6 / 29
あくい
しおりを挟む
あの日、登校した私は校門前でさやかと鉢合わせた。私たちは登校時間がだいたい同じくらいなので、それ自体はよくあることだった。二人並んで教室に向かい、クラスに足を踏み入れた瞬間に目にした光景。それが、この黒板だった。
教室には、すでに登校していたクラスメイトが二十人くらいはいたと思う。それぞれが、教室の端や自席、思い思いの場所に固まって、スマホをいじったりお喋りしたりしていた。でも、意識のほとんどは──黒板と、さやかの方に向けられていたと思う。あからさまに黒板とさやかへ交互に視線をやる子、もしくは気づかれないように、ちらちらと様子を窺う子。こちらに背中を向けているけれど、さやかの様子を気配で探ろうとしている子。
教室の中は、生々しい好奇に満ちていた。
さやかは、数秒間呆然と黒板を見つめていた。私は彼女の後ろ姿を見つめたまま、なんて声をかけるべきか──どうやってこの空気を壊すべきなのか、必死に頭を巡らせていた。でも、私が口を開くより先に、さやかがこちらを振り返った。
「……菜乃がやったんでしょ」
私は言われた意味がすぐには理解できなかった。血走った目がこちらを見ていた。彼女の、多分毎朝三十分はかけてつくっているのだろう前髪の隙間から、汗をにじませた額が覗いている。
「菜乃が書いたんでしょ!あれ!」
「なんで君がやったと思ったんだっけ?その子」
意識が現実に引き戻される。目の前には、変わらずこちらを見つめている貌鳥先輩がいた。あの、じっとりと汗ばんで、混乱しきったあの子の顔ではなく。
どうやらあの日のことを、私が思う以上に詳しく知っているらしい。この画像を渡した子がペラペラ話したのか、それとも強引に聞き出したのか。
「……いつか貌鳥先輩に告白するって、あの子が教えてたのは私だけなんです」
「なるほどねえ。でも、それで君がやったって決めつけられないよね?むしろ君以外の誰かがやった可能性の方がまだ高く思えるけど」
「ええ、そうだと思います」
黒板にそれを仕込んだ犯人は、告白する予定が実際にあるのか無いのか、どちらでも構わなかったに違いない。校内のだれそれに片思いしているのだと周囲に触れ回っている子が標的ならば、誰にでも使える煽り文だ。特に、片思いの熱にのぼせあがっている子にしてみれば、頭から冷水を浴びせられるようなものだろう。
それに、このクラスの者であれば、あの子が貌鳥先輩に好意を持っていることなんてほとんど周知の事実なはずだ。これだけで、犯人は私だと決めつけられなくなる。
ありがたいことに、あの時他の女子が「菜乃がやるわけないじゃん」と諌めてくれたので助かった。いや、あの女子からすると、とにかくその場を収めたかっただけで、私を庇うつもりなどなかったかもしれない。それに──
「同じ時間に登校してきたんじゃ、書くのは難しいだろうしね」
「でも、かなり早い時間に登校して、書き終わったら校内のどこかに隠れておく手もありますよ。あとは、すぐに校舎を出て外で時間をつぶしていつもの登校時間に合わせるとか」
「難しいでしょ。どっちにしても、いつもと違う時間に登校して、不審な行動してるのを誰にも見られない自信ある? 賭けるにはけっこう危険度高いよ」
「それはまあ、そうなんですか」
「てか、なんで自分が犯人だったって仮定の推理してんの?」
「私は犯人じゃないって、ふんぞり返るのも居心地悪くて」
「へえ、変わってんね」
変わってる先輩に変わってると言われるということは、つまり私は普通なんじゃないだろうか。マイナスとマイナスをかけたらプラスになるように。
「それに君って、嫌がらせするのに手間をかけるタイプじゃないでしょ。もしやるなら突発的な犯行じゃない?」
「……」
「え? なに? 俺は庇ってあげてるんだけど」
「そうは聞こえませんでした」
「菜乃ちゃん、ちょっとは社交辞令を身に着けなよ」
私はその言葉を無視した。貌鳥先輩が相手じゃなきゃ、私だってちゃんとお世辞の一つくらい言える。
結局あの黒板は、ホームルームが始まる前に全部消すこととなった。なので担任が教室に来る頃には、跡形もなくなっていた。つまりは、隠ぺいしたのである。
先生たちに対して、誰もこれを漏らさなかった。生徒間では水面下で話のネタにされてたかもしれないけど。大人に情報を漏らさないことは徹底していた。
そうしようという取り決めがあったわけではない。ただ、なんとなくそういう空気があった。誰かが密告するかもしれないな。私は内心そう思っていたが、一度もそれらしい話題を出さない教師陣を見るに、その様子はなさそうだった。
そして、ひた隠しにされたまま、あの飛び降りが決行されたということだ。
教室には、すでに登校していたクラスメイトが二十人くらいはいたと思う。それぞれが、教室の端や自席、思い思いの場所に固まって、スマホをいじったりお喋りしたりしていた。でも、意識のほとんどは──黒板と、さやかの方に向けられていたと思う。あからさまに黒板とさやかへ交互に視線をやる子、もしくは気づかれないように、ちらちらと様子を窺う子。こちらに背中を向けているけれど、さやかの様子を気配で探ろうとしている子。
教室の中は、生々しい好奇に満ちていた。
さやかは、数秒間呆然と黒板を見つめていた。私は彼女の後ろ姿を見つめたまま、なんて声をかけるべきか──どうやってこの空気を壊すべきなのか、必死に頭を巡らせていた。でも、私が口を開くより先に、さやかがこちらを振り返った。
「……菜乃がやったんでしょ」
私は言われた意味がすぐには理解できなかった。血走った目がこちらを見ていた。彼女の、多分毎朝三十分はかけてつくっているのだろう前髪の隙間から、汗をにじませた額が覗いている。
「菜乃が書いたんでしょ!あれ!」
「なんで君がやったと思ったんだっけ?その子」
意識が現実に引き戻される。目の前には、変わらずこちらを見つめている貌鳥先輩がいた。あの、じっとりと汗ばんで、混乱しきったあの子の顔ではなく。
どうやらあの日のことを、私が思う以上に詳しく知っているらしい。この画像を渡した子がペラペラ話したのか、それとも強引に聞き出したのか。
「……いつか貌鳥先輩に告白するって、あの子が教えてたのは私だけなんです」
「なるほどねえ。でも、それで君がやったって決めつけられないよね?むしろ君以外の誰かがやった可能性の方がまだ高く思えるけど」
「ええ、そうだと思います」
黒板にそれを仕込んだ犯人は、告白する予定が実際にあるのか無いのか、どちらでも構わなかったに違いない。校内のだれそれに片思いしているのだと周囲に触れ回っている子が標的ならば、誰にでも使える煽り文だ。特に、片思いの熱にのぼせあがっている子にしてみれば、頭から冷水を浴びせられるようなものだろう。
それに、このクラスの者であれば、あの子が貌鳥先輩に好意を持っていることなんてほとんど周知の事実なはずだ。これだけで、犯人は私だと決めつけられなくなる。
ありがたいことに、あの時他の女子が「菜乃がやるわけないじゃん」と諌めてくれたので助かった。いや、あの女子からすると、とにかくその場を収めたかっただけで、私を庇うつもりなどなかったかもしれない。それに──
「同じ時間に登校してきたんじゃ、書くのは難しいだろうしね」
「でも、かなり早い時間に登校して、書き終わったら校内のどこかに隠れておく手もありますよ。あとは、すぐに校舎を出て外で時間をつぶしていつもの登校時間に合わせるとか」
「難しいでしょ。どっちにしても、いつもと違う時間に登校して、不審な行動してるのを誰にも見られない自信ある? 賭けるにはけっこう危険度高いよ」
「それはまあ、そうなんですか」
「てか、なんで自分が犯人だったって仮定の推理してんの?」
「私は犯人じゃないって、ふんぞり返るのも居心地悪くて」
「へえ、変わってんね」
変わってる先輩に変わってると言われるということは、つまり私は普通なんじゃないだろうか。マイナスとマイナスをかけたらプラスになるように。
「それに君って、嫌がらせするのに手間をかけるタイプじゃないでしょ。もしやるなら突発的な犯行じゃない?」
「……」
「え? なに? 俺は庇ってあげてるんだけど」
「そうは聞こえませんでした」
「菜乃ちゃん、ちょっとは社交辞令を身に着けなよ」
私はその言葉を無視した。貌鳥先輩が相手じゃなきゃ、私だってちゃんとお世辞の一つくらい言える。
結局あの黒板は、ホームルームが始まる前に全部消すこととなった。なので担任が教室に来る頃には、跡形もなくなっていた。つまりは、隠ぺいしたのである。
先生たちに対して、誰もこれを漏らさなかった。生徒間では水面下で話のネタにされてたかもしれないけど。大人に情報を漏らさないことは徹底していた。
そうしようという取り決めがあったわけではない。ただ、なんとなくそういう空気があった。誰かが密告するかもしれないな。私は内心そう思っていたが、一度もそれらしい話題を出さない教師陣を見るに、その様子はなさそうだった。
そして、ひた隠しにされたまま、あの飛び降りが決行されたということだ。
0
あなたにおすすめの小説
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
人生の全てを捨てた王太子妃
八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。
傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。
だけど本当は・・・
受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。
※※※幸せな話とは言い難いです※※※
タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。
※本編六話+番外編六話の全十二話。
※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。
物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜
丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。
与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。
専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、
失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。
そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、
セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。
「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」
彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、
彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。
嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、
広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、
独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。
栄養と愛情を取り戻したセレナは、
誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、
社交界で注目される存在となる。
一方、セレナを失った伯爵家は、
彼女の能力なしでは立ち行かず、
ゆっくりと没落していくのだった――。
虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる