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不穏

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俺は暗い夜道を心臓をばくばくさせながら歩いていた。


大樹とキスした。


記憶の中では大樹と何度もキスしたことはある。なんならそれ以上のことだって頻繁にやっていた。でもこの体では初めてで…。
唇に触れる。大樹の触れた唇だ。
抱きしめた腕も力強くて、俺みたいにまだ大人になりきれていない細身の体じゃなくて、大人のがっしりした体だった。


雪人


もう呼ばれることはないと思っていた名前。頭の中で何度も反芻する。やさしい声だった。夢の中に出てきたのかな。あんなに柔らかく名前を呼んでくれるのなら、大樹の中で雪人と過ごした時間は良い思い出として残っているのかもしれない。
俺のファーストキスは寝ぼけた大樹に奪われてしまった。絶対俺としたなんて覚えてない。俺の大事なものを知らずに盗っていくなんて贅沢だ。でもまあいいや。今のところキスなんて出来る関係じゃないんだし。むしろラッキーだ。今来た道を振り返る。少し前に大樹の部屋を出てきたところなのにまた行きたくなった。早く明日にならないかな。



数日後、バイトが終わってロッカールームで着替えをしながらスマホを見ると『明日バイトないんで行ってもいいですか?』と休憩時間に送ったメッセージに返事が届いていた。


『来い』


この2文字でどれだけ俺が幸せになれるか大樹は知らないだろう。画面を見ながらこの後のことを考えて楽しい気持ちになる。バイトの疲れも吹き飛んでしまった。早く大樹の所に行きたいなと思っていたら背後から「神谷君」と声を掛けられてびくっとする。
ふり向くと能面のように無表情の杉山さんがいた。


「楽しそうだね、神谷君、LINEに何かいいことでも書いてあった?」


「…ええまあそこそこに…」


「他の人には返信するのに俺にはしてくれないなんて寂しいなぁ」


「ちょっと忙しい時間も多くて…」


最近俺は杉山さんが苦手だ。前は親切な先輩だと思っていたけど、LINEを交換した辺りから変になってきた。昼夜問わず送られてくるメッセージ、内容も当たり障りのない日常の話題だったのが恋人にでも宛てるような『かわいい』だの『会いたい』に、最近ではメッセージを返信しないことへの不満や恨み言も混ざるようになってきて中には俺を中傷するような内容も含まれるようになった。


「ねえ、今度どこかふたりで行こうよ。観たい映画があるって前に言ってたよね」


お世話になった人だし、波風立たせず済ませられるといいと思っていた。でもLINE攻撃にバイト先でもこんな調子、これ以上は無理だ。


「ごめんなさい、杉山さん。映画には行けません。それと申し訳ないんですけど頻繁にメッセージを送ってくるのも止めてもらっていいですか?」


「……あの男がいいのか」


「え?」


杉山さんがぼそっと何かを言ったけど俺には聞こえなかった。後はなんでだなんでだとぶつぶつ呟いている杉山さんが怖くて


「じゃあ、俺帰りますね」


と断ると逃げるようにロッカールームを出た。



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