みんなあたまがおかしいようです

尾持ち

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よびだし

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 学校という空間は、他の建物よりずっと奇妙なつくりをしていると思う。その「つくり」とは、材質とか建築方法を指しているのではなく、数百人もの人間が押し込まれて日々を過ごさなくてはならないその活用方法のことだ。

 「実験室横のトイレに来て」

 あの子からそんなLINEが送られてきて、そこに向かっている間、私はそんなことを考えていた。内履きが床とこすれ合う感触。私たちの学年は、一クラス三十人弱で、それが五クラス分あるので、単純計算で百五十人がこの廊下と教室に閉じ込められているわけだ。
 百五十人分の呼気。それが周囲を満たしているのかと思うと不快になる。
 空気はなまあたたかい。昼休みという時間のためか、奇妙な熱気が折り重なった膜のように体を包んでいる気がした。もし私がいま声を発しても、すべてその膜に吸い込まれて、吐き出されたものは意味を持たない音として反響するように思える。

 教室棟を離れるようにして、実験室や家庭科室が立ち並ぶ場所に着く。喧騒や熱気は、もうずっと遠くまで離れていた。すれ違う人は一人もいない。室温が二度ほど下がったような気がした。

 トイレのドアを開けた。廊下よりも一気に薄暗く、狭められた空間になる。向かって右側に個室が並んでいた。
 正面には、あの子がいた。こちらに背中を向けて、窓に寄りかかるようにしている。頭はうなだれていた。
 女子トイレの窓は、普通の教室のものと同じで、胸辺りの高さにあるものだ。そこに手を置いている。窓は、開けられていた。普段は閉められている(女子トイレの窓なんて、いくら個室が外から見えないとはいえ誰も開けておきたくないだろう)のに。
 窓の向こうは、夏みたいな晴天だった。トイレの中が薄暗いせいで、外の明るさがやけに目立つ。まるで窓自体が映画のスクリーンのようだった。
 吹奏楽部の昼練の音がここまで届いていて、トランペットの音が、低く長く伸びていた。
 
「さやか」

 私はそう言って彼女に近づいた。彼女は背を向けたまま、何故か首を左右に振るような仕草をしてうつむいた。彼女の上半身が、窓の外へわずかに傾く。

「危ないよ」

 そう続けて言った。この時の私は、彼女が本当にそこから飛び降りるだなんて少しも想像していなかった。彼女はやはりしせんさえこちらに向けないまま「そういうのじゃない」と返した。たっぷりと涙で濡れた声だった。

「そういうのが、聞きたいんじゃない」

 じゃあ、どういうのだ。「告白、ダメだった?」とでも聞けばいいのか。
 すぐそばまで距離を詰めて、彼女がハンカチで顔を拭っているのに気付いた。白い、タオル地の分厚いハンカチだ。赤い花の刺繍が隅にある。あまりさやかには似合わない、シルバニアファミリーって感じのものだった。
 私は思い出す。そもそも普段ハンカチを持ち歩くことさえしない彼女が、放課後に駅ビルのファンシーショップでこれを買ったきっかけは、あの貌鳥先輩の存在だった。「ハンカチ、持ってない子より持ってる子の方が多分いいよね」と言いながらレジへと持っていく背中。まあ、そうだろうけどさ、とあの時は思っていた。つまり告白が失敗した今、明日からはそのハンカチはお役目御免になるのだろうか。

 まだぐしゃぐしゃと泣きながら、あの子はくぐもった声でこう漏らした。

「やっぱり、瞳先輩のことが好きなんだと思う」
「はあ」

 八宮瞳先輩。それは貌鳥先輩と付き合っているという噂の三年の女子生徒だった。
 私はその言葉を聞いて、嘘だな、とすぐに分かった。私はその告白を聞いていたわけでもないし立ち会ってもいないけど、瞳先輩の話題だって絶対に出なかっただろ、と。そもそもとして私たちは、瞳先輩が貌鳥先輩と付き合っているのか、ちゃんと本人に確かめに行ったのだ。
 それを踏まえて、今日こうやって告白しに行ったのに。今さらになって言い訳に持ち出すなんて、びっくりするくらいダサいと思った。でも、その惨めな振る舞いが、可哀想というか、この子に良く似合ってるようにも思えた。

「さやかにダメなとこがあったわけじゃないと思うよ」

 私はとりあえず、そんな風に慰めてみた。するとあの子は「そんなんじゃない」とよりぐしゃぐしゃになった声で言った。

「そんなのを聞きたいんじゃない」
「菜乃、いっつもそうじゃん」
「いつも菜乃は分かってくれない」

 堰を切ったように、彼女はそう吐き捨てた。顔をハンカチに埋めたままで。それはさっきまでの、瞳先輩がどうとかという言葉より、ずっと強く彼女の本心が表れているような気がした。ただ、それは、私自身を非難されたからそう思っただけかもしれない。
 ため息をついた。もちろんさやかには聞こえないよう、細く息を吐くやり方で。
 私はここにいない方がいいのかもしれない。
 そう思って、この場を離れることにした。私にやれることはもうなさそうだし、その子にうんざりし始めていたのも理由の一つだった。多分こういうのは、時間が解決してくれる類のものなんじゃないだろうか。分かんないけど。

「危ないよ」

 私は立ち去る直前、もう一度そう言った。それでも、まさかあの窓から落ちるなんて、少しも思っていなかった。
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