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第2話 「準備」
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閉鎖区域へ入る前の待機所は、コンテナを横倒しにして作られた即席の建物だった。中は薄暗く、天井から吊られた蛍光灯が不規則に明滅している。光の揺れに合わせて、人の影も揺れた。
私は壁際に腰を下ろし、リュックを足元に置いた。床は冷たく、金属の感触がそのまま伝わってくる。
ここに来てから、時間の感覚が少しずつ曖昧になっている。時計はある。だが、見る意味がない。開始時刻は通知され、終了時刻は自分で判断するしかない。
無線機のスイッチを切り、深く息を吐いた。
吸って、吐く。
それだけで、少し落ち着く。
周囲を見る。
同じ班の人間は五人。年齢も性別もばらばらだ。共通しているのは、装備が「最低限」であること。
厚い防具はない。重火器もない。
みんな、帰ることを優先する装備だ。
私は、その中でも特に軽装だった。
防弾ベストは薄型。ヘルメットはなし。代わりに、動きやすさを取っている。
それを選んだ理由は、単純だ。
――重いと、引き返せなくなる。
過去に何があったのか。
それを説明しろと言われたら、私はうまく言葉にできない。
ただ、走れなかったせいで、間に合わなかったことがある。
手を伸ばしても、届かなかったことがある。
だから私は、いつも「戻れる距離」を考える。
行ける距離ではない。
戻れる距離だ。
「ずいぶん軽いな」
声をかけてきたのは、隣に座っていた男性だった。短く刈った髪に、無駄のない装備。経験者らしい落ち着きがある。
「その装備で、何を取るつもりだ?」
「取れそうなものだけ」
私は答える。「帰れる範囲で」
男は一瞬、意外そうな顔をしたあと、小さく笑った。
「悪くない。最初はそれでいい」
「あなたは?」
「俺は、様子見だ。初回はな」
そう言って、彼は弾倉を一本、ポケットに戻した。「撃たない練習をしに来た」
撃たない練習。
この世界で、それがどれほど難しいかは、まだ実感できていない。ただ、言葉の重みだけは伝わってきた。
待機所の奥で、係員が声を上げる。
「第一班、準備を確認する。持ち込み制限を守れ。過剰な装備は置いていけ」
数人が渋い顔をしながら、装備を外す。ナイフを一本、弾倉を一本。
置かれた物は、そのまま棚に積まれていく。返却される保証はない。
私は自分の装備をもう一度確認した。
包帯。
凝固剤。
ナイフ。
水。
無線機。
これ以上はない。
足りないと感じる。
だが同時に、これ以上持ったら「引き返せなくなる」とも思う。
係員が私の前で立ち止まった。
「初回だな」
「はい」
「忠告しておく。中では、判断がすべてだ。勇気も、根性も、評価されない」
彼は私の目を見る。「戻れ。違和感があったら、すぐ戻れ」
私は頷いた。
その忠告は、奇妙なほど胸にすんなり収まった。
――違和感。
それは、私が一番信じている感覚だ。
数値よりも、マニュアルよりも、誰かの成功談よりも。
準備が整い、班ごとに整列する。
ゲートはまだ閉じている。だが、向こう側の気配が、こちらに滲み出してきているような気がした。
私は、ふと自分の手を見た。
震えてはいない。
落ち着いている、と思う。
けれど、胸の奥に、重たいものがある。
それは恐怖ではない。
期待でもない。
――もし、また持ち帰れなかったら。
考えそうになって、やめる。
今は、まだ考える段階ではない。
ゲートが開く。
金属音。
風。
外の光。
「行くぞ」
誰かが言う。
誰も返事をしない。
私は一歩、前に出た。
足の裏に伝わる感触が変わる。コンクリートから、砂と瓦礫へ。
閉鎖区域の内部は、静かだった。
静かすぎて、耳が勝手に音を探し始める。
私は無線機を入れる。
小さなノイズ。
それだけで、ここが「中」だと分かる。
この一歩で、持ってきたものはすべて賭け金になる。
帰れなければ、無意味。
帰れれば、次がある。
私は、ほんの少しだけ歩幅を狭めた。
速く進むためじゃない。
戻るための余裕を残すために。
そうして、私は最初のレイドへ踏み込んでいった。
私は壁際に腰を下ろし、リュックを足元に置いた。床は冷たく、金属の感触がそのまま伝わってくる。
ここに来てから、時間の感覚が少しずつ曖昧になっている。時計はある。だが、見る意味がない。開始時刻は通知され、終了時刻は自分で判断するしかない。
無線機のスイッチを切り、深く息を吐いた。
吸って、吐く。
それだけで、少し落ち着く。
周囲を見る。
同じ班の人間は五人。年齢も性別もばらばらだ。共通しているのは、装備が「最低限」であること。
厚い防具はない。重火器もない。
みんな、帰ることを優先する装備だ。
私は、その中でも特に軽装だった。
防弾ベストは薄型。ヘルメットはなし。代わりに、動きやすさを取っている。
それを選んだ理由は、単純だ。
――重いと、引き返せなくなる。
過去に何があったのか。
それを説明しろと言われたら、私はうまく言葉にできない。
ただ、走れなかったせいで、間に合わなかったことがある。
手を伸ばしても、届かなかったことがある。
だから私は、いつも「戻れる距離」を考える。
行ける距離ではない。
戻れる距離だ。
「ずいぶん軽いな」
声をかけてきたのは、隣に座っていた男性だった。短く刈った髪に、無駄のない装備。経験者らしい落ち着きがある。
「その装備で、何を取るつもりだ?」
「取れそうなものだけ」
私は答える。「帰れる範囲で」
男は一瞬、意外そうな顔をしたあと、小さく笑った。
「悪くない。最初はそれでいい」
「あなたは?」
「俺は、様子見だ。初回はな」
そう言って、彼は弾倉を一本、ポケットに戻した。「撃たない練習をしに来た」
撃たない練習。
この世界で、それがどれほど難しいかは、まだ実感できていない。ただ、言葉の重みだけは伝わってきた。
待機所の奥で、係員が声を上げる。
「第一班、準備を確認する。持ち込み制限を守れ。過剰な装備は置いていけ」
数人が渋い顔をしながら、装備を外す。ナイフを一本、弾倉を一本。
置かれた物は、そのまま棚に積まれていく。返却される保証はない。
私は自分の装備をもう一度確認した。
包帯。
凝固剤。
ナイフ。
水。
無線機。
これ以上はない。
足りないと感じる。
だが同時に、これ以上持ったら「引き返せなくなる」とも思う。
係員が私の前で立ち止まった。
「初回だな」
「はい」
「忠告しておく。中では、判断がすべてだ。勇気も、根性も、評価されない」
彼は私の目を見る。「戻れ。違和感があったら、すぐ戻れ」
私は頷いた。
その忠告は、奇妙なほど胸にすんなり収まった。
――違和感。
それは、私が一番信じている感覚だ。
数値よりも、マニュアルよりも、誰かの成功談よりも。
準備が整い、班ごとに整列する。
ゲートはまだ閉じている。だが、向こう側の気配が、こちらに滲み出してきているような気がした。
私は、ふと自分の手を見た。
震えてはいない。
落ち着いている、と思う。
けれど、胸の奥に、重たいものがある。
それは恐怖ではない。
期待でもない。
――もし、また持ち帰れなかったら。
考えそうになって、やめる。
今は、まだ考える段階ではない。
ゲートが開く。
金属音。
風。
外の光。
「行くぞ」
誰かが言う。
誰も返事をしない。
私は一歩、前に出た。
足の裏に伝わる感触が変わる。コンクリートから、砂と瓦礫へ。
閉鎖区域の内部は、静かだった。
静かすぎて、耳が勝手に音を探し始める。
私は無線機を入れる。
小さなノイズ。
それだけで、ここが「中」だと分かる。
この一歩で、持ってきたものはすべて賭け金になる。
帰れなければ、無意味。
帰れれば、次がある。
私は、ほんの少しだけ歩幅を狭めた。
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戻るための余裕を残すために。
そうして、私は最初のレイドへ踏み込んでいった。
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