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3.血酒の果て
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山道をゆっくりと下りながら、ルチアナの話に耳を傾けていた二人は、話が終わったのを感じると、第一印象をぽつりと漏らした。
「……少年達の誓いは果たされなかったんだね」
残念そうなヨハンの言葉に、ハンナも同調する。
「みたいだね。なんだか、とっても悲しいお話だよ」
ハンナの言葉に、ルチアナは意味深な表情を浮かべる。
「確かに悲しいお話ですけれど、もしかしたらその先に何か別の結末があるのかもしれませんよ?」
「別の結末?」
「ええ、だってこの二人はまだ死んでいない。物語としては一区切りかもしれませんけど、もしかしたら死ぬ頃には、また別の結末に辿り着くかもしれません」
そういうルチアナに、ヨハンは反論する。
「でもそれは物語の範疇を越えているような……」
「言いたいことは分かりますが、それは史実であった場合の話ですよ。物語が結末を迎え、その先のことをあれこれ考えるのは、物語の楽しみ方の一つだと私は思います。だって、素敵な物語であればあるほど、ああなって欲しい、こうなって欲しいという妄想が膨らんで、私達読者の心を捉えて離してくれない。それこそが、物語というものではないでしょうか」
「……そうかも、しれない。そう考えられなかったのは、僕が今までに読んだ本の数が少な過ぎるのかもしれないですね」
自嘲気味に笑うヨハンの頭をルチアナはそっと撫でる。
「これから読んでいけばいいんですよ。ヨハンさんさえ良ければ、オススメの本を紹介させて下さい」
「あ、ありがとうございま……っ!」
照れたように赤面するヨハンは、されどすぐに表情を引き締める。それを目敏く感じ取ったルチアナもまた、不穏な気配のする方向に視線を投げる。
唯一状況を理解できていないハンナだけが、先程のルチアナの話に思いを馳せるかのようにあれやこれやと思いの丈を呟いていた。
「ルチアナさん」
「はい。分かっています」
「へ? 二人ともどうしたの?」
二人の様子が普通でないことにようやく気付いたハンナが、疑問を零したその時、周囲の山林から複数の男達が飛び出してきた。
流れるような動作で三人の往く手を阻むと、一糸乱れぬ連携で三人を取り囲む。
剣呑な雰囲気を纏う男達は、一言の要求を発することなくその手に握った剣を構える。そこには女子供が居ると言う事実に慢心するような余裕は感じられなかった。それどころか、どこか予断を許さぬ緊迫感さえ感じられる。
「なんですか、あなた達は」
感情の揺れが一切感じられない、平坦な声でルチアナが問う。しかし男達は口を噤んだまま何も語らない。それどころか、叩きつけられる殺気がどんどん際立っていく。
ヨハンの手をぎゅっと握るハンナは、慣れない荒事に恐怖し、身体を震わす。それを安心させようと、ヨハンもまた力強く手を握り返した。
「二人に手を出すようなら、容赦はしません」
片手で肩に担いでいた槍を振り回した後、力強く構えたヨハンが睨みを利かせる。
男達はヨハンが護衛役と判断したのか、その視線のほとんどがヨハンに向けられた。
お互いに動きを見せない、一触触発の膠着状態が続き、三人はとても長く感じる時間の流れに焦りを覚えながらも、どう動くべきかを思考する。
「わ――」
男達の内の一人が何か口走ろうとした時、事態は更に進展する。
「いたぞおおおお! 奴らを捕まえ、血祭りに上げろ! これは正義の戦だ!」
山道に響く怒号に、男達は一斉に声の方へと意識を向ける。その隙を突き、ヨハンは攻め込もうと一歩を踏み出すが、その行動はルチアナによって止められてしまう。
「きゃあああああああああああっ!」
正確には止められたのではない。今の今まで輪を掛けて冷静だったルチアナが、突然悲鳴を上げるとヨハンとハンナを抱き寄せその場に蹲ったのだ。
何事かと混乱するヨハンを余所に、事態は急転直下転がっていく。
「あれは……!」
ヨハンは横目で先程声のした方向へと視線を投げる。するとその方向から、男達の三倍もの数の人間が山道を突貫してきたではないか。一直線に男達へと向かっていくその者達は、手に武器を握ったまま怒声を撒き散らす。
「くそっ……またしても彼奴等が! ここは退くぞ!」
形勢の不利を悟ったのか、男達は突撃してくる者達を憎々しげに見遣りながら、反対方向へ去って行った。
取り残され、尚且つルチアナに釣られる形で蹲ったヨハンとハンナは、状況が飲めずに困惑する。
するとそんな二人の心情を察したのか、ルチアナが小声で囁く。
「どうやら私たちにとって都合の良い展開になったみたいです」
「都合の良いって、どういうことですか?」
ヨハンの疑問に、ルチアナは端的に答えた。
「行きの時、山道で会った騎士のことを覚えていますか?」
「はい。山道を巡回警備していた方ですね」
「ヴォルさんだね!」
ヴォルというのは、行きの山道で偶然出会った、ヴォルフラム・ルッケンバインという騎士のことだ。何かと物騒な山道を安全に通って貰おうという目的のもと、近隣の村から警備の為にわざわざ出張り、巡回をしていた人物だ。
「それがどうかしたんですか?」
「先程の大声、どうやらそのヴォルフラムさんの声のようです。遠目でしたが、姿も確認しました」
端的に事実だけを告げると、二人は驚嘆する。
「……わたしには声しか聞こえなかった」
「僕が見たのは、民兵のような人達の姿かな。流石に個人までは特定できないですね」
そしてルチアナが何を言おうとしているのかを察したヨハンは補足する。
「身を低くして待っているのが得策ってことですか」
「ええ。下手に行動するよりも、今は流れに身を任せましょう」
「ルチアナ……怖い」
ヨハンの手をぎゅっと握りながらも怯えるハンナを抱き寄せるルチアナは、安心させるべく優しく微笑む。
「大丈夫です。ハンナちゃんも、ヨハンさんも、私がちゃんと守りますから」
その言葉は二人にとって、何よりも心強いものだった。
◆◇◆
「いやぁ、まさかみなさんと再びお会いできるとは! いやはや、これは何かの運命なのだろうか!」
そう言って豪快に笑うのは、ガッチリした体躯の男だった。男は重厚な鎧に身を包んだまま椅子に腰掛け、対面に座っているルチアナ達をじっくりと眺める。これ以上ないぐらいにねっとりと視姦されている気分になったルチアナは、男から視線を逸らし部屋を見渡す。
ルチアナ達が居るのは、荘厳な雰囲気の応接室だった。
敷かれた煌びやかな絨毯、置かれた巨大な円卓、天井より吊り下がる宝石が散りばめられたシャンデリアなど、一庶民でしかないルチアナ達はその眩い輝きに度肝を抜かれた。
そして円卓に腰掛けるのは、ルチアナ、ハンナ、ヨハン、そして三人の窮地を救った騎士――ヴォルフラムである。
「此度は助けて頂いただけではなく、お屋敷に招いて頂き感謝致します」
礼儀正しく頭を垂れるルチアナに、ヴォルフラムは笑みを浮かべたまま首を振る。
「気にしなさるな。それにこの屋敷は私のものではなく、私の仕えるカーマイン・オラリオ様の屋敷だ。カーマイン様には先程宿泊の承諾を頂いて来たのでな、存分に休んでくれ」
山道で襲い掛かって来た男達を追い払ったヴォルフラムは、腰を抜かしたハンナと、腰を抜かした振りをしたルチアナを気遣い、村に招待してくれた。それも村一番の金持ちであるカーマイン・オラリオの邸宅に招き入れ、一泊させてくれると言うのだから、流石のルチアナも申し訳なさに頬を引き攣らせた。
とはいえ襲われたばかりだというのに、その日の内に同じ山道をノコノコと歩くのは不味いと考え、ルチアナは仕方無しにヴォルフラムの申し出を受けることにしたのだった。
「それにしても、運が悪かったな。まさかあの山道でドゥに遭遇するだなんて」
ルチアナは慣れない豪邸を物珍しそうに観察するハンナに視線を送りながら問う。
「ドゥというのは?」
「みなさんを襲っていた奴らのことだ。正確にはあいつらのリーダー格の名前がザン・ドゥというのだが、一括りにあいつらのことをリーダーの姓であるドゥと呼んでいるんだ」
「それが定着するということは、長いことこの辺りに居る集団ですか」
与えられる情報を飲み込みながら、ルチアナは一人思考する。
「そういうこった。とにかく今は連中のことは忘れて、旅の疲れを癒すと良い」
「ご厚意、感謝します」
「気にするな。我々は元々旅人には寛容だ。これでドゥの奴らが消えてくれれば、この村も旅人で賑わうのだがな」
憎々しげにそういうヴォルフラムは、すぐに笑みを浮かべ直すと椅子から腰を上げた。
「とまぁ、非生産的な愚痴を言っても仕方がない。私は巡回に戻るのでな、夕食の時にまた会おう。みなさんには客室を確保しておいので、そこの使用人に案内して貰うと良い」
そう言うと、出入り口の脇で控えていた使用人に目配せをし、先に部屋から出ていこうとする。するとハンナが急いで立ち上がり、その背に声を掛けた。
「ヴォルさん! あ、あの! 助けてくれて、ありがとうございます!」
深々と腰を折ったハンナに、ヴォルフラムは振り返り口元を吊り上げた。
「気にするな! それが私の仕事だとも!」
そう言って退室したヴォルフラムを見送ると、使用人が寄って来た。
「それではお部屋の方にご案内させて頂きます。お部屋の方はどうされますか? 個室から相部屋、お客様のご希望に沿ったお部屋を提供致します」
「三人相部屋で」
ルチアナが即答する。
「畏まりました。ベッドが一つ足りなくなりますので、至急搬入させます」
「いえ、それには及ばないです。ベッドは二つあれば十分です」
「承知致しました。それではこちらに」
そうしてルチアナ達は、使用人に案内されて二階にある客室へと案内された。
「それでは私は一階のロビーに控えて居りますので、何か在りましたら遠慮なく声をお掛け下さい。では、ごゆるりと」
使用人が立ち去ったのを確認したルチアナは、手荷物を部屋の隅に放ると、すぐさまベッドに飛び込んだ。
「はぁー……流石に疲れましたね」
それを見たヨハンは、雰囲気に呑まれ言い出せなかった疑問を口にする。
「どうしてベッドが二つなんだろう……三人なら三つの方がいいんじゃ……」
「ヨハンってばぜんっぜん分かってない!」
そんな台詞と共に、ハンナはルチアナが寝転ぶベッドにダイブする。
「……ああ、なるほど。そういうこと」
ようやく合点がいったヨハンは、手にした槍を壁に立て掛けると、ソファーに腰掛け溜息をつく。
「どうかしたんですか?」
天井を見詰めたままのルチアナが、目敏くヨハンの異変に気付く。けれどヨハンは言葉を濁すだけだった。
「どうやら僕も疲れているみたいです。まさかこんな屋敷に一泊するだなんて、想定していなかったから」
「これも経験だと思えばいいんですよ。滅多にありませんよ、こういう場所に泊れるのは」
「それもそうですね。でもなんか……」
浮かない顔のヨハンを見かねてか、ルチアナが提案する。
「ヨハンさん、あの本でも読みますか?」
そう言ってルチアナが指差したのは、部屋の隅に置かれた荷物に紛れ込んでいる、『魔女の涙』というタイトルの本である。
その本に視線を送りながら、しばらく思案したヨハンは、小さく頷き立ち上がった。
「読みます。ちょうど暇にもなったことだし」
部屋の隅にある本を手にしたヨハンは再びソファーに戻ると、本を読み始めた。それを見届けると、今度はルチアナがベッドから立ち上がり、
「少し用事が出来ましたので、行ってきますね」
それだけ言うと、部屋から出て行ってしまった。
出て行ったルチアナを心配するハンナが小さな声を漏らす。
「……どうしたんだろう」
「何か思う所でもあるんじゃないかな。ルチアナさんは、どうにも僕等とは違った視点で世界を見ている節があるような気がするよ」
本のページを捲りながら答えるヨハンに、ハンナは小首を傾げる。
「違った視点?」
その疑問にヨハンは、ハンナがルチアナのそういった一面を見ていないと言うことに気付いた。
アルベルも口にしていたことだが、ルチアナ・ホーキンスという人間は些か以上に普通ではなかった。けれど、ただそこに居るだけであれば、きっとそれには気付けない。現に、ハンナは何も気付けていない。いや、知らないだけなのかもしれない。
ルチアナ・ホーキンスという人物が、どれだけ不可解であるかを。
「……あの人は、一見するととても良い人の様に見えて、事実人は良いのかもしれないけど、でもきっと……誰より怖い人だと僕は思う」
知ったかぶっているのとは違う、何もかもを見据えてしまっているようなあの態度と、その口から紡がれる、誰も知るはずの無い真実の数々。その人が心の奥底に仕舞い、鍵を掛けて大事にしていたものを、ルチアナは簡単に口にする。
思い出したくなかった記憶も、
大切に保管しておきたかった記憶も、
忘れてはならない記憶も、
自分を自分たらしめた記憶も、
当に忘れてしまった遥か昔の記憶さえも、
もしかしたら彼女の手に掛かればアッサリと解明されてしまうのではないかと、そう本気で思えてしまうほど、彼女は他人のことを知り過ぎている。
知らないはずなのに。初対面のはずなのに。
気付けばルチアナは知っていて、当然のようにそれを口にする。
いつもの冷静な調子で、時折おどけてみせて笑みを浮かべる。いつも通りの姿で、他人の心を軽々と抉るのだ。
だからヨハンは、疑問を抱き続けている。
あの日、彼女が自分を読んだと形容したその意味を。
「僕は大事なものがいろいろと欠けている、欠陥だらけの不完全な人間だから、もしかしたら的外れなことを言っているかもしれないけど、僕は他の誰よりルチアナさんを怖いと思う時があるんだ。今日のことだって、護る側である筈の僕が護られてしまった。でもそれは、普通じゃないことだと思う」
なぜならそれは、ヨハンにとって過去を否定されているようなものだったから。
強くなるという目的にのみ邁進し、それだけを求めて生きてきたヨハンを、ルチアナは護ってしまう。裏を返せばそれは、ルチアナもまたヨハンが抱えていたソレと同等かそれ以上の何かを抱えているのではないだろうか。そう思えてならない。
そこまで考えた所で、ヨハンはページを捲る指が止まっていることに気付き、自嘲した。
「邪推はよそう。ハンナもごめん。ヘンなことを言っちゃった」
「ううん。そんなことない。わたしにはヨハンが何を考えているかは分からないけど、ルチアナが普通の人とは違うっていうのは、なんとなく分かるかな。でも怖いとは思わない。凄く優しい人だと、わたしは思うの」
それを聞いたヨハンは、自分もまた似たようなものであったと再認識した。
過去に捕らわれず、前を向いて生きろと言われたあの日から、ヨハンは過去に拘るのを止めたのだ。そして今、過去に培ったものを活かし、新たな道を歩んでいる。
ルチアナもまた、ヨハンと同じようにそういった道を歩いているのだとしたら、過去の何かを今に活かしているだけのようにも思えて、ヨハンは納得する。
「そっか……単に僕は、知りたかっただけだったのかも」
大切だと感じる人のことだからこそ、もっと知りたいと思ってしまったのだろう。
ハンナも、ルチアナも、アルベルも、その全員のことを知りたいと思ったから、あれこれ考えてしまうのだろう。
その答えに行き着いたヨハンは、安堵し本のページを捲る。やがてヨハンは本の内容へと没入していく。そこに記された、魔女の物語を読み説きながら、時間は刻々と経過する。
落ち始めた陽が茜色の光を放ち、室内を煌びやかに照らしていく。それはとても、不思議な時間だった。
「…………」
そしてベッドに寝そべるハンナは、穏やかな表情で本を読むヨハンを見詰めながら、寂しそうな顔を浮べていた。けれどそれは誰にも気付かれずことはなく、やがてその表情は穏やかな寝顔へと、溶けるように変化したのだった。
「……少年達の誓いは果たされなかったんだね」
残念そうなヨハンの言葉に、ハンナも同調する。
「みたいだね。なんだか、とっても悲しいお話だよ」
ハンナの言葉に、ルチアナは意味深な表情を浮かべる。
「確かに悲しいお話ですけれど、もしかしたらその先に何か別の結末があるのかもしれませんよ?」
「別の結末?」
「ええ、だってこの二人はまだ死んでいない。物語としては一区切りかもしれませんけど、もしかしたら死ぬ頃には、また別の結末に辿り着くかもしれません」
そういうルチアナに、ヨハンは反論する。
「でもそれは物語の範疇を越えているような……」
「言いたいことは分かりますが、それは史実であった場合の話ですよ。物語が結末を迎え、その先のことをあれこれ考えるのは、物語の楽しみ方の一つだと私は思います。だって、素敵な物語であればあるほど、ああなって欲しい、こうなって欲しいという妄想が膨らんで、私達読者の心を捉えて離してくれない。それこそが、物語というものではないでしょうか」
「……そうかも、しれない。そう考えられなかったのは、僕が今までに読んだ本の数が少な過ぎるのかもしれないですね」
自嘲気味に笑うヨハンの頭をルチアナはそっと撫でる。
「これから読んでいけばいいんですよ。ヨハンさんさえ良ければ、オススメの本を紹介させて下さい」
「あ、ありがとうございま……っ!」
照れたように赤面するヨハンは、されどすぐに表情を引き締める。それを目敏く感じ取ったルチアナもまた、不穏な気配のする方向に視線を投げる。
唯一状況を理解できていないハンナだけが、先程のルチアナの話に思いを馳せるかのようにあれやこれやと思いの丈を呟いていた。
「ルチアナさん」
「はい。分かっています」
「へ? 二人ともどうしたの?」
二人の様子が普通でないことにようやく気付いたハンナが、疑問を零したその時、周囲の山林から複数の男達が飛び出してきた。
流れるような動作で三人の往く手を阻むと、一糸乱れぬ連携で三人を取り囲む。
剣呑な雰囲気を纏う男達は、一言の要求を発することなくその手に握った剣を構える。そこには女子供が居ると言う事実に慢心するような余裕は感じられなかった。それどころか、どこか予断を許さぬ緊迫感さえ感じられる。
「なんですか、あなた達は」
感情の揺れが一切感じられない、平坦な声でルチアナが問う。しかし男達は口を噤んだまま何も語らない。それどころか、叩きつけられる殺気がどんどん際立っていく。
ヨハンの手をぎゅっと握るハンナは、慣れない荒事に恐怖し、身体を震わす。それを安心させようと、ヨハンもまた力強く手を握り返した。
「二人に手を出すようなら、容赦はしません」
片手で肩に担いでいた槍を振り回した後、力強く構えたヨハンが睨みを利かせる。
男達はヨハンが護衛役と判断したのか、その視線のほとんどがヨハンに向けられた。
お互いに動きを見せない、一触触発の膠着状態が続き、三人はとても長く感じる時間の流れに焦りを覚えながらも、どう動くべきかを思考する。
「わ――」
男達の内の一人が何か口走ろうとした時、事態は更に進展する。
「いたぞおおおお! 奴らを捕まえ、血祭りに上げろ! これは正義の戦だ!」
山道に響く怒号に、男達は一斉に声の方へと意識を向ける。その隙を突き、ヨハンは攻め込もうと一歩を踏み出すが、その行動はルチアナによって止められてしまう。
「きゃあああああああああああっ!」
正確には止められたのではない。今の今まで輪を掛けて冷静だったルチアナが、突然悲鳴を上げるとヨハンとハンナを抱き寄せその場に蹲ったのだ。
何事かと混乱するヨハンを余所に、事態は急転直下転がっていく。
「あれは……!」
ヨハンは横目で先程声のした方向へと視線を投げる。するとその方向から、男達の三倍もの数の人間が山道を突貫してきたではないか。一直線に男達へと向かっていくその者達は、手に武器を握ったまま怒声を撒き散らす。
「くそっ……またしても彼奴等が! ここは退くぞ!」
形勢の不利を悟ったのか、男達は突撃してくる者達を憎々しげに見遣りながら、反対方向へ去って行った。
取り残され、尚且つルチアナに釣られる形で蹲ったヨハンとハンナは、状況が飲めずに困惑する。
するとそんな二人の心情を察したのか、ルチアナが小声で囁く。
「どうやら私たちにとって都合の良い展開になったみたいです」
「都合の良いって、どういうことですか?」
ヨハンの疑問に、ルチアナは端的に答えた。
「行きの時、山道で会った騎士のことを覚えていますか?」
「はい。山道を巡回警備していた方ですね」
「ヴォルさんだね!」
ヴォルというのは、行きの山道で偶然出会った、ヴォルフラム・ルッケンバインという騎士のことだ。何かと物騒な山道を安全に通って貰おうという目的のもと、近隣の村から警備の為にわざわざ出張り、巡回をしていた人物だ。
「それがどうかしたんですか?」
「先程の大声、どうやらそのヴォルフラムさんの声のようです。遠目でしたが、姿も確認しました」
端的に事実だけを告げると、二人は驚嘆する。
「……わたしには声しか聞こえなかった」
「僕が見たのは、民兵のような人達の姿かな。流石に個人までは特定できないですね」
そしてルチアナが何を言おうとしているのかを察したヨハンは補足する。
「身を低くして待っているのが得策ってことですか」
「ええ。下手に行動するよりも、今は流れに身を任せましょう」
「ルチアナ……怖い」
ヨハンの手をぎゅっと握りながらも怯えるハンナを抱き寄せるルチアナは、安心させるべく優しく微笑む。
「大丈夫です。ハンナちゃんも、ヨハンさんも、私がちゃんと守りますから」
その言葉は二人にとって、何よりも心強いものだった。
◆◇◆
「いやぁ、まさかみなさんと再びお会いできるとは! いやはや、これは何かの運命なのだろうか!」
そう言って豪快に笑うのは、ガッチリした体躯の男だった。男は重厚な鎧に身を包んだまま椅子に腰掛け、対面に座っているルチアナ達をじっくりと眺める。これ以上ないぐらいにねっとりと視姦されている気分になったルチアナは、男から視線を逸らし部屋を見渡す。
ルチアナ達が居るのは、荘厳な雰囲気の応接室だった。
敷かれた煌びやかな絨毯、置かれた巨大な円卓、天井より吊り下がる宝石が散りばめられたシャンデリアなど、一庶民でしかないルチアナ達はその眩い輝きに度肝を抜かれた。
そして円卓に腰掛けるのは、ルチアナ、ハンナ、ヨハン、そして三人の窮地を救った騎士――ヴォルフラムである。
「此度は助けて頂いただけではなく、お屋敷に招いて頂き感謝致します」
礼儀正しく頭を垂れるルチアナに、ヴォルフラムは笑みを浮かべたまま首を振る。
「気にしなさるな。それにこの屋敷は私のものではなく、私の仕えるカーマイン・オラリオ様の屋敷だ。カーマイン様には先程宿泊の承諾を頂いて来たのでな、存分に休んでくれ」
山道で襲い掛かって来た男達を追い払ったヴォルフラムは、腰を抜かしたハンナと、腰を抜かした振りをしたルチアナを気遣い、村に招待してくれた。それも村一番の金持ちであるカーマイン・オラリオの邸宅に招き入れ、一泊させてくれると言うのだから、流石のルチアナも申し訳なさに頬を引き攣らせた。
とはいえ襲われたばかりだというのに、その日の内に同じ山道をノコノコと歩くのは不味いと考え、ルチアナは仕方無しにヴォルフラムの申し出を受けることにしたのだった。
「それにしても、運が悪かったな。まさかあの山道でドゥに遭遇するだなんて」
ルチアナは慣れない豪邸を物珍しそうに観察するハンナに視線を送りながら問う。
「ドゥというのは?」
「みなさんを襲っていた奴らのことだ。正確にはあいつらのリーダー格の名前がザン・ドゥというのだが、一括りにあいつらのことをリーダーの姓であるドゥと呼んでいるんだ」
「それが定着するということは、長いことこの辺りに居る集団ですか」
与えられる情報を飲み込みながら、ルチアナは一人思考する。
「そういうこった。とにかく今は連中のことは忘れて、旅の疲れを癒すと良い」
「ご厚意、感謝します」
「気にするな。我々は元々旅人には寛容だ。これでドゥの奴らが消えてくれれば、この村も旅人で賑わうのだがな」
憎々しげにそういうヴォルフラムは、すぐに笑みを浮かべ直すと椅子から腰を上げた。
「とまぁ、非生産的な愚痴を言っても仕方がない。私は巡回に戻るのでな、夕食の時にまた会おう。みなさんには客室を確保しておいので、そこの使用人に案内して貰うと良い」
そう言うと、出入り口の脇で控えていた使用人に目配せをし、先に部屋から出ていこうとする。するとハンナが急いで立ち上がり、その背に声を掛けた。
「ヴォルさん! あ、あの! 助けてくれて、ありがとうございます!」
深々と腰を折ったハンナに、ヴォルフラムは振り返り口元を吊り上げた。
「気にするな! それが私の仕事だとも!」
そう言って退室したヴォルフラムを見送ると、使用人が寄って来た。
「それではお部屋の方にご案内させて頂きます。お部屋の方はどうされますか? 個室から相部屋、お客様のご希望に沿ったお部屋を提供致します」
「三人相部屋で」
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「畏まりました。ベッドが一つ足りなくなりますので、至急搬入させます」
「いえ、それには及ばないです。ベッドは二つあれば十分です」
「承知致しました。それではこちらに」
そうしてルチアナ達は、使用人に案内されて二階にある客室へと案内された。
「それでは私は一階のロビーに控えて居りますので、何か在りましたら遠慮なく声をお掛け下さい。では、ごゆるりと」
使用人が立ち去ったのを確認したルチアナは、手荷物を部屋の隅に放ると、すぐさまベッドに飛び込んだ。
「はぁー……流石に疲れましたね」
それを見たヨハンは、雰囲気に呑まれ言い出せなかった疑問を口にする。
「どうしてベッドが二つなんだろう……三人なら三つの方がいいんじゃ……」
「ヨハンってばぜんっぜん分かってない!」
そんな台詞と共に、ハンナはルチアナが寝転ぶベッドにダイブする。
「……ああ、なるほど。そういうこと」
ようやく合点がいったヨハンは、手にした槍を壁に立て掛けると、ソファーに腰掛け溜息をつく。
「どうかしたんですか?」
天井を見詰めたままのルチアナが、目敏くヨハンの異変に気付く。けれどヨハンは言葉を濁すだけだった。
「どうやら僕も疲れているみたいです。まさかこんな屋敷に一泊するだなんて、想定していなかったから」
「これも経験だと思えばいいんですよ。滅多にありませんよ、こういう場所に泊れるのは」
「それもそうですね。でもなんか……」
浮かない顔のヨハンを見かねてか、ルチアナが提案する。
「ヨハンさん、あの本でも読みますか?」
そう言ってルチアナが指差したのは、部屋の隅に置かれた荷物に紛れ込んでいる、『魔女の涙』というタイトルの本である。
その本に視線を送りながら、しばらく思案したヨハンは、小さく頷き立ち上がった。
「読みます。ちょうど暇にもなったことだし」
部屋の隅にある本を手にしたヨハンは再びソファーに戻ると、本を読み始めた。それを見届けると、今度はルチアナがベッドから立ち上がり、
「少し用事が出来ましたので、行ってきますね」
それだけ言うと、部屋から出て行ってしまった。
出て行ったルチアナを心配するハンナが小さな声を漏らす。
「……どうしたんだろう」
「何か思う所でもあるんじゃないかな。ルチアナさんは、どうにも僕等とは違った視点で世界を見ている節があるような気がするよ」
本のページを捲りながら答えるヨハンに、ハンナは小首を傾げる。
「違った視点?」
その疑問にヨハンは、ハンナがルチアナのそういった一面を見ていないと言うことに気付いた。
アルベルも口にしていたことだが、ルチアナ・ホーキンスという人間は些か以上に普通ではなかった。けれど、ただそこに居るだけであれば、きっとそれには気付けない。現に、ハンナは何も気付けていない。いや、知らないだけなのかもしれない。
ルチアナ・ホーキンスという人物が、どれだけ不可解であるかを。
「……あの人は、一見するととても良い人の様に見えて、事実人は良いのかもしれないけど、でもきっと……誰より怖い人だと僕は思う」
知ったかぶっているのとは違う、何もかもを見据えてしまっているようなあの態度と、その口から紡がれる、誰も知るはずの無い真実の数々。その人が心の奥底に仕舞い、鍵を掛けて大事にしていたものを、ルチアナは簡単に口にする。
思い出したくなかった記憶も、
大切に保管しておきたかった記憶も、
忘れてはならない記憶も、
自分を自分たらしめた記憶も、
当に忘れてしまった遥か昔の記憶さえも、
もしかしたら彼女の手に掛かればアッサリと解明されてしまうのではないかと、そう本気で思えてしまうほど、彼女は他人のことを知り過ぎている。
知らないはずなのに。初対面のはずなのに。
気付けばルチアナは知っていて、当然のようにそれを口にする。
いつもの冷静な調子で、時折おどけてみせて笑みを浮かべる。いつも通りの姿で、他人の心を軽々と抉るのだ。
だからヨハンは、疑問を抱き続けている。
あの日、彼女が自分を読んだと形容したその意味を。
「僕は大事なものがいろいろと欠けている、欠陥だらけの不完全な人間だから、もしかしたら的外れなことを言っているかもしれないけど、僕は他の誰よりルチアナさんを怖いと思う時があるんだ。今日のことだって、護る側である筈の僕が護られてしまった。でもそれは、普通じゃないことだと思う」
なぜならそれは、ヨハンにとって過去を否定されているようなものだったから。
強くなるという目的にのみ邁進し、それだけを求めて生きてきたヨハンを、ルチアナは護ってしまう。裏を返せばそれは、ルチアナもまたヨハンが抱えていたソレと同等かそれ以上の何かを抱えているのではないだろうか。そう思えてならない。
そこまで考えた所で、ヨハンはページを捲る指が止まっていることに気付き、自嘲した。
「邪推はよそう。ハンナもごめん。ヘンなことを言っちゃった」
「ううん。そんなことない。わたしにはヨハンが何を考えているかは分からないけど、ルチアナが普通の人とは違うっていうのは、なんとなく分かるかな。でも怖いとは思わない。凄く優しい人だと、わたしは思うの」
それを聞いたヨハンは、自分もまた似たようなものであったと再認識した。
過去に捕らわれず、前を向いて生きろと言われたあの日から、ヨハンは過去に拘るのを止めたのだ。そして今、過去に培ったものを活かし、新たな道を歩んでいる。
ルチアナもまた、ヨハンと同じようにそういった道を歩いているのだとしたら、過去の何かを今に活かしているだけのようにも思えて、ヨハンは納得する。
「そっか……単に僕は、知りたかっただけだったのかも」
大切だと感じる人のことだからこそ、もっと知りたいと思ってしまったのだろう。
ハンナも、ルチアナも、アルベルも、その全員のことを知りたいと思ったから、あれこれ考えてしまうのだろう。
その答えに行き着いたヨハンは、安堵し本のページを捲る。やがてヨハンは本の内容へと没入していく。そこに記された、魔女の物語を読み説きながら、時間は刻々と経過する。
落ち始めた陽が茜色の光を放ち、室内を煌びやかに照らしていく。それはとても、不思議な時間だった。
「…………」
そしてベッドに寝そべるハンナは、穏やかな表情で本を読むヨハンを見詰めながら、寂しそうな顔を浮べていた。けれどそれは誰にも気付かれずことはなく、やがてその表情は穏やかな寝顔へと、溶けるように変化したのだった。
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