故に彼女は人を読む

四十宮くるふ

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3.血酒の果て

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 ハンナが目を覚ましたのは、夕食の時間が迫った頃だった。

「ハンナ、起きて。夕食の時間だよ」
「んっ……んん……」

 肩を揺すられ瞼を開くと、視界一杯にヨハンの顔が広がっていた。そのことに戸惑いながらも、寝ぼけたハンナはヨハンの頬に手を伸ばす。柔らかい頬を指で触ると、ヨハンは顔を顰めた。

「寝ぼけてないで。ほら、早く起きて」
「あ……うん。うん……起きるよ、うん……」

 頬から手を放し寝返りを打つハンナを見て、ヨハンは呆れた。

「……ハンナ、起きる気ないよね」

 とはいえ、このままにしておくわけにもいかない。本音を言うならば、いろんなことがあって疲れているだろうから寝かしておいてやりたかったが、だからといって食事を摂らないというのは宜しくない。

「しょうがないなぁ」

 意を決したヨハンは、備え付けられたタオルでハンナの顔を拭いていく。涎の後を拭い、指先で目元の目脂を擦り取る。そうすると、ハンナは擽ったそうに笑みを浮かべながら、首を左右に振る。
 まるで猫だ、と感じたヨハンは、乱れた着衣をテキパキと整えていく。その手がハンナの女性らしい部位に触れたが、ヨハンは歯牙にも掛けず努めて冷静なまま済ませた。
 最後にルチアナの荷物の中から櫛を取り出し、ハンナの長い金髪を梳く。髪に櫛を通す度に、髪から柔らかくて甘い匂いが香って鼻を突いた。

「……ふふっ」

 思わず笑みの零れたヨハンは、ふいに意地悪なことを思い付いた。手にしていた櫛をベッドに置くと、寝ぼけたハンナの首と膝裏に手を回し、抱き上げた。

「ひゃ……! ちょ、ちょっと! ヨハン!?」

 するとハンナは、今まで寝ぼけていたのが嘘のような驚き交じりの嬌声を上げた。そしてそのことを知っていたかのように、ヨハンは悪戯な笑みを浮かべる。

「狸寝入りは感心しないよ」
「ちょ、ヨハン!? お、下ろして! まさかこのまま下に行く気!?」
「勿論。寝起きの悪いハンナには、ちょっとくらい羞恥に耐えて貰おうかなーって」

 くすくすと笑うヨハンに、ハンナはしどろもどろになりながら、それを止めさせようとする。

「ほ、ほら! このままわたしを抱いて行ったら、きっとヨハンも恥ずかしいよ?」
「僕は別に恥ずかしくないよ」

 嘘だ。ヨハンはこうしてハンナを抱き上げている今この瞬間も、恥ずかしいと思っていた。少しでも気を緩めれば、あっと言う間に赤面し、目を合わせるのすら恥ずかしいと感じてしまうだろう。けれどそれ以上に、ハンナの困った顔を見るのが楽しいと感じてしまっていた。だから、自分の中で暴れ回る羞恥心を押し殺していた。
 そしてそれを察したのか、それとも本能的に理解したのか、ハンナはヨハンにとってあまり都合の良くない選択をする。

「ヨーハーンッ! ううううっ、分かった。分かったよ! じゃあこのまま行こう! 絶対に離してあげないんだから!」

 言うが否や、ハンナは腕をヨハンの首に回して離すまいと抱き付いて来た。
 ハンナの顔が急接近し、ヨハンは平常心を失いそうになるが、なんとか視線を逸らし意識を紛らわせる。先程の接触でも相当我慢したと言うのに、これは幾らなんでも辛すぎた。少しでも視線を下げれば、そこには上目のハンナが居て、流石のヨハンも理性を保っていられる気がしなかった。
 けれど、もう後には引けない。

「じゃ、じゃあ……行こっか」

 僅かに頬を朱に染めたヨハンは、歩き出した。
 そしていざ動き出すと、揺れて身体が密着しているという真実が否応なく際立ち、ハンナも溜まらず頬を真っ赤に染め上げた。妙な気まずさが広がり自然と口数が薄くなるが、されどそれは決して不快ではなく、二人はなんとも言えない妙な気持ちに包まれる。

「……ばーか」

 か細く吐き出されたハンナのその呟きは、ヨハンの耳に届くことなく、口元で溶けて消えた。


◆◇◆


 最初に通された応接室で行われた、ルチアナ、ハンナ、ヨハン、ヴォルフラムの四人揃っての夕食は、何事もなく、恙無く終了した。
 ハンナを抱き上げたまま登場するヨハンに一同が驚いたものの、それ以降は終始和やかなムードが続き、食後の談話も自然と弾んでいった。
 だがルチアナには一つ、気掛かりなことがあった。
 それを問うべきか迷ったが、疑問を飲み込んでも後味が悪いだけだと思い、思い切って口にする。

「ヴォルフラムさん、一つ宜しいですか?」
「なんだ?」

 ハンナと他愛ない話をしていたヴォルフラムが、ルチアナへと向き直る。

「この館の主はどうされているんですか?」
「ふむ……そのことか。この場にカーマイン様が居られないのは、体調が優れないからでな、ここ数日はずっと部屋に籠りっ放しだ。医者にも見せているのだが、あとは本人の気力次第、だそうだ。こういう時、騎士である私には何もすることがない。そのなんと歯痒いことか」
「そうでしたか……」

 口では納得するものの、実際は何も納得していなかった。だがそれを気取られない様に、ルチアナはすぐに話題を変える。ある意味でその話題がルチアナにとっては本題であった。

「先程使用人の方にお伺いしたのですが、ヴォルフラムさんは最近とても高価なお酒を手に入れたとか」

 それを聞いたヴォルフラムは一瞬だけ瞠目するも、すぐに悪戯な笑みを浮かべ、待っていましたと言わんばかりに身を乗り出す。

「ほう! 客人だというのに随分と耳が早い! いやはや、やはりあの酒の高名は侮れんな! あっはっはっは!」

 ヨハンとハンナはお酒という単語に反応しつつも、その話題には入れないと判断し、二人での談笑に専念する。結果として、ルチアナはヴォルフラムと一対一で会話する形となった。

「まさかこんな所であの『魔女の涙』と出会えるなんて、信じられないです!」

 柄にもなく興奮しているルチアナの食い付きっぷりに、ヴォルフラムは更に気を良くする。

「ルチアナさん。まさかあなた、飲める口か!」
「飲むだなんて、嗜む程度ですよ」
「いやいや、ご謙遜ならずとも! 酒飲みであれば魔女の涙の高名は聞き及ぶ所! 本当なら一杯ご馳走してあげたい所だが、それは私がカーマイン様の為に用意したもの故、すまないが諦めてくれると助かる」
「あんな高価なものを飲ませて貰おうとは思ってないです。ただ、現物を見てみたいと思っただけですよ。悲恋の魔女が作ったとされる呪われた美酒。いったいどんなものなのでしょうか」

 その台詞を聞いたヨハンは、ハンナと談笑するのを止めて、会話に横槍を入れた。

「もし魔女の涙が本の通りの効果を持っているのなら、それはとても危険なお酒のような気が……」
「ほう、あの酒には何か特別な効能があるのかい?」

 興味深げに眉を潜めるヴォルフラム。

「眉唾な噂です。魔女の涙ほど高名な美酒であれば、そういった中身のない話が付いて回っても不思議ではありませんし」

 そう言って否定するルチアナに、ヨハンは怪訝そうな表情を浮かべた。だがすぐにそれを引っ込めて立ち上がる。

「……僕は先に部屋に戻って休みますね」

 目的は本を読み返し、ルチアナの真意を探ろうというものだった。少なくとも、ルチアナが欲しがった本である以上、ルチアナがその内容を知らないはずがない。だからこそ先程のルチアナの発言はヨハンにとって不可解でしかなかった。
 とはいえ、この場で直球な質問を投げるほど、空気が読めないわけではないヨハンは、結果として部屋に戻るという選択を取る。

「わたしも戻るー」

 呑気に同調するハンナもまた、立ち上がった。

「二人とも、おやすみなさい」
「うむ。子供は早く眠るに限る。今日はゆっくりと休むと良い」
「はい、おやすみなさい、ヴォルさん、ルチアナ」
「おやすみなさい。それじゃ行こう、ハンナ」

 ハンナの手を握り、ヨハンは宛がわれた客室へと戻って行った。
 それを見送ったルチアナとヴォルフラム。二人の姿が消えると、ヴォルフラムは使用人を呼び付け何かを指示した。そして指示された使用人はそそくさと応接室から出ていく。

「子供が部屋に戻ったことだし、我々大人は晩酌と行こうじゃないか。ところであの二人の歳は幾つなのだ?」
「二人とも十六です」
「若いな」
「私だって十分若いですよ」
「では歳を聞いても?」
「秘密です」
「でしょうな。あっはっは!」

 大笑いするヴォルフラムを睥睨しながら、ルチアナは思案したように口を噤む。だがそれも束の間、噤んだその間にとある決断をしたルチアナは、座布団代わりに椅子に敷いていた一冊の本を取り出す。自身の尻で暖められたその分厚い本を円卓の上に置くと、表紙を指先でそっと撫でる。

「それは?」

 ヴォルフラムの疑問にルチアナはその本を差し出すことで答える。

「読めば分かりますが、その本のタイトルは……『写本人生譚‐ザン・ドゥ‐』……と言います」
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