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第16章 日の差さぬ場所で
1.天使たる理由
しおりを挟む「くっ…う…ここは?」
いつの間にか閉じていた瞼を開いても、目の前に広がるのは光も音もない、ただ真っ暗な闇。
自分の身に何が起こったのかと記憶を辿れば、地響きの音の後に起きた落盤に巻き込まれ、落ちた時の衝撃で自分は気を失った様だ。
「っぅ!!!」
全身の痛みを覚えながらも身を起こそうと身体に力を入れた時、左の太ももに息を詰まらせるような激痛が走った。
呪文を唱えて光を生み出してみると、光が届かない真っ暗な空のあちこちから砂が細い滝のように落ちてきている。その砂が集まって山になった所に仰向けで横になっていた。
身体はそのままに顔を横に向けてみれば、真横には黒や灰色の大小の岩が押し重なっている。顔を下に動かしてみれば、シェニカ様を自分の胸に顔を押し当てるように抱きしめていた。
光を移動させて激痛の走った場所を見てみれば、彼女の右手と自分の左の太ももを串刺しにする様に、鋭く尖った短剣のような岩の破片が刺さっている。
自分の太ももに押し当たっている手からは、軍服越しに微かな温もりが伝わってくるし、身体は小さく上下しているからシェニカ様はちゃんと生きているようだ。
「シェニカ様」
声をかけてみても返事がない。シェニカ様が気絶しているうちにこの岩を抜いた方が、彼女にとって痛みは少なくて済むはずだ。
「…っぅ。っく…」
足に力を入れれば筋肉が締まって余計に痛みが走る。短く息を吐きながら緊張を逃しつつ、抜く時に余計な怪我をしないで良いように慎重に引き抜き、岩をクリーム色の砂地の山の下に投げて捨てた。
「…っ、はぁ。後でシェニカ様に治療をお願いしましょう」
シェニカ様を抱き締めたまま身体を起こし、光を高く掲げて周囲を確認してみれば、そこは湿っぽい澱んだ空気が満ちた乳白色の鍾乳洞だった。
自分達がいる砂山の真横には大量の土砂とゴツゴツした無数の岩が山積し、顔を上げて落ちてきた穴を見てみれば、蓋をするように折り重なった黒色の大きな岩がある。
その岩の隙間からは、クリーム色の砂が砂時計のようにサラサラと微かな音を立てて落ちてきている。穴は塞がれているが、岩の間に入った砂が落ちることでバランスを崩して落下してくる危険がある。
とりあえず落盤が起きても大丈夫な場所に、シェニカ様を避難させなければ。
シェニカ様を担ぐために身体を動かしていると、彼女の身に付けていたローブの裾が岩場に挟まれていることに気付いた。
岩は巨大で幾重にも重なっているから、岩を動かして挟まっている部分を取るのは難しそうだ。
「シェニカ様、失礼します」
意識のないシェニカ様にそう声をかけてから、首元にある留め金を外してローブを脱がせ、自分もあちこち破れたローブを脱いで片手で握りしめた。
足に力を入れれば痛むが、それに耐えてシェニカ様を肩に担ぎ、離れた所に見える平坦な場所に向かって足を引きずりながら移動した。
彼女の右手からポタポタと滴る血が、ゴツゴツした地面に積もったクリーム色の砂に赤い点々を作っていく。治療魔法をかけて傷を塞いであげたいが、残念ながら自分の治療魔法ではどうにも出来ない。
シェニカ様を落とさないように片手で抑えながら自分のローブを地面に敷いて、そこにシェニカ様を寝かせた。そしてローブの汚れの少ない場所を裂いて彼女の右手に巻きつけ、ギュッと締めて止血しておいた。
「落下となると流石に無傷ではいられませんね…」
改めて自分の状況を確認すると、岩が刺さっていた左足だけでなく、全身が痛くて思わず顔が苦痛に歪む。
でも運が良かったのか、甲冑を着ていないのに内臓には大したダメージはなく、全身の打撲と左足の怪我だけで済んだらしい。
大量の岩の上に落下してしまっていたら、上から落ちてくる砂や土の塊に押し潰されているか、全身を強打して自分もシェニカ様も即死。運が良くてもシェニカ様1人しか生き残れなかっただろう。
落ちてきた場所には戻れそうにないが、この先に続く洞穴はあるようだ。彼女が目覚めたら、ここから離れて出口を探した方が良いだろう。
軍服の上着の裾を捲り、自分の腰につけた銀の小さなポーチを開いてそっと手を入れ、中に居た茶色のフサフサの毛玉を外に出した。
体温はあるが、短く不規則な呼吸をしているし、丸まったままグッタリして動かない。
「ユーリも気絶していますね。打撲くらいで大きな怪我はなさそうですが、シェニカ様が目覚めたら手当てして貰えるように頼みますからね」
ポーチの中に相棒のユーリを戻し、シェニカ様の横に膝をついた。
「シェニカ様、怪我の有無を調べるためです。失礼します」
返事が返ってくることはなかったが、そう声をかけてから怪我の有無を旅装束の上から確認した。
「手の怪我以外はなさそうですね…。ん?これは?」
そっとうつ伏せにして背中にあった鞄を下ろし、肩にかかる髪をどけて首の後ろを見た時。そこには明らかに意図的に付けたとしか思えない歯形の傷痕が、うっすらと残っていた。
「消えかかっているということは、昨日今日ではないですね。歯形ということは…『赤い悪魔』の仕業でしょうか。あの男は何を考えてシェニカ様に乱暴を…」
状況から見て、彼女に1番近い者の仕業だろうと簡単に予想出来る。
守るべき彼女に大事に触れなかった証拠の様なこの傷跡を見て、あの赤い髪の男に腹が立った。
傷跡をそっと撫で、自分で使える治療魔法をかけておいた。白魔法に適性がほとんどなくても、消えかけのこの傷跡なら消せるだろう。
綺麗になったうなじにそっと指を這わせ、気を失ったままの彼女を仰向けの姿勢に変えた。
「閉じ込められてしまいましたが、進める場所を探さなければ。まさか首都の真下に鍾乳洞があるなんて。
でも、王宮に居ないということは、ここにトラントの国王や将軍らがいるのでしょうね…。気を付けなければ」
立ち上がって足を引きずり、自分の身にふりかかったことを思い出しながら周囲の状況を確認し始めた。
◆
「ディスコーニ様!」
エルドナとの関所近くの街。その街にある軍の建物の中で書類を書いていた自分の元に、部下のラダメールが慌てた様子で入ってきた。
「どうしました?」
「ラーナにほど近い国境線あたりに、トラントの軍勢が大挙して押し寄せてきたそうです。関所にいた副官達が、かき集めた兵と雇った傭兵で対処してなんとかなったそうですが、緊張状態が続いているそうです」
「分かりました。私が行きますので、貴方はバルジアラ様に至急増援を送るようフィラを飛ばして下さい」
兵士と傭兵の大軍を率いて国境線まで行けば、数日前に破壊された柵の向こうにトラントの大軍が待ち構えていた。
前線には奇声を上げる傭兵達、その後ろには甲冑を身につけられない下級、中級兵士、その奥には甲冑に身を包み騎馬に跨る上級兵士。そして一番奥には、騎馬に跨ったバルジアラ様と同じくらい目立つ巨体が見える。
あれがアステラに間違いないのだが、他の将軍の姿が見えない。戦場に筆頭将軍1人で来ることはもちろんあるが、大国相手の戦争ならば多数の将軍達を引き連れていてもおかしくないはず。余程自信があるのだろうか。それともこの大軍は陽動なのだろうか。
そもそも、それなりに友好関係を築いてきたのに、前触れもなくなぜウィニストラ相手に戦争をしかけるのか。サザベルとの方が国境線で小競り合いを起こしているし、王族同士もあまり仲良くなかったはずなのに。
そんなことを考えていると、どこからか聞こえてきた号令に応えたトラントの傭兵が、狂った目をして敵味方関係なく攻撃の魔法を放ってきた。
彼らがウィニストラ領に足を踏み入れたのを確認したこちら側の傭兵達が迎えうって開戦すると、膠着状態が続いていた平原はあっという間に激しい戦場へと変わった。
草が燃える火や空高く立ち上る炎、強風に巻き上がる砂煙の中、馬で駆けながら5人の副官を連れてアステラを探していると、こちらに向かってくる独特の気配を感じた。馬から下りて剣を抜くとほぼ同時に、砂煙の向こうから馬を乗り捨てたアステラが副官達を連れてこちらに襲いかかってきた。
「ディスコーニ!お前のその顔を苦痛に歪めさせてやるよ!」
アステラが殺気を放ちながらそう言った直後、互いに魔法を放てば、ぶつかり合った場所から発生した風と衝撃波が襲ってくる。顔に細かい傷を負いながらも、身体を吹き飛ばすような激しい衝撃波に耐えた。
そして収まりかけた風の向こうからアステラが駆け抜けてきて、巨体をしならせながら剣を振りかざし襲ってきた。アステラから振り下ろされる剣を自分のそれで受け止めて、力押しの鍔迫り合いになった時。
「お前は今でさえ邪魔なのに、これから先もっと邪魔で面倒な存在になるだろうな」
「お褒めに預かり光栄です」
バルジアラ様並の巨体を持つアステラの一撃はかなり重い。体格差があるので気を抜けばすぐに後ろへと押されてしまうが、上手く受け流しながら軽口で返事を返しておいた。
「だが、それもここまでだ。やっと邪魔な芽を摘む機会に恵まれたが、ただ殺すだけだと面白くない。お前には世界が変わる素晴らしい物の見せしめになって貰おうか」
「世界が変わる素晴らしい物?」
アステラが後ろに大きく跳んで間合いを取ると、水を無数の針に変化させる魔法を放ってきた。
どの黒魔法も、自分の周りに魔法を発動前の状態で身に纏わせれば一時的な防御効果がある。炎の防御魔法を身に纏って飛んでくる透明な針を相殺させた直後、陽の光をキラリと反射するものが視界に入った。
自分の顔面をめがけて飛んできた赤黒い針を剣で払い落としたが、一本だけ落とせなかった針があったので顔を反らして避けた。
その針が左頬を掠める瞬間、生臭い強烈な匂いがした。
「……っ!」
かすった時の傷の痛みは大したことがなかったが、その匂いに顔をしかめた時。頬から首、左の肩までの感覚がジリジリとなくなって痛みが走り出し、全身から次第に力が抜けて行く。
まるで膨らんでいた風船が、僅かな穴から空気が抜けてどんどん萎んでいくような、そんな抗えない脱力感だった。
「本当にこれは素晴らしい。惚れ惚れする効果だ」
何が起こったのかと驚き、剣を地面に刺してふらつく身体を支えながらアステラを見れば、黒く短い前髪を掻き上げ、手に持った空の小瓶と自分の様子を面白そうに見ているだけ。討ち取るなら絶好のチャンスなのに、何もしようとしてこない。
「こ、れは…?」
しばらくすると全身を襲う異様な気怠さと痛みで剣を握る手にも力が入らなくなり、力なく地面に膝と手をついた。
ーーなぜ?かすっただけなのに、どうして?それに、なぜ魔力が勝手に消費されているのだろうか。
必死に顔を上げれば、自分の無様な姿を嬉しそうな顔で見ていたアステラは、こちらに向かってゆっくりと歩いてきた。
「これさえあれば何でも思う通りだ。憎たらしい将軍も簡単に倒せる。1番下でこれだ。1番上の物は必ず手に入れなければ」
「ぐっ…ぅ…」
アステラに肩を蹴り上げられて地面に倒されると、自分の胸に重い片足を乗せグッと踏みつけてくる。甲冑が身体を守っているとはいえ、また別の痛みが襲ってきて息が苦しくて呻き声しか出ない。
「良い様だなぁ。お前のその涼しい顔が苦痛に歪むのを見れたのには随分と満足がいったから、今日のところはこれ以上何もせずに引いてやろう。お前はその無様な姿をウィニストラの国王や将軍共にしっかりと見せ、我が国に従わなければこうなるのだと、お前が身をもって奴らに教えてやれ。
そして、お前と同じ目に遭いたくなければ、白旗をあげて降伏宣言をしろ。
これが国王陛下からの正式な書簡だ。国王にお前の様になりたくなければ勇気を持って決断しろと伝えろ」
アステラはそう言うと、私の手に何かを握らせてクルリと踵を返し離れて行った。それと同時に自分の副官達が倒れたままの私に駆け寄ってきた。
「ディスコーニ様!ディスコーニ様!」
「これは一体…?」
「どう…なって、いますか?」
頬のあたりから痺れが広がり、口が上手く開かずに喋りにくい。それでも、ゆっくりと言葉を紡いだ。
私を取り囲んで見下ろす5人の顔は、全員が今までに見たことがない困惑した表情だ。そんなに今の自分は酷い状態なのだろうか。
「頬から下は黒く変色しています。毒…でしょうか」
「すぐに白魔道士の元にお連れ致します。手にお持ちのものは私がお預かりします」
将軍である自分が負傷しているのを知られると混乱を呼んでしまうため、急ごしらえで設置したテントの中に運ばれ、簡易ベッドの上に慎重に横たえられた。
すぐに駆けつけた白魔道士長のジェーム殿を始めとした数人の白魔道士がテントに入ると、彼らは周囲をキョロキョロと見渡しながら困惑した顔になっていた。
「この匂いは…?」
「ジェーム様、ディスコーニ様の甲冑を外しますので、後ろでお待ち下さい」
ファズとアヴィスの2人で身に付けていた甲冑を外し、その下に着ていた軍服を脱がせると、後ろから見ていた白魔道士達の息を呑む音が響いた。
「ディスコーニ様。どのような症状がありますか?」
ジェーム殿が手をかざしながら私の顔を覗き込んでいるが、その顔にはまったく余裕が感じられない。
鏡がないから自分がどんな状態なのか分からないが、上半身が剥き出しになっているはずなのに、痺れが広がって空気や温度など何も感じ取れない。厄介な毒が使われているのだろうか。
「全身の、痛み…と痺れ、魔力が、抜けます」
「魔力が抜ける?そんな毒は…。とりあえず痛みと痺れを止めるとこから始めましょう」
白魔道士達が魔法をかけてくれているようだが、なんの兆しも感じられない。それどころか、彼らの強張り始めた表情を見ていると不安が募ってくる。
「これは…。どうしてでしょうか。毒を受けていると思うのですが、上級の解毒魔法が全く効きません。それに、頬の傷口だけ塞がらないなんて…」
「何の毒なのか、パターンに全く覚えがありません。それにこの匂いには覚えがないし、魔力が抜けるなど。そんな毒なんて聞いたことは…」
「ジェーム様、バルバやアトルーといった薬草はどうでしょうか」
「調合をしてみましょう」
ここにいるのは、ウィニストラの白魔道士長をはじめとする優秀な者達。なのに、彼らが顔色を失くしてあれこれとしてくれているのに、どんな魔法も薬草も身体に何の変化ももたらさない。
治療を受けながら1番近いラーナまで運ばれると、遅れて到着し、事態を聞いたバルジアラ様がすぐに様子を見に来てくれた。
「ディスコーニ!しっかりしろ!大丈夫か?!治療はまだ終わらないのか?!」
バルジアラ様の責め立てるような大声を浴びせられたジェーム殿達は、一歩下がると私とバルジアラ様に向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。我々では手の施しようがありません」
そこで言われた言葉に絶望した。
「どういうことだ!白魔道士なら治療出来るだろうが!白魔道士長ならなんとかしろ!」
ジェーム殿の言葉を聞いた瞬間、バルジアラ様の顔が盛大に怒りに染まり、頭を下げたままのジェーム殿の胸ぐらを掴んだ。
「バルジアラ様、落ち着いて下さい。上級の治療魔法や解毒の魔法はかけてみましたし、薬草も使ってみましたが全て効果がないのです。そもそも、魔力が抜けていく毒など聞いたことがありません。
我々では一部の兵士やディスコーニ様が受けた毒らしきものが、一体何の毒なのか分からないのです」
「お前らがダメなら『白い渡り鳥』様を呼んでこい!」
「新聞を見ましたが、本国には今、訪れている方はいませんし、近くにもいらっしゃいません!お年を召された元『白い渡り鳥』様がノールトールの神殿にいらっしゃるだけです」
「ノールトールの奴は、もう死にかけの爺さんだから治療はやってない。この状況じゃーーー」
バルジアラ様の焦った声を遠くに聞きながら、痺れて重い手を必死に持ち上げて、痛む顔と肩にそっと触れてみた。
触れたはずなのに、痺れが凄くてまったく触っている感覚が伝わって来ない。それどころか魔力がじわじわと抜けていくのが気怠くて、触っている腕を上げているのも辛い。
ーーこれから私はどうなるのだろう。軍の白魔道士が分からないという未知の毒は、白魔道士の最高位の『白い渡り鳥』様なら治療出来るだろうか。
もし出来なかったら、私はこのまま動くのもままならず、魔力が抜け続け、寝たきり生活なのだろうか。まだやりたいことは沢山あるのに。あの小さな水の針に、一体どんな毒が仕込んであったのだろう。
軍の白魔道士も治療出来ない未知の毒に冒され、魔力が次第に抜けていくという初めて体験する恐怖。このまま誰にも治療出来ないままの状態がずっと続くのではないかという不安に、生まれて初めて絶望という二文字が重くのしかかった。
「バ…ルジアラ様。アステラ、からの…書簡にはい、たい何が?」
「回復不可能な者を生み出したくなければ、トラントへの全面降伏を表明しろ。それがなければ、まずは5日後にラーナまでを占領する。…とあった」
「そ…で、すか。どう、します、か?」
「かすめただけでこうなる毒はかなり脅威だ。この毒がこれから先も使われると、そのうち将軍を含めた戦力がなくなり防衛出来ん。この毒の解明と解毒薬がなければ、正直手が出せない。
陛下に手紙を送ったが、毒の見当はつかないし、解毒薬もない、解明する時間もないとなるとラーナは諦めるしかないと判断するだろう。早く毒をなんとかしないとウィニストラは終わりだ」
バルジアラ様の言う通り、防衛力の要である将軍や副官といった上級兵士がこの毒にやられれば国を守りきれない。なんの毒であるのか、そして治療法を見つけなければ、トラントの思うがままに国は喰われてしまう。
アステラは「これが1番下」と言っていたが、1番上の物とはどんなに恐ろしい物だろうか。そもそもトラントはこの毒をどうやって手に入れたのだろうか。
自分やバルジアラ様の副官達、白魔道士長が心配そうに見守っていると、外に出ていた白魔道士が慌ててテントに駆け込んできた。
「バルジアラ様!『白い渡り鳥』様がこの街にいらっしゃっていて、同じ症状の兵士が回復しています!」
「早く連れて来い!」
バルジアラ様の大きな怒鳴り声に、ジェーム殿は弾かれたように慌ててテントを出て行った。
そして、そこで幸運にも再会出来た彼女は、まさに救世主だった。
「ディスコーニ様。これが解毒薬です。激マズですが飲み込んで下さい」
口に入れてもらった細長い何かを飲み込むと、今まで口にしたことがないような苦さと渋さが襲ってきた。
それと同時に身体の奥底からマグマのような高熱が生まれ、その熱から走って逃げ出したくなるような衝動が湧き上がった。
でも、身体は痛みと痺れ、そして魔力が抜けていく気怠さでベッドから起き上がるだけの力は出なかったが、その代わり全身から汗が一気に噴き出して熱を放出し始めた。
「もう大丈夫です。これは口直しの甘い飴です。傷口も塞ぎましたが、痺れの余韻でしばらくは動けません。でもじきに戻ります」
その時、私は天使を見た。
予想をはるかに超えた劇薬のような苦い解毒薬を飲んだ後、甘さと爽やかさのある飴を食べさせてくれる時に見た彼女の微笑みは、まるで本物の天使だった。
心配そうに見つめるその緑の瞳に、自分が映っていることに歓喜さえ覚えた。
そして、彼女が『再生の天使』と呼ばれる理由を身をもって理解できた。
身分を問わず、横柄な態度を取ることのないと言われるシェニカ様は、『白い渡り鳥』様の中で1番ランクの高い人で、彼女ならばどんな怪我も呪いも元に戻せる。
絶望を感じるような重い状況の者ほど、治療後に見せてくれる彼女の天使のような微笑みと、その柔らかく真摯な姿勢に心を打たれて、『何でも再生してくれる天使』に恋をするのだろう。
彼女に心を鷲掴みにされると、恐怖、不安。絶望していたことすら、すっかり頭から抜け落ちてしまった。
甘い飴を舐めながら、彼女が自分の身体から噴き出てくる汗を拭い続けてくれている時間が、いつまでも続けばいいと思った。
場違いな幸福を感じながらネムリス神官長らの話を聞いていると、彼女が自身の作る『聖なる一滴』の話になった時、汗を拭いていてくれた手が止まった。
シェニカ様を見てみれば、顔色を失くしているし、小さな手がギュッと布を握りしめて目を固く閉じている。嫌なことを思い出したのだろうと見当がついて、今度は自分が彼女を安心させたくて握りしめられたその手を包みたくなった。でも、痺れと痛みが無くなっても鉛のような腕は持ち上げられなかった。
そして、シェニカ様の作る『聖なる一滴』が、アステラが言っていた「1番上の物」であることに繋がった。
となると、トラントが彼女を狙うのは分かりきっているから、少々強引に説得して自分達に付いてきてもらった。
あのまま街で別れていれば、夜襲の時のような顔ぶれでシェニカ様を攫いに来ただろう。流石に『赤い悪魔』1人では守りきれないから、その判断は正しかったはずだ。
2人の様子が何かおかしいとは思っていたが、まさか『赤い悪魔』が守るべき彼女に牙を剥くようなことをしていたとは思わなかった。
シェニカ様の首の後ろにあった歯型の跡を思い出すだけで、「自分の大切な天使になんてことをするのか」と、首をへし折ってやりたくなるほどの怒りが沸々と湧き上がってくる。
どんな戦場でも、どんな場面でも、怒りや憎しみなんて感じたことがなかったのに。何も経験のない自分が、まさかこんな激情を湧き上がらせるほど誰かを想うなんて思ってもみなかった。
でも彼女なら。
自分の全てを捧げても良いと思えた。
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