小さな殿下と私

ハチ助

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小さな殿下と私の馴れ初め

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 宰相の娘であるセレティーナには、とても愛らしい婚約者がいる。
 今年6歳になったばかりのルミナエスの王太子ユリオプスだ。

 ユリオプスは、透ける様な金髪にエメラルドの様な鮮やかで濃い緑の瞳を持ち、誕生した頃から天使の様な容姿をしていた。性格も穏やかで人懐っこく、ほわんとしたその愛らしい雰囲気は誰からも愛されるような存在だった。

 そして婚約者であるセレティーナにもその眩いばかりの癒し効果抜群の天使の微笑みをたくさん向けてくれる。そんなユリオプスをセレティーナは、愛してやまなかった。
 ただし……母性的な意味で。

 セレティーナは、今年で12歳になる。
 すなわち婚約者であるユリオプスよりも6歳も年上なのだ。
 婚約者になった時期は、昨年のこの国の国王夫妻がかなり緊迫した状況になってしまった時に急遽決まった。

 今から一年前、ユリオプスの両親であるルミナエス国王クリオプスとその妻ユーフォルビアが謎の奇病に掛かり、生死の境を一カ月も彷徨った。そんな状況下で瀕死の国王は万が一に備え、家臣で親友でもある宰相フェンネルに一人残されるかもしれない息子ユリオプスの後ろ盾になって欲しいと懇願した。

 瀕死な友の願いを叶えようとフェンネルは周りを納得させるもっとも有効的な手段として、自身の4人の娘の一人と王太子ユリオプスの婚約を考えた。
 しかし長女に関しては、もうすでに婿入り相手が決まっていたので除外となる。
 残りは次女から下の娘達なのだが、全員ユリオプスより年上だった。
 その為、一番年の近い末娘をと思ったが……この二人は非常に仲が悪かったのだ。
 その主な原因となっていたのが、二人による次女セレティーナの争奪戦だ。

 セレティーナは、幼い子供の面倒を見るのが非常に上手かった。
 そして父フェンネルにとっても四姉妹の中では、特に優秀で自慢の娘だった。
 その為、フェンネルは頻繁にセレティーナを王城に連れ立ち、よく自身の仕事を手伝わせていた。
 その合間に器用なセレティーナは、王太子の子守りまでも担ってくれた。
 3歳の頃からセレティーナに遊び相手になって貰っていたユリオプスは、セレティーナにベッタリとなり、それは今現在にも至る。

 しかしそれは実の妹でもある末娘も同じ事……。
 大好きな姉を王太子に取られると危機感を抱いた末娘は、すぐさま王太子とセレティーナ争奪戦を始めてしまった。それはもう顔を合わせればセレティーナを引っ張り合う程の犬猿の仲と言ってもいい程、壮絶な争奪戦を繰り広げるのだ……。
 仕方がないので婚約者には三女をと思ったフェンネルだが、この三女は引きこもりがちで王太子との面識が一切ない。

 どの娘と婚約させるかで迷った宰相フェンネルは、ユリオプス本人の希望も聞く事にしたのだが……その問いにユリオプスは間髪入れずにセレティーナを指名して来たのだ。
 6歳も年上で、しかも自分の一番のお気に入りの娘を指名されるとは思っていなかったフェンネルは焦り、ユリオプスの説得にかかる。しかしそのフェンネルの態度にユリオプスは、大きなエメラルドの様な美しい瞳に溢れんばかりの涙を溜め出す。

「セレを選んではいけないの……?」

 そう哀願する様にボロボロと涙を零し、イヤイヤと首を振るユリオプス。
 わずか6歳で生死の境を彷徨っている両親の行く末を固唾を呑むように見守りながら必死で回復を信じ、それでも振り払えない不安を和らげてくれるセレティーナを求めるユリオプスの姿は、健気な幼子以外の何者でもなかった……。そんな姿に同情心を募らせたフェンネルは、王太子の希望通り次女セレティーナを婚約させる事にした。

 しかし、ここで奇跡が起こる。
 奇病で瀕死だった国王夫妻が見事に回復を遂げたのだ。
 そもそもこの国王夫妻の奇病は、過激王弟派が盛った毒によるものだった。
 それをその渦中の王弟セルノプス自らが主犯格を捕らえ、解毒剤を入手した。

 世間的には現国王と王弟は不仲という目で見られているが……実際は違う。
 この二人は、実は非常に仲の良い兄弟なのだ。
 ただ反国王派をあぶりだす為にあえて不仲な振りを世間に見せていた。
 その事は、同じく二人と旧知の中である宰相フェンネルは、よく知っている。
 しかし今回の事は、それがかなり裏目に出てしまった出来事だった……。
 以降、この王家兄弟は仲が良い事を公にする様になり、ルミナエスでは派閥争いはキレイさっぱり無くなる。

 だが万が一の備えとして保険で交わされた王太子ユリオプスと次女セレティーナの婚約は、そのまま残る事となった。年の差があるので事の収拾がついた後、フェンネルが娘の婚約を解消しようとしたのだが、それをユリオプスは頑なに拒んだ。幼く純粋さの塊の様な彼にとって、セレティーナはこの世で一番大好きな存在だった。だからユリオプスは、セレティーナが婚約者である限り、彼女を独り占め出来るという事に気付いてしまったようだ。

 しかし周りの大人達は、年の差を理由に婚約解消をと説得する。
 その度にユリオプスは瞳に涙をたっぷり溜めて、それらの説得を拒み続けた。
 その天使の様な王太子の悲痛な訴えを誰も拒む事など出来なかった……。

 そんな経緯で、セレティーナは父フェンネルの手伝いをしながら、王妃教育までも受ける事になる。後々解消に至る可能性の高い婚約だが、王妃教育を受けておく事は先の事を考えると悪い話ではない。すなわちそれは、どこに出しても恥ずかしくない完璧な淑女としての教育を率先して受けられるという事だ。

 しかもセレティーナは、元から優秀な素質があったので、それらの王妃教育の内容を脱脂綿の様にどんどんと吸収していった。そして僅か12歳で誰もが納得する程の見事な淑女の振る舞いを身に付けてしまう。

 そんな素晴らしい淑女の階段を上り始めたセレティーナだが……公の場に出る際は、いつも婚約者でもあるユリオプスと一緒だった。12歳のセレティーナが6歳のユリオプスと並んで歩く姿は、どう見ても仲の良い姉弟にしか見えない。
 大人達はそんな二人を微笑ましい目で見ていたが……セレティーナの同世代の令嬢達は、婚約者がまだ幼いセレティーナの事を哀れに思い、同時に将来的には婚約を解消される身だと陰で嘲笑っていた。

 そしてユリオプスと同世代の令嬢達は、子供故の強い独占欲から婚約者であるセレティーナに深い嫉妬心をぶつけてくる。しかしセレティーナは、それらをやんわりと優雅に受け流した。その様な嫉妬や見下すような視線で受ける苦痛を全て無効にしてしまう程、婚約者であるユリオプスの存在は、セレティーナにとって絶大な癒しだった。
 そんなセレティーナのもとに毎日の様にユリオプスはやって来る。
 姿が見えない時は、城内中をセレティーナの名を呼びながら探し回って……。

「セレ~! どこぉ~?」

 呼び声と共に段々と自分のいる部屋に近づいてくるユリオプスの愛らしい行動に思わず笑みをこぼすセレティーナ。そのまま部屋の入り口に向かい扉を開けて、廊下を覗き込む。

「殿下、ここにおります」

 するとセレティーナの姿を確認した四部屋程先にいたユリオプスの表情が、ぱぁ~っと輝き出す。

「セレ、いた! あれ? もしかしてフェンネルのお手伝い?」
「はい。ですが、あと少しで終わります。それよりも殿下、わたくしに何か御用でしょうか?」
「あのね、今日母上がとっても美味しいお菓子をご友人から頂いたんだって! だからセレも呼んで一緒に食べましょうって。だから僕、呼びに来たの!」
「まぁ! わざわざお声掛けに来て頂き、ありがとうございます」
「セレ、甘いの大好きでしょ? 母上もセレの事を待ってるし早く行こう?」
「ですが……まだ父の手伝いが少々……」

 そう言ってセレティーナは、父の執務室にチラリと目を向ける。

「後は私がやっておく。折角の殿下のお誘いなのだから行ってきなさい。それに王妃様をお待たせしてはダメだよ?」
「お父様……。ではお言葉に甘え、後はお願いいたします」

 苦笑気味の父にそう促され、セレティーナも同じような笑みを浮かべた。

「セレ! 早く、早く!」
「殿下、そのように強く引っ張られては、腕が抜けてしまいますわ……」

 興奮気味のユリオプスを宥める様にセレティーナが苦笑しながら落ち着かせる。
 すると、ユリオプスがぱっと手を放した。

「ご、ごめんね? 腕、痛かった……?」

 申し訳なさそうな表情をしながら、上目遣いで見上げてくるユリオプスのその愛らしさに思わずセレティーナの胸がきゅんと締め付けられる。

「いいえ。痛くはございません。ですが、あまりにも強く引っ張られては、わたくしだけでなく殿下の腕も抜けてしまわれます。ですので、こうやって優しく手を繋ぎながら王妃様の許へ向かいましょうね?」

 ふわりと微笑みながら言い聞かせる様に告げると、ユリオプスが頬を紅潮させて今日一番の天使の微笑みを向けてくる。

「うん!」

 気持ちが良いくらいの真っ直ぐな返事をしながら、その小さな手でしっかりとセレティーナの手を握り締め、何度も何度も自分を見上げてくる幼い婚約者の姿は、セレティーナにとってはまさに癒し天使だ。こうしてユリオプスと小さな手を繋ぎながら歩く事は、セレティーナにとっては至福のひと時となる。

そのあまりにも尊い状況に思わず顔の締まりがなくなるのを必死で堪えたセレティーナは、気を引き締めながら穏やかな笑みを貼り付け、ユリオプスと共に王妃ユーフォルビアの許へと向かう。
 例え将来的に婚約解消の未来があるとしてもセレティーナにとっては、今この瞬間を満喫する事が、何よりも幸せな時間なのだ。

 いずれユリオプスが成長すれば、年相応の令嬢と恋に落ちるだろう。
 その時が来るまでは、自分は全力でこの愛らしい婚約者を見守っていたいという思いが、セレティーナには常にある。そしてそういう女性がユリオプスの前に現れた際は、全力で応援してあげたい。
 ユリオプスの幸福は、セレティーナにとって自分の事の様に喜ばしい事なのだ。

 だが、それまではこの愛らし過ぎて尊い存在を独り占めしたい気持ちが強い。
 いつか訪れる全身全霊で自分に好意を向けてくるこの愛らしい婚約者の巣立ちを思い描きながら、今日もセレティーナはその至福の時間を満喫していた。
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