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第21章 ある国の終焉
5.影の手
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■■■前書き■■■
お気に入りや感想、web拍手、コメントをありがとうございます。
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時間をおかずに更新することが出来て嬉しいです!
今回はディスコーニ視点→第三者視点のお話になります。
■■■■■■■■■
バルジアラ様たちと共に当事者控室に戻ると、シェニカにソファに座るよう勧めた。初めての経験で疲れたようで、彼女は深いため息を吐いた。2人の護衛は彼女の向かい側に座ると、同じように小さくため息を吐いた。独特の雰囲気とトラント国王の悪あがきに、外野である2人も疲れたようだ。
「お前、疲れた顔してるけど大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ねぇ、ディズ。茶会で一番早く切り上げるタイミングって、いつくらいなんだろう?お茶を一杯だけ飲んだ後くらい?」
「具体的には決まっていませんが、出席者全員が自己紹介を終えてからの方がいいと思います。お茶やお菓子は無理して食べる必要はありませんし、残しても大丈夫です」
「そっか。結構な日数を茶会のために予定しているけど、早めに終了してもいいのかな」
「日数は目安ですし、どの国も茶会の順番がいつ来ても良いように準備していますから、気にしなくても大丈夫です」
シェニカは安心したような微笑を浮かべたが、それも一瞬のことで、すぐに胸ポケットから出したメモに視線を落とした。
「こんなに賛同する国があるんだね」
「シェニカが処刑にまで関わる必要はありません。ウィニストラとしても望んでいません」
「どうなるのか既に知っているのに、結果を見たいってことだよね」
「公開実験のようなことはしなくていいです」
シェニカは考え込んでいるのか、無言でメモを見たままだ。彼女の言動が気になって控室にいる誰もが黙り込んでしまい、重苦しい空気が落ちている。2人の護衛もこの空気に居心地悪そうにしていたが、やがて『青い悪魔』が小さく咳払いをした。
「嬢ちゃん、昼飯行かねえのか?俺は腹が減った。空気の良いところで、気分転換しながら何か食べようぜ」
ようやく顔を上げたシェニカは、腹をさすって空腹をアピールする『青い悪魔』を見ると、申し訳なさそうに微笑んだ。
「天気も良いですし、昼食はスーランの特別区にあるレストランに行きませんか?屋上にテラス席があるレストランがあるんです」
「うん!」
『青い悪魔』のおかげで普段の明るい表情に戻ったシェニカを見て、室内の全員が顔には出さないがホッと胸を撫で下ろした。殿下やライオット、バルジアラ様と言った方々は、機転を利かせた彼により一層感心を寄せたようだ。
「馬車のご用意ができました」
控室から出ようとした時、さっきまで議席にいたウィニストラの文官が室内に入ってきて、ファズに手紙を渡した。彼から差し出されたその手紙を見ると、宛名は書いていなかったが、翼を広げたスザクワシが横に据えた剣に留まっている焼印が封筒の真ん中に押してあった。小さく頷いて返事をすると、ファズは自分たちが歩き始めたタイミングで、『赤い悪魔』にそっと渡したが、焼印を見た瞬間に彼は嫌悪に満ちた顔になったのが、背後の気配を感じ取らなくても分かる。その変化は彼の前を歩くシェニカにも伝わってしまったようで、彼女は振り返って彼を見た。
「ルクト、なんか嫌なことがあったの?」
「虫が飛んでただけだ」
『赤い悪魔』は手紙を見ることなく、握りつぶすような雑な扱いで上着のポケットに捩じ込んだ。
◆
午前の部が終わった後、議場を出た廊下では、友好国と立ち話をする国が多数見られた。その中に、抱き合って再会を喜び合う2人の王太子がいた。
「殿下、お久しぶりです。いやぁ、ウィニストラから出された報告書一式も興味深いものでしたが、トラント国王からも面白い言葉が出ましたね」
「シェニカ様からもっと聞き出したいところですが、もう少し親密な関係にならないと難しそうです。国王への尋問では、トラントのシェニカ様訪問時の記録、尾行していた際の報告書など、シェニカ様に関する全ての情報を聞き出すまでは、この手続きは終われませんね」
「本当です。戦争の禁止、安全の保障など不利益な部分もありますが、その対価には十分ですね」
「それにしても。いつもどこかに突っかかる脳筋代表国が、やけに静かなのが気になりますね」
「サザベルが慎重な様子を見ると、死体とはいえ、『天使の涙』の効果を目の当たりにした影響でしょうね。我々も実際に見てみたいものです」
「本当ですよ。どの国もそう思ったはずなのに、特に影響力のあるジナ、サザベル、ドルトネアが手を挙げませんでしたね。何か意図があるのでしょうか」
「その目で確認したいところが本音でしょうが、賛同しなかったのは何か理由があるのかもしれません」
「しかし、シェニカ様が賛同国を確認するくらいですから、より多くの国が賛同すれば良い返事がもらえるかもしれません。ウィニストラに説得してもらうよう書簡を出しませんか?」
「それはいいですね。そうそう。我が国はそちらより先に茶会がありますので、どのような感じだったのかお話しましょう」
「ありがとうございます。我が国も茶会の手応えについては詳細にお話いたします。我々の様な小国は情報交換などの協力は必要不可欠ですからね。今回新たに関係が始まった国もありますが、貴国とは古くからのお付き合い。今後とも変わらぬ交流を続けていきたいと思っております。是非ともよろしくお願いします」
「こちらこそ。殿下と私とは幼い頃からの付き合い。今後とも協力して参りましょう」
2人の王太子は固い握手を交わすと、それぞれが公邸へ向かう馬車に乗り込んだ。
◆
フェアニーブ内のトラント執務室では、トラント大使が2人の文官と共に軽食を食べていた。文官は疲れた様子の大使を気遣い、疲労回復の効果があるハーブティーを淹れた。
「もうお食事はよろしいのですか?」
「色々と考えると食欲がないんだ」
「そうですよね…」
「戦場介入を主体的に進めていたのがベラルス神官長、アステラ筆頭将軍、宰相様、王太子殿下という人物となると、他国に唆されたという可能性もないだろうし、そうだとしても責任を負うのは国王陛下。あのように明言されれば、もはやトラントの滅亡は確実だ」
大使の深いため息は室内に重苦しい空気を漂わせ、2人の文官も暗い表情になった。
「君達はまだ若い。今から身の振り方をよく考えておいた方がいい」
「サルマ様は今後どのように?」
「ウィニストラには身分の保障を求めたが、返事はないし、どうなるか分からないな。私はこれまで政治一筋でやってきたし、若くないから新たに挑戦するのも難しいし、やる気も出ない。何か一つのことに身を置くメリットもあれば、こういうデメリットもあるという手本だな。君達は私のようになってはいけないよ」
「今後はウィニストラの貴族たちが、トラント領も治ることになるのでしょうか」
「ウィニストラは宰相の方針で、高位貴族だろうと功績を残さなければ爵位を落とされたり、任を解かれたりと冷遇されている。そのやり方に異を唱える者もいるが、宰相の力が強い上に、登用された大臣や文官はが結果を残しているから文句のつけようも無い。
そうやって追い出された貴族が挽回の機会を狙うなら、領地運営くらいしかないが…。確実なことは分からないが、領民からの支持がなければ交代となるだろうな」
「これまでの実績が問われるということですね…」
「さて。ハーブティーも飲んだことだし、少し仮眠することにするよ。君達もゆっくり休むんだぞ」
「かしこまりました。お時間を見て声をかけさせて頂きます。ゆっくりお休み下さい」
大使は部屋から出る文官を見送ると、ベッドのある奥の部屋の扉を開けた。陽の光が入ってくる窓へ真っ直ぐ進むと、大使はダークグレーのカーテンを閉めて部屋を薄暗くした。
「はぁ…。疲れた」
消え入りそうな呟きを残しながら背後のベッドへ振り向くと、狭い部屋には誰もいなかったにも関わらず、目の前にフードを目深に被った漆黒のローブに身につける人物がいた。驚いた大使が声を上げようとすると、その口はすぐに覆われた。恐怖で震える大使に対し、その人物は口を覆っていた手をゆっくり外すと、大使の口元に指を当て静かにするよう促した。大使が何度も頷くと、その人物はフードを外し、懐から取り出した小さなコンパクトを開けた。そこから小さな筆を取り出すと、大使の下唇の際に線を引くように薄紅色の口紅を引いた。恐怖に支配されて微動だに出来ない大使は、指がゆっくりと額に向かっているのを目で追うことしか出来なかった。
「あぁ、大使!ちょうど良かった。お渡ししたい書簡がありまして。どうなさいました?」
廊下を歩いていたウェルニ筆頭事務官は、トラントの執務室から出てきた大使に声をかけると、大使は「陛下のネームタグを確認しなければなりません」と呟いた。
「ネームタグ?既に確認していますよ?」
「この目で確認しなければ」
「確認する必要があるということは、地下牢にいる陛下は偽物、ということでしょうか?」
「確認しなければなりません」
地下牢にやってきたトラント大使と筆頭事務官に、衛兵たちは敬礼をして出迎えた。
「どうされました?」
「大使がトラント国王陛下のネームタグを確認したいと仰りまして。すり替わっている可能性があるかもしれないので、確認したいと思います。牢を開けてもらえますか」
「トラント国王陛下は、議場から戻ってきて以降どこにも出ていませんので、すり替わっている可能性はないと思いますが…。分かりました、すぐに解錠して確かめましょう」
筆頭事務官と衛兵がそう話すと、2人の衛兵が解錠し、重々しい音を立てながら鉄格子の扉を開けた。大使は筆頭事務官、衛兵と共に牢に入ると、車椅子に静かに座るトラント国王と視線を合わせるように、冷たい床に膝を着けた。
「まさかトラント国王陛下が偽物、ということですか?」
「分かりませんが、大使がそのように仰るのは何か疑念を抱く理由があるのでしょう。ならば確認するに越したことはないかと」
筆頭事務官と衛兵が会話する側で、大使は国王の襟元を下げ喉元を露わにすると、ネームタグを引っ張り出し静かに凝視している。
「大使、我々にも確認させて下さい」
衛兵と筆頭事務官が大使に近づこうとした瞬間、立ち上がった大使は2人を手で制し、懐から手帳とインクがついたガラスペンを取り出した。何を書くのかと不思議そうにする筆頭事務官に向かって、大使は手帳を差し出すように手を前に出した。
「すべてはここに書いてあります」
大使の手から離れた手帳が床にぽとりと音を立てた瞬間。異変を感じ取った衛兵の手が大使に届く前に、大使は握っていたガラスペンを国王の喉元に突き刺した。
「白魔道士を!白魔道士をすぐに呼んで来い!!」
「大使!なんてことを!!」
衛兵に押し倒された大使は、血が出るほど強く下唇を噛み締めた。
■■■後書き■■■
2024年も明日で最後となりました。
今年は個人的には激動の1年となりましたが、2025年はもっと更新できるような、落ち着いた1年になってほしいと願っております。
本年も大変お世話になりました。よいお年をお迎えください。(o^^o)
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バルジアラ様たちと共に当事者控室に戻ると、シェニカにソファに座るよう勧めた。初めての経験で疲れたようで、彼女は深いため息を吐いた。2人の護衛は彼女の向かい側に座ると、同じように小さくため息を吐いた。独特の雰囲気とトラント国王の悪あがきに、外野である2人も疲れたようだ。
「お前、疲れた顔してるけど大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ねぇ、ディズ。茶会で一番早く切り上げるタイミングって、いつくらいなんだろう?お茶を一杯だけ飲んだ後くらい?」
「具体的には決まっていませんが、出席者全員が自己紹介を終えてからの方がいいと思います。お茶やお菓子は無理して食べる必要はありませんし、残しても大丈夫です」
「そっか。結構な日数を茶会のために予定しているけど、早めに終了してもいいのかな」
「日数は目安ですし、どの国も茶会の順番がいつ来ても良いように準備していますから、気にしなくても大丈夫です」
シェニカは安心したような微笑を浮かべたが、それも一瞬のことで、すぐに胸ポケットから出したメモに視線を落とした。
「こんなに賛同する国があるんだね」
「シェニカが処刑にまで関わる必要はありません。ウィニストラとしても望んでいません」
「どうなるのか既に知っているのに、結果を見たいってことだよね」
「公開実験のようなことはしなくていいです」
シェニカは考え込んでいるのか、無言でメモを見たままだ。彼女の言動が気になって控室にいる誰もが黙り込んでしまい、重苦しい空気が落ちている。2人の護衛もこの空気に居心地悪そうにしていたが、やがて『青い悪魔』が小さく咳払いをした。
「嬢ちゃん、昼飯行かねえのか?俺は腹が減った。空気の良いところで、気分転換しながら何か食べようぜ」
ようやく顔を上げたシェニカは、腹をさすって空腹をアピールする『青い悪魔』を見ると、申し訳なさそうに微笑んだ。
「天気も良いですし、昼食はスーランの特別区にあるレストランに行きませんか?屋上にテラス席があるレストランがあるんです」
「うん!」
『青い悪魔』のおかげで普段の明るい表情に戻ったシェニカを見て、室内の全員が顔には出さないがホッと胸を撫で下ろした。殿下やライオット、バルジアラ様と言った方々は、機転を利かせた彼により一層感心を寄せたようだ。
「馬車のご用意ができました」
控室から出ようとした時、さっきまで議席にいたウィニストラの文官が室内に入ってきて、ファズに手紙を渡した。彼から差し出されたその手紙を見ると、宛名は書いていなかったが、翼を広げたスザクワシが横に据えた剣に留まっている焼印が封筒の真ん中に押してあった。小さく頷いて返事をすると、ファズは自分たちが歩き始めたタイミングで、『赤い悪魔』にそっと渡したが、焼印を見た瞬間に彼は嫌悪に満ちた顔になったのが、背後の気配を感じ取らなくても分かる。その変化は彼の前を歩くシェニカにも伝わってしまったようで、彼女は振り返って彼を見た。
「ルクト、なんか嫌なことがあったの?」
「虫が飛んでただけだ」
『赤い悪魔』は手紙を見ることなく、握りつぶすような雑な扱いで上着のポケットに捩じ込んだ。
◆
午前の部が終わった後、議場を出た廊下では、友好国と立ち話をする国が多数見られた。その中に、抱き合って再会を喜び合う2人の王太子がいた。
「殿下、お久しぶりです。いやぁ、ウィニストラから出された報告書一式も興味深いものでしたが、トラント国王からも面白い言葉が出ましたね」
「シェニカ様からもっと聞き出したいところですが、もう少し親密な関係にならないと難しそうです。国王への尋問では、トラントのシェニカ様訪問時の記録、尾行していた際の報告書など、シェニカ様に関する全ての情報を聞き出すまでは、この手続きは終われませんね」
「本当です。戦争の禁止、安全の保障など不利益な部分もありますが、その対価には十分ですね」
「それにしても。いつもどこかに突っかかる脳筋代表国が、やけに静かなのが気になりますね」
「サザベルが慎重な様子を見ると、死体とはいえ、『天使の涙』の効果を目の当たりにした影響でしょうね。我々も実際に見てみたいものです」
「本当ですよ。どの国もそう思ったはずなのに、特に影響力のあるジナ、サザベル、ドルトネアが手を挙げませんでしたね。何か意図があるのでしょうか」
「その目で確認したいところが本音でしょうが、賛同しなかったのは何か理由があるのかもしれません」
「しかし、シェニカ様が賛同国を確認するくらいですから、より多くの国が賛同すれば良い返事がもらえるかもしれません。ウィニストラに説得してもらうよう書簡を出しませんか?」
「それはいいですね。そうそう。我が国はそちらより先に茶会がありますので、どのような感じだったのかお話しましょう」
「ありがとうございます。我が国も茶会の手応えについては詳細にお話いたします。我々の様な小国は情報交換などの協力は必要不可欠ですからね。今回新たに関係が始まった国もありますが、貴国とは古くからのお付き合い。今後とも変わらぬ交流を続けていきたいと思っております。是非ともよろしくお願いします」
「こちらこそ。殿下と私とは幼い頃からの付き合い。今後とも協力して参りましょう」
2人の王太子は固い握手を交わすと、それぞれが公邸へ向かう馬車に乗り込んだ。
◆
フェアニーブ内のトラント執務室では、トラント大使が2人の文官と共に軽食を食べていた。文官は疲れた様子の大使を気遣い、疲労回復の効果があるハーブティーを淹れた。
「もうお食事はよろしいのですか?」
「色々と考えると食欲がないんだ」
「そうですよね…」
「戦場介入を主体的に進めていたのがベラルス神官長、アステラ筆頭将軍、宰相様、王太子殿下という人物となると、他国に唆されたという可能性もないだろうし、そうだとしても責任を負うのは国王陛下。あのように明言されれば、もはやトラントの滅亡は確実だ」
大使の深いため息は室内に重苦しい空気を漂わせ、2人の文官も暗い表情になった。
「君達はまだ若い。今から身の振り方をよく考えておいた方がいい」
「サルマ様は今後どのように?」
「ウィニストラには身分の保障を求めたが、返事はないし、どうなるか分からないな。私はこれまで政治一筋でやってきたし、若くないから新たに挑戦するのも難しいし、やる気も出ない。何か一つのことに身を置くメリットもあれば、こういうデメリットもあるという手本だな。君達は私のようになってはいけないよ」
「今後はウィニストラの貴族たちが、トラント領も治ることになるのでしょうか」
「ウィニストラは宰相の方針で、高位貴族だろうと功績を残さなければ爵位を落とされたり、任を解かれたりと冷遇されている。そのやり方に異を唱える者もいるが、宰相の力が強い上に、登用された大臣や文官はが結果を残しているから文句のつけようも無い。
そうやって追い出された貴族が挽回の機会を狙うなら、領地運営くらいしかないが…。確実なことは分からないが、領民からの支持がなければ交代となるだろうな」
「これまでの実績が問われるということですね…」
「さて。ハーブティーも飲んだことだし、少し仮眠することにするよ。君達もゆっくり休むんだぞ」
「かしこまりました。お時間を見て声をかけさせて頂きます。ゆっくりお休み下さい」
大使は部屋から出る文官を見送ると、ベッドのある奥の部屋の扉を開けた。陽の光が入ってくる窓へ真っ直ぐ進むと、大使はダークグレーのカーテンを閉めて部屋を薄暗くした。
「はぁ…。疲れた」
消え入りそうな呟きを残しながら背後のベッドへ振り向くと、狭い部屋には誰もいなかったにも関わらず、目の前にフードを目深に被った漆黒のローブに身につける人物がいた。驚いた大使が声を上げようとすると、その口はすぐに覆われた。恐怖で震える大使に対し、その人物は口を覆っていた手をゆっくり外すと、大使の口元に指を当て静かにするよう促した。大使が何度も頷くと、その人物はフードを外し、懐から取り出した小さなコンパクトを開けた。そこから小さな筆を取り出すと、大使の下唇の際に線を引くように薄紅色の口紅を引いた。恐怖に支配されて微動だに出来ない大使は、指がゆっくりと額に向かっているのを目で追うことしか出来なかった。
「あぁ、大使!ちょうど良かった。お渡ししたい書簡がありまして。どうなさいました?」
廊下を歩いていたウェルニ筆頭事務官は、トラントの執務室から出てきた大使に声をかけると、大使は「陛下のネームタグを確認しなければなりません」と呟いた。
「ネームタグ?既に確認していますよ?」
「この目で確認しなければ」
「確認する必要があるということは、地下牢にいる陛下は偽物、ということでしょうか?」
「確認しなければなりません」
地下牢にやってきたトラント大使と筆頭事務官に、衛兵たちは敬礼をして出迎えた。
「どうされました?」
「大使がトラント国王陛下のネームタグを確認したいと仰りまして。すり替わっている可能性があるかもしれないので、確認したいと思います。牢を開けてもらえますか」
「トラント国王陛下は、議場から戻ってきて以降どこにも出ていませんので、すり替わっている可能性はないと思いますが…。分かりました、すぐに解錠して確かめましょう」
筆頭事務官と衛兵がそう話すと、2人の衛兵が解錠し、重々しい音を立てながら鉄格子の扉を開けた。大使は筆頭事務官、衛兵と共に牢に入ると、車椅子に静かに座るトラント国王と視線を合わせるように、冷たい床に膝を着けた。
「まさかトラント国王陛下が偽物、ということですか?」
「分かりませんが、大使がそのように仰るのは何か疑念を抱く理由があるのでしょう。ならば確認するに越したことはないかと」
筆頭事務官と衛兵が会話する側で、大使は国王の襟元を下げ喉元を露わにすると、ネームタグを引っ張り出し静かに凝視している。
「大使、我々にも確認させて下さい」
衛兵と筆頭事務官が大使に近づこうとした瞬間、立ち上がった大使は2人を手で制し、懐から手帳とインクがついたガラスペンを取り出した。何を書くのかと不思議そうにする筆頭事務官に向かって、大使は手帳を差し出すように手を前に出した。
「すべてはここに書いてあります」
大使の手から離れた手帳が床にぽとりと音を立てた瞬間。異変を感じ取った衛兵の手が大使に届く前に、大使は握っていたガラスペンを国王の喉元に突き刺した。
「白魔道士を!白魔道士をすぐに呼んで来い!!」
「大使!なんてことを!!」
衛兵に押し倒された大使は、血が出るほど強く下唇を噛み締めた。
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