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本編
4。蛍
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蛍の父親は薬剤師だった。
蛍が風邪を引いても、彼女の父親は市販の薬を飲ませることはなく、彼女の症状に合わせて自身が調合した薬を与えていた。
どんなに熱で苦しくても、痛みが辛くても、父の薬を飲めばすぐに良くなる。蛍はいつもいつもそれに感動していた。
「薬は飲めば良いというものじゃないんだよ。蛍の身体は、自分で悪い菌をやっつけているんだ。薬はその手伝いをするだけだ」
そう言われてもなお、お父さんの薬は魔法だし、なんでも治せるんだと思っていた。
「お父さんは、白雪姫が食べたリンゴを解毒することはできる?」
「毒の種類にもよるけれど」
「眠れる森の美女を起こすことはできる?」
「人を起こしたり寝かしたりすることは、出来るね」
「じゃあ! 人魚姫に足をあげることは?」
「それは難しいな」
お父さんはできないといったけど、蛍の結論は”やっぱりすごい”だった。
そんな調子だったから、大きくなった彼女が父親と同じように薬剤師を目指したのは自然の流れ。
彼女は父親の見よう見まねで、調合・調剤するようになった。転んで出来た傷に、自分で保湿成分の強いヘパリン類似物質を選んで塗り、傷の経過を観察することもあった。中学に上がると、その手の専門書を読むようになった。
様々な薬剤の文献を読み、新しい知識を増やす。彼女の憧れは一人に絞られた——築島将吾だ。
彼は常に斬新な提案をし、不可能と思われたアルツハイマー型認知症の根本的治療薬の開発をしていた。リスク遺伝子を発現させるミクログリア細胞に対して、アミロイドβの排除を促進させるその薬は、現在大企業のもと実用化に向かっている。
従って蛍が進学に当たって目指したのは、築島が教鞭を取る理科大学の薬学部だった。彼女はすんなりそこに入学した。
ただゼミの入室は三年生からだった。一年生は試験さえ受けることができない。稀に二年生を取ることもあるが、築島のところのような競争率が高いゼミではまず取らない。
しかし、蛍はわずかな望みも捨てなかった。彼女は一年時にできるだけ優秀な成績を収め、ゼミ試験に臨んだ。
「築島先生、うちで二年生を受け入れたことはありませんけど、どうでしょう。白井さん、すごく優秀だと思うんですが」
筆記テスト後の面接、先輩にそう言ってもらえ、蛍は緊張しながら先生の意見を待った。
築島は蛍をじっと見据えた後、口を開いた。
「年齢は関係ない。今まで二年生を取らなかったのは、能力が足りていなかったからだ。優秀な人材は歓迎する」
蛍は家に帰って飛び上がるほど喜んだ。
それが今年の春のことだ。
* * *
「どうした。早く席に着きたまえ」
「は、はい」
合宿から帰宅して、次の月曜日には通常授業だった。
蛍は未だにどんな顔で先生に会ったら良いか悩んでいたが、先生の方はあまりに普通だった。
いつも通りに講義が進む。蛍が指名されて、問いに答えることもあった。
そんな風だから、大学にいるときはやはり夢だったんじゃないかと思うことが多かった。だけど大学から帰って、自宅でひとりでいると、やはり現実だったのだと思い直す。
先輩たちが言うように、あの日部屋まで送ってくれたのは築島先生。わたしは、お酒にまどろみながら、誰かと肌を重ねた。起きると身体に異変があって、そしてチラチラと先生の顔や声を思い出す。
現実だという証拠は揃っているのに、どうしても信じられないのは、相手が築島先生だからだろう。
ベッドの上で、くの字になって枕を抱きしめる。
身体が、熱い——
うまくは言えないが、自分の身体が変わってしまった、という感覚があった。いままでずっと、一人で完結していた身体が、なにか物足りなさを感じている。満たされていない。
しかし、自分で薬を調剤してみようとは思わなかった。
なんとなく、原因はわかっていた。ただ治す手段がわからない。
問題はそっちだった。
蛍が風邪を引いても、彼女の父親は市販の薬を飲ませることはなく、彼女の症状に合わせて自身が調合した薬を与えていた。
どんなに熱で苦しくても、痛みが辛くても、父の薬を飲めばすぐに良くなる。蛍はいつもいつもそれに感動していた。
「薬は飲めば良いというものじゃないんだよ。蛍の身体は、自分で悪い菌をやっつけているんだ。薬はその手伝いをするだけだ」
そう言われてもなお、お父さんの薬は魔法だし、なんでも治せるんだと思っていた。
「お父さんは、白雪姫が食べたリンゴを解毒することはできる?」
「毒の種類にもよるけれど」
「眠れる森の美女を起こすことはできる?」
「人を起こしたり寝かしたりすることは、出来るね」
「じゃあ! 人魚姫に足をあげることは?」
「それは難しいな」
お父さんはできないといったけど、蛍の結論は”やっぱりすごい”だった。
そんな調子だったから、大きくなった彼女が父親と同じように薬剤師を目指したのは自然の流れ。
彼女は父親の見よう見まねで、調合・調剤するようになった。転んで出来た傷に、自分で保湿成分の強いヘパリン類似物質を選んで塗り、傷の経過を観察することもあった。中学に上がると、その手の専門書を読むようになった。
様々な薬剤の文献を読み、新しい知識を増やす。彼女の憧れは一人に絞られた——築島将吾だ。
彼は常に斬新な提案をし、不可能と思われたアルツハイマー型認知症の根本的治療薬の開発をしていた。リスク遺伝子を発現させるミクログリア細胞に対して、アミロイドβの排除を促進させるその薬は、現在大企業のもと実用化に向かっている。
従って蛍が進学に当たって目指したのは、築島が教鞭を取る理科大学の薬学部だった。彼女はすんなりそこに入学した。
ただゼミの入室は三年生からだった。一年生は試験さえ受けることができない。稀に二年生を取ることもあるが、築島のところのような競争率が高いゼミではまず取らない。
しかし、蛍はわずかな望みも捨てなかった。彼女は一年時にできるだけ優秀な成績を収め、ゼミ試験に臨んだ。
「築島先生、うちで二年生を受け入れたことはありませんけど、どうでしょう。白井さん、すごく優秀だと思うんですが」
筆記テスト後の面接、先輩にそう言ってもらえ、蛍は緊張しながら先生の意見を待った。
築島は蛍をじっと見据えた後、口を開いた。
「年齢は関係ない。今まで二年生を取らなかったのは、能力が足りていなかったからだ。優秀な人材は歓迎する」
蛍は家に帰って飛び上がるほど喜んだ。
それが今年の春のことだ。
* * *
「どうした。早く席に着きたまえ」
「は、はい」
合宿から帰宅して、次の月曜日には通常授業だった。
蛍は未だにどんな顔で先生に会ったら良いか悩んでいたが、先生の方はあまりに普通だった。
いつも通りに講義が進む。蛍が指名されて、問いに答えることもあった。
そんな風だから、大学にいるときはやはり夢だったんじゃないかと思うことが多かった。だけど大学から帰って、自宅でひとりでいると、やはり現実だったのだと思い直す。
先輩たちが言うように、あの日部屋まで送ってくれたのは築島先生。わたしは、お酒にまどろみながら、誰かと肌を重ねた。起きると身体に異変があって、そしてチラチラと先生の顔や声を思い出す。
現実だという証拠は揃っているのに、どうしても信じられないのは、相手が築島先生だからだろう。
ベッドの上で、くの字になって枕を抱きしめる。
身体が、熱い——
うまくは言えないが、自分の身体が変わってしまった、という感覚があった。いままでずっと、一人で完結していた身体が、なにか物足りなさを感じている。満たされていない。
しかし、自分で薬を調剤してみようとは思わなかった。
なんとなく、原因はわかっていた。ただ治す手段がわからない。
問題はそっちだった。
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