Escape ――崩壊後の世界だと思ってたら、命が数値化されない本物のサバイバルだった件

AZ Creation

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第10話 「空」

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 スタッシュの前に立つと、部屋が少し広く感じられた。

 物が減ったからだ。
 正確に言えば――何もない。

 棚はある。
 骨組みも、照明も、作業台も残っている。
 だが、その上に置かれていたはずのものは、すべて消えていた。

 私は、しばらく動かなかった。
 怒りも、焦りも、すぐには湧いてこない。

 ただ、空だ。

 床に視線を落とす。
 何かが転がっている錯覚を覚える。
 だが、そこには何もない。

 私は、ゆっくりと棚に近づき、手を伸ばした。
 指先が、冷たい金属に触れる。

 軽く叩くと、乾いた音が返ってきた。
 中身のない音。

 ――分かっていた。

 持ち帰れなければ、意味がない。
 この世界のルールは、最初からそうだった。

 それでも、胸の奥に残る感覚は、理屈とは別だった。

 私はベッドに腰を下ろし、壁にもたれた。
 天井の配線を、ぼんやりと見上げる。

 何かを思い出しそうで、思い出したくない。
 そんな場所に、意識が触れる。

 あのときも、同じだった。

 急いでいた。
 正しい判断をしたつもりだった。
 無茶はしていない。

 それでも――間に合わなかった。

 名前を呼んだ。
 手を伸ばした。
 距離は、ほんの数歩だった。

 足が、動かなかったわけじゃない。
 判断を誤ったわけでもない。

 ただ、世界が、こちらの都合を待ってくれなかった。

 私は、目を閉じる。

 ここに来てから、意識的に避けてきた記憶だ。
 「過去」と呼ぶには、まだ生々しい。

 誰にも話していない。
 話す必要がなかった。
 話したところで、戻らない。

 スタッシュが空になった今、その記憶だけが、やけに重く浮かび上がってくる。

 私は、深く息を吸い、吐いた。
 呼吸は、まだ制御できる。

 泣きはしない。
 叫びもしない。

 それをやっても、棚は埋まらない。

 立ち上がり、作業台に向かう。
 無意識に、工具の位置を確認している自分に気づく。

 ――癖になっている。

 戻る前提で考える癖。
 残す前提で動く癖。

 それは、悪いことじゃない。
 少なくとも、ここでは。

 私は、空の棚をもう一度見た。
 今度は、少し違って見える。

 失ったものは多い。
 だが、すべてではない。

 棚そのものは、残っている。
 照明も、作業台も、ベッドも。

 そして――
 判断の仕方も。

 私は、ふと気づく。
 さっきのレイドで、生き残ったのは私だけじゃない。

 短髪の男も、戻っている。
 班の全員が、生存している。

 誰も死ななかった。

 それは、成果じゃないのか?

 私は、自分に問いかける。
 答えは、すぐには出ない。

 この世界では、
 生き残るだけでは足りない。

 だが、生き残らなければ、何も始まらない。

 私は、棚の前に立ち、手のひらを置いた。
 冷たい感触は、変わらない。

 それでも、今回は、視線を逸らさなかった。

 ――もう一度、行く。

 今度は、もっと慎重に。
 もっと、余裕を持って。

 そして、次は――
 必ず、何かを残す。

 そうでなければ、
 私は、ここにいる意味を見失う。

 扉の向こうから、遠くで金属音が聞こえた。
 誰かが、またレイドの準備をしている。

 私は、ゆっくりと立ち上がった。

 空になったスタッシュは、
 終わりじゃない。

 これは、
 もう一度、選び直すための場所だ。
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