスプレイされている“話題の本“というコーナーに目を向け――その中の一冊に心を奪われでもしたのか――微動だにせず凝視している。

「どうした、目当ての本は見つかったのか?」
 つられて少女の視線を追いかける。
「ヘレン・シッカート……さっきのおじさんの奥さんって、作家さんだったのね」
 意外、と続けたレーゼは、“話題の本“コーナーの中でも一際目立つ場所に配置されたその本を手に取り、今度こそ代金を支払うために店員へ声をかけた。
 一体どこに財布を隠し持っていたのか、気にならなかった訳ではないが、今はそれどころではない。
 ダルットは、世界地図が描かれたキャメル色の表紙を指先でなぞりながら、店内の壁に貼り付けてある、店員が書いたと思われる宣伝広告を読んだ。

――“時の人、アルバート・シッカート氏の妻、ヘレン・シッカートの遺作、ついに完結。世界を越えたファンタジー“――

 小説を読む習慣の無いダルットは知らなかったが、レッドグラウンドの復興を呼びかける慈善家の妻は、ファンタジー小説を執筆していたようだ。表紙には豊穣の地『アース・グラウンド』の言葉で、『世界』WORLDSとだけ記されている。簡素なタイトルだ。
 広告によれば、ヘレンはこの作品を書き終えた後、自ら命を絶ったという。
(――俺には関係の無い事だ)
 そう独りごちつつも、新たな情報を黙殺するのも同僚としておかしな話だと言い訳をしながら、青年はヘレン・シッカートの本を手に取った。

 ――故郷に再度足を踏みいるなんて死んでもごめんだという意識が、姉に対する素っ気ない態度に現れているという自覚はある。だからと言ってダルットは、無鉄砲な姉のマリアを全く心配していない訳ではない。レッドグラウンド復興活動に協力するかと問われれば、真っ先に「否」と答えるだろうが、慈善活動を必要とする姉まで、否定したくはなかった。
 物事に対する姿勢は違えど、尊敬していないわけではないのだ。姉が不利な状況に陥る危険性があるなら、それを排除してやりたいと思う程度には。

 ダルットはヘレンの著書を開き、その世界を覗き見る。
 あらすじを見る限り、正義のヒーローが悪者を倒して世界を救うという、よくある児童書のようだった。
 この本がシッカート氏の慈善活動に、影響を及ぼしているのか否か判断するには、物語を最後まで読まなくてはならない。それは、御伽噺に苦手意識を持つ彼にとって、苦行だった。
 さてどうしたものか。
 とりあえず本を閉じようと、視線をページの隅に移したその刹那、ダルットはそこに書かれた一文に思わず目を見張る。

『”閃光の王子”ダルットは、”水の巫女”に言いました――』

 ヘレン・シッカートの物語の中で、彼と同じ名前の勇者が、世界を救わんと光の剣を空に掲げて笑っていたのだ。

***

 食料品を抱えて待ち合わせ場所へ向かうと、無愛想な美形の二人組がベンチに座って黙々と本を読んでいる所だった。
 髪色が似通っているせいだろうか――銀と白とはいえ――ダルットとレーゼの二人こそが、兄妹のように見えて何だかおかしかった。
「アンタが読書なんて珍しいな」
 ユリスの言葉に対し、睨みつける事で返答をしたダルットは、黙りこくったまま読んでいた本をずいと、ユリス達に向けて差し出した。
青年の指が登場人物紹介のページを、トントンと叩く。そこには、

物語の主人公が”勇者カース”、
仲間達として”閃光の王子 ダルット”、
”浄化の焔 マリア”という人物について記されていた。

 ユリスが思わず顔を上げると、顔色の悪いダルットがぼそりと呟く。この本の著者がアルバート・シッカートの妻、ヘレンであること、この本を書き終えた後に命を絶ったらしいという経緯を説明した後に、重苦しく言葉を続けた。

「わかっている。俺の名前が本に記されている、だなんて自意識過剰もいい所だ。――”ダルット”なんて擬音だけで作られた名前キラキラネームじゃなかったら、そう笑い飛ばせたろうさ。
 万が一を考えたなら、俺も姉さんもただじゃ済まない。そんなはずないと思いたくて読み進めていたんだが……」
 言いながら本を閉じて、がくりと項垂れた。
「御伽噺は性に合わない。ファンタジー小説もだ」

 こめかみに手を当てるダルットを、レーゼが珍獣を見る目で眺めている。その双眼は「こんな序盤で脱落するなんて正気か」と言っているように、ユリスには思えた。というのも、少女は先ほど購入したであろう本を既に、終盤まで読んでいたからだ。

 もっとも、彼女が読んでいたのは児童向けの歴史書で、世界史を簡単にまとめ、こどもにも理解しやすいように難解な表現を使わず、絵や図録にもふんだんにページを割いている、教科書のような物だ。普段からそれなりに本を読んでいる人間なら、さほど時間をかけず読了するだろう。

 ユリスは、自分も幼い頃に読んだ覚えのある書物を目にして、なんで幼児でもない今更、そんな本を読もうと思ったのか疑念を抱いた。ざっくり歴史を把握するには適した本だが、意外性や専門性を排した書物である。娯楽や研究で読むには適さない。まさか――と、思考を巡らせようとしたところで、当のレーゼが、
「ダルットが読めないのなら、ユリスが読めばいい」
 と言った為、推理を中断せざるをえなかった。
「頼めるか、ユリス」
 ダルットの切羽詰まった声によって、思考が目の前の問題に引き戻される。
 この美男は猫の飼育書やペット図鑑は穴が開くほど読み込む癖に、”物語”が絡むと途端に毛嫌いするのだ。
 ちらりとマリアを見れば、すまなそうな顔で、
「私は読まなきゃいけない資料が溜まってて……」
 と、牽制されてしまった。そもそも、これから他大陸へボランティアに行こうとしている相手を捕まえて頼む気など、毛頭なかったのだけれども。
「アンタは恋愛小説じゃないと読まないもんな」
 出来心で意地悪を言ってみたら、
「なんで知ってるの!?」
 と、予想外の反応が返ってきたので、ユリスは思わず笑ってしまった。
「任された」
 言いながら、ダルットからヘレン・シッカートの著書を受け取り、一同は帰路に着いたのだった。
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