妖精巫女と海の国

もも野はち助

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45.譲れないもの

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「何、で……? どうして、急にそんな事言うの……?」

 ポロポロと無意識にアズリエールが涙を零しながら、自嘲気味な表情で問うとユリアエールの方も苦し気な表情を返してくる。

「急ではないの……。ここ二週間、オルクティス殿下と接する機会が多い中で少しずつ――」
「でも!! 初めてオルクに紹介した時、ユリーはそんな素振り一切なかったのに!!」

 責め立てるようにアズリエールが訴えると、ユリアエールの瞳にも涙が溜まり出す。
 それが罪悪感からなのか、アズリエールには分からない。
 だが、ユリアエールは涙が零れぬようにグッと堪え、アズリエールを真っ直ぐに見つめ返してきた。
 そして大きく息を吸う。

「それでも今は、好きになってしまったの!!」

 そう言い切った姉の言葉にアズリエールの心が揺さぶられる。
 自分には、ここまで強く言い切れる程の思いをオルクティスに抱いていただろうか……。
 アズリエールがオルクティスの隣にいたい理由は、穏やかな平穏を与えてくれる存在だからだ。
 一緒にいるだけで落ち着ける存在。
 それはアズリエールにとっては数少ない貴重な存在となるが、人によっては家族でも友人でも代用が利く存在でもある。
 だがそれは姉のように誰かを押しのけてまで手に入れたいと思える程、情熱的な感情ではない。
 思いの熱量が違い過ぎる……。
 それでも……アズリエールは、手放す事という選択肢はしたくなかった。

「嫌……」
「アズ……?」
「絶対に嫌っ!! 今回だけは、絶対にユリーには譲らない!!」

 感情的にそう言い切った妹にユリアエールが、大きく瞳を見開く。
 だがその表情は、すぐに悲しみでクシャリと歪み始めた。

「どう、して……? だって、アズは私が男性恐怖症になってしまって苦しんでいる事をずっと心配してくれていたじゃない!! ずっと……ずっと傍でその苦しんでいる様子を見ていたでしょ!? 私が……私が心から信用できる男性と出会える事が、どれだけ奇跡的な事か知っているはずなのに……」
「じゃあ、どうして私と縁談が持ち上がった相手ばかり、交流しようとしたの!? 苦しんでいたのなら、簡単に男性に話しかけたり出来ないはずでしょ!? なのに……ユリーは毎回私が縁談している時に一緒に面会して、私以上に相手の人と盛り上がっていたよね!? ユリーのそれは本当に男性恐怖症なの!?」

 すると、ユリアエールの瞳からもボロボロと涙がこぼれ始める。

「酷い……。なんでそんな酷い事言うの!? 私、本当に男性に触れられる事が怖いのに!! アズだって7年前に私がどんな怖い思いをしたか目の前で見ていたじゃない!! あんな事がなければ私だって、素敵な男性と素敵な恋がたくさん出来たかもしれないのに……。なのに……なのに何でその原因を作ったアズが、そんな酷い事言うの!?」

 姉が放った言葉が、アズリエールにグサリと突き刺さる。
 姉の方も思わず感情的になった所為で、自分が口にしてしまった事が失言であったと感じたのだろう。
 慌てて口元を両手で押さえていた。

「やっぱりユリーは……7年前の事件は、私の所為だって思っているんだよね?」

 震えながらアズリエールが問うと、涙を流しながら姉がフッと顔を逸らせた。
 その反応が、すでに答えになっている事に気付かずに……。

「もしかして……ずっと私の縁談をワザと邪魔していたの?」
「…………」
「リックとの婚約解消も……ノリスが私との婚約話を拒絶するように仕向けたのも……全部、ワザと?」

 感情をこそげ落としたような声で茫然としながらアズリエールが問い掛けると、ユリアエールは軽く唇と噛みながら更に俯いてしまう。その姉の反応にアズリエールの唇が小さく震えた。

「今言ったオルクの婚約者になりたいっていうのも……婚約を解消させたいから……?」

 真っ青な顔色で恐る恐る姉に確認するアズリエールをユリアエールが鋭く睨みつける。

「そうよ! 全部……全部ワザと邪魔したの!!」

 姉のその言い分にアズリエールの瞳から、再びボロボロと涙が零れる。

「何……で……?」
「何で!? そんなのアズが一番分かっているはずよ!? 私はあの事件の所為で、男の人から視線を向けられるだけで恐怖を感じてしまって、しばらく外に出られなくなったわ……。リック達と外で遊べるくらいまで回復しても、大勢の人が集まるお茶会に参加出来なくなった……。風巫女の家系の長女として早々に婚約し子を成さねばならない役割も7年前のトラウマの所為で、婚約どころかその相手を探すお茶会にすら恐怖心の所為で参加出来なかった……。それなのに――」

 一度そこで話を切ったユリアエールは、射貫くようにアズリエールの瞳を真っ直ぐ見据えた。

「アズだけ何の問題もなく縁談や婚約出来て……。一人だけ幸せになろうとするなんて……許せる訳ないじゃない!!」

 普段は控えめで大人しいユリアエールの声が、薔薇園に響き渡る。
 鋭い視線で妹を睨みつける姉と、その姉の視線に射殺されたように動けない妹。
 一瞬だけ、耳が痛くなる程の静寂が二人に伸し掛かる。
 先にその静寂を打ち破ったのは、姉のユリアエールだ。

「どうして一緒に恐ろしい思いをしたのにアズだけは平気なの……? どうして私だけ、あんな恐ろしい思いをしなければならなかったの? どうしてアズは……私が必死に止めたのに、あの若い貴族の誘いに乗ってしまったの!?」

 責める様な姉の言葉にアズリエールが涙を零したまま震えだす。

「あの時、アズがあの貴族の誘いに乗らなければあんな目には遭わなかった!! なのに何でその原因であるアズは、普通に男性と話せて、公の場にも出てれて、婚約までしているの!?」

 姉の悲痛な抗議をアズリエールは青い顔をしたまま、ただただ聞く事しか出来なかった。

「私は婚約どころか、しばらくの間、男性と一対一で会話する事すら出来ない状態だった……。なのにアズはすぐに立ち直って、挙句に隣国の第二王子の婚約者にまで選ばれて、しかもこのマリンパールで大勢の人に囲まれて楽しそうに過ごしているなんて……。こんな不公平な事ってないじゃない!!」

 覚悟はしていたつもりだったが……。
 実際に姉の口から放たれたその言葉はアズリエールの心に深く、鋭く突き刺さる。
 それでもアズリエールは、その言葉を受け止めなければならない……。
 7年間、姉がずっと抱え込んでいた闇をアズリエールは知らなければならない。
 ずっと逃げ回って耳を塞いでいた自分を戒める為に。

 その事に姉も気づいているのか……。
 今まで訴える事が出来なかった不満や思いを全力でぶつけてくる。

「どうして私に男性不審になる原因を作ったアズだけが、幸せになれそうな結婚をしようとしているの? 私はまだ前に進めないままなのに……。どうしてアズだけ、全力で守ってくれる男性ばかりに出会えるの? 私はその出会いの場にすら参加する事が出来なかったのに!!」

 この7年間、縛られていたのは自分だけではない。
 それは姉のユリアエールも同じだったのだ……。
 だが、姉があまりにも自分にベッタリだった為、アズリエールはその可能性をすっかり忘れてしまっていた。
 姉が自分を恨んでいるかもしれない可能性を……。
 その事を責め立てるように更にユリアエールは、ずっと燻っていた怒りをぶつけてくる。

「アズだけ幸せな結婚をするだなんて、絶対に許さない……」
「ユリー……私……」
「アズが、あの7年前の事件に物凄く責任を感じてくれている事は知っているわ……。その事で必死で私に気を使ってくれている事も。リックとの婚約解消だって、私の事を一番に考えてくれた決断だって。あの事件はアズの所為じゃないって、頭の中ではちゃんと分かっているの!! でも……それならばこの怒りは、誰にぶつければいいの? すでに罰せられたコーリングスターの貴族の人達? それともいつまで経ってもトラウマを克服できない自分自身? 誰かを恨まないと心が保てない程、私はあの7年前の事件に囚われたまま辛くてたまらないの!!」 

 ずっと抱えていた怒りを全て吐き出すような姉の悲痛な声にアズリエールは、自分とは比べ物にならない闇を姉が抱えていた事にやっと気付く。

「だからアズを大切にしてくれそうな雰囲気をまとっていたリックや、縁談相手の男性に割り込むように交流を図ったの……。そういう男性なら、双子の私の事もきっと大事にしてくれると思ったから……。その中でもオルクティス殿下は、特別だった……」

 姉が下したオルクティスの評価にアズリエールが、大きく瞳を見開いた。
 するとすっかり渇いてしまった涙の所為か、アズリエールの頬が少しだけ突っ張る。

「だからね? アズからオルクティス殿下の婚約者という立場を譲って貰いたかったの。だってアズもオルクティス殿下となら、幸せになれそうだと感じていたでしょ? アズがそう思える男性なら、きっと私の事も幸せにしてくるはずだもの……」

 そう言って幸福そうな笑みを浮かべた姉は、どこか歪んだ人間に見えてしまう。
 だが、それは姉本人が一番感じているはずだ……。
 そういう歪みを抱えなければ、姉は抱えてしまった怒りと向き合えなかったのだろう……。
 だからなのか……今、目の前で微笑んでいる姉は恐ろしい程、美しく満たされた表情を浮かべている。

「だからお願い。私にアズのお気に入りのオルクティス殿下を譲って? もしそうしてくれたら、私はきっと7年前の事件を許せるし、私自身も前にも進めると思うの」

 その姉の願いを拒絶するようにアズリエールは、茫然としたまま再び首を静かに振り続ける。

「お願いだから……。私を救う為にあなたのお気に入りの王子様を私に譲って?」

 背筋が凍る程の美しい笑みを浮かべた姉をアズリエールは、しばらく茫然としたまま見つめ返していた。
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