年上の夫と私

もも野はち助

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22.第一子の誕生

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 薄らぐ意識の中で、耳に入って来た言葉にブローディアが安堵する。

「おめでとうございます!! とても元気で愛らしい女の子ですよ!!」

 この一年近く、体調管理や色々な相談にのってくれていた助産婦が、額に汗を光らせながら、両腕で抱えているしわくちゃな生き物をブローディアに見せてきた。
 すぐ近くには、ブローディアの額の汗を涙ぐみながらハンカチで拭ってくれているミランダと、乳母候補であったメイド二名が笑顔を浮かべてこちらを窺っている様子も確認出来た。

 どうやら無事に出産を終える事が出来たと実感したブローディアは、ほわほわと泣いているしわくちゃな生き物を愛おしげに助産婦から受け取る。

「良かった……。女の子で……」

 跡継ぎを産まなければならない伯爵夫人である女性の第一子出産後の言葉としては、微妙な一言ではあるが……。このホースミント家では母となったブローディアも含め、邸内の全使用人達より切実に望まれて誕生した女児である。

 その背景には、ホースミント家現当主で生まれたばかりの赤ん坊の父親でもあるノティス・ホースミントが、妻の妊娠初期から女児用の新生児用品しか用意しない徹底ぶりを見せる程、女の子を熱望していた経緯がある。
 そんな「絶対にお腹の中の子は女の子だ!」と言い張り続けていた主の為に使用人達の中には願掛けで毎日礼拝堂に行き、女の子が生まれるように祈り続けていた者も出るほどだった。

 その為、出産直後で疲労困憊なブローディアが口にした第一声がこれである。
 通常の貴族女性であれば、第一子は男の子を産まなければならないという重圧を感じ、出産に臨む女性が多い。
 しかしブローディアの場合は、その逆だった……。

 この一カ月間、大きく膨らんだ腹を抱えながらブローディアは毎晩眠りにつく前、空に向かって「どうか、女の子を!」と、何度神頼みをしたか分からない。
 そんな妊娠期間中だったからか――――。

 早くこの事を夫に知らせてあげたい……。

 自分の体から出て来た小さくてほわほわと泣いているその愛おしい生き物を抱きながら、ブローディアが切実にそう思っていると、いきなり物凄い音で室内の扉が開かれる。

「ディア!!」

 同時に今にも倒れてしまいそうな程の真っ青な顔色をした夫のノティスが、勢いよく部屋に乱入し、物凄い早さでブローディアの元に駆け寄ってきた。

「若旦那様!! お静かになさってくださいませ!!」

 あまりにも乱暴に部屋に入ってきた為、ミランダが夫を叱責していたが、どうやら夫の耳には、その声は届かなかったらしい。
 入室後、物凄い勢いで寝台の傍らに跪いて、労うように汗で額に張り付いてしまったブローディアの美しい金髪をノティスが優しく払う。

「ああ……ディア!! 無事で本当に良かった……」

 生まれてきた子供よりも、まず妻である自分の無事を確認する夫にブローディアが若干呆れ、苦笑する。
 だがそんなノティスも、今ブローディアが抱きかかえているしわくちゃな生き物の存在が視界に入った途端、凝視したまま固まった。

「見てくださいませ。ノティス様待望の女の子ですよ……?」

 ブローディアが両腕でぎこちなく抱きかかえているその生き物を凝視していたノティスが、ゆっくりと手を伸ばす。すると、その小さすぎる手が、ノティスの人差し指を掴んでいるか分からない程の弱々しい力で握りしめてきた。
 その光景を茫然と見ている夫にブローディアが話しかける。

「こんなに小さいのに……。この子はもうお父様の手を握れるようですよ?」

 次の瞬間、茫然とした表情の夫の瞳からポロリと一滴、涙が零れた。
 その夫の様子にブローディアが、大きく目を見開く。

「ノティス様……あの……」

 成人した男性が泣くのを初めて見たブローディアが、一瞬声を掛けた方がいいのか迷い、言い淀む。すると、ノティス自身も自分が涙している事に気が付いたらしい。驚いた様子で、そっと自分の頬に手を当てた。

「ふっ……はっ……。す、すまない……。実際にこの子を目にするまで、父親になれるという実感がそこまで湧かなかったから……。まさか本当に自分が子供を持てる日がくるなんて……」

 夫のその言葉を聞いた途端、ブローディアの方もジワリと瞳に涙を溜め出す。
 恐らくノティスは、14歳の頃に受けたトラウマの所為で自分は一生、女性を抱く事など出来ないと思ってしまった時期があるのだろう。
 だからこの先、自分は子供を持つ事は出来ないと……。

 だが実際はブローディアと結ばれ、その間に子供を儲ける事が出来た。
 ノティスが初夜の際、歯止めが利かなくなる程、ブローディアを求め過ぎてしまったのは、恐らく性欲的な暴走ではなく、過去のトラウマから解放されたという意味合いが大きかったのだろう。

 あの話を聞かされる前まで、自分を頻繁に求めてくる夫は早く跡取りが欲しいのだろうと思っていたブローディアだが、行為中の夫からは義務的にブローディアを抱いているという感覚を抱いた事は一度もなかった。
 むしろ、どこか必死な様子でブローディアに縋るような……そんな求め方をされる事の方が多かったのだ。

 恐らくノティス本人は、そんな状態に自身がなっていた事には気付いていないだろう。その為、毎回、本能のままブローディアを求めすぎてしまったと思っているが、求められたブローディアを方は、そんな風に感じた事は一度もない。ノティスから毎回求めていた部分は、ブローディアのぬくもりだ。
 それを肌で感じてしまったブローディアは、必死で自分に安らぎを求めてくる夫を毎回拒む事など出来なかったのだ。

 だが、今回子供が生まれた事で、ノティスのその不安定な部分も少し落ち着いてくるはずだ。ノティス自身もそれを感じているからこそ、娘の誕生に思わず涙してしまったのだろう。
 これからはブローディアだけでなく、娘からもノティスは安らぎを得られるようになるのだから……。

「ノティス様も抱かれますか?」

 瞳に涙を溜めたままブローディアが問いかけると、一瞬だけ夫がビクリと肩を震わせた。

「私が抱いても……いいのだろうか……」

 自身なさげに返答をしながら、ノティスがチラリと助産婦とミランダの方に視線で問う。すると、助産婦が満面の笑みで「是非!」と返答した後、ぎこちない様子でブローディアに抱かれていた子供を優しく受け取り、同じくぎこちない様子で受け取ろうとしているノティスの腕に抱き方を教えながら、ゆっくりと手を離した。
 その瞬間、ノティスが瞳に涙を浮かべたまま破顔する。

「ふはっ、本当に軽くて小さいな……。壊しそうで抱いているのが怖くなる。だが……」

 そう言ってノティスが、しわくちゃなで小さすぎる額に自身の額を控え目に押し当て、ゆっくりと目を閉じた。

「愛おし過ぎて、手放したくなくなるな……」

 そしてその温もりを堪能していたノティスだが、やはりずっと抱いている事は、本当に壊しそうで怖かったのだろう。
 名残惜しそうにしつつも、すぐに助産婦に娘を託す。

「そのように怯えなくても、そんなに簡単には壊れませんよ?」
「いや、やはり首が座るまでは怖い……」

 おっかなびっくり抱きかかえていた事を助産婦に見抜かれ、やや照れ臭そうな反応をしていたノティスだが、今度は寝台で横たわっているブローディアの方に顔を近づける。

「ディアも本当にお疲れ様……。こんなに汗だくになって、さぞ大変だっただろう?」
「ええ……。もう自分の体が自分の物ではなくなってしまうのではないかというくらい大変でしたわ」
「その割にはとても嬉しそうだけれど」
「だって、本当に女の子が生まれてくれたから……」

 その妻の言葉にノティスが吹き出す。

「喜ぶところは、そこなのかい?」
「あれだけノティス様に女の子用の物ばかりを準備されてしまったら、絶対に女の子を産まないといけないと思ってしまうではありませんか……」
「そんな事を気にしていたのか……。そもそも生まれて来る子は絶対に女の子だって、私は言っていたじゃないか。だから君は安心して出産してくれるだけでよかったのに」
「確かに生まれたのは女の子でしたけれど……。その絶対的確信は何を根拠に言い切れるのですか?」
「そうだな……。何となく?」
「またいい加減な事を……。ならば次は男の子を切望してくださいませ」
「そうだね。跡取りがいないから、もう一人作らないとね!」
「何故、嬉しそうなのですか……?」
「嬉しいに決まっているだろ? 今日人生で初めて父親になれたのだから」
「いいえ。今の嬉しさは別な部分で感じられていましたよね?」
「ディアは出産した直後なのに本当に元気があるね。でも本当は物凄く体力を消耗しているのだから、早く休まないと」
「話をはぐらかさないでくださいな!」

 親となっても相変わらずの会話展開を繰り広げている二人に助産婦とミランダが苦笑する。

「確かに今回は若旦那様のおっしゃるとおりですね。奥様、ご自覚されている以上にお体はお疲れのはずですよ? とりあえず一度お休みになられた方がよろしいかと」
「そうね……。確かにノティス様に女の子だと報告したら、安心して物凄く眠くなって来たわ……」
「そんなにプレッシャーになっていたのか……」
「あれだけ女の子要望を主張されたら、プレッシャーを感じずにはいられませんよ?」
「すまなかった……」

 やっと出産前までの暴走行為を反省したのか、ボソリとノティスが謝罪の言葉をこぼす。だが、この後も恐らくドレスやぬいぐるみやらを大量購入しそうな勢いは相変わらずだ。

「そういえば……この子の名前なのですが……」
「実はもう決めてあるんだ。『プリレア』にしようかと」
「プリレア……」
「実は私の両親が、私が女の子だったら名づけようとしていた名前なんだ」
「まぁ。それは生前ご両親から伺っていたのですか?」
「いや。死後に父の日記が出て来てそれで知った」
「お義父様は絵だけでなく、筆まめな方だったのですね……」
「そうだな……。お陰で生前どういう事をしたかったのかが、少し分かるからとても助かっている」

 そう言ってノティスが、優しくブローディアの頭を撫でる。

「ディア、勝手に決めてしまって申し訳ないのだけれど……。あの子の名前は『プリレア』でいいかな……?」
「そういう経緯があるのであれば、大賛成です。お義父様方はノティス様がお生まれになる際は、女の子が生まれるかもしれないと、そちらでも良い名前を考えてくださっていたのですね……」
「そうだな」
「ですが、その息子のノティス様は、ちっとも男の子が生まれる可能性を考えてくださりませんでしたけれど」
「女の子が生まれてくると確信していたから必要ないと思って」
「全く……二人目の時は、どちらの可能性もある事を考慮してくださいね?」
「一応は検討しておく……」



 こうして無事に第一子を出産したブローディアだが……。
 この後もノティスの親バカぶりが大暴走し、なかなかの苦労を強いられる事になる。

 しかし、それ以上にブローディアを悩ませる事態が訪れる。
 伯爵家にとって重要である跡継ぎ問題だ……。
 結婚前にノティスは、自分は年上な為、早目に後継ぎを作りたいと言っていた。
 だが、最初に生まれたのは夫が熱望していたとは言え、女の子だった。
 それでも二人目が男の子であれば、そこまで問題はない。

 そしてプリレア出産の半年後、ブローディアはまたすぐに妊娠する。
 しかし……何故か周りからは「お母様のお顔が穏やかなので女の子かしら」と言われる事が多く、そして肝心の夫までも「二人目も女の子だと思うよ?」と、またしても言い出したのだ……。

 歴史ある格式の高いホースミント伯爵家にとって、跡継ぎである男児は必須。
 ノティスの叔父でイレーヌの夫でもあるサイドラー伯爵家には、現在男の子は一人だけなので、養子として貰う訳にもいかない状態だ……。
 何よりもブローディア自身が、この家はノティスと自分の間に出来た子に継がせたいという思いが強い。

 しかし今回もまた女の子が生まれる可能性が非常に高いのだ……。
 現状、最初に生まれた娘プリレアは、ブローディア譲りの金髪にノティス譲りの淡い水色の瞳を持つ天使のような愛らしさを日々発揮しながら元気に育っている為、もし二人目も女の子が生まれた場合、ブローディア達を悶え殺してくる勢いの愛らしい姉妹との素敵な生活が訪れるだろう。
 しかし、実際問題まずは跡継ぎを産まなければ、この悶え殺しに掛かって来る娘達との素敵な生活も将来的な部分を考えた場合、影がさしてくる……。

 最近、その事でモヤモヤした気持ちを抱く事が多いブローディアだが、邸内の使用人やサイドラー家の面々は、第一子プリレアの愛らしさにやられ、二人目も女の子をと熱望している状況なので相談しようにも出来ない状態だ……。

 それならば友人セレティーナに相談しようとしても、現状セレティーナは婚約者である王太子ユリオプスとの間に何か問題があったようで、手紙のやり取りは彼女の妹のエミリーナを通して可能だが、面会はおろか、居場所等の情報は一切教える事が出来ない状況だと言われ、会う事が出来ないのだ……。

 だからと言ってマデリーン達に相談しようとも、彼女達も現在結婚して王都から離れた夫となった男性の領地で暮らしている為、気軽に会う事は出来ない状況である。

 そんな悩みを抱えたブローディアの現在の唯一の癒しは、健やかな成長を見せる現在1歳半となったプリレアだけだ……。
 だがプリレアを愛でれば愛でる程、将来的な跡継ぎ問題の事を考えてしまう。

 そんな悩みを抱え、悶々としていたブローディアだが……。
 この後、まさか夫の書斎で衝撃的な物を発見するとは、夢にも思わなかった。
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