名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第二章

幼女魔王と女勇者

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 アデルの背中に冷たい汗が走った。夕暮れが訪れようとしている森の中で、アデルは二人の女と距離を取って向かい合っている。一人の女は赤髪の美人で、もう一人はトンガリ帽子の魔法使いだった。
 盛夏の空気も森の中で熱を奪われ、周囲にはひやりとした冷気が漂っている。アデルの心臓が打ち鳴らされる。体が警告を発している。額から汗がこぼれた。

 赤髪の女は、確かに魔王と発言した。ようやく魔王を見つけた、と。
 その言葉だけで、アデルはいくつものことを理解した。この女が、講談本や民衆本で度々取り上げられている、あの紅の勇者だと。その勇者は、各地で魔物を倒して回り、そして魔王の討伐を目的としているのだという。
 魔王を討伐する。それはかつて自分も掲げたことのある目標だった。自分のような一般人とは違い、この勇者はあらゆる武芸に秀で、最強の名を欲しいままにしているという。
 その隣の魔法使い。そちらについてはよく知らないが、優れた魔法使いであるということは何かで読んだことがある。

 ようやく見つけた。紅の勇者はそう言った。つまり、ずっと魔王を探し回ったのだ。そして今、魔王に辿り着いた。
 何故ソフィが魔王だとわかった? 何故こんな場所まで来ることが出来た? 一体なぜ。

 アデルはからからに渇きつつある喉をごくりと鳴らした。二人に向かって言う。

「おぬしたち、何者だ。わしが魔王に見えるとは、随分と目が悪いようじゃな」
「あんたじゃないわよ、そっちの小さい女の子、そっちが魔王でしょ」
「目の他に頭も悪いのか? この子のどこが魔王だというのじゃ。ただの可愛い村娘であろう」

 アデルの言葉に、紅の勇者が剣を担いで笑い声を漏らす。


 この女、ソフィが魔王であると確信している。ソフィがさっきだした魔法を見て確信したのだろうか。アデルはちらちらと周囲に視線を向けた。その様子を見ていた勇者が呆れたように言う。
「安心しなさい、あたしたち二人しかいないわ」
「ぬぅ……」

 もしかしたら、他に仲間がいるのではないかと思った。確認するために周囲を見ただけだというのに、それを看破されてしまった。この女、やはり戦いに慣れている。
 これほどの実力者が、何故奇襲をかけてこなかったのか。魔王を討伐するという目的であれば、こちらが向こうに気づく前に奇襲をかけるのが定石だろう。
 余裕と言わんばかりに目の前に現れた。さっきソフィが放った魔法も見たはずだ。あの強力な魔法を見たのに、まったく怖気づいている様子は見られなかった。

「おぬしたち、何か勘違いをしてはおらんか。この子が魔王? 確かにちょっと凄い魔法使いではあるが、魔王などではない」
「御託はもういいのよ」
 勇者がそう言って、ちらりと辺りをうかがった。この女、一体何を警戒している? この女も、自分たち二人以外に誰かがいるのではないかと思っているのか。ならば、自分たちについてはあまり情報を持っていないはずだ。

 自分たちの他に、何がいると考えた?
 アデルは地面に置いた斧に視線を落とした。そちらのほうが鉈よりもリーチは長いが、鉈ほど取り回しは楽ではない。アデルは鉈の柄を両手で握った。
 明らかな戦闘準備に入ったアデルを見ても、勇者は表情ひとつ変えることがなかった。自分など脅威にならないとでも言いたげな様子だった。
 勇者がアデルに尋ねる。

「ねぇ、緑色の喋る魔物はいないの?」



「ソフィ! 逃げろ! あいつらはソフィを殺すつもりで来ておる!」
 叫ぶ。
「どういうことじゃアデル?」
「いいから逃げろ! 魔法はいくらでも使って構わん、生き残ることだけを考えろ」
 その声色だけでアデルが如何に焦っているのかがソフィには理解できた。それでもアデルを置いて逃げるなどという選択を取ることが出来なかった。
 ソフィには、あの二人がそこまでの脅威には思えなかった。女がたった二人。一人は魔法使いのようだが、もう一人はただの剣士のようだった。女のローブの下に、白いジャケットと、白く短いプリーツスカートが見えた。あの細身の体の何を恐れるというのだろう。
 あれがアデルのような大男より強いとは思えない。アデルは多くの男の中でも力が強く、ケンカをしても負けたことが無いと言っていた。今日だって、たった一人で伐採した木を引きずって歩くつもりで来ている。

「何を言っておるんじゃ、あんな女二人」
 そう言ってソフィは杖をぎゅっと握り締めた。
「馬鹿か! 逃げろ!」

 あいつらの狙いはソフィに違いない。

 剣士は肩に剣を担いだまま、詰まらなさそうに声を漏らした。
「そう、緑色の魔物はいないの。ま、いいわ。じゃ、とりあえずあんたには死んでもらうわ」

 勇者が肩に担いだ剣をふっと降ろした。勇者が地を蹴った。速い。アデルはソフィの襟を掴んで、後ろに放り投げた。眼前に剣。アデルの全身が恐怖で収縮した。横から薙がれた剣戟を避ける。前髪がぱらりと舞った。
「おおおおっ!」
 雄たけびと同時に、アデルは鉈を右下から一気に左上へと振るった。殺すつもりで振った。だが、女はそこにいなかった。全力で空気を切り裂いたアデルの左に、女がいた。剣はすでに天空を指している。振り下ろされれば、絶命する。
 振り下ろしが来る、そうに違いない。それひとつに賭けた。アデルは右足を前へと踏み込んで、女の左側へと回り込もうとした。距離を取ろうとしたら死ぬ。生きられる場所は、女の傍だけだ。距離を詰めて、アデルは方向を転換した。振り下ろされた女の剣が空を斬る。アデルが叫ぶ、さっき振り上げた鉈を女の頭に向かって振り下ろした。

 当たる、そう思った。女の姿が視界から消えた。赤い髪の色だけが空中に浮かんでいる。女の体が沈みこんでいた。アデルの腰よりも低い場所で、女は剣を横に薙ごうとしている。

「おおおおっ!」

 咄嗟に後ろへと飛び上がった。アデルの足があった場所の空気を、剣が切断する。離れなければ、そう思ってアデルはさらに距離を取った。女は追撃をしてこなかった。全身から汗が吹き出る。頭が真っ白になりそうだった。断崖絶壁で踊るような心地だった。
 運動量としては大したことがなかったはずだが、息が切れる。


「へぇ、あんた、やるわねぇ」

 少し感心したように、勇者がそう言った。息の様子もまったく変わりが無い。どれだけの余裕があるのか、アデルには量ることさえ出来なかった。
 これが噂に聞く紅の勇者。今まで多くの魔物を屠ってきたという武人。
 わずかな距離を挟んで、勇者はアデルをじっと見つめていた。ローブの襟に手をかけて、前を外す。ローブを脱いでバサッと放り投げた。
 上下ともに白を基調にした服装だった。下は都会で流行っているとかいう膝が見える丈のスカートだった。

「あのさ、あんたって人間?」
 リディアに尋ねられて、アデルは眉を寄せた。
「さぁて、どうかのう。人でなしと罵られたことならあるが、はてさて」
「あたしの剣を避けるだなんて、ルゥくらいにしか出来ないと思ってたけど」

 勇者の言葉を聞きながら、アデルは考えた。少なくとも、この女は自分達のことについてはよくわかっていない。人間かどうかなどと訊かれるとは思ってもいなかった。確かに、あの女の剣を避けられるような人間が多くいるとは思えない。名の知れた武人ですら相手にならないかもしれない。
 それゆえに、あの女は驚いている。自分のことを、人間かどうかと尋ねるほどに。

 向こうがこちらのことをあまり知らないのであれば、何か手はあるはず。
 ソフィを生かして逃がさなければいけない。

 勇者がわずかに顎をあげて、アデルのことを見下す。
「あんたお金持ってる?」
「いくら払えば見逃してくれるんじゃ」
「馬鹿ね、あんたの血であたしの服が汚れたら、服を洗濯に出さなきゃダメじゃない。その代金よ」
「服が汚れるのが嫌なら裸にでもなったらどうじゃ。さぞ見応えがあるであろうな、見せろ」
「あら、まだ軽口が利ける余裕があるなんて驚きだわ」
「金が欲しけりゃわしの死体を漁るんじゃな、代わりに勇者としての名声を置いていけ、この盗賊め」
「ふふ、勇者の名前なら捨てたいくらいよ、でも影みたいについてくるの」 



 どうすればいい。逃げ出そうと背中を見せれば、一瞬で切り伏せられるだろう。そうなればソフィはどうなる。
 アデルがそう考えていた時だった。後ろからソフィの声がした。

「炎の大蛇よ! あの女を食らい殺せ!」

 胴体の太さは人のそれと変わらない炎の蛇が顎を開き勇者へと襲い掛かる。空気が焦げる匂いを残し、炎の蛇は一直線に勇者へ向かう。その顎が勇者の体を食らおうとした瞬間に、勇者は剣を振るった。たった一振りだった。炎の蛇はその頭を真っ二つに裂かれ、消えうせる。

「な、なんと……」

 ソフィが驚愕に唇を震えさせた。アデルが目を細め、そして振り返った。
「攻撃することより身を守ることを考えろ! あれはわしなんぞより数段強いぞ!」
「っ……」

 ソフィは杖を構え、さらに魔法を繰り出した。杖の先に五個の火球、同じく五個の水球を浮かべる。
「これでも食らうのじゃ!」
 杖の先から火球と水球が撃ち出される。勇者が剣を強めに握った瞬間、水球と火球が空中で衝突した。同時に、猛烈な水蒸気が立ち込める。
 勇者が後ろへと跳び下がった。ただの攻撃ではなく、視界を遮るためのものだと勇者が気づいた時にはソフィとアデルは背を向けて走り出していた。

「あら、魔王のくせに逃げるだなんて」

 勇者に魔法使いの女が近づく。戦闘には関わらず、ずっと様子を眺めていた。

「ある程度、あれらの実力は把握はできた」
「あらそう? ま、あたしもだけど」
「あの魔王も、あの従者も、弱い」
 魔法使いはそう言って帽子のつばを抓んだ。小さな唇を動かして、魔法使いが言う。

「今日でわたしたちの旅も終わる」
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