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おもいかえし
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「どう?」
音声を聞き終えて、まず最初に先輩が口にしたのがその言葉だった。
「驚いただろ? ぱーっと目の前に道が開けたような感じがするんじゃない?」
「いいえ」
私はそう答えた。
嘘ではなかった。驚きよりも──あの子の声を懐かしむ気持ちの方が強くあった。同時に、あの子の不在を惜しいとも思った。初めてだった。彼女がここに居ないことをそんな風に思うのは。
しかしその意識も、ひどく限定的なものであるとも自分で分かっていた。もし彼女が意識を取り戻して、ひょっこり戻ってきたとしたら、また以前のように私は彼女のことを疎ましく思うのだろう。これは幻覚、幻妄の類だ。他者を懐かしんでいるのではなく、懐かしいと思っている自分自身に対しての、自己愛じみた錯覚なのだと分かっていた。
それに、もし本当に彼女が意識を取り戻し、健康なすがたで戻ってきたとしても、以前のような関係にはなれないのだ。
「つれないなあ」
先輩は拗ねたようにそう零す。彼にしてみれば、ここにきて初めて、証言や推理を頼りにしていない明確な証拠をお出ししたのだから、もっと驚いて欲しいのだろう。とっておきのおもちゃを見せびらかす子供のようだ。
「私について、何を話してたんですか?」
「え?」
「録音の最初に、『なんで菜乃がいいの』って言ってたじゃないですか」
「ああ」
先輩はいつも通りの軽薄な笑みを浮かべて答える。
「別に、そのまんまだよ。君より菜乃ちゃんの方がタイプみたいなこと言っただけ」
「先輩にとって不利な言葉が録音されているから、そこをカットしたのかと思いました」
「あはは。な訳ないじゃん」
本当に?と尋ねたかった。しかしそれをするだけの体力がなかった。私はどっと疲れたような気がして、椅子の背に体を預けた。
ちり、とまぶたの端に真っ赤な残像が走った気がした。夕焼けの名残だろうと反射的に窓を見た私は、もうとっくに日が暮れていることに気がついた。空のずっと下部だけが、やや明るい黄色をしているだけで、それ以外はほとんど海色に染まっている。空の上部には、小さな月まで出ていた。
いつのまにか、教室がずいぶん暗くなっている。お互いの表情を確認するにはそう不都合のないほどの暗さではあったが。
席を立ち、教室の電気をつけようか迷った。何故かは分からないが、自分でも説明のつかない恐怖が、足元から這い上がってきていた。椅子から腰を上げた瞬間に、床から巨大な槍が生えてきて自分の体を貫いてしまうんじゃないかというような、妄想じみた恐怖だ。そんなことあるわけない、と分かっているのに、奇妙に足元から体温を奪っていく。
「さて、それでなんだけど」
ガガ、と音を立てて、先輩の座っている椅子の足が床を擦った。
「さっき俺が言った言葉の意味は分かったと思う。君があの子を殺した時の状況について、俺の予想とは少し違っていた」
「……私を殺そうとしていた」
「そう!」
私はまるで暗示にでもかかったような気持ちでそう口にした。
何度も言うが、その事実について衝撃はなかった。いや、そう思い込もうとしているだけなのだろうか? でも、彼女がそう考えていたとして、実際何になるというのだ。私はあの子を殺した。その逆は起こらなかった。
「だから俺は……、あの子が君をトイレに呼び出して、そして君を殺そうと──窓から突き飛ばすか何かしようとして、君に抵抗された。そこで取っ組み合いになって……最終的には君があの子を殺すことになった。そういう経緯だと思ってたんだよね」
「期待通りにはならなかったんですね」
「期待?」
彼がこちらを小馬鹿にするように笑った後、「よーく思い出してみて」と言った。
「本当に、さやかちゃんは君を殺そうとしなかった?そういう素振りを見せなかった?俺は君の供述を疑ってないんだけど、君が気づかなかっただけじゃないかなって、少しは思ってる」
「……」
思い返してみる。殺した当日のこと。何度思い出してみても──殺されかけたようには思えなかった。
あの子は、やけに窓枠に身をもたれ掛けさせていた。すがりつくように。あれはもしかしたら、私が窓近くまで来るよう、誘導する意図があったのだろうか? 私を近づけさせ、油断した瞬間に突き落とす──本当に?
私をなじるようなことを言ったのも、自暴自棄によるものではなく、私が内心苛立って、冷静さを失うようにしたかった? もっと近づいてきたら、これじゃ足りない、あと一歩は近づいたら、あの腕を引き寄せて一気に……。
「そうは見えませんでした」
いくら想像してみても、殺意を向けていたようには思えない。
「先輩に話した時点で、脅しのつもりの狂言か、私が来る頃にはもうそんな気は無くなっていたんだと思います」
「本当に?」
「念を押されても、私はそう感じたんですとしか答えられませんよ。あの時殺意があったがどうかなんて、それこそ証拠もないし、あの子の意識が戻るまで証明のしようがないことじゃないですか」
私が突き落とす直前、あの子はより一層窓枠に縋りついて、はるか下の景色を見ていた。それは私がかけた声のせいでもあるだろうが、私がなかなか至近距離まで近づかないのを焦ったくなって、そうしたのか?
やはりどれだけ考え直してみても、確信を抱くまではいかず、堂々巡りになるだけだった。
音声を聞き終えて、まず最初に先輩が口にしたのがその言葉だった。
「驚いただろ? ぱーっと目の前に道が開けたような感じがするんじゃない?」
「いいえ」
私はそう答えた。
嘘ではなかった。驚きよりも──あの子の声を懐かしむ気持ちの方が強くあった。同時に、あの子の不在を惜しいとも思った。初めてだった。彼女がここに居ないことをそんな風に思うのは。
しかしその意識も、ひどく限定的なものであるとも自分で分かっていた。もし彼女が意識を取り戻して、ひょっこり戻ってきたとしたら、また以前のように私は彼女のことを疎ましく思うのだろう。これは幻覚、幻妄の類だ。他者を懐かしんでいるのではなく、懐かしいと思っている自分自身に対しての、自己愛じみた錯覚なのだと分かっていた。
それに、もし本当に彼女が意識を取り戻し、健康なすがたで戻ってきたとしても、以前のような関係にはなれないのだ。
「つれないなあ」
先輩は拗ねたようにそう零す。彼にしてみれば、ここにきて初めて、証言や推理を頼りにしていない明確な証拠をお出ししたのだから、もっと驚いて欲しいのだろう。とっておきのおもちゃを見せびらかす子供のようだ。
「私について、何を話してたんですか?」
「え?」
「録音の最初に、『なんで菜乃がいいの』って言ってたじゃないですか」
「ああ」
先輩はいつも通りの軽薄な笑みを浮かべて答える。
「別に、そのまんまだよ。君より菜乃ちゃんの方がタイプみたいなこと言っただけ」
「先輩にとって不利な言葉が録音されているから、そこをカットしたのかと思いました」
「あはは。な訳ないじゃん」
本当に?と尋ねたかった。しかしそれをするだけの体力がなかった。私はどっと疲れたような気がして、椅子の背に体を預けた。
ちり、とまぶたの端に真っ赤な残像が走った気がした。夕焼けの名残だろうと反射的に窓を見た私は、もうとっくに日が暮れていることに気がついた。空のずっと下部だけが、やや明るい黄色をしているだけで、それ以外はほとんど海色に染まっている。空の上部には、小さな月まで出ていた。
いつのまにか、教室がずいぶん暗くなっている。お互いの表情を確認するにはそう不都合のないほどの暗さではあったが。
席を立ち、教室の電気をつけようか迷った。何故かは分からないが、自分でも説明のつかない恐怖が、足元から這い上がってきていた。椅子から腰を上げた瞬間に、床から巨大な槍が生えてきて自分の体を貫いてしまうんじゃないかというような、妄想じみた恐怖だ。そんなことあるわけない、と分かっているのに、奇妙に足元から体温を奪っていく。
「さて、それでなんだけど」
ガガ、と音を立てて、先輩の座っている椅子の足が床を擦った。
「さっき俺が言った言葉の意味は分かったと思う。君があの子を殺した時の状況について、俺の予想とは少し違っていた」
「……私を殺そうとしていた」
「そう!」
私はまるで暗示にでもかかったような気持ちでそう口にした。
何度も言うが、その事実について衝撃はなかった。いや、そう思い込もうとしているだけなのだろうか? でも、彼女がそう考えていたとして、実際何になるというのだ。私はあの子を殺した。その逆は起こらなかった。
「だから俺は……、あの子が君をトイレに呼び出して、そして君を殺そうと──窓から突き飛ばすか何かしようとして、君に抵抗された。そこで取っ組み合いになって……最終的には君があの子を殺すことになった。そういう経緯だと思ってたんだよね」
「期待通りにはならなかったんですね」
「期待?」
彼がこちらを小馬鹿にするように笑った後、「よーく思い出してみて」と言った。
「本当に、さやかちゃんは君を殺そうとしなかった?そういう素振りを見せなかった?俺は君の供述を疑ってないんだけど、君が気づかなかっただけじゃないかなって、少しは思ってる」
「……」
思い返してみる。殺した当日のこと。何度思い出してみても──殺されかけたようには思えなかった。
あの子は、やけに窓枠に身をもたれ掛けさせていた。すがりつくように。あれはもしかしたら、私が窓近くまで来るよう、誘導する意図があったのだろうか? 私を近づけさせ、油断した瞬間に突き落とす──本当に?
私をなじるようなことを言ったのも、自暴自棄によるものではなく、私が内心苛立って、冷静さを失うようにしたかった? もっと近づいてきたら、これじゃ足りない、あと一歩は近づいたら、あの腕を引き寄せて一気に……。
「そうは見えませんでした」
いくら想像してみても、殺意を向けていたようには思えない。
「先輩に話した時点で、脅しのつもりの狂言か、私が来る頃にはもうそんな気は無くなっていたんだと思います」
「本当に?」
「念を押されても、私はそう感じたんですとしか答えられませんよ。あの時殺意があったがどうかなんて、それこそ証拠もないし、あの子の意識が戻るまで証明のしようがないことじゃないですか」
私が突き落とす直前、あの子はより一層窓枠に縋りついて、はるか下の景色を見ていた。それは私がかけた声のせいでもあるだろうが、私がなかなか至近距離まで近づかないのを焦ったくなって、そうしたのか?
やはりどれだけ考え直してみても、確信を抱くまではいかず、堂々巡りになるだけだった。
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