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第3話 「中」
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閉鎖区域の内部は、想像していたよりも整然としていた。
建物は崩れているが、無秩序ではない。道路は割れ、壁は崩れ、看板は傾いている。それでも、元あった形を思い出せる程度には、世界は残っている。
それが、かえって不気味だった。
私は歩幅を抑え、班の最後尾についた。
前を行くのは、さっき待機所で話した短髪の男。その前に二人、さらに前に一人。
間隔は詰めすぎない。離れすぎない。
視界に入る距離。声を出さなくても合図が通じる距離。
無線は沈黙している。
沈黙が正常、という状況に、まだ慣れない。
足元の瓦礫を踏まないように、意識を下げすぎない。
視線は腰から胸の高さ。
音は、前からだけでなく、左右と背後からも拾う。
――音。
この世界で、一番信用できて、一番裏切るもの。
風に揺れる金属片が、かすかに鳴った。
それだけで、全員の動きが一拍、遅くなる。
誰も止まらない。止まると、音が集中する。
私は呼吸を浅くし、足の運びをさらに慎重にした。
砂利の上と、アスファルトの上では、音が違う。
濡れた場所と、乾いた場所でも違う。
建物の影に入った瞬間、気温が少し下がった。
コンクリートの匂い。埃。古い油。
ここは、誰かが長く使っていた場所だ。
短髪の男が、手を上げる。
止まれ、の合図。
私はその場で止まり、背中を壁に寄せた。
心臓の音が、耳の内側で少しだけ大きくなる。
音がある。
遠い。
一定の間隔ではない。
人の足音に似ているが、確信が持てない。
――違和感。
私は、ゆっくりと視線を動かす。
割れた窓。
倒れた棚。
床に散らばる紙。
紙が、踏まれていない。
埃の積もり方が、不自然に均一だ。
誰かが、ここを避けて通っている。
短髪の男が、こちらを振り返る。
視線が合う。
私は、指で小さく円を描いた。
「気になる」の合図。
彼は一瞬だけ頷き、前の二人に合図を送る。
進路が、ほんの少しだけ変わる。
この判断に、正解はない。
正解が分かるのは、戻れた後だけだ。
建物を抜け、路地に出る。
視界が開けた瞬間、音も増える。風、瓦礫、遠くの金属音。
そして――足音。
今度は、はっきりしている。
複数。
速くない。
だが、こちらに近づいている。
誰かが、小さく舌打ちした。
無線は使わない。声も出さない。
短髪の男が、二本指を立てる。
二人。
さらに、指が動く。
こちらを見ていない。
逃げられる。
今なら。
私は、喉の奥で唾を飲み込んだ。
この距離なら、走れば離れられる。
だが、走れば音が出る。
音が出れば、別の何かを呼ぶかもしれない。
判断は、一瞬だった。
短髪の男が、静かに後退の合図を出す。
全員が、それに従う。
誰も不満を示さない。
路地を引き返し、別の建物へ。
扉は半分壊れている。
中は暗い。
入った瞬間、匂いが変わる。
湿気。
鉄。
血の、古い匂い。
私は、思わず息を止めた。
床に、何かが落ちている。
リュック。
中身が散乱している。
誰かの、だ。
拾える。
今なら。
私は、一歩踏み出しかけて、止まった。
短髪の男が、首を横に振る。
静かに。
強く。
――欲張るな。
私は、拳を握りしめ、足を戻した。
心臓が、さっきよりうるさい。
建物の奥から、音がした。
引きずるような足音。
規則性がない。
人じゃない。
そう思った瞬間、背筋が冷える。
理由は分からない。ただ、そう感じた。
短髪の男が、出口を指差す。
別の脱出ルート。
回収は諦める。
私たちは、何も取らずに、その場を離れた。
しばらく歩き、音が完全に遠ざかったところで、ようやく全員が呼吸を整える。
誰も喋らない。
喋らないことが、正解だったと、全員が分かっている。
私は、振り返って、来た道を見る。
何も追ってきていない。
――生きている。
それだけで、少しだけ肩の力が抜けた。
だが同時に、胸の奥に、別の感情が残る。
拾えたはずのもの。
持ち帰れたかもしれないもの。
それを、置いてきた。
私は、その選択を後悔しなかった。
少なくとも、今は。
短髪の男が、振り返って、目だけでこちらを見る。
「いい判断だった」と言っている。
私は、ほんの少しだけ頷いた。
この世界では、
取らなかったものも、判断の結果だ。
そしてその結果は、
脱出できたときにだけ、意味を持つ。
私は、改めて脱出地点の方向を意識した。
まだ遠い。
だが、戻れる距離だ。
その距離を、私は絶対に見誤らない。
建物は崩れているが、無秩序ではない。道路は割れ、壁は崩れ、看板は傾いている。それでも、元あった形を思い出せる程度には、世界は残っている。
それが、かえって不気味だった。
私は歩幅を抑え、班の最後尾についた。
前を行くのは、さっき待機所で話した短髪の男。その前に二人、さらに前に一人。
間隔は詰めすぎない。離れすぎない。
視界に入る距離。声を出さなくても合図が通じる距離。
無線は沈黙している。
沈黙が正常、という状況に、まだ慣れない。
足元の瓦礫を踏まないように、意識を下げすぎない。
視線は腰から胸の高さ。
音は、前からだけでなく、左右と背後からも拾う。
――音。
この世界で、一番信用できて、一番裏切るもの。
風に揺れる金属片が、かすかに鳴った。
それだけで、全員の動きが一拍、遅くなる。
誰も止まらない。止まると、音が集中する。
私は呼吸を浅くし、足の運びをさらに慎重にした。
砂利の上と、アスファルトの上では、音が違う。
濡れた場所と、乾いた場所でも違う。
建物の影に入った瞬間、気温が少し下がった。
コンクリートの匂い。埃。古い油。
ここは、誰かが長く使っていた場所だ。
短髪の男が、手を上げる。
止まれ、の合図。
私はその場で止まり、背中を壁に寄せた。
心臓の音が、耳の内側で少しだけ大きくなる。
音がある。
遠い。
一定の間隔ではない。
人の足音に似ているが、確信が持てない。
――違和感。
私は、ゆっくりと視線を動かす。
割れた窓。
倒れた棚。
床に散らばる紙。
紙が、踏まれていない。
埃の積もり方が、不自然に均一だ。
誰かが、ここを避けて通っている。
短髪の男が、こちらを振り返る。
視線が合う。
私は、指で小さく円を描いた。
「気になる」の合図。
彼は一瞬だけ頷き、前の二人に合図を送る。
進路が、ほんの少しだけ変わる。
この判断に、正解はない。
正解が分かるのは、戻れた後だけだ。
建物を抜け、路地に出る。
視界が開けた瞬間、音も増える。風、瓦礫、遠くの金属音。
そして――足音。
今度は、はっきりしている。
複数。
速くない。
だが、こちらに近づいている。
誰かが、小さく舌打ちした。
無線は使わない。声も出さない。
短髪の男が、二本指を立てる。
二人。
さらに、指が動く。
こちらを見ていない。
逃げられる。
今なら。
私は、喉の奥で唾を飲み込んだ。
この距離なら、走れば離れられる。
だが、走れば音が出る。
音が出れば、別の何かを呼ぶかもしれない。
判断は、一瞬だった。
短髪の男が、静かに後退の合図を出す。
全員が、それに従う。
誰も不満を示さない。
路地を引き返し、別の建物へ。
扉は半分壊れている。
中は暗い。
入った瞬間、匂いが変わる。
湿気。
鉄。
血の、古い匂い。
私は、思わず息を止めた。
床に、何かが落ちている。
リュック。
中身が散乱している。
誰かの、だ。
拾える。
今なら。
私は、一歩踏み出しかけて、止まった。
短髪の男が、首を横に振る。
静かに。
強く。
――欲張るな。
私は、拳を握りしめ、足を戻した。
心臓が、さっきよりうるさい。
建物の奥から、音がした。
引きずるような足音。
規則性がない。
人じゃない。
そう思った瞬間、背筋が冷える。
理由は分からない。ただ、そう感じた。
短髪の男が、出口を指差す。
別の脱出ルート。
回収は諦める。
私たちは、何も取らずに、その場を離れた。
しばらく歩き、音が完全に遠ざかったところで、ようやく全員が呼吸を整える。
誰も喋らない。
喋らないことが、正解だったと、全員が分かっている。
私は、振り返って、来た道を見る。
何も追ってきていない。
――生きている。
それだけで、少しだけ肩の力が抜けた。
だが同時に、胸の奥に、別の感情が残る。
拾えたはずのもの。
持ち帰れたかもしれないもの。
それを、置いてきた。
私は、その選択を後悔しなかった。
少なくとも、今は。
短髪の男が、振り返って、目だけでこちらを見る。
「いい判断だった」と言っている。
私は、ほんの少しだけ頷いた。
この世界では、
取らなかったものも、判断の結果だ。
そしてその結果は、
脱出できたときにだけ、意味を持つ。
私は、改めて脱出地点の方向を意識した。
まだ遠い。
だが、戻れる距離だ。
その距離を、私は絶対に見誤らない。
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