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第二部 第三章
はじめての仕事
「ふわぁ……、んあ……」
あくびが喉から溢れ出て、ソフィは目を瞬かせた。少し眠くなってきた。それも仕方がないだろう。朝からずっと仕事と子どもたちの相手をしていたのだ。
瞳はあくびと一緒に溢れた涙で少し濡れていた。何度か瞬きをして、それから周りを見る。ガタン、ゴトンと機織りの機械が動く音が聞こえてくる。
ここは村の中にある建物で、村の女たちが布を作るために働いている場所だった。女たちは昼前にここへやってきて、そして布を織る仕事をしている。そうやって働いて作った布は、村長が売りさばくらしい。
その儲けから女たちに給料が出るのだという。
この建物は村の中でも随分と大きな部類だ。何より天井が高く、広い空間が確保されている。女たちは一生懸命働いているが、自分はというとそれほど熱心に働いていない。
自分の任された仕事は糸を紡ぐことだ。
糸車という糸を紡ぐための道具がある。これを使って亜麻の糸を紡ぐのが自分の役割だった。
足で踏み板を踏み込むと、大きな車輪が回り、それによって糸に撚りをかけていくことができる。両手で亜麻の繊維を引き出し、車輪の速度を微妙に調整しながら糸を作っていく。
初日はなかなか上手くできなかったが、今では随分と慣れてきた。しかし問題があった。
「おねーちゃーん!」
「あっ、これ!」
イレーネが横からぶつかってきた。おかげで一旦手を止めなければいけない。
それに続いて他の子たちがわらわらと近づいてくる。小さな子どもたちの相手のために、何度も手を止めなければいけなかった。
この建物にはここで働く女たちの子どもも連れてくることができる。子どもたちは柵で囲まれた場所に入れられて、そこで思い思いに遊ぶのだ。時々母親が様子を見にやってきたりする。
自分もその柵の中にいた。子どもが遊ぶ空間は板の間になっていて、そこに一脚の長椅子がある。自分はその長椅子に座り、右足で糸車の踏み板をギコギコ踏んでいるのだが、小さな子が足の近くにまでやってきて危ない思いをさせることもあった。
「これダー坊よ、妾のスカートの中に入ろうとするでない」
「だ!」
「聞いておらんな」
踏み板を踏むために少し足を広げているので、ダー坊にとっては足の間に入りやすいのだろう。
「まったく女のスカートの中に入るのはいかんのじゃ」
もしかすると寒いのかもしれない。確かに広々とした空間で寒々しくはある。
しかし、この板の間は実は特に寒くはない。その秘密は、この板の下を煙が通っていることにある。少し離れた場所に石組みの竈があり、その排煙がこの床板の下に入るようになっている。その煙の熱で板が温まり、おかげでそれほど寒くない。
そういうわけで、何人もの小さな子どもたちが板の間の上で眠りこけていたりする。
「イレーネよ、あの子にシーツをかけてやるのじゃ」
「うん!」
素直に言うことを聞いてくれた。イレーネも少しお姉さんだから、小さい子の面倒を見てもらわないといけない。
「うむ、素直なのは良いことなのじゃ」
イレーネは戻ってくると、隣に座ってきた。それから頭をこちらの太ももの上に乗せてくる。少し眠くなったのかもしれない。イレーネは元気一杯だったと思った次の瞬間にはもう眠っていたりすることがある。
どの子どもたちも似たようなものだった。元気に遊んでぐっすり眠る。それが子どもたちの仕事なのだろう。
「さて、妾も仕事をがんばるのじゃ」
近頃は、多くの子どもたちを相手にしながら糸を紡いでいる。
そろそろ女がするような仕事をしてはどうかとベルタおばさんに勧められたのだ。アデルも了承してくれたので、今はこうやって仕事をしている。
糸紡ぎのほうはなかなか進まない。ここで子どもたちの相手をしているからというのもあるし、糸を紡げるようになるまで時間がかかったというのもある。
特に、子どもたちは元気なので、その相手をするとなると体力も時間も使わざるを得なかった。
そういうわけで、最近は子どもたちを暴れさせないようにお話をすることにしている。子どもたちも大人しく聞いてくれていた。そして子どもたちは眠くなったら眠り、やがて母親が子を迎えにくる。
そんな日を繰り返していた。賑やかで悪くはない。
エルナと過ごした日から一週間と少しが過ぎた。最近はリディアもシシィも森へとでかけて、忙しく仕事をしているようだ。どうやら散々こき使われたらしく、シシィは疲れた表情をしていた。
リディアのほうは特に疲れている様子は無かったが、しきりに疲れた疲れたと口にしていた。本当に疲れていたのかどうかはわからない。
そういうわけで、最近はリディアやシシィに何も教わっていない。夜になってもシシィは疲れているのか、早めに就寝することが多かった。夜になると自分もぬくもり要員として蔵のほうへ連れ去られてしまうので、最近は自分のベッドで寝ていなかった。
ぬくもりの対価としてなのか、二人は色々な話をしてくれる。あの二人は常人では考えられないような人生を送ってきているので、なかなか面白い話を聞くことができた。
「ふぅ、妾も上手くなってきたものなのじゃ」
ゆっくりと踏み板を踏み込んで糸車を回す。指先で亜麻をつまみ、どんどん撚りをかけていった。
この動作にも慣れてきたので、段々と均一な太さでしっかり糸を紡げるよういなってきている。
経験を積めばもっと綺麗にこなせるようになるはずだ。。
太ももの上のイレーネは眠りこけている。左脚の上に頭を載せているから、右足を動かす分には問題ない。
「まったく、そんなに眠っておって本当に夜眠れるのか心配なのじゃ」
昼間に寝てしまったら夜に眠れないのではないかと思ってしまう。
他の子どもたちも眠っているようだ。こうやって大人しくしていると本当に可愛らしいものだと思う。
静かになったおかげで糸紡ぎの仕事もはかどった。元々それほど早く紡げないので、それほど差は無いのかもしれないが、自分としは少しは上達はしたつもりだ。
そうやって糸を紡いでいると、柵の戸が開く音がした。誰かと思って視線を向けると、リーゼの姿があった。
「あー疲れたー」
リーゼは女にしては大柄で、お腹もぽっこりしているし、胸も随分と大きい。そんな体の女がいきなりごろんと仰向けになって寝転びだした。
自分のように小柄な女から見れば、それは牛が寝転ぶような迫力だ。
「おお、リーゼよ、いきなりやってきて寝転ぶとはなんとはしたない」
「ここでこうやって背中を温めるのが気持ちいいんだもん」
「もん、ではないわ」
リーゼは気持ちよさそうに目を細めている。この板の間は床が暖かくなっている。そうやって背中をつけていれば背中が温かくなるだろう。
「ほら、仕事してると肩とか背中とか凝るし、こうやって背中をあっためて癒やしてるの」
凝るとか言われてもそれがどういう状態なのかはよくわからなかった。聞くところによると筋肉が硬くなることらしい。ずっと本を読んだ後にそういう状態に陥ることがあるが、それが近いのだろうか。
しかし他人の感覚など分からないので、これが果たして凝るという状態なのか答え合わせはできそうにない。
リーゼはしばらく背中を温めていたが、十分満足したらしく、重たい体を起こした。
「どうソフィちゃん、進んだ?」
「あまり進んではおらんのじゃ。まったく、チビたちがいつもこのように静かであればはかどったのじゃ」
「まぁ別にいいんじゃない。おチビちゃんたちの相手してくれてるの、助かってるみたいだし」
「しかし妾の仕事が進まんのじゃ」
「子どもの面倒見るのもソフィちゃんの仕事みたいなものだし、いいんじゃない?」
「そういうものかのう」
ここ最近はこうやって子どもたちの面倒を見てはいる。それが果たしてそれほど良いことなのかどうかはわからない。
しかし、夕方になって迎え来る母親たちは、こうやって面倒を見てくれたことを随分と評価してくれる。それほど大したことをした覚えはないので、そんなに褒められても素直に受け取りがたい。
気がつくと、機織りの音もやみはじめていた。どうやらリーゼだけでなく、みんな仕事を終えようとしているようだ。ここに来て思ったのだが、実際に働いている時間は随分と短い気がする。
もちろん、女たちは朝は家事があるし、夕食の用意をしなければいけないのだからそれも仕方がない。ただ、それにも増して女たちはここでお喋りに興じていたりすることもあるし、熱心に機織りの仕事をしているとも思えなかった。
自分もそろそろ仕事を終える頃合いだろう。ただ、自分の場合は特に片付けというほどの片付けも無いので急ぐ必要はない。
「それじゃソフィちゃん、あたし帰るから」
「うむ、気をつけて帰るのじゃ」
「それはこっちのセリフ。ソフィちゃんも日が暮れないうちに帰らないと」
「わかっておる」
日が暮れるのも早くなってきた。あまりモタモタしていると、帰り道は星を頂くことになる。
自分も手を止めて、一旦背伸びをした。太ももの上ではイレーネがまだ眠っている。その頬を指先で突いてみた。ぷにぷにとした柔らかさが指先に伝わってくる。
「おお、なんというプニプニのほっぺじゃ」
さすが子どもだ。イレーネのほっぺも良いが、ダー坊のほっぺはもっと良い。何故か知らないが、ダー坊は頬が大きいのだ。輪郭がふっくらとしていて、実に好ましいと思う。
そうこうしているうちに、イレーネの母親がやってきた。
「これイレーネよ、お母さんが迎えに来たのじゃ。プニプニのほっぺをしておる場合ではないのじゃ」
左手で軽く肩を揺すってやると、イレーネが細く目を開いた。寝起きのせいか、ぼーっとしている。
「ふに?」
「ふに、ではない。お迎えが来たのじゃ」
そう告げるとイレーネは目元をごしごし擦りながら体を起こした。こんなに昼寝をして、夜はちゃんと眠れるのか心配になってしまう。イレーネの母はイレーネを抱っこした後、しきりに礼を述べて去っていった。
他の母親たちも同様に、子どもの面倒を見てくれたことにお礼を言って子どもたちと一緒に帰っていく。
礼を言われるほどの何かをした覚えはないのだが、素直に受け取っておいたほうがいいのだろう。
竈では誰かが鍋を置いていたが、その鍋もいつの間にか無くなっていた。火も落とされているようで、少しずつ寒くなってくる。自分もそろそろ帰ろうかと思ったその時、村長のしわがれた声が聞こえた。
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